病気

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

最後の入院 知らされない長女

★緊急入院

12月26日、ガン細胞の悪質液が全身に回り、内臓の衰弱が激しく、聖路加病院に入院した。若い医師は肺炎の疑いがあると言った。久保田医師は「肺炎の気がある程度なので10日くらいでよくなる。聖路加で緩和ケアをして、6日からは在宅看護をしましょう」と提案した。
案内された病室は皇族が使う聖路加で一番高級な部屋だった。


【引用: 純愛 369P】
「あーあ、ひとつ心残りがあるなあ」
彼はベッドに寝そべりながら天井を見上げた。
「なぁに?」
「もっと元気な時に、さくらとしといたらよかった」
一瞬何のことかわからなかったが、気付いた時は恥ずかしかった。
「さくらだって、そうしてほしかったよ」
「さくらはずっと自分に女性として魅力がないのかなと思ってた。ハニーはほかの女性のほうがいのかなと思っていた」
「ちゃう」彼は大きな声で言った。「ハニーはめちゃくちゃ魅力的や」
「だったら、浮気なんかしないで、さくらとしてくれたらよかったのに」


たかじんは、ぼくでいいのか、お父さんとも会ってない、他の女とは違う等と言い、さくらは天使、自分は白馬の王子様と形容した。

12月27日、自力で起きあがれず、昼間は麻薬でほとんど眠っていた。
さくらが「お嬢さんに知らせる?」と訊くと、「あんな奴に知らせるな」と言った。親族はどうするかと訊ねると、「いらん!」と答えた。夜はうなされながら、「許さん」「情けない」「最低や」とか口走った。

12月28日、久保田医師は、「林さんはよく頑張っています、闘っています」と話した。さくらはたかじんの娘に近況を知らせるべきか訊ねると、「やめたほうがいいんじゃないでしょうか」と言い、緩和ケアの医師も同意した。
「これだけ頑張っているのに、会いたくない人に会えば、安らかな状態をキープ出来ません。最後まで気持ちよくさせてあげることが大切です」

★長女・Kマネへの責任転嫁

たかじんの死期が近づき、たかじんが娘、親族やKマネへの恨みを蓄積している表現が多くなって来ている。彼等のせいで病状が悪化した、どれだけ恨んでいたか、さくらにとってたかじん死後の有利な交渉を見据えたものだろう。
問題は病院側の対応だ。さくらから作り話しを吹き込まれたのだろうが、「会いたくない人に会えば・・・・・・」の発言は常軌を逸している。重篤な患者を前にして、血肉を分けた親子が本当に会いたくないと思っているのだろうか。しかも、たかじんに直接訊いてもいない。久保田医師はさくらとの結婚がホンの二ヶ月前に済ませたことを知っており、死後のトラブルも予測できる立場にあったと言える。これは8月と12月の余命宣告の際も同様で、さくら一人に対して行われたことに納得がいかない。
病院のこれらの対応は、最近話題の「後妻業」が蔓延る温床となるものではないのか。自分の経験で言うと、手術前説明時でも親族2名以上の同席を求められ、同意書への記名・捺印を行った。当時は遠方に住む子供たちに申し訳なかったが、あらためて病院側の適切な対応に感心している。

長女が発売元の幻冬舎に出版差し止めを求めた民事訴訟裁判の陳述書を読むと、殉愛の内容とは真逆だ。

 何よりもショックだったのは父が私のことをどれだけ嫌っていたかということを強調している内容です。この記述は心の底をえぐられるような打撃をわたしに与えました。何も知らない、父に会ったこともない、父の話を聞いたことすらない著者がなんで私と父の大切な大切なつながりを土足で踏みにじるのでしょうか。
 何の必要があり、何をもくろんで私を悪く言わなければならないのでしょうか。私たち親子に会ったこともない著者が、『2人の間には普通の父・娘のような交流はなかった』などと断定することが許されるのでしょうか。
 私は父の闘病中も入院先を知ることができず、死に目に会うこともかないませんでした。たった1人の親が亡くなったのに、看取ることもできず、亡くなってから知らせが来たのです。すぐに父の元に行きましたが、冷たくなった父は何も語りかけて返事をしてくれることはありませんでした。(抜粋)

長女の差し止め請求に関して、百田尚樹は恐喝まがいのツイートを繰り返した。





しかし、百田尚樹が裁判を無視しただけでなく、弁護士も出廷しなかった。
激怒したのが、原告代理人の的場徹弁護士だ。閉廷後、取材に応じ「訴訟提起から2か月もたっているのに、認否も出さないとはどういうことだ。百田も脅すだけ脅して来ない」と猛批判を展開。
また、百田氏に対しても「ツイッター上で長女を脅し、裁判を受ける権利を阻害した。すでに人権救済を申し立てているが、これから弁護士会に告発することも考えている」  (東スポWEB)


