たかじんが逝去する3ヶ月前から、さくらはたかじんの妻であったが、「殉愛」でいうところの誰も知らなかった741日間において、たかじんとさくらのポジショニングはどうだったのだろうか。
★2013.4.9 一人やったら無理だった
最初の手術からちょうど一年が過ぎた。
【引用 :殉愛262P】
「生きて家に帰れるとは思わへんかった。復帰できるとは思わへんかった。ハワイに行けるとは思わへんかった。ゴルフが出来るとは思わへんかった。ワインが飲めるとは思わへんかった」
「ハニーが頑張ったからよ」
「いや、違う。 「全部ハニーがおったからや。一人やったら無理やった」
たかじんはそう言って泣いた。さくらも思わず涙がこぼれた。今日まで頑張って来てよかったと心から思った。
・・・「私がいたからでしょ? じんちゃん一人では何も出来ないのよ。お家に帰る事も、テレビ復帰も、ハワイへ行くことも、ワインを飲むことも、全部私のおかげよ。早く、籍入れてよ」 だったとしても不思議ではない。
★2013.4.30 再発
胸の痛みが数日続き、上京して三田病院で検査を受ける。久保田から宣告されたのはガンの再発。
何もしないと半年持たない、治療をしても効果が出ないと半年の余命と宣告される。これはさくらが一人で聞いた話だ。
帰りの新幹線で、たかじんはさくらの手を握った。
【引用 :殉愛271P】
「ごめんやで」とたかじんは言った。「ハニーが一生懸命やってくれたのに、再発してしもて・・・ほんまにごめん」
「ごめんは、ないよ」
「いや、ごめんや。お父さんに挨拶もしてへんのに・・・」
「そんなこといいから、今までだってダメと言われて何回も乗り越えて来たんだから、再発も乗り越えよう。逆転ホームラン打つんでしょ」
彼は泣くのを必死でこらえながら、「うん、うん」とうなずいた。さくらも懸命にこらえた。ここで自分が涙をこぼしたら、彼はきっと耐えられない・・・。
「ハニーはつよいなあ」彼は笑って言った。「たのもしいわ」
「少し休んだら」
「うん、ねんねするわ」
・・・さくらがたかじんに最期に話しかけた「ねんねしようか」とリンクする「ねんね」の言葉。再発を言い渡された日に発された言葉として、死との直結を暗示しているようで怖い。
★2013.5.1 久保田先生
【引用 :殉愛271P】
たかじんは胸いっぱいの収録に行った。
さくらは看病日記にこう書いている。
「ハニーがいなければ生きていけない。やれることは何でもやって、少しでも、一日でも多く、笑顔の日を作ってあげたい。久保田先生と協力して早くやる」
・・・さくらはこの段階で、殉愛の中で事実なら問題となる記述をされながら口を閉ざす久保田医師に、たかじんを最後まで委ねる決意をしたと思われる。
★2013.5.27 何万語、何億語
さくらの誕生後の朝、たかじんは目を真っ赤にしてさくらに手紙を渡した。メモ帳を破って書かれたそれは涙で滲んでいた。
【引用 :殉愛288P】
何万語、何億語、
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をぼく以上に
のり超えてくれて
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura
Love (原文ママ)
★2013.6月 赤ちゃんことば
抗がん剤の副作用でたかじの生活リズムは昼夜逆転し、さくらは殆ど眠る時間が無くなった。食事の時も、さくらがスプーンで食べさせた。
【引用 :殉愛294P】
「よーくモグモグしてね !」と言うと、彼は「はーい」と答えるのだが、口を開けた拍子に中のものが全部出てしまうこともあった。すると彼はそれを面白がり、何度も口に入れてはそれを出して遊んだ。
「ごはんで遊んだらダメよ」と叱ると、今度は震える手で、おかずを掴んでさくらの口に持ってきて、「ハニーも、アーン」と言った。さくらがそれを食べて「美味しいね」と言うと、たかじんは喜んだ。さくらにはその顔がかわいくて愛おしかった。
・・・たかじんのこれらの幼児性行動が仮に事実だとしても、真に愛情を持っている妻なら、世に知られることを望まないだろう。このエピソードだけで、自分には「仮面夫婦」だったとしか思えない。鬼籍に入ったたかじんが知る由もないが、血肉を分けた長女や親族の無念さはいかばかりであろうか。
★2013.7 さくらに捨てられる
【引用 :殉愛304P】
頭が完全に正常に戻ったとき、たかじんは「ずっと さくらに捨てられると思って不安だった」と打ち明けた。彼は仕事に復帰してからわずか一ヶ月で休養したことで、自分を「役立たず」と思い込んでいたのだ。その不安も神経症になった原因の一つだった。
・・・この時期はまだ、たかじんが前妻に最期まで看取ってほしいと連絡を取り合っていた頃だ。捨てられると思っていたのは、むしろさくらの方だったのてはないのか。この後の、親族・知人等との隔離工作が激しくなる。
★2013.8 ストレス
【引用 :殉愛308P】
札幌での生活を始めた途端、たかじんの食欲不振は消えた。やはり、大阪にいることがストレスだったのだ。たかじん自身も「大阪にいると、患者になり切れない」と言った。
★2013.8.8 約束
【引用 :殉愛308P】
八日、点滴のために鶴間医師と横内看護師がマンションに来てくれた。点滴している最中に、たかじんがふと言った。
「実は、今日は式を挙げる予定やったんや」
鶴間と横内は驚いた。
「お二人はまだ結婚してなかったんですか」
たかじんは少し悲しそうな顔でうなずいた。
「復帰したら、八月八日に結婚しようと言ってたんやけど、こんな状態ではでけへん」
その約束を覚えていてくれただけで、さくらは嬉しかった。
・・・手術まで受けたJR札幌病院の担当医師と看護師が、まだ婚姻関係に無かったことを知らないのは不自然だ。たかじんが最終的に入籍を決断したのは、ガンが移ってさくらが乳がんとなったことが最大の理由だと話している。殉愛の真実によると丁度この時期のことなので、たかじんが入籍するかどうかを思案していた頃と思われる。
★2013.8.23 結婚したい
【引用 :殉愛311P】
免疫細胞療法を瀬田クリニックで受ける事が決まった。
その夜、彼はさくらに言った。
「前に完全復帰したら結婚しようと言うてたけど、もしかしたら、もう復帰でけへんかもしらん」
「大丈夫、必ず復帰できるよ」
彼は首を振った。
「もちろん、そのために頑張る。でも、その日を待たずに、さくらと結婚したい」
さくらは突然のことに驚いた。これまでのプロポーズはすべて復帰を前提としたものだった。しかし、今回は違う。それだけに彼の本気が伝わってきた。
「ハニーはそれでいいの?」
「うん」
「私、左耳が聞こえないんだよ」
「ぼくがハニーの耳になると言ったやんか」
たかじんはそう言ってさくらを抱きしめた。さくらは彼に抱きしめられながら、涙を流した。彼も泣いていた。
・・・たかじんが最期まで面倒を見てほしいと懇願していた前妻と、音信が途絶えたのがこの時期とされている。何故か、たかじんの携帯に登録されていた前妻の電話番号が、090から080に変更されていたことが、たかじん逝去後に明らかになった背景がある。
たかじんがさくらを選んだというよりは、前妻を諦めた時期だと思われる。
★2013.10.1 十月十日
【引用 :殉愛322P】
たかじんは十月十日に入籍しようと言った。以前は八月八日に結婚式を挙げようと言っていたが、その八に二人の二を加えたら「十」になるからというのが、彼の理屈だった。
「取りあえずは十日に入籍や。せんで、この調子で年明けにみんな呼んで、ハワイで大々的に結婚式をやる」
たかじんは嬉しそうに言った。
・・・十月十日への拘りで思い出すのが、さくらがイタリア人夫イヴァンとの結婚式を10月10日と切望していたが、教会行事の都合で9月にしたことが、さくらの都会っ子ブログに記されている。何の理由が有るのか不明だが、十月十日入籍はさくらの希望だった気がするのだが。8月8日に二人の2を足したら10になる理屈も説得力に欠ける。
★2013.10.5 「SAKUJIN」
たかじん誕生日のこの日、さくらが相原や山西達と内緒で誕生会を企画していた。参加者は袖に「SAKUJIN」の文字が入ったピンクのポロシャツを着ていた。
【引用 :殉愛325P】
店に向かうタクシーの中で、彼は「誰が来るん?」と訊いた。さくらは「相原さんとか五人くらいに連絡した」と答えた。
「五人くらいやったら、マンションに来てもらった方がよかったなぁ」
南堀江の「サロン105」に着いたのは午後五時すぎだった。
