★危急時遺言

12月29日、Kが弁護士を連れて来た。たかじんと弁護士の二人で打ち合わせをした。たかじんの意向で会話は録音されており、さくらに「明日、正式に遺言書を作る」と告げた。
たかじんの足は冷たくなり紫色になっていた。医師は「今、生きているのが不思議なくらい」と言った。

12月30日、朝9時に目が覚めたたかじんは、「帰りたい」と言い出した。その後、久保田医師に麻薬を投与してもらい眠った。
午後3時半に弁護士三人がやってきた。本来は公証人が認証するが、今回は「危急時遺言」となるため二人の弁護士を立会人とした。朝にたかじんと会話した久保田医師が「やしきたかじんの意識はしっかりしており、正常な判断力を持っている」と証明した。遺言書作成の一部始終を録画・録音した。
たかじんは会話はできるものの、文字を書けるような状態ではなかったため口述で作成された。筆記したのは、遺言執行者のY弁護士(PIS顧問弁護士)だった。


【引用殉愛 376P】
死期が間近に迫った状況でこけほどのことができるたかじんの意志の強さと精神力に感嘆するが、別の見方をすれば、そこまでしなければならないほど親族のクレームが心配だったのだ。しかし、彼の懸念は不幸にも的中する。たかじんの死後、娘が遺言書は無効だと主張して、大きなトラブルに発展する。
(中略)
この時点でさくらは遺言書の中身は何も知らない。たかじんはひと仕事を終えて安心したのか、ハイタッチをするとすぐに眠りについた。


夜、たかじんの息が苦しそうだったので、マスクと鼻のチューブを付けた。ちなみに遥洋子が話す最後の言葉、「ちょっと飲みに行ってくる」と言って眠ったのはこの夜である。

12月31日の朝、久保田医師から下顎呼吸が始まった事が告げられる。

★不自然な日時選択

殉愛で書かれた流れを要約すると、12.29日に顧問弁護士が来てたかじんと打ち合わせをした、翌日、二名の立会人のもと遺言書を作成した。正月休み期間なので、後日裁判所で認定を受ける。たかじんの意識については久保田医師が正常と証明した。念のため様子の録画・録音も保存している。こう羅列すると問題はないように思える。しかし、疑問の声もあがった。


遺言書作成に取り掛かった12月29日から、死亡した1月3日まで正月休暇中である。通常日であれば弁護士が作成した遺言書を裁判所が確認する。だが遺言書作成から初業務開始日となる1月6日(本来は1月4日だがこの年は土曜日だった)は、たかじんは荼毘に伏された後であるため、この作業は行われていない。
たかじんがKマネに遺言書作成を指示したのが12月25日なので、暦を遡ると通常の遺言書作成が可能だった日は12月26.27と2日あるが、腹膜播種は数日で命を落とす事が有ると言われていたにも関わらず、なぜ12月29日を選んだのか疑問だ。更に言うと、死亡した1月3日はも休み期間であり、スキー旅行を急遽取止めた、担当の久保田医師に死亡診断書を書いてもらうのに都合がいい日であった。
守銭奴さくらにとって重要な出来事が、この期間に集中して起こった。


★ゆめいらんかね、週刊誌記事との相違点

一方、角岡伸彦著「ゆめいらんかね」では12月29日にビデオで遺言書作成としている。このことから推測できるのは、29日の打ち合わせ内容と30日に書かれた内容が違うのではないか?

<29日の内容>
前頁でも触れたが、12月25日にKマネがたかじんに呼ばれて指示を受けた内容。
・たかじんの冠番組は終わらせること
・事務所の終わらせ方はKマネに任せること」
・娘には金を残すこと」

ここではさくらのことには触れていない。

<30日の内容>
正式に受理された遺言書では、全く逆の内容となっている。寄付分を除くと下記の通りだ。(抜粋)
・全ての動産、不動産はさくらへ
・P、I、Sの権利もさくらへ
・娘には一切相続させない

娘には何も渡さないと明記されているのも驚きの内容だ。

★ここからは推測を含む。

29日、Kマネは実際には立ち会っていないが、長年P、I、Sの顧問弁護士を務めてきたY弁護士を信用していたと思われ、たかじんから指示された内容が守られたと安心したことだろう。

一方のさくらは思惑が外れた。以前から"吹き込んでいた"娘の非道な言葉や仕打ちが功を奏していない。
ここで巻き返しする最大の小道具がエンディングノートだ。29日に打ち合せた内容が不服のさくらは、弁護士に自分の意向に沿ったエンディングノートを出し、たかじんの意識が正常ではなかったと意義を申し出る。当然弁護士から抵抗があり、すったもんだの末に出て来た案が医師の「清明証明書」だと思う。
もう一つさくらが行ったのは、朦朧としたたかじんが弁護士に訊かれた際に、「はぁぁ~い」と返事するレッスンを施したことだろう。

