免疫療法

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

キーワードで見る空間模様 浮気相手を殺す

たかじんが逝去する3ヶ月前から、さくらはたかじんの妻であったが、「殉愛」でいうところの誰も知らなかった741日間において、たかじんとさくらのポジショニングはどうだったのだろうか。

★2013.4.9  一人やったら無理だった

最初の手術からちょうど一年が過ぎた。


【引用 :殉愛262P】
「生きて家に帰れるとは思わへんかった。復帰できるとは思わへんかった。ハワイに行けるとは思わへんかった。ゴルフが出来るとは思わへんかった。ワインが飲めるとは思わへんかった」
「ハニーが頑張ったからよ」
「いや、違う。 「全部ハニーがおったからや。一人やったら無理やった」
たかじんはそう言って泣いた。さくらも思わず涙がこぼれた。今日まで頑張って来てよかったと心から思った。

・・・「私がいたからでしょ? じんちゃん一人では何も出来ないのよ。お家に帰る事も、テレビ復帰も、ハワイへ行くことも、ワインを飲むことも、全部私のおかげよ。早く、籍入れてよ」 だったとしても不思議ではない。

★2013.4.30 再発

胸の痛みが数日続き、上京して三田病院で検査を受ける。久保田から宣告されたのはガンの再発。
何もしないと半年持たない、治療をしても効果が出ないと半年の余命と宣告される。これはさくらが一人で聞いた話だ。
帰りの新幹線で、たかじんはさくらの手を握った。

【引用 :殉愛271P】
「ごめんやで」とたかじんは言った。「ハニーが一生懸命やってくれたのに、再発してしもて・・・ほんまにごめん」
「ごめんは、ないよ」
「いや、ごめんや。お父さんに挨拶もしてへんのに・・・」
「そんなこといいから、今までだってダメと言われて何回も乗り越えて来たんだから、再発も乗り越えよう。逆転ホームラン打つんでしょ」
彼は泣くのを必死でこらえながら、「うん、うん」とうなずいた。さくらも懸命にこらえた。ここで自分が涙をこぼしたら、彼はきっと耐えられない・・・。
「ハニーはつよいなあ」彼は笑って言った。「たのもしいわ」
「少し休んだら」
「うんねんねするわ

・・・さくらがたかじんに最期に話しかけた「ねんねしようか」とリンクする「ねんね」の言葉。再発を言い渡された日に発された言葉として、死との直結を暗示しているようで怖い。

★2013.5.1 久保田先生


【引用 :殉愛271P】
たかじんは胸いっぱいの収録に行った。
さくらは看病日記にこう書いている。
「ハニーがいなければ生きていけない。やれることは何でもやって、少しでも、一日でも多く、笑顔の日を作ってあげたい。久保田先生と協力して早くやる

・・・さくらはこの段階で、殉愛の中で事実なら問題となる記述をされながら口を閉ざす久保田医師に、たかじんを最後まで委ねる決意をしたと思われる。

★2013.5.27 何万語、何億語

さくらの誕生後の朝、たかじんは目を真っ赤にしてさくらに手紙を渡した。メモ帳を破って書かれたそれは涙で滲んでいた。

【引用 :殉愛288P】
何万語、何億語
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をぼく以上に
のり超えてくれて
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura
Love       (原文ママ)


★2013.6月 赤ちゃんことば

抗がん剤の副作用でたかじの生活リズムは昼夜逆転し、さくらは殆ど眠る時間が無くなった。食事の時も、さくらがスプーンで食べさせた。


【引用 :殉愛294P】
「よーくモグモグしてね !」と言うと、彼は「はーい」と答えるのだが、口を開けた拍子に中のものが全部出てしまうこともあった。すると彼はそれを面白がり、何度も口に入れてはそれを出して遊んだ。
「ごはんで遊んだらダメよ」と叱ると、今度は震える手で、おかずを掴んでさくらの口に持ってきて、「ハニーも、アーン」と言った。さくらがそれを食べて「美味しいね」と言うと、たかじんは喜んだ。さくらにはその顔がかわいくて愛おしかった。