たかじんがドアを開けると、中にいた二十人ほどの男女が一斉に拍手で迎えた。彼は驚いてさくらの方を振り返った。さくらはいたずらっぽく笑った。
・・・殉愛ではこの後に、誕生会に参加していた遥洋子がさくらを褒めそやす言葉が10行に渡って書かれている。遥陽子は参加者の中でタレントとして、つまり映像に映る側として参加している唯一の人物という不思議な設定となっている。
一方で、さくらはたかじんが闘病中の姿を見せたくないと言っているとして、第三者はおろか親族との面会さえ断った理由としているが、外出を嫌がるたかじんにウソを言ってまで連れ出したのは、辻褄が合わなく配慮が足りない話しである。この会の為に用意して参加者に配布した、「SAKUJIN」ロゴ入りのピンクポロシャツが物語る真意は、2日前に婚姻届保証人として相原に捺印させ、5日後に札幌で入籍したことと照らし合わせ、妻の座をを知らしめたいさくらの願望だったと見て間違いないだろう。
★201310.10 入籍
【引用 :殉愛329P】
二人きりになると、本当にこの人と結婚したんだという実感が湧いてきた。まさか自分が結婚するとは思ってもいなかった。しかもその相手がやしきたかじんだとは・・・。彼の命がいつまで続くかはわからないが、残された日々は、彼の妻として精一杯のことをしよう。
「結婚式はハワイでやろう」
たかじんが提案した。
「毎年、皆、ハワイに来てくれるから、この前パーティーに来てくれたメンバーを呼ぶ」
彼は早速、来年二千十四(平成二十六)年、一月八日のハワイ行きのチケットを予約した。
・・・これまでに明らかになっているさくらの結婚歴は、たかじんで四人目であり、まさか自分が結婚するとは・・・のセリフは成り立たない。まして、相手がやしきたかじんとは・・・との感慨も白々しく響くだけだ。たかじんと知り合った当時、睦まじい姿をブログにアップしていたイタリア人男性との結婚生活を破棄(国内手続き上は)し、たかじんに乗り換えて結婚にまで持ち込んだのは、どちらのどなたさんだったのか。しかも、たかじんが結婚を決断した理由は、たかじんを看病していて乳がんとなったとの、さくらのウソで追い込まれた結果のことだ。
2014年1月、たかじんがハワイで静養する計画を持っていたのは事実のようだ。芸能レポーターの井上公造とハワイ在住の友人が証言している。しかし、結婚式にまつわる話は誰も証言していない。
★2013.10.21 夫婦として貯金
たかじんが気に入ったウブロ製の時計を購入した。
【引用 :殉愛331P】
さくらが値段を訊くと、八百八十万円だった。あまりの高額に驚いたが、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。
・・・入籍約十日後に、夫婦として二年間貯金した・・・自分なら、このような厚かましい女は嫌だ。さくらはたかじんと出会って間もなくの頃から、このような接し方をして来たのだろう。たかじんがKマネに話した、「表に出せない女」の言葉がよく理解できる。
★2013.11.27 うっとうしい
たかじんの体調が悪化、悪寒、吐き気、食欲不振に見舞われていた。
【引用 :殉愛337P】
「病院へ行っても、全然ようならへん」
「そんなことないよ。久保田先生に診てもらおう」
「ぼくがやかましくてうっとうしいから、病院へ連れていきたいのか!」
たかじんは怒鳴るように言った。
「ぼくはさくらに聞いてほしいから言ってるだけや。病院に行きたいなんて言うてん!」
さくらはショックを受けた。これまでにも八つ当たりすることはあったが、こんなにきつい言い方は初めてだった。
・・・さくらと相原に、オーバートークで勧められた免疫細胞療法の効果がなく、悪化する一方の体調にイラつき、抗がん剤治療を止めさせたさくらの意図を疑い出し、きつい言い方をしたのかも知れない。
★2013.12.23 余命1.2ケ月
この日は東京の聖路加国際病院で、腹膜播種であると久保田医師の診断を受けた。余命は1.2ケ月とのことだ。
【引用 :殉愛359P】
「さくら」
とたかじんは声をかけた。
「嫌になったら捨ててもええよ」
「ずっと一緒にいるよ。夫婦なんだから」
さくらがそう答えると、彼はこの日初めてにっこりと笑った。
★2013.12.25 浮気相手を殺す
【引用 :殉愛362P】
「いろんな経験をしてきたけど。死ぬのは経験したことないやん」
「そうだね」
「せやからどんなんかわからへんねんけど、墓にはおらんと思う。あそこには骨があるだけや」
「じゃあ、どこにいるの」
「さくらのそばにおると思うんや。だから、大丈夫。いつも見てる」
「いつも見てるということは、お風呂も見てるの?」
「それはマナー違反やから、覗かん」
さくらが笑うのを見て、たかじんも笑顔になった。
「でも、さくらが浮気したら、相手を呪い殺す」
「男の人を殺すの?さくらじゃなくて」
「さくらは殺さない。浮気相手を殺す。せやから、さくらに近づいた男は必ず死ぬんや。そしてその現場にはいつもサングラスが落ちてる」
「何、それ?」
二人とも笑った。
・・・この日は、たかじんがKマネを東京のマンションに呼び、遺言書作成の打ち合わせをした日である。Kマネにはさくらのことを「金で黙らせる」と伝えていたこともあり、浮気相手を殺すと言うほど、さくらに執着していたとは思えない。
自分がたかじんの立場なら、三十代にして未亡人となる女性の人生を慮り、いずれはいい人を見つけて結婚してほしいと伝える。それは実の娘よりも年下の女性を娶った男の責任とも言える愛情表現だからだ。その為には、死後の祭祀にも負担を掛けたくない。遺骨は当家墓所に納めてもらい、節目毎に参って貰えれば十分な供養である。
再発
215
2012.1.2 (殉愛)
たかじんマンションへ行く。お節料理と鯛の尾頭付きが用意されていた。鯛の目を見て「怖い」と言う。
2012.1.3 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫・イヴン、イタリアへ帰国。
※The Gaijin is back to Italy
2012.1.3 (殉愛)
たかじんのマンションへ行くと、友達が7人いた。酔いつぶれたたかじんの枕元に「二日酔いの薬」を置いて帰る。
2012.1.4 (殉愛)
お粥を買って夜9時にマンションへ行く。
2012.1.5 (殉愛)
足裏マッサージをする。マッサージ用オイルはあらかじめ持参していた。
2012.1.6 (殉愛)
足裏マッサージをして帰る。
2012.1.9 (殉愛)
たかじんがお好み焼きを作ってくれた。足裏マッサージをして帰る。
2012.1.11 (殉愛)
たかじんから「イタリアから日本に帰って来てくれへんか」と言われる。さくらは「イタリアと日本に暮らしながら結婚生活をするのも可能じゃないですか?」と答える。
たかじん「向かいのマンションに暮らすねん、あるいは、同じマンションの上と下とか」と言った。
足裏マッサージをして帰った。
2012.1.13 (殉愛)
たかじんのマンションで、300万円渡される。
2012.1.14 (殉愛)
さくら、イタリア行きのチケットの搭乗日変更をした。マンションを貸してくれている伯父に、「2月3日まで日本にいる」と連絡した。
2012.1.15 (殉愛)
たかじんは山王病院で人間ドックを受けるため、Kマネと東京へ向かう。
[大阪-東京]
2012.1.16 (殉愛)
たかじん「食道ガン」が見つかる。さくらはイタリア行きのチケットを縦に引き裂く。
2012.1.17 (殉愛)
帰阪したたかじんを新大阪駅まで迎えに行く。たかじんはKマネに、「さくらをマネージャーにするから、名刺を作れ」と言った。
[東京-大阪]
2012.1.18 (殉愛)
さくらは伯父から頼まれた通訳の仕事があって、たかじんのマンションに行けなかった。
父と兄に、イタリアには帰らないことにした、と伝える。
2012.1.19-20 (殉愛)
住民票や健康保険証等の必要な書類を揃えるために、役所を回る。
イタリアのネイルサロンはスタッフに電話して店をたたんだ。下宿先のママに暫く帰れないので、さーちやんの面倒を見てほしいと頼む。
2012.1.21 (殉愛)
たかじんと京都へ行く。こずこん、アクアマリン、ラボー。朝4時にマンションへ帰り、さくらはベット脇で眠った。初めて泊まった日となった。
2012.1.22 (殉愛)
たかじんは、ガンのことは家族には知らせないと言った。「娘にだけは知らせようと、大事な話があると電話したら、忙しいから行かれへんと言いよった。薄情な娘や」