絶望の腹膜播種

★寿命を知る

12月23日、午前9時台の伊丹発航空便で東京へ向かった。
聖路加国際病院でCTやレントゲンの検査を受けた。たかじんが点滴を受けてる時、久保田はさくらを診察室に呼んでレントゲン写真を見せた。


【引用: 純愛 355p】
「林さんは腹膜播種です」
初めて聞く病名だった。
「それって…ガンですか」
「腹膜内にお米の粒くらいの小さなガンが無数に出来るものです」
「治療方法はありますか」
久保田は少し間を置いて、「ありません」と答えた。さくらは衝撃のあまり気を失いかけた。
「どうすれば、いいんですか」
「聖路加病院では、ここまでくると緩和ケアをお勧めしています」
(中略)
「ハニーの時間は、あとどれくらいですか」
「一、二ヶ月でしょう」
(中略)
その瞬間、初めて「もう無理なのか!」と思った。この二年間どんな状況に陥っても一度も諦めなかったさくらの心が折れた。

診察室に戻ったさくらを見て、たかじんは言った、「・・・・・わかった」

12月24日、三田病院で点滴を受けた。栄養分を減らしたため体力が落ちるのがわかった。二人で相談し積極的な延命治療は行わない、東京のマンションで緩和ケアを受ける事を決めた。
12月25日、既に薬も飲みこめなくなったいた。たかじんは少し冗談を言い出し、さくらの浮気相手として、「ナイナイの岡村なら許す」と言った

★メモ

腹膜播種は数個なら手術で除去できるが、一定数を超えると手の施しようがない厄介な病気だ。ここまで来ると確かに死期を悟ることになる。
たかじんの場合、大阪X病院での放射線治療を終えた時に、抗がん剤治療の打診を受けたが断った経緯がある。さくらは高額で先進的な免疫療法を選択したと自慢気だったが、補助的治療と位置付け抗がん剤投与と併用したなら、放射線治療で小さくなったガンを叩くことが出来たと思われるし、腹膜への転移も防げたかも知れない。
そうすることにより、定期的なPET検査にもつながり、播種も対処可能な早期の発見につながったかも知れない。
何より複数病院を転々とする受診体制に問題の根底があった。

★ナイナイ岡村の名前が出て来たが、本当にたかじんが書いたのだろうか? 常識的に考えて、死へのカウントダウンに入った夫婦の会話とは思えない。今となっては真実はさくらしか分らないが、鶴瓶も訝っているように、もし、このメモが創作されたものだとしたら、たかじん死後に骨壺を持参して岡村に見せる魂胆をしていたのだろうか。

▼たかじんメモ「岡村ならしゃあない」と書かれている。山西はさくらに手出すなとも書かれている。下の方に「つるべえ」とあるが、鶴瓶は「つるべ」と呼ばれていた、「え」を付けるのはおかしいと話している。

ナイナイ2







然、さくらはたかじんの長女・親族への連絡を考えていない。

病状悪化とKのトラブル


★HUBLOT社の時計

10月21日、札幌から東京で向かう。渋谷・吉田時計店で840万円のHUBLOT社製時計を購入。世界に99個しかないもので、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。

夫婦で2年間!?まだ2週目なんだが。わざわざ怪しい言い回しを使い、わずか6行使っただけのエピソードを挿入したのは何故なのか。

★腹痛

10月22日、東京・瀬田クリニックで樹状細胞ワクチン治療を行う。終了後、大阪へ向かう。数日してたかじんが「お腹が痛い」と言い出す。

10月29日、東京・聖路加国際病院へ行く。三田病院にいた久保田医師が転院して勤めていたからだ。「ストレスからくる過敏性腸炎」の疑いで薬を処方される。

10月31日、東京から大阪に戻りKマネを呼び、二人が入籍したことを伝え、記念品のテイフアニーのマグカップを渡した。Kマネは「ああ、そうですか」と気のない返事だった。
「さくらは、Kがお祝いの言葉を言わなかったのは別の理由があるような気がした」

