★殉愛で貶められた長女

殉愛を読む限り、たかじんの長女は相当に常識を外れた人物と仕立て上げられている。掲示板等から多少の情報を得てバイアスが掛かっていた自分でさえ、殉愛を読み進めるうちに、「幼い頃から離れ離れになった因果か」と思う時があったくらいなので、何も知らずに読んだ人が信じたことは間違いない。例をあげてみる。

ガンを宣告されたたかじんが、そのことを長女に電話で知らせた時の事だ。


【引用 :殉愛93p】
「娘にだけは伝えようと思て、この前、大事な話しがあるから来てくれと電話したら、忙しいから行かれんと言いよった。薄情な娘や」

たかじんが食道がんで休養のニュースが流れた2012年2月1日、長女からたかじんにメールが入る。

【引用 :殉愛102p】
「なんや食道がんかいな。自業自得やな」という内容のメールがあった。それを見た彼は激怒して、「親子の縁を切る!」と言った。

この流れからして、ガンを知ったたかじんが長女に電話した内容は、「会って話したいことがある」だけだったのが分かる。病気の事は会った時に話そうと思っていたのだろうが、報道が先んじてしまい、知った長女が心配してメールを入れた流れだ。
だが後々、このメールの文面が問題となる。
週刊朝日 2014.12月18日に掲載された長女の反論は次の通りで、メールも保存されているとのことだ。
『話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ』 
一方さくらは週刊新潮の取材に、「主人は嫌なメールはかたっぱしから消す人だったので、今は残っていません」とのことだ。どちらの言い分に理があるかは歴然としている。


又、長女は金に賤しい非常な人物としても書かれている。

【引用:殉愛 103P】

親友の松本哲郎は「娘の頭の中は金しかない! 縁を切りたい」とたかじんがこぼしているのを聞いている。

【引用:殉愛 103P】
「本当か嘘かはわかりませんが」と前置きして、「たかじんさんが、この前、娘に五千万円やって縁を切った、と言っていたのを聞いたことがあります」と言った。 (NOマネープロデューサー・徳岡敦朗)

【引用:純愛 192P】
Kはたかじんの娘から預かった手紙を彼に渡している。それは彼女の恋人がたかじんに宛てて書いた「お嬢さんと結婚します」というものだった。同時に娘からは、結婚祝いをしてと言われている。
たかじんは不快感を隠さなかった。
「親が生きるか死ぬかの病気で苦しんでいるのに、一度も見舞いに来んと、自分は結婚するから祝ってくれって、どこまでおのれのことばっかりなんや。これまでも仰山お金渡してきた。これからは旦那に養ってもらえ。もう親をあてにするな」


娘さんは、主人との関係は悪くなかったと主張しているが、ならば2年もの間なぜ、一度も見舞いにこなかったのか。もし、私が二人の関係を引き裂くよう画策した言うのであればマネージャー、個人事務所の社員、テレビ局の人など、いくらでも入院先を知る方法はあったはず。(Will掲載さくら手記)

長女は週刊朝日の取材に対し、「お金の無心をしたことも無く、5.000万円もお金も貰っていません」と反論、
「私は結婚祝いがほしいなんて言っていません。父に結婚相手に一目、会ってほしかっただけなのに、返事もくれなかった」と述べた。見舞いに来ないとの話しには、「連絡が取れなくなっていたので、父がどこに入院しているのかも、がんの進行の程度もわからなかった。ずっと大阪の病院だと思っていて、最期が東京の聖路加国際病院だったのも知りませんでした」と述べた。Kマネでさえ病院へ行ってもさくらから、「誰にも会いたくないと言っている」と言われ病室に入れなかったとのことだ(殉愛の真実)。これは隔離工作を彷彿とさせる。

百田尚樹が著した殉愛とは、なんとも酷いノンフィクション小説であることか。長女は婦人公論の手記で次のように述べている。

出版される直前に、私のことが悪く書かれているらしいという話を人から聞いていましたから、「ああ、やっぱり」というのが率直な感想です。
偏った取材に基づき、捏造した内容を綴ったものを、「ノンフィクション」と謳ってよいのでしょうか』