足裏マッサージをして帰った。
2012.1.22(伊夫・イヴンtwitter)
長い間、妻と会話が無い。
奥さんと2日間しゃべってない、これまでで最長期間だ
2012.1.24 (殉愛)
ガンは悪性だったことが判明。
2012.1.25 (殉愛)
さくらにたかじんのマンションの鍵を渡す。
2012.1.26 (殉愛)
たかじんの番組収録見学の為、さくらが読売テレビに行く。その前に髪を短く切った。
2012.1.30 (殉愛)
医師説明を受けるため、東京三田病院へ行く。さくらとUがたかじんに同行した。診断はステージⅢだった。
たかじんは購入した東京のマンションの決済をする。
(※詳細は殉愛の正体・ステージⅢ)
[大阪-東京]
2012.1.31 (殉愛)
夜、たかじん休養が公表される。
2012.2.1 (殉愛)
たかじんに娘からメールが来た。「なんや食道ガンかいな、自業自得やな」
2012.2.1 (週刊朝日)
Hさんの携帯の記録によれば、この時にたかじん氏に送ったメールの文面は以下の通りだという。
「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。 ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」
2012.2.5 (殉愛)
三田病院に検査入院。久保田医師から抗がん剤治療をすすめられる。
2012.2.7
一旦、大阪に帰る。
[東京-大阪]
2012.2.12 (殉愛)
三田病院へ入院。さくらは東京のマンションに住む。抗がん剤治療は13日-17日まで。
[大阪-東京]
2012.2.23 (殉愛)
三田病院退院。東京のマンションで過ごす。
2012.2.26 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]
2012.2.28 (殉愛)
京都の酵素風呂に数日間通う。
2012.3.1(fridayさくら手記)
2012年3月1日にイタリア人の夫との離婚届が受理され、正式に離婚が成立しました。
2012.3.5 (殉愛)
東京三田病院へ検査入院、二回目の抗がん剤投与。
[大阪-東京]
2012.3.11 (殉愛)
このころから、たかじんが胸の痛みを訴える。さくら病院に泊まり込む。
2012.3.11 (都会っ子ブログ)
帰国予定日前に、父にガンが見つかった。
※当初帰国予定は1月下旬。
2012.3.14 (殉愛)
手術日が4月9日に決まる。退院し大阪に戻る。
[東京-大阪]
2012.3.15 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫、75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかなとつぶやく。
2012.3.20 (殉愛)
さくらの父から、「前立腺ガンが見つかった」と連絡が入る。
2012.3.24 (殉愛)
伯父から借りていたマンションから、たかじん自宅真向いのマンションに引っ越す。
派手な女とエレベーター前ですれ違い、「私、今、じんちゃんとやってきてん」と言われる。さくらは足裏マッサージをして帰った。
(※詳細は殉愛の正体・今、やってきてん)
2012.4.1 (殉愛)
東京へ行き三田病院で検査を受け、緊急入院する。カロリー輸血を行う。
[大阪-東京]
2012.4.9 (殉愛)
食道ガンの手術を行う。
(※詳細は殉愛の正体・手術の日)
2012.4.10 (殉愛)
痛み止めの麻薬で幻覚が起きる。
2012.4.11 (殉愛)
夜間譫妄も起き、ICUシンドロームの可能性があると診断される。
(※詳細は殉愛の正体・ICUシンドローム)
2012.4.15 (殉愛)
ICUから病室へ移る。
2012.4.19 (殉愛)
縫合不全と診断され、すぐに手術が行われる。手術中にさくらの妹から電話があり、父の手術日が4月23日に決まったと伝えられる。さくらは父に電話し、立ち会えないと伝える。
夜、たかじんが暴れ出したので、医師たちは縛るしかないと言ったが、さくらは私が見ますと言い、縛るのを辞めさせた。さくらはICUに泊まり込むことになった。
(※詳細は殉愛の正体・縫合不全再手術)
2012.4.22 (殉愛)
病院のプジ―購入資金提供を申し出るため、さくらは伯父に電話し一億円の借金を申し込む。二日後、小切手が届く。
(※詳細は殉愛の正体・プジ―)
2012.4.24 (殉愛)
さくらは一億円の小切手を見せ金に、三田病院にプジ―機器購入を迫る。病院側はお金は受け取れないと断る。
2012.5.1 (殉愛)
たかじん、プジ―治療を始める。
(※プジ―は三田病院が自己資金で購入)
2012.5.9 (殉愛)
病室へヘアーメイクアーチストの和野陽介を呼び、たかじんの髪を切ってもらう。
たかじんは、麻薬と睡眠薬の副作用で、手先が震え声が出にくくなっていた。
2012.5.25(殉愛)
さくらが異形狭心症と診断される。
東京マンダリンホテルで伯父と会い、一億円の小切手を返す。伯父は五千万円入りのバッグをさくらに渡し、「困った時に使え」と言った。
2012.6.5 (殉愛)
マックでフィレオフィッシュとチキンナゲットを買い、たかじんに食べさせる。
2012.6.9 (殉愛)
三田病院を退院し、東京・六本木のマンションに住む。
夜、娘からメールが届いた。「なんかわけのわからん韓国女に世話してもらっているらしいな。いざとなったら、私も出るとこ出るよ」
2012.7.6 (殉愛)
二人の写真が掲載されたFRIDAYが発売される。
(※詳細は殉愛の正体・一回目のフライデー)
2012.7.7 (殉愛)
札幌のマンションに移動する。
[東京-札幌]
2012.7.23 (殉愛)
大阪に戻る。
[札幌-大阪]
2012.7.24 (殉愛)
たかじんはさくら留守中に、マンションに女を呼んで金を渡す。さくらにバレる。
2012.7.下旬 (殉愛)
三田病院で抗がん剤治療の説明を受ける。
[大阪-東京]
2012.7.30 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]
2012.8.16 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与。
[札幌-東京]
2012.8月 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]
2012.9.5 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(2回目)。
[札幌-東京]
2012.9.9 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]
2012.9.19 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(3回目)。
Kより娘から預かった手紙を渡される。娘の恋人からのもので、「お嬢さんと結婚します」と書かれていた。同時に娘からは『結婚祝いをして」と言われている。たかじんは不快感を隠さなかった。「一度も見舞いに来んと、・・・・・これからは旦那に養ってもらえ」
[札幌-東京]
(※詳細は殉愛の正体・長女からの手紙)
[東京-札幌]
2012.9.27 (殉愛)
JR札幌病院で腸閉塞と診断される。4回目の抗がん剤治療をキャンセルした。
2012.10.5(殉愛)
たかじん63回目の誕生日。フェースブック事件が起き、「変革の誕生日」がアップされる。
(※詳細は殉愛の正体・フエースブック事件)
2012.10.24 (殉愛)
イタリアに預けていた「さーちゃん」がガンにかかる。
2012.11.12 (殉愛)
札幌駅地下街で「海賊と呼ばれた男」を購入。
2012.11.16 (殉愛)
東京でPET検査を受ける。異常なし。
タカじんメモ「死ぬ前にさくらとやりたい。そのまま腹上死もええ、たかじんウケるで、ハワイで何とかする!勝負や!!」
[札幌-東京]
2012.11.20 (殉愛)
羽田空港からハワイ到着。
さくらはソファで寝る。
[東京-ハワイ]
2012.11.29 (殉愛)
さーちゃん、死亡。イタリアのママは「今、一緒にいる彼を大切にして」と言った。
2012.12.12 (殉愛)
さくら、手を切る。(※詳細は殉愛の正体・さくらの怪我)
2012.12.20 (殉愛)
