たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

貶められた家鋪家

★殉愛で貶められた長女

殉愛を読む限り、たかじんの長女は相当に常識を外れた人物と仕立て上げられている。掲示板等から多少の情報を得てバイアスが掛かっていた自分でさえ、殉愛を読み進めるうちに、「幼い頃から離れ離れになった因果か」と思う時があったくらいなので、何も知らずに読んだ人が信じたことは間違いない。例をあげてみる。

ガンを宣告されたたかじんが、そのことを長女に電話で知らせた時の事だ。


【引用 :殉愛93p】
「娘にだけは伝えようと思て、この前、大事な話しがあるから来てくれと電話したら、忙しいから行かれんと言いよった。薄情な娘や」

たかじんが食道がんで休養のニュースが流れた2012年2月1日、長女からたかじんにメールが入る。

【引用 :殉愛102p】
「なんや食道がんかいな。自業自得やな」という内容のメールがあった。それを見た彼は激怒して、「親子の縁を切る!」と言った。

この流れからして、ガンを知ったたかじんが長女に電話した内容は、「会って話したいことがある」だけだったのが分かる。病気の事は会った時に話そうと思っていたのだろうが、報道が先んじてしまい、知った長女が心配してメールを入れた流れだ。
だが後々、このメールの文面が問題となる。
週刊朝日 2014.12月18日に掲載された長女の反論は次の通りで、メールも保存されているとのことだ。
『話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ』 
一方さくらは週刊新潮の取材に、「主人は嫌なメールはかたっぱしから消す人だったので、今は残っていません」とのことだ。どちらの言い分に理があるかは歴然としている。


又、長女は金に賤しい非常な人物としても書かれている。

【引用:殉愛 103P】

親友の松本哲郎は「娘の頭の中は金しかない! 縁を切りたい」とたかじんがこぼしているのを聞いている。

【引用:殉愛 103P】
「本当か嘘かはわかりませんが」と前置きして、「たかじんさんが、この前、娘に五千万円やって縁を切った、と言っていたのを聞いたことがあります」と言った。 (NOマネープロデューサー・徳岡敦朗)

【引用:純愛 192P】
Kはたかじんの娘から預かった手紙を彼に渡している。それは彼女の恋人がたかじんに宛てて書いた「お嬢さんと結婚します」というものだった。同時に娘からは、結婚祝いをしてと言われている。
たかじんは不快感を隠さなかった。
「親が生きるか死ぬかの病気で苦しんでいるのに、一度も見舞いに来んと、自分は結婚するから祝ってくれって、どこまでおのれのことばっかりなんや。これまでも仰山お金渡してきた。これからは旦那に養ってもらえ。もう親をあてにするな」


娘さんは、主人との関係は悪くなかったと主張しているが、ならば2年もの間なぜ、一度も見舞いにこなかったのか。もし、私が二人の関係を引き裂くよう画策した言うのであればマネージャー、個人事務所の社員、テレビ局の人など、いくらでも入院先を知る方法はあったはず。(Will掲載さくら手記)

長女は週刊朝日の取材に対し、「お金の無心をしたことも無く、5.000万円もお金も貰っていません」と反論、
「私は結婚祝いがほしいなんて言っていません。父に結婚相手に一目、会ってほしかっただけなのに、返事もくれなかった」と述べた。見舞いに来ないとの話しには、「連絡が取れなくなっていたので、父がどこに入院しているのかも、がんの進行の程度もわからなかった。ずっと大阪の病院だと思っていて、最期が東京の聖路加国際病院だったのも知りませんでした」と述べた。Kマネでさえ病院へ行ってもさくらから、「誰にも会いたくないと言っている」と言われ病室に入れなかったとのことだ(殉愛の真実)。これは隔離工作を彷彿とさせる。

百田尚樹が著した殉愛とは、なんとも酷いノンフィクション小説であることか。長女は婦人公論の手記で次のように述べている。

出版される直前に、私のことが悪く書かれているらしいという話を人から聞いていましたから、「ああ、やっぱり」というのが率直な感想です。
偏った取材に基づき、捏造した内容を綴ったものを、「ノンフィクション」と謳ってよいのでしょうか』

2014年11月21日、名誉毀損・プライバシー侵害の廉で発行元の幻冬舎に対し、長女側は「再婚した妻側の話を無批判に受け入れた内容で、親族らに取材していない」と主張。同書の出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした。代理人の的場弁護士によると、同書だけでプライバシー侵害14ヶ所、名誉毀損10ヶ所、敬愛追慕の念の侵害が6ヶ所あるという。
(※関連記事、長女陳述書はこちら・長女からの手紙)


★葬儀と偲ぶ会

たかじんの葬儀(直葬)に際して、さくらは長女をはじめとする親族を呼ばないと言い張り、Kマネと口論になっている。結果的に長女夫妻と前妻が参列することになるが、さくらは「私の好意で呼んであげた」と高圧的な態度をとったようだ。
(※葬儀の詳細はこちらで・揉めた葬儀の段取り  直葬の日)
たかじん没後に開催された「偲ぶ会」においても、当初は各テレビ局と結託し、親族を招待せず排除しようとしていた事も明らかになった。親族側がテレビ局との数度に渡る交渉で、ようやく認められるという異常な経緯であった。
(※偲ぶ会の詳細はこちらで・たかじんにすがるハイエナ達)

★老母の遺骨参り

実母が息子の訃報に接したのは死から4日後、最期に立ち会うことも、亡き骸に会うことも出来なかった無念。
女性自身の記事には次のように記された。

『年老いた母は、何で言ってくれんかったんや……と泣き暮らしていたという』
『母がその遺骨に会えたのも死から1ヶ月後のこと。さくらさんに懇願し、叶ったそうです。たかじんの実弟と実母が分骨を懇願したが、さくらは拒否した』
『このとき、母親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面、このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪どは一切なかったそうです』
『このとき、親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面というのもまた驚きです。このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪などは一切なかったそうです』