フラッシュ誌上で、遺言書作成時の「テープ」を聞いたとして次の記事が掲載されている。百田がベストセラーの肩書を利用して、強引に書かせた記事と報道があったものだ。

たかじん「もう寿命もあんまりないから(中略)法律である分配率は、絶対守らなあかんの?」
Y弁護士「いや、守らんでエエですよ」
たかじん「俺、娘にやりたくないんで、いいんですか?」
Y弁護士「いけますね」
たかじんの掠れた声が確かに聞き取れた。 (フラッシュ)

フラッシュでは「テープ」を聞いたとしているが、百田尚樹は録音と録画があると言っているのに、何故テープを根拠に書いているのか、録画での確認の方が公平性が増すと思う。掠れた声が・・・との記述もあやふやな表現だ。何故なら、もう一つの報道が有る。

「弁護士がこれらを●●さん(さくらさんのフルネーム)に遺すことを承知しますね? と聞かれたたかじんさんが、朦朧としながらただ『はぁい』と言っているのです。
とても弁護士の話の内容を理解しているようにはみえませんでした」
生前のたかじんさんを知る関西メディア関係者は、「余命いくばくかの病床の人に対してすることではないでしょ」と怒りを隠さない。 (ライブドアニュース)

<さくら談話> たかじんの場合、会話はできるが、ベッドに横たわったまま。腕や指に力が入らず、文字を書くのは難しい状況で、口頭で遺言し、証人が書面化する「危急時遺言」の形を取った。 それが12月30日のこと。私が遺言書を書かせるのは不可能。 (フラッシュ)

このことから、弁護士がさくらから渡されたエンディングノートを読み上げ、たかじんはさくらにレッスンされた「はぁぁ~い」を繰り返したのだろうと思う。

(※エンディングノートについては前項参照 (エンディングノート))
(※清明証明書とは、正常な判断力を有するとした診断書)
(※殉愛では29日、30日両日共録画録音をしたとしている。裁判にどちらを提出したのかは不明)

文中でさくらが弁護士に、「無事に終わりましたか?」と訊き、弁護士が「大丈夫です、遺言は認められると思います」と言うシーンがある。無事とはさくらの思惑通りの遺言書が作成されたことを指すのだろう。

裏付けとして必要になった医師の「清明証明書」だが、久保田医師が証明したのは午前で、その後麻薬を投与し、15時半頃から遺言打ち合せの流れとなっている。これは正常な判断力を立証することにはならないのではないか。本来なら打ち合せ直前に証明されてこそ効力が発生するものだろう。さくらが姑息な謂いまわしで医師に用意させたのか、弁護士も黙認したのか、或るいは法の盲点なのか、釈然としないのは事実だ。

この点は百田尚樹も逆手にとり、twitterで咆哮する根拠になっている。更に驚くのは、久保田医師が娘が問合せに来た情報を第三者に流している点だ。これは主治医がさくら側に取り込まれている証明となる。


さらにあざとさを感じる点がある。12月29日の遺言打ち合せから12月30日の遺言作成までの間、たかじんとさくらが会話した記録が殆どない点だ。意識の清明を証明出来るほどであるなら種々のやりとりがあったと思うが、工作をしていないことを強調したかったのだろうか。
(遺言書・遺産問題の詳細は、打算と逆襲カテゴリーにて)

★もう一つの相違点

「ゆめいらんかね」によると、Kマネは12月25日にたかじんと打ち合わせして、年末に「東京」の弁護士を付けて遺言書を作ることにしたが、 「翌日、たかじんの容体が急変」して入院し、Kマネはたかじんと約束していた遺言書作成が進められなくなった。
こうなると上に記した推測も大部分がハズレになる。想像以上におぞましいのかも知れない。
いずれ角岡伸彦氏が謎解きを発表される機会があるかも知れない。

★一千万円

この日、Y弁護士とKマネがたかじんの大阪のマンション内の金庫の中にある現金を数えに行き、証拠となるビデオ撮影をした。その中から、さくらから頼まれた現金1.000万円を持参し渡した。


▼12月30日書いたとされる危急時遺言書
遺言書 手書き















遺言書内容は2014.12発売・女性自身で明かされた。殉愛では寄付先が「大阪市」「盲導犬協会」「親のいない子供の施設」となっている。百田は執筆時点で、「大阪市」「大阪あかるクラブ」「桃山学園」となっていることを知っていたが、あえて書かなかった事になる。
実は書けない事情が有ったのだ。さくらが寄付放棄交渉に出向いた大阪あかるクラブへ、百田尚樹本人が同行していたことが判明したのだ。しかも数々の暴言を吐いた事実も証言されている。

(詳細はこちら・OSAKAあかるクラブ寄付金放棄騒動)