三浦とゴルフに出掛ける。
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、「梅干し大のダイヤの指輪」を買う。数百万円をキャッシュで払った。たかじんからさくらへの婚約指輪と書かれている。
2012.12.24 (殉愛)
たかじん、さくらに指輪を渡す。
2012.12.25 (殉愛)
ハワイへ、相原康司、山田晃、松本哲郎が来た。三浦夫妻を加えてクリスマス・パーティーを開く。
席上、相原がたかじんの復帰を打診する。
2012.12.31 (殉愛)
カウントダウンパーティに参加、新しい服を買い、カメラマンの梅田にツーショット写真を写して貰う。
2013.1.15 (殉愛)
ハワイへ、読売テレビ・山西敏之、エックスⅠの日置圭信、橘庸介が来た。復帰に向けての話題とKマネの誹謗中傷話しが有った。
2013.1.19 (殉愛)
エックスⅠの長谷川社長がハワイへ来た。たかじんの体重は61キロまで回復し、復帰を前倒ししようかと考え始める。
2013.1.30 (殉愛)
相原康司 と井関猛親がハワイへ来た。井関はさくらに、「たかじんのお世話をしてくれてありがとう」と頭を下げた。
井関は2011年春に、胸が痛いと言うたかじんに、大阪市内の総合病院を紹介している。そこで突発性狭心症と診断されており、これは誤診だった。
この時の話し合いで、三月末のたかじん復帰が決まった。
2013.2.17 (殉愛)
復帰前健診のため、一時帰国。
[ハワイ-東京]
2013.2.18 (殉愛)
三田病院でPET検査。何ヶ所か光る部分が有ったが、マーカー値に異常がなかったため、炎症痕とだろうと診断され、復帰がほぼ決まった。
2013.2.19 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]
2013.2.21 (殉愛)
たかじんは相原と新地へ飲みに行く。たかじんが忘れた電話が鳴った。さくらが出ると女の声で言った。「明日、パンツ穿いていかへんから楽しみにしといてや」
2013.2.22 (殉愛)
さくらは電話の女と会いたくないと思い、街を歩いた。「私はいつか捨てられるかもしれない」と思った。
さくらが部屋に戻るとたかじんは「金だけ渡した」と言った。さくらはたかじんの二つの携帯と記録用の携帯に登録された女のアドレスと番号を削除した。「早よ、ださんかい」と怒声をあげたのは、この時のことだ。 (※詳細は殉愛の正体・早よ、出さんかい)
2013.2.24 (殉愛)
二人は再びハワイへ向かう。
[大阪-ハワイ]
2013.2.26 (殉愛)
二人で行ったゴルフ場で、島田紳助に会う。
2013.3.7 (殉愛)
テレビ大阪・田中威士と徳岡敦朗がハワイに来る。
2013.3.8 (殉愛)
ダイヤモンドヘッドが見える墓地を購入。
2013.3.9 (殉愛)
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、ダイヤの指輪のグレードアップをする。
2013.3.13 (殉愛)
ハワイから日本・大阪へ向かう。
[ハワイ-大阪]
2013.3.20 (殉愛)
読売テレビ・越智会長、山西局長と食事会。
(※詳細は殉愛の正体・読売テレビ会長と食事会)
2013.3.21 (殉愛)
たかじん「たかじん胸いっぱい」で復帰。さくらはスタジオ行きを希望したが、叶わず。
2013.3 (女性自身)
たかじんは母親をスタジオに招待していた。実現しなかったが、脳梗塞で大変だった母親を励ましたかったのでしょう。
2013.3.22 (殉愛)
「たかじんのそこまで言って委員会」収録。さくらはスタジオに呼ばれず。
収録後、たかじんは、カメラマンの梅田、藤田和也、富田龍一を連れて帰宅した。彼らはKマネの計らいでスタジオに招待されていた。
(※詳細は殉愛の正体・テレビ復帰の日)
2013.3.23 (殉愛)
「たかじんNOマネー」収録。帰宅したたかじんは、橋下徹大阪市長を連れていた。
相原、徳岡も合流した。
2013.4 (週刊ポスト)
週刊ポスト紙に、謎の「30才年下看病妻と婚約、復帰報告パーティ!!」の招待FAXが届く。
記者が「ご結婚おめでとうございます」と声をかけると、たかじんは怪訝な顔をした。
(※詳細はこちらで・やしきたかじん 婚約の真相は)
2013.4.21 (殉愛)
安全地帯コンサートに行くが、たかじんは「しんどい」と言い、途中で帰ってきた。
2013.4.21 (殉愛)
早朝、たかじんは胸の痛みで目を覚ます。伊丹空港から東京へ行き、三田病院で検査を受けた。
結果は再発。久保田医師は、抗がん剤治療と放射線治療を行うと言い、これが効いたとしても余命は半年から来年の夏ーー」と告げる。
たかじんとKがマンションに帰ったあと、さくらは一人で久保田と会った。「治療をしなければ、半年も持たないでしょう」と宣告された。
その夜、大阪に戻った。
[大阪-東京]
(※詳細は殉愛の正体・ガン再発)
2013.5.2 (殉愛)
たかじん、Uに連絡し「明日の収録は無理」と伝える。
2013.5.8 (殉愛)
PISがたかじん再休養発表。
たかじんマンションへ行く。お節料理と鯛の尾頭付きが用意されていた。鯛の目を見て「怖い」と言う。
2012.1.3 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫・イヴン、イタリアへ帰国。
※The Gaijin is back to Italy
2012.1.3 (殉愛)
たかじんのマンションへ行くと、友達が7人いた。酔いつぶれたたかじんの枕元に「二日酔いの薬」を置いて帰る。
2012.1.4 (殉愛)
お粥を買って夜9時にマンションへ行く。
2012.1.5 (殉愛)
足裏マッサージをする。マッサージ用オイルはあらかじめ持参していた。
2012.1.6 (殉愛)
足裏マッサージをして帰る。
2012.1.9 (殉愛)
たかじんがお好み焼きを作ってくれた。足裏マッサージをして帰る。
2012.1.11 (殉愛)
たかじんから「イタリアから日本に帰って来てくれへんか」と言われる。さくらは「イタリアと日本に暮らしながら結婚生活をするのも可能じゃないですか?」と答える。
たかじん「向かいのマンションに暮らすねん、あるいは、同じマンションの上と下とか」と言った。
足裏マッサージをして帰った。
2012.1.13 (殉愛)
たかじんのマンションで、300万円渡される。
2012.1.14 (殉愛)
さくら、イタリア行きのチケットの搭乗日変更をした。マンションを貸してくれている伯父に、「2月3日まで日本にいる」と連絡した。
2012.1.15 (殉愛)
たかじんは山王病院で人間ドックを受けるため、Kマネと東京へ向かう。
[大阪-東京]
2012.1.16 (殉愛)
たかじん「食道ガン」が見つかる。さくらはイタリア行きのチケットを縦に引き裂く。
2012.1.17 (殉愛)
帰阪したたかじんを新大阪駅まで迎えに行く。たかじんはKマネに、「さくらをマネージャーにするから、名刺を作れ」と言った。
[東京-大阪]
2012.1.18 (殉愛)
さくらは伯父から頼まれた通訳の仕事があって、たかじんのマンションに行けなかった。
父と兄に、イタリアには帰らないことにした、と伝える。
2012.1.19-20 (殉愛)
住民票や健康保険証等の必要な書類を揃えるために、役所を回る。
イタリアのネイルサロンはスタッフに電話して店をたたんだ。下宿先のママに暫く帰れないので、さーちやんの面倒を見てほしいと頼む。
2012.1.21 (殉愛)
たかじんと京都へ行く。こずこん、アクアマリン、ラボー。朝4時にマンションへ帰り、さくらはベット脇で眠った。初めて泊まった日となった。
2012.1.22 (殉愛)
たかじんは、ガンのことは家族には知らせないと言った。「娘にだけは知らせようと、大事な話があると電話したら、忙しいから行かれへんと言いよった。薄情な娘や」
足裏マッサージをして帰った。
2012.1.22(伊夫・イヴンtwitter)
長い間、妻と会話が無い。
奥さんと2日間しゃべってない、これまでで最長期間だ
2012.1.24 (殉愛)
ガンは悪性だったことが判明。
2012.1.25 (殉愛)
さくらにたかじんのマンションの鍵を渡す。
2012.1.26 (殉愛)
たかじんの番組収録見学の為、さくらが読売テレビに行く。その前に髪を短く切った。
2012.1.30 (殉愛)