殉愛の真実によると、さくらが指定した2014年1月27日は長女と他の兄弟も都合つかない急な日であり、たかじんの弟(良行氏)夫妻と母だけが訪問したという。キリスト教の祭祀なので線香もあげられず合掌したのみで、お茶もよばれることもなく、僅か20分間の出来事だったという。喪服姿で訪れた親族に対し、さくらは真っ白なワンピースを着用して出迎えたとのことだ。
自分は一介のたかじんファン、それも熱狂的とは言い難い他人の分際であるが、このエピソードだけは許すことが出来ないでいるのだ。気持ちは親族の方々と一緒だ。たった一度だけ愛息子の遺骨に手を合わせただけで、数か月後に逝去した母の心情を慮ると、理屈は存在しない遣る瀬無さに、今でも涙が滲むのだ。

▼金スマで放映されたたかじん祭壇
骨壺









★たかじん実母の死

たかじんの母は失意の日々を送る最中の2014年6月に逝去した。葬儀に参列したさくらはその時の模様をWillに掲載した手記で、「5月に行われた主人のお母様の葬儀は弟さんからご丁寧に連絡をいただいて伺い、弟さんと奥様、親族の方は優しく温かい方々でご対応いただきました」と記したが、女性自身の記事によると実態は違うようだ。
「お母さんは、毎日たかじんの写真を見て泣いていました。息子の死に目に会えなかったことが、相当ショックだったみたいです。3月3日の『たかじんを偲ぶ会』前には、お母さんのがんはわかっていました。出席を果たしてからほどなくして体調が急変。最後は家族みんなに見守られながら、息を引き取りました」
実母の葬儀は大阪府内でしめやかに営まれた。だがそこに意外な人物が。なんと、Aさんが訪れていたというのだ!ようやく確執も溶けたのかと思いきや……そう簡単にはいかなかったようだ。別の親族が怒りを隠さずこう語る。
「参列者のひとりによると、彼女は当初『キリスト教だから……』と焼香を拒んでいたようです。周囲が説得を重ね、何とか焼香だけしてもらいましたが、参列者との会話もほとんどなし。出棺後の親族との食事会は辞退し、お骨を拾うことなくすぐに帰っていきました。最後は『帰ります』の挨拶もなく、気が付いたらいなくなっていました」

『さくらさん、あなたに家鋪性を名乗る資格はない』心あるたかじんファンが一致して思うところだろう。


さくらの足跡・再発後~直葬

2013.5.10 (殉愛)
三田病院で若い医師から放射線治療の説明を受ける。さくらは医師の説明の仕方に不満を持つ。
[大阪-東京]


2013.5.13 (殉愛)
三田病院で一回目の放射線治療。その後さくらは一人で東大病院へ出向き、中川准教授に症状説明。中川は放射線治療で第一人者と言われている。


2013.5.14 (殉愛)
三田病院で放射線治療を受けた後、たかじん、Kマネ、さくらの三人で東大病院で中川准教授と会う。放射線治療計画を立てる約束をしてくれた。

2013.5.17 (殉愛)
大阪へ帰る途中、品川駅でFRIDAY記者に撮影され、翌週掲載された。
[東京-大阪]

2013.5.19 (殉愛)
伊丹から羽田に向かう機内で鶴瓶と会う。さくらは鶴瓶と電話番号を交換する。

2013.5 (殉愛)
中川准教授が監修した治療計画にのっとり、三田病院で放射線治療を受ける。
調べると180度回転させながら放射線を当てる新型機器の方がいいことが解る。

2013.5.23 (殉愛)
さくらは新型機器を持つ大阪成人病センター西山副院長と電話で話す。「明日、来てください」と言わる。

2013.5.24 (殉愛)
三田病院で放射線治療を受けた後大阪へ向かい、成人病センターで西山副院長と会う。プライバシーが守れない事がわかり、西山が同じ機器を持つX病院を紹介してくれ、西山が同行して治療計画を立ててくれた。
[東京-大阪]

2013.5.27 (殉愛)
大阪X病院へ入院。ポイント照射と同時に、4日連続の抗がん剤投与を行う事になった。
朝、この日が誕生日のさくらにたかじんがメモを渡した。「何万語、何億語・・・To Sakura Love」と書かれたものだ。
(※詳細は殉愛の正体で・放射線治療をめぐる転院)

2013.6.1 (殉愛)
X病院を退院、通院で放射線治療を受けることにした。

2013.6.2 (殉愛)
たかじんが吐き気を訴え、X病院へ行く。一時間放っておかれたと不満。
たかじんの精神異常が始まり、アカシジアかと疑う。

2013.6.23 (殉愛)
さくら耳鳴りが始まる。

2013.6.24 (殉愛)
さくらはX病院で「左耳の突発性難聴」と診断され、入院を勧められる。医師にたかじんが借りていた特別室へ二人で入院することを申し出るが却下される。
(※詳細は殉愛の正体で・さくらの難聴)

2013.6.25 PIS(登記簿)
P、I、S役員変更。松本哲郎、たかじん母退任、たかじん長女、Kマネ重任。

2013.6.26 (殉愛)
さくらはX病院で、難聴の治療薬一週間分の処方を受ける。

2013.7.1 (殉愛)
X病院での全36回の放射線治療を終える。
さくらが目眩で倒れ、額から出血し意識を失う。
さくらは「免疫療法」をやると決めていた。

2013.7.8 (殉愛)
JR札幌病院鶴間医師が「知り合いの神経科医師を紹介する」と言ったので札幌へ向かう。
[大阪-札幌]