・・・たかじんのこれらの幼児性行動が仮に事実だとしても、真に愛情を持っている妻なら、世に知られることを望まないだろう。このエピソードだけで、自分には「仮面夫婦」だったとしか思えない。鬼籍に入ったたかじんが知る由もないが、血肉を分けた長女や親族の無念さはいかばかりであろうか。

★2013.7 さくらに捨てられる

【引用 :殉愛304P】
頭が完全に正常に戻ったとき、たかじんは「ずっと さくらに捨てられると思って不安だった」と打ち明けた。彼は仕事に復帰してからわずか一ヶ月で休養したことで、自分を「役立たず」と思い込んでいたのだ。その不安も神経症になった原因の一つだった。

・・・この時期はまだ、たかじんが前妻に最期まで看取ってほしいと連絡を取り合っていた頃だ。捨てられると思っていたのは、むしろさくらの方だったのてはないのか。この後の、親族・知人等との隔離工作が激しくなる。

★2013.8 ストレス


【引用 :殉愛308P】
札幌での生活を始めた途端、たかじんの食欲不振は消えた。やはり、大阪にいることがストレスだったのだ。たかじん自身も「大阪にいると、患者になり切れない」と言った。

★2013.8.8 約束

【引用 :殉愛308P】
八日、点滴のために鶴間医師と横内看護師がマンションに来てくれた。点滴している最中に、たかじんがふと言った。
「実は、今日は式を挙げる予定やったんや」
鶴間と横内は驚いた。
「お二人はまだ結婚してなかったんですか」
たかじんは少し悲しそうな顔でうなずいた。
「復帰したら、八月八日に結婚しようと言ってたんやけど、こんな状態ではでけへん」
その約束を覚えていてくれただけで、さくらは嬉しかった。

・・・手術まで受けたJR札幌病院の担当医師と看護師が、まだ婚姻関係に無かったことを知らないのは不自然だ。たかじんが最終的に入籍を決断したのは、ガンが移ってさくらが乳がんとなったことが最大の理由だと話している。殉愛の真実によると丁度この時期のことなので、たかじんが入籍するかどうかを思案していた頃と思われる。

★2013.8.23 結婚したい


【引用 :殉愛311P】
免疫細胞療法を瀬田クリニックで受ける事が決まった。
その夜、彼はさくらに言った。
「前に完全復帰したら結婚しようと言うてたけど、もしかしたら、もう復帰でけへんかもしらん」
「大丈夫、必ず復帰できるよ」
彼は首を振った。
「もちろん、そのために頑張る。でも、その日を待たずに、さくらと結婚したい
さくらは突然のことに驚いた。これまでのプロポーズはすべて復帰を前提としたものだった。しかし、今回は違う。それだけに彼の本気が伝わってきた。
「ハニーはそれでいいの?」
「うん」
「私、左耳が聞こえないんだよ」
「ぼくがハニーの耳になると言ったやんか」
たかじんはそう言ってさくらを抱きしめた。さくらは彼に抱きしめられながら、涙を流した。彼も泣いていた。

・・・たかじんが最期まで面倒を見てほしいと懇願していた前妻と、音信が途絶えたのがこの時期とされている。何故か、たかじんの携帯に登録されていた前妻の電話番号が、090から080に変更されていたことが、たかじん逝去後に明らかになった背景がある。
たかじんがさくらを選んだというよりは、前妻を諦めた時期だと思われる


★2013.10.1 十月十日


【引用 :殉愛322P】
たかじんは十月十日に入籍しようと言った。以前は八月八日に結婚式を挙げようと言っていたが、その八に二人の二を加えたら「十」になるからというのが、彼の理屈だった。
「取りあえずは十日に入籍や。せんで、この調子で年明けにみんな呼んで、ハワイで大々的に結婚式をやる」
たかじんは嬉しそうに言った。

・・・十月十日への拘りで思い出すのが、さくらがイタリア人夫イヴァンとの結婚式を10月10日と切望していたが、教会行事の都合で9月にしたことが、さくらの都会っ子ブログに記されている。何の理由が有るのか不明だが、十月十日入籍はさくらの希望だった気がするのだが。8月8日に二人の2を足したら10になる理屈も説得力に欠ける。