医師説明を受けるため、東京三田病院へ行く。さくらとUがたかじんに同行した。診断はステージⅢだった。
たかじんは購入した東京のマンションの決済をする。
(※詳細は殉愛の正体・ステージⅢ)
[大阪-東京]
2012.1.31 (殉愛)
夜、たかじん休養が公表される。
2012.2.1 (殉愛)
たかじんに娘からメールが来た。「なんや食道ガンかいな、自業自得やな」
2012.2.1 (週刊朝日)
Hさんの携帯の記録によれば、この時にたかじん氏に送ったメールの文面は以下の通りだという。
「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。 ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」
2012.2.5 (殉愛)
三田病院に検査入院。久保田医師から抗がん剤治療をすすめられる。
2012.2.7
一旦、大阪に帰る。
[東京-大阪]
2012.2.12 (殉愛)
三田病院へ入院。さくらは東京のマンションに住む。抗がん剤治療は13日-17日まで。
[大阪-東京]
2012.2.23 (殉愛)
三田病院退院。東京のマンションで過ごす。
2012.2.26 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]
2012.2.28 (殉愛)
京都の酵素風呂に数日間通う。
2012.3.1(fridayさくら手記)
2012年3月1日にイタリア人の夫との離婚届が受理され、正式に離婚が成立しました。
2012.3.5 (殉愛)
東京三田病院へ検査入院、二回目の抗がん剤投与。
[大阪-東京]
2012.3.11 (殉愛)
このころから、たかじんが胸の痛みを訴える。さくら病院に泊まり込む。
2012.3.11 (都会っ子ブログ)
帰国予定日前に、父にガンが見つかった。
※当初帰国予定は1月下旬。
2012.3.14 (殉愛)
手術日が4月9日に決まる。退院し大阪に戻る。
[東京-大阪]
2012.3.15 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫、75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかなとつぶやく。
2012.3.20 (殉愛)
さくらの父から、「前立腺ガンが見つかった」と連絡が入る。
2012.3.24 (殉愛)
伯父から借りていたマンションから、たかじん自宅真向いのマンションに引っ越す。
派手な女とエレベーター前ですれ違い、「私、今、じんちゃんとやってきてん」と言われる。さくらは足裏マッサージをして帰った。
(※詳細は殉愛の正体・今、やってきてん)
2012.4.1 (殉愛)
東京へ行き三田病院で検査を受け、緊急入院する。カロリー輸血を行う。
[大阪-東京]
2012.4.9 (殉愛)
食道ガンの手術を行う。
(※詳細は殉愛の正体・手術の日)
2012.4.10 (殉愛)
痛み止めの麻薬で幻覚が起きる。
2012.4.11 (殉愛)
夜間譫妄も起き、ICUシンドロームの可能性があると診断される。
(※詳細は殉愛の正体・ICUシンドローム)
2012.4.15 (殉愛)
ICUから病室へ移る。
2012.4.19 (殉愛)
縫合不全と診断され、すぐに手術が行われる。手術中にさくらの妹から電話があり、父の手術日が4月23日に決まったと伝えられる。さくらは父に電話し、立ち会えないと伝える。
夜、たかじんが暴れ出したので、医師たちは縛るしかないと言ったが、さくらは私が見ますと言い、縛るのを辞めさせた。さくらはICUに泊まり込むことになった。
(※詳細は殉愛の正体・縫合不全再手術)
2012.4.22 (殉愛)
病院のプジ―購入資金提供を申し出るため、さくらは伯父に電話し一億円の借金を申し込む。二日後、小切手が届く。
(※詳細は殉愛の正体・プジ―)
2012.4.24 (殉愛)
さくらは一億円の小切手を見せ金に、三田病院にプジ―機器購入を迫る。病院側はお金は受け取れないと断る。
2012.5.1 (殉愛)
たかじん、プジ―治療を始める。
(※プジ―は三田病院が自己資金で購入)
2012.5.9 (殉愛)
病室へヘアーメイクアーチストの和野陽介を呼び、たかじんの髪を切ってもらう。
たかじんは、麻薬と睡眠薬の副作用で、手先が震え声が出にくくなっていた。
2012.5.25(殉愛)
さくらが異形狭心症と診断される。
東京マンダリンホテルで伯父と会い、一億円の小切手を返す。伯父は五千万円入りのバッグをさくらに渡し、「困った時に使え」と言った。
2012.6.5 (殉愛)
マックでフィレオフィッシュとチキンナゲットを買い、たかじんに食べさせる。
2012.6.9 (殉愛)
三田病院を退院し、東京・六本木のマンションに住む。
夜、娘からメールが届いた。「なんかわけのわからん韓国女に世話してもらっているらしいな。いざとなったら、私も出るとこ出るよ」
2012.7.6 (殉愛)
二人の写真が掲載されたFRIDAYが発売される。
(※詳細は殉愛の正体・一回目のフライデー)
2012.7.7 (殉愛)
札幌のマンションに移動する。
[東京-札幌]
2012.7.23 (殉愛)
大阪に戻る。
[札幌-大阪]
2012.7.24 (殉愛)
たかじんはさくら留守中に、マンションに女を呼んで金を渡す。さくらにバレる。
2012.7.下旬 (殉愛)
三田病院で抗がん剤治療の説明を受ける。
[大阪-東京]
2012.7.30 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]
2012.8.16 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与。
[札幌-東京]
2012.8月 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]
2012.9.5 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(2回目)。
[札幌-東京]
2012.9.9 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]
2012.9.19 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(3回目)。
Kより娘から預かった手紙を渡される。娘の恋人からのもので、「お嬢さんと結婚します」と書かれていた。同時に娘からは『結婚祝いをして」と言われている。たかじんは不快感を隠さなかった。「一度も見舞いに来んと、・・・・・これからは旦那に養ってもらえ」
[札幌-東京]
(※詳細は殉愛の正体・長女からの手紙)
[東京-札幌]
2012.9.27 (殉愛)
JR札幌病院で腸閉塞と診断される。4回目の抗がん剤治療をキャンセルした。
2012.10.5(殉愛)
たかじん63回目の誕生日。フェースブック事件が起き、「変革の誕生日」がアップされる。
(※詳細は殉愛の正体・フエースブック事件)
2012.10.24 (殉愛)
イタリアに預けていた「さーちゃん」がガンにかかる。
2012.11.12 (殉愛)
札幌駅地下街で「海賊と呼ばれた男」を購入。
2012.11.16 (殉愛)
東京でPET検査を受ける。異常なし。
タカじんメモ「死ぬ前にさくらとやりたい。そのまま腹上死もええ、たかじんウケるで、ハワイで何とかする!勝負や!!」
[札幌-東京]
2012.11.20 (殉愛)
羽田空港からハワイ到着。
さくらはソファで寝る。
[東京-ハワイ]
2012.11.29 (殉愛)
さーちゃん、死亡。イタリアのママは「今、一緒にいる彼を大切にして」と言った。
2012.12.12 (殉愛)
さくら、手を切る。(※詳細は殉愛の正体・さくらの怪我)
2012.12.20 (殉愛)
三浦とゴルフに出掛ける。
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、「梅干し大のダイヤの指輪」を買う。数百万円をキャッシュで払った。たかじんからさくらへの婚約指輪と書かれている。
2012.12.24 (殉愛)
たかじん、さくらに指輪を渡す。
2012.12.25 (殉愛)
ハワイへ、相原康司、山田晃、松本哲郎が来た。三浦夫妻を加えてクリスマス・パーティーを開く。
席上、相原がたかじんの復帰を打診する。