2013.7.9 (殉愛)
たかじんが夜中に吐いたため、AM5時にJR札幌病院で緊急受診、吐き気止め薬を注射される。
昼過ぎにJR札幌病院鶴間医師が往診、採血と点滴を行う。
午後、神経科診療所で減薬の相談をするが、「薬はどんどん増やせばいい。副作用は仕方がない、そのうちに慣れます」と言われる。
さくらは思い切った減薬を決心し、翌日から始める。
(※詳細は殉愛の正体で・減薬と免疫細胞療法)

2013.7.23 (殉愛)
三田病院で放射線治療の一ヶ月検診を受けるため、東京へ。(何故かX病院ではない)
[札幌-東京]

2013.7.24 (殉愛)
三田病院でPET検査を受け、ガンが縮小していると言われた。
樹状細胞ワクチンを作るため、食道ガン細胞と採取した血液を三重大学へ送る。
夜、大阪へ向かう。
[東京-大阪]

2013.夏 (殉愛の真実)
久保田医師が余命半年であることをさくらに伝える。
さくらはKマネ、U、たかじん親族等に報告せず。

(※テレビ局、制作会社へは話した可能性大と思われる)

2013.7.25 (殉愛)
ワクチン治療適合検査の為、神戸のクリニックで採血。

2013.8.1 (殉愛)
神戸のクリニックから、細胞は適合すると連絡が入る。三重大学の検査結果を待つことにする。

2013.8 (女性自身)
「食道がんを患う彼の看病を続けているうちに自身も乳がんとなり、大阪市内の病院で日帰り手術を受けた。お金を下さい」さくらさんがこう言いだしたというのだ。


2013.8 (SPA)
余命宣告を告げられていたやしきさんに、さくらさんが「あなたのがんが感染して私も乳がんになったから、日帰り手術を受けてきま」と言ったという記事がすでに出ていますが、あれは本当の話。
このやり取りを病室で聞いた近しい人が「あの奥さん、アカンで」とやしきさんに忠告したのですが、これに本人も「病気がようなったら別れる」と答えており、やしきさんの奥さんに対する純愛も疑わしい

2013.8 (殉愛の真実)
たかじんは責任を感じて結婚を決意。・・・たかじんさんは「本意ではないが、仕方ない」と漏らしていたんです


2013.8.5 (殉愛)
札幌へ移動。たかじんは「大阪にいるとストレスになる」と言う。
[大阪-札幌]

2013.8.8 (殉愛)
東大附属病院免疫細胞治療学准教授の垣見から連絡が入る。「東大の研究施設と民間の共同で検査してみましょう」と告げた。
次の日、久保田医師が食道ガンの細胞を研究施設に送った。

2013.8.13 (殉愛)
三重大学から、細胞検体から「MAGE-A4」「NY-ESO-1」が見つからなかったとの連絡が入る。

2013.8.19 (殉愛)
たかじんが左の脇下が痛いと言い出し、JR札幌病院で受診するが異常はなかった。
東大垣見医師から電話が入り、「ワクチンを作るために必要なHLAの型が適合した」と告げた。

2013.8.22 (殉愛)
垣見から連絡が有り、「東大は時間がかかる、瀬田クリニックなら速い」と告げられ、瀬田クリニックを選択する。

2013.8.26 (殉愛)
たかじんは試験管3本分の採血をし、東大ラボに送る。脇下の痛みを継続的に訴える。
読売テレビ山西から電話が入り、「たかじんさんが番組を終わらせたがっていると、Uさんが言っているが本当か」と話し、たかじんは、「そんなことはない」と言った。Kマネに、「Uを辞めさせろ」と告げた。
(※詳細は殉愛の正体で・たかじん番組終了騒動)

2013.8.29 (殉愛)
前日のCT検査の結果、左脇下のしこりはガンの可能性も考えられると言われる。
相原からUの件で電話が入る。さくらは、今後仕事のことは私に言って下さいと告げた。

2013.8 (週刊朝日)
前妻はすでに再婚していた、それでも「僕が死ぬまでだけでも一緒にいてくれ。今の夫と籍抜いてくれ。財産はお前に全部やりたい」と説得していた。
私もたかじんさんに「あいつしか看取ってくれる人はおらん。なんとかしてくれ」と説得を頼まれた。13年8月頃までそういう連絡があった。(たかじん親族)

 
2013.9.2 (殉愛)
JR札幌病院でしこりの摘出手術を受けた。組織を冷凍し、待機していた瀬田クリニックスタッフが至急持ち帰った。

2013.9.4 (殉愛)
東大病院垣見医師から電話があり、しこりは転移したガンだったと告げられ、「その細胞からワクチンが作られ、自分のガン細胞から作られたワクチンは最強だ」と言われる。10日、再度連絡があり、6回分のワクチンが作れると言われる。

2013.9.13 (殉愛)
山西と相原が札幌へ来た。たかじんはさくらが作ったスケッチブックのパネルを使い、これまでの闘病記を説明した。

2013.9.17 (殉愛)
瀬田クリニック東京で、アルファベータT細胞療法を受ける。
[札幌-東京]

2013.9.18 (殉愛)
札幌へ戻る機中でたかじんがKマネに言った。「Uを辞めさせたんか?」 Kマネは「僕の方から言います」と答えた。
[東京-札幌]

2013.9.25 (殉愛)
胸いっぱいのスタッフ、中澤、日置、木村が札幌へ来た。

2013.10.1 (殉愛)
体重が58キロまで回復。たかじんが10月10日に入籍しようと言った。

2013.10.3 (殉愛)
戸籍謄本を揃えるために大阪に戻る。相原に婚姻届保証人を依頼。
[札幌-大阪]

2013.10.5 (殉愛)
たかじんがアカペラで「順子」をiPADに吹き込む。
サロン105でたかじん最後となるバースデイパーティを開く。さくらと相原、山西が内緒で企画したもので、テレビ関係者等が19人参加した。揃いのシャツが用意され、
(※詳細は殉愛の正体で・最期のバースデイ)