2014年11月21日、名誉毀損・プライバシー侵害の廉で発行元の幻冬舎に対し、長女側は「再婚した妻側の話を無批判に受け入れた内容で、親族らに取材していない」と主張。同書の出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした。代理人の的場弁護士によると、同書だけでプライバシー侵害14ヶ所、名誉毀損10ヶ所、敬愛追慕の念の侵害が6ヶ所あるという。
(※関連記事、長女陳述書はこちら・長女からの手紙)


★葬儀と偲ぶ会

たかじんの葬儀(直葬)に際して、さくらは長女をはじめとする親族を呼ばないと言い張り、Kマネと口論になっている。結果的に長女夫妻と前妻が参列することになるが、さくらは「私の好意で呼んであげた」と高圧的な態度をとったようだ。
(※葬儀の詳細はこちらで・揉めた葬儀の段取り  直葬の日)
たかじん没後に開催された「偲ぶ会」においても、当初は各テレビ局と結託し、親族を招待せず排除しようとしていた事も明らかになった。親族側がテレビ局との数度に渡る交渉で、ようやく認められるという異常な経緯であった。
(※偲ぶ会の詳細はこちらで・たかじんにすがるハイエナ達)

★老母の遺骨参り

実母が息子の訃報に接したのは死から4日後、最期に立ち会うことも、亡き骸に会うことも出来なかった無念。
女性自身の記事には次のように記された。

『年老いた母は、何で言ってくれんかったんや……と泣き暮らしていたという』
『母がその遺骨に会えたのも死から1ヶ月後のこと。さくらさんに懇願し、叶ったそうです。たかじんの実弟と実母が分骨を懇願したが、さくらは拒否した』
『このとき、母親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面、このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪どは一切なかったそうです』
『このとき、親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面というのもまた驚きです。このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪などは一切なかったそうです』

殉愛の真実によると、さくらが指定した2014年1月27日は長女と他の兄弟も都合つかない急な日であり、たかじんの弟(良行氏)夫妻と母だけが訪問したという。キリスト教の祭祀なので線香もあげられず合掌したのみで、お茶もよばれることもなく、僅か20分間の出来事だったという。喪服姿で訪れた親族に対し、さくらは真っ白なワンピースを着用して出迎えたとのことだ。
自分は一介のたかじんファン、それも熱狂的とは言い難い他人の分際であるが、このエピソードだけは許すことが出来ないでいるのだ。気持ちは親族の方々と一緒だ。たった一度だけ愛息子の遺骨に手を合わせただけで、数か月後に逝去した母の心情を慮ると、理屈は存在しない遣る瀬無さに、今でも涙が滲むのだ。

▼金スマで放映されたたかじん祭壇
骨壺









★たかじん実母の死

たかじんの母は失意の日々を送る最中の2014年6月に逝去した。葬儀に参列したさくらはその時の模様をWillに掲載した手記で、「5月に行われた主人のお母様の葬儀は弟さんからご丁寧に連絡をいただいて伺い、弟さんと奥様、親族の方は優しく温かい方々でご対応いただきました」と記したが、女性自身の記事によると実態は違うようだ。
「お母さんは、毎日たかじんの写真を見て泣いていました。息子の死に目に会えなかったことが、相当ショックだったみたいです。3月3日の『たかじんを偲ぶ会』前には、お母さんのがんはわかっていました。出席を果たしてからほどなくして体調が急変。最後は家族みんなに見守られながら、息を引き取りました」
実母の葬儀は大阪府内でしめやかに営まれた。だがそこに意外な人物が。なんと、Aさんが訪れていたというのだ!ようやく確執も溶けたのかと思いきや……そう簡単にはいかなかったようだ。別の親族が怒りを隠さずこう語る。
「参列者のひとりによると、彼女は当初『キリスト教だから……』と焼香を拒んでいたようです。周囲が説得を重ね、何とか焼香だけしてもらいましたが、参列者との会話もほとんどなし。出棺後の親族との食事会は辞退し、お骨を拾うことなくすぐに帰っていきました。最後は『帰ります』の挨拶もなく、気が付いたらいなくなっていました」

『さくらさん、あなたに家鋪性を名乗る資格はない』心あるたかじんファンが一致して思うところだろう。