2012.12.31 (殉愛)
カウントダウンパーティに参加、新しい服を買い、カメラマンの梅田にツーショット写真を写して貰う。
2013.1.15 (殉愛)
ハワイへ、読売テレビ・山西敏之、エックスⅠの日置圭信、橘庸介が来た。復帰に向けての話題とKマネの誹謗中傷話しが有った。
2013.1.19 (殉愛)
エックスⅠの長谷川社長がハワイへ来た。たかじんの体重は61キロまで回復し、復帰を前倒ししようかと考え始める。
2013.1.30 (殉愛)
相原康司 と井関猛親がハワイへ来た。井関はさくらに、「たかじんのお世話をしてくれてありがとう」と頭を下げた。
井関は2011年春に、胸が痛いと言うたかじんに、大阪市内の総合病院を紹介している。そこで突発性狭心症と診断されており、これは誤診だった。
この時の話し合いで、三月末のたかじん復帰が決まった。
2013.2.17 (殉愛)
復帰前健診のため、一時帰国。
[ハワイ-東京]
2013.2.18 (殉愛)
三田病院でPET検査。何ヶ所か光る部分が有ったが、マーカー値に異常がなかったため、炎症痕とだろうと診断され、復帰がほぼ決まった。
2013.2.19 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]
2013.2.21 (殉愛)
たかじんは相原と新地へ飲みに行く。たかじんが忘れた電話が鳴った。さくらが出ると女の声で言った。「明日、パンツ穿いていかへんから楽しみにしといてや」
2013.2.22 (殉愛)
さくらは電話の女と会いたくないと思い、街を歩いた。「私はいつか捨てられるかもしれない」と思った。
さくらが部屋に戻るとたかじんは「金だけ渡した」と言った。さくらはたかじんの二つの携帯と記録用の携帯に登録された女のアドレスと番号を削除した。「早よ、ださんかい」と怒声をあげたのは、この時のことだ。 (※詳細は殉愛の正体・早よ、出さんかい)
2013.2.24 (殉愛)
二人は再びハワイへ向かう。
[大阪-ハワイ]
2013.2.26 (殉愛)
二人で行ったゴルフ場で、島田紳助に会う。
2013.3.7 (殉愛)
テレビ大阪・田中威士と徳岡敦朗がハワイに来る。
2013.3.8 (殉愛)
ダイヤモンドヘッドが見える墓地を購入。
2013.3.9 (殉愛)
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、ダイヤの指輪のグレードアップをする。
2013.3.13 (殉愛)
ハワイから日本・大阪へ向かう。
[ハワイ-大阪]
2013.3.20 (殉愛)
読売テレビ・越智会長、山西局長と食事会。
(※詳細は殉愛の正体・読売テレビ会長と食事会)
2013.3.21 (殉愛)
たかじん「たかじん胸いっぱい」で復帰。さくらはスタジオ行きを希望したが、叶わず。
2013.3 (女性自身)
たかじんは母親をスタジオに招待していた。実現しなかったが、脳梗塞で大変だった母親を励ましたかったのでしょう。
2013.3.22 (殉愛)
「たかじんのそこまで言って委員会」収録。さくらはスタジオに呼ばれず。
収録後、たかじんは、カメラマンの梅田、藤田和也、富田龍一を連れて帰宅した。彼らはKマネの計らいでスタジオに招待されていた。
(※詳細は殉愛の正体・テレビ復帰の日)
2013.3.23 (殉愛)
「たかじんNOマネー」収録。帰宅したたかじんは、橋下徹大阪市長を連れていた。
相原、徳岡も合流した。
2013.4 (週刊ポスト)
週刊ポスト紙に、謎の「30才年下看病妻と婚約、復帰報告パーティ!!」の招待FAXが届く。
記者が「ご結婚おめでとうございます」と声をかけると、たかじんは怪訝な顔をした。
(※詳細はこちらで・やしきたかじん 婚約の真相は)
2013.4.21 (殉愛)
安全地帯コンサートに行くが、たかじんは「しんどい」と言い、途中で帰ってきた。
2013.4.21 (殉愛)
早朝、たかじんは胸の痛みで目を覚ます。伊丹空港から東京へ行き、三田病院で検査を受けた。
結果は再発。久保田医師は、抗がん剤治療と放射線治療を行うと言い、これが効いたとしても余命は半年から来年の夏ーー」と告げる。
たかじんとKがマンションに帰ったあと、さくらは一人で久保田と会った。「治療をしなければ、半年も持たないでしょう」と宣告された。
その夜、大阪に戻った。
[大阪-東京]
(※詳細は殉愛の正体・ガン再発)
2013.5.2 (殉愛)
たかじん、Uに連絡し「明日の収録は無理」と伝える。
2013.5.8 (殉愛)
PISがたかじん再休養発表。
27
★東大病院
5月10日、三田病院で放射線治療の説明を受けるが、若い医師の説明が事務的である事に不満を持ち久保田医師に電話をするが、同僚をかばうような言い方に不満が増幅する。
さくらは本で調べた東京大学医学部付属病院放射線科准教授に電話を入れた。中川に事情説明し話していると、久保田医師とは以前同僚だったことが判り、「これも何かの縁です、月曜日にカルテを持ってきてください」と言った。
さくらがCD-LOMを持参して事情説明し、「林一」は偽名で本名はやしきたかじんだと告げると、中川は名前だけは知っていた。「本来は東大病院で手術した患者以外は受け付けないのですが、明日、本人を連れてきてください」と言った。
5月14日、三田病院で2回目の通院放射線治療を終え、東大病院へ向かった。中川は病院の枠を越えて自分が担当すると話し、余命を聞いたたかじんに、「この病気は厳しいです。データで言えば短くて半年、長くて二年、治療は早ければ早い方がいい」と言った。
5月19日から中川医師が監修した治療計画を基に三田病院で放射線治療を再開したが、さくらは三田病院の放射線機械に不満だった。患部に一定方向から一定時間放射線を当てる方式の物だからだ。最新式のものは180度回転してピンポイントで患部を照射するので、他臓器の被曝が減少する。
5月24日、さくらはその機械を持つ大阪府立成人病センターへ行き説明を受けるが、そこは個室の用意が出来ないと言われた。担当した西山医師がX病院なら同じ機械があり、大きな病院なのでプライバシーが守られると紹介してくれた。西山医師がX病院に同行して治療計画を立て直してもらってくれた。翌週からの入院を決め、三田病院久保田医師と東大病院中川医師に断わりを入れた。
★転々とする病院
最終的にX病院で放射線治療を受けるまでに四病院が関わっている。たかじんは歌手・タレントであり喉は大事な商売道具、患部周囲への悪影響が少ないピンポイント照射式機械を選ぶのは必然と言える。
殉愛によると三田病院で治療を始める前から機械に対する不安を抱いていたとある。それなら最初から新式機械を備えた病院を選ぶのが賢明な方法と言える。東大病院では神戸出身の医師に、大阪府立成人病センターでは多くのスタッフに、林一がたかじんであることが知られており、さくらが言う病気の実態を知られたくない考えに逆行しているのだ。
東大病院中川医師の配慮を簡単に裏切ることも無く済んだだろうし、正常に説明した三田病院の若い医師へのお門違いな苦情も発生しなかった。
この間、たかじんは東京-大阪間を二度往復することになり、体力を落としているたかじんにとって負担が増したであろう。後述するがFridayされる事にもつながる。
さくらは自身の奮闘ぶりをアピールしたいのだろうが、第三者の見地から言うと「思慮が浅い行動」と思える。
5月27日、X病院へ入院する日である。そしてさくら31才の誕生日でもあった。
【引用: 純愛 287-289P】
明け方の四時、さくらがキッチンで朝食の支度をしていると、たかじんが目を真っ赤にしてやってきた。泣いたあとだというのすぐにわかった。彼はさくらに一枚の紙を手渡した。B6サイズのメモ帳を破って書いた手紙だった。
文字は涙で滲んでいた。そこにこう書かれていた。
何万語、何億語、
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をほく以上に
のり越えてくれて、
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura Love (原文ママ)
▼このメモは「偲ぶ会」さくらの挨拶の中で読み上げられた。
★5月16日、大阪へ荷物を取りに帰る際、品川駅新幹線ホームでFriday記者に写真を撮られている。さくらは誰かがリークしたと思っている。後に続く名前は"K"とでも言いたげだが、自分は違うと睨んでいる、もっとさくらに近い人達でないのか?