2013.10.7 (殉愛)
瀬田クリニック東京で「アフェレーシス」を受ける。
[大阪-東京]

2013.10.8 (殉愛)
札幌へ戻る。誕生会の写真を参加者に発送する。
[東京-札幌]

2013.10.10 (殉愛)
たかじんがすまいる歯科で治療を受ける。さくらは札幌市役所へ行き、婚姻届を提出。
たかじんは明年1月8日のハワイ行きのチケットを予約した。二人はただ抱き合って眠った。
(※詳細は殉愛の正体で・札幌での入籍)

2013 (女性自身)
周囲には「さくらとの結婚は本意ではない。最期は2番目の妻に看取ってほしいし、遺産も受け取ってほしい」と漏らしていた。

2013.10.21 (殉愛)
東京へ向かい、たかじんへの結婚記念プレゼントに、渋谷ヨシダ時計店でHUBLOTの時計を購入、シリアルナンバーが8だった。
880万円だったが、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。
[札幌-東京]

2013.10.22 (殉愛)
瀬田クリニック東京で樹状細胞ワクチン療法を受ける。その後大阪へ向かう。
その後、たびたび腹痛を起こす。
[東京-大阪]

2013.10.29 (殉愛)
東京へ向かう。機内で井関猛親とばったり会う。
久保田医師が転院した聖路加国際病院へ行き、診察を受ける。ストレスからくる過敏性腸炎かも知れないとの診断。
[大阪-東京]

2013.10.31 (殉愛)
大阪に戻り、Kマネに入籍を報告し記念のマグカップを渡す。
たかじん「お前にとったら、さくらは社長の奥さんや。そやから気に入らんとか言わんと助けなあかんぞ」
[東京-大阪]

2013.11.8 (殉愛)
腹痛がおさまらず、大阪X病院でCT撮影、胃カメラ検査を受ける。ガンも大きくなっておらず、その他の異常も見つからす。体重は55キロまで落ちている。

2013.11.13 (殉愛)
胃の内容物が逆流、病院の検査では異常なしだった。
瀬田クリニック大阪で樹状ワクチン治療を受ける。神垣医師から腸のためにステロイドを処方される。

2013.11.14 (殉愛)
相原とメッセンジャー黒田がマンションに来た。
相原は冠料の話しを持ち出し、多額の金がPISに振り込まれていると言い、帳簿を調べた方がいいと進言した。
(※詳細は殉愛の正体で・病状悪化とKのトラブル)


2013.11.24 (殉愛)
東京へ行き、聖路加国際病院で受診。多少の狭窄があったが、再発部分に異常はなかった。
[大阪-東京]

2013.11.25 (殉愛)
聖路加国際病院で食道を拡げる施術。
食事を殆ど摂れず、薬も飲めないのですりつぶして服用。

2013.11.26 (殉愛)
聖路加国際病院でプジ―処置と点滴。高カロリー栄養液を処方される。
胃カメラ、腫瘍マーカーに異常なし。

2013.11.27 (殉愛)
悪寒が始まる。食事も喉を通らない。聖路加国際病院でプジ―処置をしたが効果がない。久保田はステント留置を提案した。

2013.11.28 (殉愛)
ステント留置手術を受ける。

2013.11.29 (殉愛)
たかじんのi-padに、男女のあられもない画像が送られてきた。差出人はKマネだった。

2013.12.1 (殉愛)
聖路加国際病院を退院、たかじんはKマネの「解任通知書」作成を知人に依頼。

2013.12.2 (殉愛)
三田病院で栄養点滴。

2013.12.6 (殉愛)
井上公造からさくらにメールが入った。「今日のスポーツ紙に、たかじんさんの結婚報道が出る、日付だけでも教えてほしい」との内容。たかじんは「余計な事は書くな」とだけ指示した。
三田病院で点滴、聖路加国際病院でステントの確認を行った。

2013.12.9 (殉愛)
たかじんに大阪の女からメールが入った。゜「もう結婚しているから、メールは送らないでほしい」と返事し、着信拒否にした。

2013.12.10 (殉愛)
瀬田クリニック東京でワクチン治療を受ける。

2013.12.13 (殉愛)
大阪に戻る。Kマネが駅まで迎えに来た。
たかじんはKマネに、「会社をたたむ、お前もやめろ」と言ったとさくらに言う。さくらは「解雇しなかったのか」と訊くが、たかじんは言葉を濁した。
[東京-大阪]

2013.12.15 (殉愛)
たかじん、尿道の痛みを訴える。久保田医師の指示で抗生物質を投与。痛みが引かず、腹も張っている。X病院へ電話すると、明朝9時に熱が37.5度以上の熱があれば抗生物質が効いていないことになる、と言われる。

2013.12.16 (殉愛)
Iクリニックの看護師が来て点滴。玄関のチャイムを鳴らして逃げていく女性がいた。

2013.12.18 (殉愛)
瀬田クリニック大阪で6回目のワクチン治療。チャイムを鳴らして逃げる女性が現れる。

2013.12.19 (殉愛)
熱が下がらないので久保田医師に電話すると、炎症反応を調べるように言われる。Iクリニックの看護師が来て採血。結果は後日となる。
さくらは東京へ行くことを打診、たかじんが応じる。

2013.12 (週刊朝日)
年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており、これはきちんと調べたほうがいいということになり、12月22日、たかじんさんは東京の先生の病院へ行かれました」 (友人の伊東クリニック院長・伊東医師)