11月8日、腹痛が一向によくならず、大阪X病院へ行く。異常は見つからず、ガンの再発部分も大きくなってなかった。

11月13日、早朝、胃の内容物が逆流、胃痛もあった。大阪・瀬田クリニックでワクチン療法を受け、腹痛を相談するとステロイド系の薬を出してくれた。

★メッセンジャー黒田

この日の夜、相原とメッセンジャー黒田がマンションを訪れる。黒田は「ぼくもこんな人(さくら)、欲しいですけど、無理やろうなぁ」と話す。
先に黒田が帰った後、相原が、たかじん休業中も冠料支払われていることを知っているかと訊ねる。たかじんはKから聞いてるが月5万か10万だろと答えた。相原は放送一本分だけでそれを軽く超える金額をP、I、Sに払っていると告げると、たかじんは驚き、相原は会社の帳簿を調べた方がいいと進言した。
Kが会社に金がないと言ったので、2012-2013にかけてたかじん個人の金を数千万円、Kに渡しているとのことだ。


メッセンジャー黒田はたかじんは「たかじんNOマネー追悼番組」内で、マンションへお伺いしたのは12月中旬と話し、たかじんはワインをかぶがぶ飲むほど元気だった、と話しており、殉愛で書かれた11月13日は虚偽の可能性が有る。

★悪化

11月24日、体重が52キロを割り、水も飲めない。聖路加病院の久保田医師に連絡をとり東京へ向かう。胃カメラ検査を行うがガン再発部分には異常はない。

11月25日、食事を摂れなくなり聖路加病院で診てもらうと食道が細くなっており、拡げる処置を行う。

11月26日、痰がからみ、こんどは病院でプジ―で食道を拡げた。

11月27日、悪寒が始まる。久保田医師がプジ―で食道を拡げたが効果はなく、ステント留置を提案するが一晩考えることにした。ステント留置は手術に危険が伴い、一度留置すると取ることは出来ない。いわば緩和ケア処置の一種だからだ。さくらはその夜10時過ぎに久保田に電話して処置を依頼する。

11月28日、Kにステント手術を告げると、「ああ、そうすか」とだけ言った。入院して行った夕方の手術は成功した。

11月29日、たかじんがコップの水を飲むとスルスルと流れ、手術の成功が確認された。

12月15日、たかじんはおしっこをすると痛いと言い、さくらが久保田医師に連絡すると、「膀胱炎の可能性があるので抗生物質を飲ませるよう指示を受ける」。しかし痛みが続き、お腹の張りも訴えたので再度久保田医師に連絡すると、「腎盂炎の可能性があるので病院へ行くことを勧められる」。大阪のX病院へ連絡し体温の経過を見ることになった。

12月16日、体温が落ち着いたのでX病院へは行かなかった。Iクリニックの看護師が来て点滴。

12月18日、瀬田クリニック大阪でワクチン投与。

12月19日、たかじんはは落ち着かない様子で食欲もない。久保田医師は炎症反応を調べるように告げる。

12月20日、Iクリニックの看護師が来て採血、結果は後日判明とのこと。たかじんは食欲が戻らず、Kがうっとおしい、Tがピンポンダッシュするのが嫌と言い出す。

12月22日、この日の夜、久保田に下腹部の張りを説明すると、「明日、聖路加に連れてきてください」と言った。

★過酷な移動

末期がん患者を引き連れて凄まじい移動をしている。後にたかじんの親族が「どこにいるか解らなかった」と話したがもっともな話だ。例えて言うと「逃亡者」並みの行動だ。ここまでの症状になると、病人にとってはそれが公になることを避けている段階ではない。信頼できる医師の元で治療に集中するのが常識と言えるだろう。実際に電話相談での対処となって正確性を欠いていた事例も窺がえる。

炎症の数値が
通常の30倍になっているのに、何ら対応できていなかったことも伊東には腑に落ちなかった。疑念と心残りが、今も伊東を苛んでいる。」 (たかじん長年の友人・伊東整形外科医の話)
(角岡伸彦著・ゆめいらんかね やしきたかじん伝)

「去年はあまりしんどい様子が見られなかったので、今春には復帰できるだろうと思っていました。ただ、昨年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており、これはきちんと調べたほうがいいということになり、12月22日、たかじんさんは東京の先生の病院へ行かれました」
その後、クリスマスカードを受け取ってからも、伊東氏は電話で、東京にいるたかじんさんと話をしたという。しかし、元日に送った年賀のメールは返信が来なかった。1月2日に、たかじんさんの容体は急激に悪化し、3日の朝には亡くなっていたのだ。 (週刊朝日 2014/1/24号)