★5月19日、大阪から東京へ戻る機内で偶然に鶴瓶と会う。心配してたと言う鶴瓶にたかじんは「なんとか生きてるわ」と答え、昔話しを懐かしんだ。最期の鶴瓶との時間だった。
【引用: 純愛 284P】
鶴瓶はさくらを見て不思議そうな顔をした。
「前に会いましたよね。覚えてります?」
「初めてお目にかかると思います」
「そうやったかな、すんません」
鶴瓶は笑った。
「奥さん、こいつむちゃくちゃやけど、ええ奴なんや。たかじんを頼んます」
「はい」
「何かあったら、いつでも電話してや」
二人は電話番号を交換した。
5月10日、三田病院で放射線治療の説明を受けるが、若い医師の説明が事務的である事に不満を持ち久保田医師に電話をするが、同僚をかばうような言い方に不満が増幅する。
さくらは本で調べた東京大学医学部付属病院放射線科准教授に電話を入れた。中川に事情説明し話していると、久保田医師とは以前同僚だったことが判り、「これも何かの縁です、月曜日にカルテを持ってきてください」と言った。
さくらがCD-LOMを持参して事情説明し、「林一」は偽名で本名はやしきたかじんだと告げると、中川は名前だけは知っていた。「本来は東大病院で手術した患者以外は受け付けないのですが、明日、本人を連れてきてください」と言った。
5月14日、三田病院で2回目の通院放射線治療を終え、東大病院へ向かった。中川は病院の枠を越えて自分が担当すると話し、余命を聞いたたかじんに、「この病気は厳しいです。データで言えば短くて半年、長くて二年、治療は早ければ早い方がいい」と言った。
5月19日から中川医師が監修した治療計画を基に三田病院で放射線治療を再開したが、さくらは三田病院の放射線機械に不満だった。患部に一定方向から一定時間放射線を当てる方式の物だからだ。最新式のものは180度回転してピンポイントで患部を照射するので、他臓器の被曝が減少する。
5月24日、さくらはその機械を持つ大阪府立成人病センターへ行き説明を受けるが、そこは個室の用意が出来ないと言われた。担当した西山医師がX病院なら同じ機械があり、大きな病院なのでプライバシーが守られると紹介してくれた。西山医師がX病院に同行して治療計画を立て直してもらってくれた。翌週からの入院を決め、三田病院久保田医師と東大病院中川医師に断わりを入れた。
★転々とする病院
最終的にX病院で放射線治療を受けるまでに四病院が関わっている。たかじんは歌手・タレントであり喉は大事な商売道具、患部周囲への悪影響が少ないピンポイント照射式機械を選ぶのは必然と言える。
殉愛によると三田病院で治療を始める前から機械に対する不安を抱いていたとある。それなら最初から新式機械を備えた病院を選ぶのが賢明な方法と言える。東大病院では神戸出身の医師に、大阪府立成人病センターでは多くのスタッフに、林一がたかじんであることが知られており、さくらが言う病気の実態を知られたくない考えに逆行しているのだ。
東大病院中川医師の配慮を簡単に裏切ることも無く済んだだろうし、正常に説明した三田病院の若い医師へのお門違いな苦情も発生しなかった。
この間、たかじんは東京-大阪間を二度往復することになり、体力を落としているたかじんにとって負担が増したであろう。後述するがFridayされる事にもつながる。
さくらは自身の奮闘ぶりをアピールしたいのだろうが、第三者の見地から言うと「思慮が浅い行動」と思える。
5月27日、X病院へ入院する日である。そしてさくら31才の誕生日でもあった。
【引用: 純愛 287-289P】
明け方の四時、さくらがキッチンで朝食の支度をしていると、たかじんが目を真っ赤にしてやってきた。泣いたあとだというのすぐにわかった。彼はさくらに一枚の紙を手渡した。B6サイズのメモ帳を破って書いた手紙だった。
文字は涙で滲んでいた。そこにこう書かれていた。
何万語、何億語、
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をほく以上に
のり越えてくれて、
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura Love (原文ママ)
▼このメモは「偲ぶ会」さくらの挨拶の中で読み上げられた。
★5月16日、大阪へ荷物を取りに帰る際、品川駅新幹線ホームでFriday記者に写真を撮られている。さくらは誰かがリークしたと思っている。後に続く名前は"K"とでも言いたげだが、自分は違うと睨んでいる、もっとさくらに近い人達でないのか?