2013.12.22 (殉愛)
たかじんの左脇下にしこりを発見。ガスが出ずお腹が張る、熱も高い等の症状があり、久保田医師に連絡すると明日検査しようと言った。

2013.12.23 (殉愛)
東京へ行き、聖路加国際病院で検査を受ける。結果は「腹膜播種」だった。たかじんがベッドで点滴をしているとき、久保田医師はさくらを診察室に呼び告げた、「あと、一、二ヶ月でしょう」
マンションに戻るとたかじんはタバコを吸った、「味もわからん」
(※詳細は殉愛の正体で・絶望の腹膜播種)
[大阪-東京]

2013.12.23 (メモ記入日付)
桃山学園温井校長宛ての「温井メモ」を書いたとされる日


2013.12.25 (殉愛)
エンディングノートを書く。夜、Kマネが来て、たかじんと二人で打ち合わせをする。
(※詳細は殉愛の正体で・エンディングノート)

2013.12.26 (殉愛)
聖路加国際病院入院、皇室も使う特別室だった。
(※詳細は殉愛の正体で・最期の入院 知らされない長女)

2013.12.27 (殉愛)
昼間は麻薬で殆ど寝ていた。たかじんは「親族には知らせるな」と言ったとされている。

2013.12.28 (殉愛)
久保田医師「林さんは、よく頑張っています」と言った。
さくらはテイフアニーの指輪と喪服を買いに行く。

2013.12.29 (殉愛)
Y弁護士が来て、たかじんと遺言書の打ち合わせをする。
Y弁護士、たかじん金庫内の現金2億8000万円確認。
さくらが1000万円持参するよう依頼。

2013.12.30 (殉愛)
朝、久保田医師が来て麻薬を投与。その後「やしきたかじんの意識はしっかりしており、正常な判断力を持っている」と証明書を書く。
午後、Y弁護士と二人の立会人が来て「危急時遺言」を作成。
さくら、Y弁護士から1000万円受取る。
(※詳細は殉愛の正体で・遺言書作成
)

2013.12.31 (殉愛)
たかじん、下顎呼吸始まる、酸素マスク装着。
久保田医師は正月のスキー旅行をキャンセルした。

2013.12.31 (たかじん胸いっぱい2014.1.11放送)
北野誠が未亡人から聞いた話として、「たかじんがNHK紅白歌合戦を見て"綾瀬はるか、これどやねん?"とつっこんでいた」と番組内でコメント。

2013.12.31 (さくら証言・フライデー)
Y弁護士に依頼した1.000万円を受け取る際、受領サインを求められたことをたかじんに話すと、最後の力を振り絞メモに「現金さくら」と書いてれた。


2014.1.1 (殉愛)
たかじん、さくらに指輪を渡す。
家鋪さくら名でFacebook開設、相原・山田等のテレビ関係者と友達となる。

2014.1.2 (殉愛)
さくら「ねんねしようか」、たかじん「アイラブユー」
さくらはたかじんに睡眠薬を投与。

2014.1.3 (殉愛)
久保田医師が確認、1時34分、たかじん永眠。
この日、たかじんマンションを訪れたのは、松本哲郎、Y弁護士、Kマネ、Uの四人。
(※詳細は殉愛の正体で・揉めた葬儀の段取り)

2014.1.3 (週刊文春)
たかじん長女に連絡しないと言うさくらと、そんな訳にいかないと言うKマネが激しく口論となり、さくらは娘への連絡を渋々了承した。


2014.1.4 (殉愛)
たかじん長女がマンションで、遺体となったたかじんと会う。
(※詳細は殉愛の正体で・長女とさくら初対面の日)

2014.1.4 (女性自身)
たかじんの携帯に登録されている前妻の電話番号が変わっていたことが判明、090が080になっていた。
さくらさんが彼の携帯から彼女に訃報を知らせてきたとき、「登録していた電話番号が変わっていて連絡できませんでした」と言った。

2014.1.5 (殉愛)
たかじん直葬の日、参列者は、長女夫妻、前妻、Y弁護士、松本哲郎、さくら。
(※詳細は殉愛の正体で・直葬の日)

2014.1.7 (女性自身)
実母が息子の訃報に接したのは死から4日後。
「何で言ってくれんかったんや……」と泣き暮らしていたという。

2014.1.8 (伊夫・イヴンtwitter)
mercenary [...] - any person who works solely for money
Essentially a bitch..................
【銭ゲバ】-金でどうにでもなる人。中身は売女…ピッチ.

長女とさくら 初対面の日

★亡骸の前で

1月4日、たかじんの長女がマンションに来た。


【引用: 殉愛 391-392P】
Hは父を見て、「お父さん、痩せたなあ」と言った。そのあとリビングに戻ると、「お父さん、私のこと何て言ってた?」と訊いた。
「メールいただいたときは、気持ちの行き違いがあったみたいですね」とさくらは言った。
「メールの返事もくれへんから、別にどうでもええとほっといたけど、それ、自業自得やん。そんなに悪かったら、連絡くれたらよかったのに」
「Kさんから連絡もらってなかったんですか」
「私、Kとは仲悪いねん」
(中略)
「私はSからあなたのことを聞いて、あまりよく思ってなかったよ」
 (Sとは2013.5迄PISの事務員をしていた)
「私がお父さんに送ったメールも、あなたがお父さんに見せてないんじゃないかと疑っていた。私とお父さんの仲が悪くなったのは、Sのせいや」
Hは言い訳めいた言葉を並べ、Sに責任転嫁するようなことを言った。


★百田尚樹、"人間のクズ"はお前だろ!