★2013.10.5 「SAKUJIN」

たかじん誕生日のこの日、さくらが相原や山西達と内緒で誕生会を企画していた。参加者は袖に「SAKUJIN」の文字が入ったピンクのポロシャツを着ていた。


【引用 :殉愛325P】
店に向かうタクシーの中で、彼は「誰が来るん?」と訊いた。さくらは「相原さんとか五人くらいに連絡した」と答えた。
「五人くらいやったら、マンションに来てもらった方がよかったなぁ」
南堀江の「サロン105」に着いたのは午後五時すぎだった。
たかじんがドアを開けると、中にいた二十人ほどの男女が一斉に拍手で迎えた。彼は驚いてさくらの方を振り返った。さくらはいたずらっぽく笑った。

・・・殉愛ではこの後に、誕生会に参加していた遥洋子がさくらを褒めそやす言葉が10行に渡って書かれている。遥陽子は参加者の中でタレントとして、つまり映像に映る側として参加している唯一の人物という不思議な設定となっている。
一方で、さくらはたかじんが闘病中の姿を見せたくないと言っているとして、第三者はおろか親族との面会さえ断った理由としているが、外出を嫌がるたかじんにウソを言ってまで連れ出したのは、辻褄が合わなく配慮が足りない話しである。この会の為に用意して参加者に配布した、「SAKUJIN」ロゴ入りのピンクポロシャツが物語る真意は、2日前に婚姻届保証人として相原に捺印させ、5日後に札幌で入籍したことと照らし合わせ、妻の座をを知らしめたいさくらの願望だったと見て間違いないだろう。

★201310.10 入籍

【引用 :殉愛329P】
二人きりになると、本当にこの人と結婚したんだという実感が湧いてきた。まさか自分が結婚するとは思ってもいなかった。しかもその相手がやしきたかじんだとは・・・。彼の命がいつまで続くかはわからないが、残された日々は、彼の妻として精一杯のことをしよう。
「結婚式はハワイでやろう」
たかじんが提案した。
「毎年、皆、ハワイに来てくれるから、この前パーティーに来てくれたメンバーを呼ぶ」
彼は早速、来年二千十四(平成二十六)年、一月八日のハワイ行きのチケットを予約した。

・・・これまでに明らかになっているさくらの結婚歴は、たかじんで四人目であり、まさか自分が結婚するとは・・・のセリフは成り立たない。まして、相手がやしきたかじんとは・・・との感慨も白々しく響くだけだ。たかじんと知り合った当時、睦まじい姿をブログにアップしていたイタリア人男性との結婚生活を破棄(国内手続き上は)し、たかじんに乗り換えて結婚にまで持ち込んだのは、どちらのどなたさんだったのか。しかも、たかじんが結婚を決断した理由は、たかじんを看病していて乳がんとなったとの、さくらのウソで追い込まれた結果のことだ。
2014年1月、たかじんがハワイで静養する計画を持っていたのは事実のようだ。芸能レポーターの井上公造とハワイ在住の友人が証言している。しかし、結婚式にまつわる話は誰も証言していない。

★2013.10.21 夫婦として貯金

たかじんが気に入ったウブロ製の時計を購入した。

【引用 :殉愛331P】
さくらが値段を訊くと、八百八十万円だった。あまりの高額に驚いたが、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。


・・・入籍約十日後に、夫婦として二年間貯金した・・・自分なら、このような厚かましい女は嫌だ。さくらはたかじんと出会って間もなくの頃から、このような接し方をして来たのだろう。たかじんがKマネに話した、「表に出せない女」の言葉がよく理解できる。

★2013.11.27 うっとうしい

たかじんの体調が悪化、悪寒、吐き気、食欲不振に見舞われていた。

【引用 :殉愛337P】
「病院へ行っても、全然ようならへん」
「そんなことないよ。久保田先生に診てもらおう」
「ぼくがやかましくてうっとうしいから、病院へ連れていきたいのか!」
たかじんは怒鳴るように言った。
「ぼくはさくらに聞いてほしいから言ってるだけや。病院に行きたいなんて言うてん!」
さくらはショックを受けた。これまでにも八つ当たりすることはあったが、こんなにきつい言い方は初めてだった。