殉愛ではあやふやな表記になっているが、他の情報とつなぎ合わせると次の流れとなる。
12月20日、伊東クリニックが採血検査、12月21日、検査結果で炎症数値が90倍を示し、伊東医師から専門医検診を勧められる。12月22日、その結果を久保田医師に連絡すると、聖路加に来いと指示される。12月23日、聖路加国際病院で腹膜播種の診断。

殉愛では伊東クリニックをIクリニックと表しているが、大阪X病院と同じで、自分達に都合の悪い施設なのだろうか? 百田尚樹は殉愛の中で次のように記している。

【引用: 殉愛 413P】
国会議員でもある某医師は、主治医でもないのに主治医のように言い、一度も診察をしたことがないのに間違った病状を週刊誌などて話し、担当医の処置を批判したりもした。

自分の作中で「Iクリニックで採血」と書いておきながら、同じ作中で「一度も診察した事がないのに」と書く。殉愛はゴーストライターと手分けして書いたのか、或いは悪意が事実を勝ってしまうのか、不思議な作家であるが、取材対象の偏りがもたらした矛盾だろう。
( I医師と伊東医師・国会議員でもある某医師は同人物・Iクリニック、伊東クリニックは同医院)
誤りを認める性格ではない百田尚樹はTwitterでもウソを言い張った。


★Kマネ

その日の夜、たかじんのipadにメールが届いた。男女のあられもない恰好をした画像だけが添付されていた。再度届いたメールにも同じような画像が添付されていた。写っていするのはKと付き合っている女性だったようだ。次のメールには誤送信と謝罪が書かれていた。
たかじんは激しく怒った。「Kは仕事はできんやつだったが、師匠として慕ってくれたとこだけが取り柄だった・・・・・あいつはクビにする」
その夜、さくらは相原に電話し、たかじんがKをクビにする意向だと伝えた。そして皆さんにも伝えてほしいと。
そしてたかじんが大阪に戻った12月13日、たかじんはKとマンションで話をする。
復帰出来るかどうかわからないから会社をたたむので、お前も辞めろとたんじんが言ったが、Kマネは最後までやらせてほしいと言って、解雇話はうやむやになった。問い詰めるさくらにたかじんは「解雇通知は作ってある」と言った。

病状の悪化に並行して、Kマネの暗部が書かれている。これまでも悪役、或いは間の抜けた人物描写が続いていたが、お金の話し、女性の話しとより辛辣な出来事の描写だ。
たかじん死去後の遺産等をめぐるトラブルは激しいが、特にKマネは、たかじんから後を一任されたP、I、Sの権利にまつわるトラブルに関しては当事者だ。週刊誌等によると、莫大な収入が見込めるたかじん死後ビジネスの権利を、さくらは自分が代表を務める「オフイス・タカジン」へ勝手に移動したとされている。
遺産も権利も一人占めしたい欲望むき出しの「銭メスさくら」にとって、たかじんマネーの流れと秘密を知っているKマネが邪魔者なのは容易に想像が付く。Kマネは真っすぐな性格だと古くからの知人が語っている。これは自分の想像だが、さくらはある時から「Kマネの懐柔」に失敗したのではないか。純愛でKマネの世間からの評価を貶めることを図った理由がここに有るのだと思う。

今のところKマネは黙して語らないので真偽は不明だが、Kマネは三人の子供を抱えているが、P、I、Sを退職金もなく退社したようだ。多少の優柔不断さと一本気ゆえの世渡り下手が有ったかも知れないが、近々、元弟子の打越氏やたかじんと長年の友達のA氏がさくらから訴えられた裁判が始まると、Kの証言がポイントになると見られており、純愛に書かれたKが真実なのか虚偽なのか判明するだろう。

結婚リークの件も、Kマネが疑わしいとたかじんが思っているような書き方になっている。しかしKがこのタイミングでリークして何のメリットが有るのだろうか。結婚の事実を世間に認知させるメリットは、遺産とたかじん利権に群がるさくらとテレビ業界関係者が受けるだけたろう。案の定、さくらとこのグループは冠番組を継続させWINWINの関係を築いている。

★突然の結婚報道

この間の12月6日、芸能レポーターの井上公造からさくらにメールが入り、「今日のスポーツ新聞にたかじんの結婚報道が出る」とのことだった。さくらがスポーツ新聞を買いに行くと「スポニチ」に記事が出ていた。さらにテレビ関係者からも記事を見たが、と電話が入った。入籍を報せたのは、松本哲郎、相原、久保田医師、そしてKだけだった。たかじんはリークしたのは「あいつしかおらんやろう」と言った。