たかじんが息を引き取ったとき、さくらは声を出して泣いたと書いただろう。実の娘がたった一人しかいない父親の亡骸を前にして、「痩せたなあ」とたんたんとした一言で終わることなどないだろう。
"シャネル"のハンカチ"1.000枚"でも足りないくらい泣いただろう。"嘘八百"が決め技のさくらに"騙されて"、何が本当なのか分らないだけだろう。真に"おぞましい人間"は自分だったという茶番は可笑し過ぎて、"ヘンズリパワー"で茶沸かしてやるわ。

おそらくはKマネがそうしたように、祖母(たかじん実母)やたかじんの兄弟にも会わせるべきと主張するやりとりが有ったと思うが、それらの記述はない。取材側も受けた側も、人としての心を持ち合わせているのか疑問だ。

★奇妙な電話連絡

死亡翌日の四日に、さくらがたかじん前妻へ連絡した際の会話が奇妙だ。

「私は(たかじんから)連絡もないので、気にはなっていたのでドキッとしたんです。奥さんは最初、亡くなったっていうことをおっしゃらずに、『とりあえず来てください』と言うだけだったんですよ。私はお正月を主人と過ごしていたので、『ちょっと待ってください。そんなに今すぐどうこうというえほど調子が悪いの?』って聞いたら、『そうなんです』と。そしたらせめてお正月が明けてから、すぐに行きますからって言ったら、『実は昨夜亡くなりました』っておっしゃるので、翌日すぐに東京に飛んで行ったんです」
(角岡伸彦著/小学館・ゆめいらんかね やしきたかじん伝 253P)

★メール

メールとは「自業自得メール」のことだ。たかじんは激怒し絶縁を宣言したとされるものだが、娘の言い分は違い、実際に送ったメールは残されており週刊朝日が報じた。

「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」 (週刊朝日 2014.12月18日号)

たかじんの死後初対面の娘さんに対して、さくらの対応は、看病の苦労と、いかに自分が父に愛されていたかを、その後は元マネージャーKさんの悪口を滔々とまくし立てていました。 (婦人公論 2015年1月22号)

Hさんインタビュー
 「(がんとわかって)最初はメールを送っていた。ご飯を作ってあげたいなと思って。娘だから看病しなくちゃと思っていた。でも連絡を無視され続けた。
兄弟や親戚とも絶縁していたというのも全然違う話。ガンになってみんな心配して、どこに入院しているんだろうと。聞いても教えてもらえない状況だった。父本人から話を聞きたかった。どんな病気で、どうするのか聞きたかった。
私の連絡を無視し続けているのに、若い女性に世話させていると聞いて腹が立った。父に挑発的なメールは送ったが、自業自得なんてメールは絶対に送っていない(最後は涙声に)」 (FLASH)

一方さくらは、たかじんは嫌なメールはすぐに消去するので、そのメールは残っていないと言う。信憑性のない話しだ。

★さくらの名前も知らなかった親族

せめて亡くなる直前には、お母さんや兄弟に『たかじんが危ないねん』とひと言だけでも知らせるべきでしょう。でも実は、親族の誰も彼女と会ったことがないんです。連絡先はおろか、名前さえも知りません。長女とも、今は連絡してもつながらない状態になっています。 (女性自身 2014.1.14)

殉愛でも報道でも書かれていないがたかじんの「囲い込み」について、長女がさくらを厳しく問い質す発言が有ったと思う。それは当然だ、自分なら土下座されても許さない。

揉めた葬儀の段取り

★湯灌

1月3日

寺田は入浴用の移動ベッドにたかじんを乗せ、入浴室へ向かった。たかじんをベッドに乗せたまま湯船で体を洗った。午前4時頃葬儀社の人が来て、事務手続きを終えて病院を出た。


【引用純愛 385P】
葬儀社の人が遺体を袋に入れてファスナーを閉めるのを見て、さくらはたまらない気持になった。
(中略)
ワゴン車の後ろに遺体を乗せ、さくらはその横に座った。マンションに戻る途中、さくらはファスナーを少し開けた。
「こんなことを言うと変に思われますが、ハニーの息が詰まるような気がしたのです」

マンションに戻ってたかじんをベットに寝かせると、赤いジャケットを着せた。
葬儀社の人と、密葬とする、戒名は付けないことを告げた。葬儀場、柩、花などの打ち合わせをし、火葬は1月5日に行うことにした。

午後、松本哲郎、Kマネ、弁護士に電話すると、それぞれ今日行くとの返事だった。Kマネは「ああ、そうですか。お疲れさまでした」と、あっさりした口調で言った。松本にだけは来てから死を知らせた。
Kが来た。「Uも下に来ている、呼んでくる」と言ったがさくらは断り、押し問答となった。さくらは「ハニーが密葬を望んだ、皆に言うと報道される、それは個人の意思ではない」と言った。

【引用純愛 389P】
「何じゃあ、お前!」Kは大きな声を上げた。「師匠の気持は俺が一番わかっとるんや。俺のオカンが死んだときみたいに、みんな呼んで顔触らせるんや」
「Kさんのお母さんと一緒にしないでください」さくらも負けずに大きな声で言い返した。
「やしきたかじんは私の夫です。妻の私が、夫に言われた通りにやります」
「お前なんか、妻でも何でもないわ、俺のほうが師匠をずっと思ってるわ」
「それなら、どうして、彼が一番大事なときに女遊びなんかしてたんですか」
「なんでお前にそんなこと言われなあかんねん、師匠が何も言わへんかったんやから、ええやないか」
(中略)
「ハニーから私を助けろって言われたでしょう。誰にも言うなって言われたでしょう」
「うるさい!」とKは言った。「誰がお前なんか助けるか、会社も何も勝手にせいや。俺は辞める」
「わかりました。それでは、後日、やしきたかじんが亡くなったことを知らせるために、会社関係のリストをください。それくらいはしてください」
「何でそんなんせなあかんねん。お前一人でやれや。P、I、Sも一人でやれ。俺は辞めたらあ」