★5月19日、大阪から東京へ戻る機内で偶然に鶴瓶と会う。心配してたと言う鶴瓶にたかじんは「なんとか生きてるわ」と答え、昔話しを懐かしんだ。最期の鶴瓶との時間だった。
【引用: 純愛 284P】
鶴瓶はさくらを見て不思議そうな顔をした。
「前に会いましたよね。覚えてります?」
「初めてお目にかかると思います」
「そうやったかな、すんません」
鶴瓶は笑った。
「奥さん、こいつむちゃくちゃやけど、ええ奴なんや。たかじんを頼んます」
「はい」
「何かあったら、いつでも電話してや」
二人は電話番号を交換した。
26
★長くなかった復帰
4月21日、安全地帯のコンサートに行くが、「しんどい」と言い出しコンサートを途中退席した。4月25日、「胸いっぱい」の収録から帰ったたかじんは胸の痛みを訴え、翌日の「そこまで言って委員会」の収録から帰った時も不調を訴えた。三田病院の久保田医師に連絡すると「心筋梗塞か狭心症かもしれない」と言われ薬を服用するが一向に治まらなかった。4月30日、検査の為たかじんとさくら、Kマネは東京の三田病院へ向かった。
【引用:純愛 268P】
検査室から久保田医師が出てきた。彼の深刻な表情を見て、さくらは事態が容易でないことを悟った。久保田は自分の胸のあたりを指差しながら言った。
「気管支の近辺に三つ再発しています」
「再発って何すか!」
Kが食ってかかるように言った。
「治療はできるんですか?」とさくら訊いた。
「抗がん剤治療と放射線治療を行います」
(中略)
彼の余命はどれくらいありますか?」
「余命というのはあってないようなものです。五年以内に再発すると、あとは放射線治療と抗がん剤治療しかありません。これが効いたとしてしても、半年から、よくて来年の夏・・・」
(中略)
まもなく久保田医師が部屋に入ってきた。
「林さん、検査をしてみたら、腫瘍ができていました」
たかじんの顔色が変わった。
その後、三人はマンションに戻ったが、今後の治療について話をするため、さくらが病院へ行き久保田医師と会う。
「治療をしなければ、半年も持たないでしょう」
「治療をして二年生きられたケースもまれにあります。治療をしても効果が出なければ、生きられるのは、あと半年くらいでしょう」と余命宣告を受ける。
さくらは涙でぐしゃぐしゃになつた顔で言った。「抗がん剤治療は意味なかったんですね!」久保田医師は黙ってうつむいていた。
具体的な治療は週明けになるとの説明を受け、痛みを押さえる麻薬を受け取ってマンションに戻り、その日の夕方、新幹線で大阪に戻った。
余命宣告は本人が望まない場合は別だが、以後の治療を効果的にするために宣告するのがマターとなっている。自分の場合もセカンドオピニオンを受けた大学病院で、抗癌剤治療しか出来ないが余命を言いますかと訊ねられた。手術でしか完治は望めないと判断していたので、それが出来ない病院で宣告を受けるつもりはなかったので断ったが、もう一つの本心を言うと、医師の言い方が弄んでいるように感じたからだ。しかし、主治医から半年を宣告されたのをきっかけとして東京の名医と巡り合え、今、こうして健康な毎日を過ごすことが出来ている。完治した今となっては、なんと卑屈になっていたものかと思うが。
たかじんの場合も、本人なり親族や側近が余命半年を知っていたなら、違った治療方針を選択し寿命が延びた可能性が有り得たと思う。そうしなかったさくらの選択ミスは罪深い。また、妻でもない者だけに宣告した久保田医師と、正確な家族関係確認を行わなかったと見られる三田病院の管理体制は批判されて然るべきである。
★PET
実は2月のPET検査で小さく光った部分があったが、腫瘍マーカーが正常値のため問題なしと診断されていた。さくらはもしかしたら小さな再発部分があったのでないかと疑っている。
自分の経験で言うと、「腫瘍マーカーに表れないガンもあるので、PET検査等は慎重を期す」と担当医から言われている。たかじんのケースは小さく光るものが検出されたにもかかわらず、何故精密検査を実施しなかったのか疑問が残る。
抗がん剤については投与日数とサイクルからの想像として、シスプラチン、或いはフルオロウラ汁シルとの併用でないかと思われる。これは食道ガンに用いられる最も効果が高い標準抗がん剤である。 (食道ガン治療)
★告知
2013年5月8日、たかじんの事務所P、I、S名で、体調不良により今後の活動は未定と告知を行った。
所属事務所は「主治医による検査診断の結果、疲労による食欲不振や睡眠不足などから起こる体力の低下がみられ、しばらくの間休養を要するとの指示が出ました。苦渋の選択ではありましたが、本人も今は大事をとって休養に専念する所存でおります」と報告。今後については「主治医とも相談しながら改めてご報告させていただきます」として、復帰時期は未定という。 (当時のニコニコニュース)
4月21日、安全地帯のコンサートに行くが、「しんどい」と言い出しコンサートを途中退席した。4月25日、「胸いっぱい」の収録から帰ったたかじんは胸の痛みを訴え、翌日の「そこまで言って委員会」の収録から帰った時も不調を訴えた。三田病院の久保田医師に連絡すると「心筋梗塞か狭心症かもしれない」と言われ薬を服用するが一向に治まらなかった。4月30日、検査の為たかじんとさくら、Kマネは東京の三田病院へ向かった。
【引用:純愛 268P】
検査室から久保田医師が出てきた。彼の深刻な表情を見て、さくらは事態が容易でないことを悟った。久保田は自分の胸のあたりを指差しながら言った。
「気管支の近辺に三つ再発しています」
「再発って何すか!」
Kが食ってかかるように言った。
「治療はできるんですか?」とさくら訊いた。
「抗がん剤治療と放射線治療を行います」
(中略)
彼の余命はどれくらいありますか?」
「余命というのはあってないようなものです。五年以内に再発すると、あとは放射線治療と抗がん剤治療しかありません。これが効いたとしてしても、半年から、よくて来年の夏・・・」
(中略)
まもなく久保田医師が部屋に入ってきた。
「林さん、検査をしてみたら、腫瘍ができていました」
たかじんの顔色が変わった。
その後、三人はマンションに戻ったが、今後の治療について話をするため、さくらが病院へ行き久保田医師と会う。
「治療をしなければ、半年も持たないでしょう」
「治療をして二年生きられたケースもまれにあります。治療をしても効果が出なければ、生きられるのは、あと半年くらいでしょう」と余命宣告を受ける。
さくらは涙でぐしゃぐしゃになつた顔で言った。「抗がん剤治療は意味なかったんですね!」久保田医師は黙ってうつむいていた。
具体的な治療は週明けになるとの説明を受け、痛みを押さえる麻薬を受け取ってマンションに戻り、その日の夕方、新幹線で大阪に戻った。
余命宣告は本人が望まない場合は別だが、以後の治療を効果的にするために宣告するのがマターとなっている。自分の場合もセカンドオピニオンを受けた大学病院で、抗癌剤治療しか出来ないが余命を言いますかと訊ねられた。手術でしか完治は望めないと判断していたので、それが出来ない病院で宣告を受けるつもりはなかったので断ったが、もう一つの本心を言うと、医師の言い方が弄んでいるように感じたからだ。しかし、主治医から半年を宣告されたのをきっかけとして東京の名医と巡り合え、今、こうして健康な毎日を過ごすことが出来ている。完治した今となっては、なんと卑屈になっていたものかと思うが。
たかじんの場合も、本人なり親族や側近が余命半年を知っていたなら、違った治療方針を選択し寿命が延びた可能性が有り得たと思う。そうしなかったさくらの選択ミスは罪深い。また、妻でもない者だけに宣告した久保田医師と、正確な家族関係確認を行わなかったと見られる三田病院の管理体制は批判されて然るべきである。
★PET
実は2月のPET検査で小さく光った部分があったが、腫瘍マーカーが正常値のため問題なしと診断されていた。さくらはもしかしたら小さな再発部分があったのでないかと疑っている。
自分の経験で言うと、「腫瘍マーカーに表れないガンもあるので、PET検査等は慎重を期す」と担当医から言われている。たかじんのケースは小さく光るものが検出されたにもかかわらず、何故精密検査を実施しなかったのか疑問が残る。
抗がん剤については投与日数とサイクルからの想像として、シスプラチン、或いはフルオロウラ汁シルとの併用でないかと思われる。これは食道ガンに用いられる最も効果が高い標準抗がん剤である。 (食道ガン治療)
★告知
2013年5月8日、たかじんの事務所P、I、S名で、体調不良により今後の活動は未定と告知を行った。
所属事務所は「主治医による検査診断の結果、疲労による食欲不振や睡眠不足などから起こる体力の低下がみられ、しばらくの間休養を要するとの指示が出ました。苦渋の選択ではありましたが、本人も今は大事をとって休養に専念する所存でおります」と報告。今後については「主治医とも相談しながら改めてご報告させていただきます」として、復帰時期は未定という。 (当時のニコニコニュース)
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