▼たかじん結婚を報じたスポニチ記事
体調不良のため長期療養中の歌手でタレント、やしきたかじん(64)が今秋、交際中だった一般女性Aさん(32)と婚姻届を提出していたことが5日、分かった。たかじんは3度目の結婚となる。32歳年下のAさんは、初期の食道がん手術から1度は復帰を果たしたものの、再び長期療養中のたかじんを献身的に支え続けてきた女性で、ごく親しい関係者にはすでに結婚を報告している。
来春の復帰に向け、長期療養中のたかじんが「男のけじめ」として3度目の結婚に踏み切った。お相手は32歳の長身美女で、関係者によると2人の交際は3年近くに及ぶという。
すでに、たかじんは親しい友人やテレビ局関係者にAさんを紹介。あるテレビ局関係者は「1度目の復帰の前に紹介を受けた」とし、別の関係者によると、現在ではAさんが実質、対外的な窓口になっていることもあるという。
2度の離婚で再々婚には消極的だと伝えられていたたかじんだが、長い療養生活を支えてくれるAさんと名実ともに、二人三脚で来春の芸能活動復帰を目指すことを選んだようだ。
(スポニチ 2013年12月6日

囁かれていたたかじんのガン

★薬

たかじんはプロポーズした後、自分の胸を押さえトイレに駆け込んだ。どこか悪いのかとさくらに訊かれ、狭心症で時々痛むため薬を服用しているがあまり効かないと答えている。するとさくらはインターネットで服用している薬の事を調べた。


【引用:殉愛 44P】
「もしかしたら、狭心症じゃないかもしれませんよ」
「医者にもそう言われたんやけど・・・」
(中略)
「実は十二月に(人間ドッグ)行くはずだったんやけど・・・・・やめたんや」
「北野病院なら私の叔父が会員だから、すぐに行けますよ」
「(中略)・・・・同じ大阪の病院へ行くのは、紹介してもろた人が知ったら、気ぃわるうするし・・・・」
さくらは東京の病院を探した。
「山王病院はどうですか」
そう言うとたかじんは「それ、この前キャンセルしたところや、なんかいきにくいなぁ」と苦笑いしながら言った。
(中略)
彼は関係のあった女性に一度山王病院を紹介してもらっていた。しかしお金の貸し借りで揉め、キャンセルしたのだ。


その後1月16.17日、山王病院で検査を受ける事になる。

★周囲はガンを知っていた

食道ガンの症状は胸の痛みで発覚することが多い[食道がん症状]
人間ドック、大阪の病院、山王病院等のエピソードが次々と出てくるということは、たかじんの周囲ではさくらと出会う以前から、ガンの疑いが囁かれていたのだろう。
決定的なのは「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」(角岡伸彦著)に書かれているエピソードだ。たかじんが前妻へ「肺がん」に罹ったので面倒みてほしいと電話している。たかじんがさくらと出会う前と思われる2011年冬のことだ。肺ガンと食道ガンの違いはあるものの、殉愛で書かれた「狭心症」は事実を書き換えられた可能性が高い。
たかじんが懇意にしている大阪の伊東医師(整形医)が、結果的に東京の病院で受診すると聞いて安堵したとコメントを出している。

山王病院についても、さくらがネットで調べて探し当てたことになっているが、関西の人間がわざわざ探し当てて行く規模の病院ではないと思う。実際にガンの疑いが生じて他の病院を紹介している。殉愛の真実によると、たかじんが山王病院へ検査に出向いた際は、当時付き合っていた東京の女性が同行したとのことだ。殉愛の表現は、東京の女性が金銭トラブルを起こす人物としての設定と、病気に関してはさくらが全て貢献したとしたいがためだろう。
殉愛の中でAZITOの井関代表がたかじんに対し、自身が紹介した大阪の総合病院が「狭心症」と誤診したことを謝罪するシーンがある。これは一年近く前のことなので、狭心症の薬を服用していたのはこの時以来なのだろうが、依然として胸の痛みが治まらずガンの疑いが出たのだと思う。


たかじんの仕事関係者・友人・知人達の中で、その後利害関係が生じる人物達は、いつから、どの程度までガンのことを知っていたのだろうか。遺産や死後ビジネス等でお金への異常な執着を見せる未亡人は、たかじんと出会う以前から体調のことを知っていたと見立てる方が自然な気がする。
掲示板2chには、ガンに罹ったたかじんのお世話係として、友人が探し出して来たのがさくらとのタレコミがあった。匿名掲示板なので真偽不明だが、さくらのMoneyMoney人生を知った今となっては全くの作り話しとも思えないのだ。


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