Kが帰った後、さくらと松本が話しして、長女と前妻を呼ぶことにした。松本がじんちゃんは前妻に来てほしいはずだと進言した。

★湯灌と納体袋

まず以て驚くのは、死後のたかじんを病院の入浴室で湯灌を行った事だ。そこは一般の入院患者が使用するところなのでにわかに信じ難い。もし本当なら聖路加国際病院の倫理管理が疑われる。通常はエンジェル・サービスまでが病院の役割で、遺体を入浴させる場合は葬祭業者が専用設備で行うのが通例である。
疑うときりがないが、たかじんの遺体を第三者に見られたくない事情が有ったのだろうか。食べ物を詰らせて救急搬送されたとの報道、遺体を「納体袋」に入れてマンションまで運んでいる事と併せて疑問が増幅する。

▼湯灌・納体袋については下記引用を参照

湯灌とは、葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。簡易には遺体を清拭(せいしき)することで済ませる場合もある。故人が男性の場合はその際に髭を剃られ、女性の場合は死に化粧が施される。地域差があり、一般的ではない地域もあるとされる。
葬祭業者の手によって行われ、自宅で葬儀を行う場合などでは給排水装置を積んだ専用車が手配され、葬儀会場へ専用の湯船が搬入される。看護師による簡易な清拭は「エンジェル・サービス」と称される(ウィキペディア)

この本に登場する葬儀屋さんは故人の写真を撮ることを優しい声ですすめた、として好意的に書かれています。しかし病院から自宅へ搬送するときご遺体を納体袋(腐乱死体や警察業務などの際、遺体を収める袋)に収めたため搬送途中で奥さんが「息が苦しそう」ということで、こっそり袋のファスナーを下ろす描写があります。
一般的な病院業務では布担架は使うかもしれませんが、納体袋はコストもかかるうえ
モノ扱いの印象を与えるので、通常使いません。もちろん普段から使っている葬儀社は存在しない、とはいえませんが・・・
あんまり良い葬儀屋さんではなかったのかもしれません。 (考える葬儀屋さんのブログ)

▼納体袋用途
1.一類感染症、二類感染症、三類感染症又は新型インフルエンザ等感染症の病原体に汚染された遺体。
2.血液・体液・排泄物等による接触感染リスク暴露の防止。
3.屋内や野外の遺体の一時期的な安置。
4.又、その後の腐敗臭の防止。
5.損傷のある遺体や腐乱したご遺体におけるプライバシー保護など。
notai









(モレーンコーポレーション/納体袋が必要な場合)

さくらがたかじんの希望として密葬を主張しているが、さくらが考えているのは事実上「直葬」であり、通夜も葬儀もなく火葬とする形だ。身寄りも側近もいない天涯孤独の身とは比較にならない、著名人であるたかじんの送り方としては異常事態であり、Kマネが激怒するのは当然である。
それにしても松本哲郎に一番最初に連絡し、誰よりも早く掛け付けていたのは何故なのか。その後もさくら側に立った発言を繰り返すのだが・・・。


★殉愛では松本が長女と前妻を呼ぶことを打診したことになっているが、実際は違うようだ。

たかじん長女に連絡しないと言うさくらと、そんな訳にいかないと言うKマネが激しく口論となり、さくらは娘への連絡を渋々了承した。 (週刊文春)

さくらはたかじんの遺言で、さくらとたかじんが親しかった大阪の会社社長だけで密葬を済ませてくれと言われていると主張した。(角岡伸彦著・ゆめいらんかね やしきたかじん伝)

たった一人の娘や親族にも知らせようとせず、Kマネの参列をも阻止しようとするさくらは、一体、何を企んでいたのか。遺産狙いで次々と夫を殺害した京都の筧千佐子と親族縁者を遠ざける発想が似ている。


最後の入院 知らされない長女

★緊急入院

12月26日、ガン細胞の悪質液が全身に回り、内臓の衰弱が激しく、聖路加病院に入院した。若い医師は肺炎の疑いがあると言った。久保田医師は「肺炎の気がある程度なので10日くらいでよくなる。聖路加で緩和ケアをして、6日からは在宅看護をしましょう」と提案した。
案内された病室は皇族が使う聖路加で一番高級な部屋だった。


【引用: 純愛 369P】
「あーあ、ひとつ心残りがあるなあ」
彼はベッドに寝そべりながら天井を見上げた。
「なぁに?」
「もっと元気な時に、さくらとしといたらよかった」
一瞬何のことかわからなかったが、気付いた時は恥ずかしかった。
「さくらだって、そうしてほしかったよ」
「さくらはずっと自分に女性として魅力がないのかなと思ってた。ハニーはほかの女性のほうがいのかなと思っていた」
「ちゃう」彼は大きな声で言った。「ハニーはめちゃくちゃ魅力的や」
「だったら、浮気なんかしないで、さくらとしてくれたらよかったのに」


たかじんは、ぼくでいいのか、お父さんとも会ってない、他の女とは違う等と言い、さくらは天使、自分は白馬の王子様と形容した。

12月27日、自力で起きあがれず、昼間は麻薬でほとんど眠っていた。
さくらが「お嬢さんに知らせる?」と訊くと、「あんな奴に知らせるな」と言った。親族はどうするかと訊ねると、「いらん!」と答えた。夜はうなされながら、「許さん」「情けない」「最低や」とか口走った。

12月28日、久保田医師は、「林さんはよく頑張っています、闘っています」と話した。さくらはたかじんの娘に近況を知らせるべきか訊ねると、「やめたほうがいいんじゃないでしょうか」と言い、緩和ケアの医師も同意した。
「これだけ頑張っているのに、会いたくない人に会えば、安らかな状態をキープ出来ません。最後まで気持ちよくさせてあげることが大切です」

★長女・Kマネへの責任転嫁

たかじんの死期が近づき、たかじんが娘、親族やKマネへの恨みを蓄積している表現が多くなって来ている。彼等のせいで病状が悪化した、どれだけ恨んでいたか、さくらにとってたかじん死後の有利な交渉を見据えたものだろう。
問題は病院側の対応だ。さくらから作り話しを吹き込まれたのだろうが、「会いたくない人に会えば・・・・・・」の発言は常軌を逸している。重篤な患者を前にして、血肉を分けた親子が本当に会いたくないと思っているのだろうか。しかも、たかじんに直接訊いてもいない。久保田医師はさくらとの結婚がホンの二ヶ月前に済ませたことを知っており、死後のトラブルも予測できる立場にあったと言える。これは8月と12月の余命宣告の際も同様で、さくら一人に対して行われたことに納得がいかない。
病院のこれらの対応は、最近話題の「後妻業」が蔓延る温床となるものではないのか。自分の経験で言うと、手術前説明時でも親族2名以上の同席を求められ、同意書への記名・捺印を行った。当時は遠方に住む子供たちに申し訳なかったが、あらためて病院側の適切な対応に感心している。

長女が発売元の幻冬舎に出版差し止めを求めた民事訴訟裁判の陳述書を読むと、殉愛の内容とは真逆だ。

 何よりもショックだったのは父が私のことをどれだけ嫌っていたかということを強調している内容です。この記述は心の底をえぐられるような打撃をわたしに与えました。何も知らない、父に会ったこともない、父の話を聞いたことすらない著者がなんで私と父の大切な大切なつながりを土足で踏みにじるのでしょうか。
 何の必要があり、何をもくろんで私を悪く言わなければならないのでしょうか。私たち親子に会ったこともない著者が、『2人の間には普通の父・娘のような交流はなかった』などと断定することが許されるのでしょうか。
 私は父の闘病中も入院先を知ることができず、死に目に会うこともかないませんでした。たった1人の親が亡くなったのに、看取ることもできず、亡くなってから知らせが来たのです。すぐに父の元に行きましたが、冷たくなった父は何も語りかけて返事をしてくれることはありませんでした。(抜粋)

長女の差し止め請求に関して、百田尚樹は恐喝まがいのツイートを繰り返した。





しかし、百田尚樹が裁判を無視しただけでなく、弁護士も出廷しなかった。
激怒したのが、原告代理人の的場徹弁護士だ。閉廷後、取材に応じ「訴訟提起から2か月もたっているのに、認否も出さないとはどういうことだ。百田も脅すだけ脅して来ない」と猛批判を展開。
また、百田氏に対しても「ツイッター上で長女を脅し、裁判を受ける権利を阻害した。すでに人権救済を申し立てているが、これから弁護士会に告発することも考えている」  (東スポWEB)


長女からの手紙

★結婚報告

たかじんは三田病院で8月から4回に分けて抗がん剤治療を受けることになる。その都度、札幌から上京した。三度目の治療を終えて札幌に戻る時同行したKマネから手紙を渡される。


【引用:純愛 192P】
Kはたかじんの娘から預かった手紙を彼に渡している。それは彼女の恋人がたかじんに宛てて書いた「お嬢さんと結婚します」というものだった。同時に娘からは、結婚祝いをしてと言われている。
たかじんは不快感を隠さなかった。
「親が生きるか死ぬかの病気で苦しんでいるのに、一度も見舞いに来んと、自分は結婚するから祝ってくれって、どこまでおのれのことばっかりなんや。これまでも仰山お金渡してきた。これからは旦那に養ってもらえ。もう親をあてにするな」
たかじんその手紙をくしゃくしゃに丸めた。ちなみに娘を含めて彼の親族は、彼が亡くなるまで一度も見舞いに来なかった。

長女は週刊朝日2014.12月18日号記事で、手紙の内容を否定した
「私は結婚祝いがほしいなんて言っていません。父に結婚相手に一目、会ってほしかっただけなのに、返事もくれなかった」

殉愛の記述はさくらの願望だろう。
百田尚樹は聞くところでは娘もいるらしいが、人の心を持ち合わせていないようだ。自分も二人の娘が嫁いだが、娘どころか甥や姪の婚約を聞いてもお祝いをどうしょうかとそわそわしだすものだ。
まして手紙をくしゃくしゃにするなど有り得ない。自分も娘の結婚に際して手紙を貰った事がある。私と妻が反対する結婚に臨む決意が綴られたものであった。今でも机の中に大事に置き、時折読み返すことがある。こう書いているうちに涙が滲んできた。
下記のたかじんの娘さんの声がすべてである。

★婦人公論に掲載されたたかじんと長女の画像から
長女1















★本当の親子の姿が見えてくる長女陳述書

 「私は(昨年)1月3日に父を亡くしました。子供の頃に母を亡くし、父は唯一の肉親でした。父のことが大好きでしたし、電話で何度もやり取りをしていました。心の中に父がいつも父が居る。私を思ってくれるという確信があり、それがわたしの何よりもの安心感でした。

 父は私が滞在した中国の上海まで、私のことを心配して来てくれたり、人生の節目節目にはいつも相談に乗ってくれていました。離れて暮らしておりますが、父の思い、私の思いはお互いに十分に分かり合っていたと思います。

 私は昨年父を亡くして以来、心の中にすっぽりと穴が空いたような喪失感に苦しみました。父のことを思い、喪に服する思いで静かに暮らしておりました。そんな時に突然『殉愛』が出版されました。この本を読んでビックリいたしました。闘病日記のようなものかと思っていましたが、あまりに真実からかけ離れた内容ばかりでした。

 この本の中で私は父に金の無心しかしない卑しい娘にされております。真実でない箇所に付箋を貼っていくと本は付箋で埋め尽くされました。

 何よりもショックだったのは父が私のことをどれだけ嫌っていたかということを強調している内容です。この記述は心の底をえぐられるような打撃をわたしに与えました。何も知らない、父に会ったこともない、父の話を聞いたことすらない著者がなんで私と父の大切な大切なつながりを土足で踏みにじるのでしょうか。
 
(デイリースポーツ)


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