・・・さくらと相原に、オーバートークで勧められた免疫細胞療法の効果がなく、悪化する一方の体調にイラつき、抗がん剤治療を止めさせたさくらの意図を疑い出し、きつい言い方をしたのかも知れない

★2013.12.23 余命1.2ケ月

この日は東京の聖路加国際病院で、腹膜播種であると久保田医師の診断を受けた。余命は1.2ケ月とのことだ。

【引用 :殉愛359P】
「さくら」
とたかじんは声をかけた。
「嫌になったら捨ててもええよ
「ずっと一緒にいるよ。夫婦なんだから」
さくらがそう答えると、彼はこの日初めてにっこりと笑った。


★2013.12.25 浮気相手を殺す

【引用 :殉愛362P】
「いろんな経験をしてきたけど。死ぬのは経験したことないやん」
「そうだね」
「せやからどんなんかわからへんねんけど、墓にはおらんと思う。あそこには骨があるだけや」
「じゃあ、どこにいるの」
「さくらのそばにおると思うんや。だから、大丈夫。いつも見てる」
「いつも見てるということは、お風呂も見てるの?」
「それはマナー違反やから、覗かん」
さくらが笑うのを見て、たかじんも笑顔になった。
「でも、さくらが浮気したら、相手を呪い殺す」
「男の人を殺すの?さくらじゃなくて」
「さくらは殺さない。浮気相手を殺す。せやから、さくらに近づいた男は必ず死ぬんや。そしてその現場にはいつもサングラスが落ちてる」
「何、それ?」
二人とも笑った。

・・・この日は、たかじんがKマネを東京のマンションに呼び、遺言書作成の打ち合わせをした日である。Kマネにはさくらのことを「金で黙らせる」と伝えていたこともあり、浮気相手を殺すと言うほど、さくらに執着していたとは思えない。
自分がたかじんの立場なら、三十代にして未亡人となる女性の人生を慮り、いずれはいい人を見つけて結婚してほしいと伝える。それは実の娘よりも年下の女性を娶った男の責任とも言える愛情表現だからだ。その為には、死後の祭祀にも負担を掛けたくない。遺骨は当家墓所に納めてもらい、節目毎に参って貰えれば十分な供養である。

減薬と免疫細胞療法

★減薬を決断

7月1日X病院での放射線治療(全36回)が終わり、一、二ケ月経過後の治療測定を待つことになった。医師からはその間の抗がん剤投与を勧められるが、さくらは抗がん剤治療は放射線治療と併用しないとほとんど意味がないので受けないとし「気休めみたいな治療はしたくない」とも記されている。
考えていたのは「免疫療法」への転換だった。

まずはアカシジアを何とかしたいと久保田医師とJR札幌病院の鶴間医師に、服用している薬のデータを送って相談すると「減薬すべき」との意見だった。一気になくす方法もあるが反動もあるため神経科の医師の診断を必要とする。


【引用: 純愛 300P】
JR病院の鶴間医師が「知り合いの神経科の先生を紹介してあげる」と言ったので、思い切って札幌に行ってみようかと考えた。七月に入って暑くなってきていたので、涼しい札幌に行けば気分転換にもなるかもしれない。
たかじんに提案すると喜んで賛成した。しかしさくらにはひとつ気がかりなことがあった。彼の精神状態には大きなムラがある。もし札幌行きの飛行機に乗っている最中に、最悪の精神状態になったらどうしょう。万が一、暴れだしたりしたら大変な事になる。自分一人で連れていくのは無理かもしれないと思った。
「ハニー、札幌にはKさんも一緒に来てもらう?」
「Kは嫌や。二人で行く」
さくらは自分一人でなんとかしようと思った。


7月8日、伊丹空港出発前にKから電話があり、一緒に行くことになった。飛行機に乗る前にたかじんに精神安定剤を飲ませたので彼はすぐに眠った。

7月9日、神経科診療所を訪ね、たかじんの症状を訴える。

【引用: 純愛 303P】
「薬の副作用なんか気にせずに、どんどん薬を増やせばいい」
さくらは一瞬耳を疑った。小太りの医師は構わずに続けた。
「今、辛いのが嫌か、副作用が嫌か、でしょう。どっちもなくす方法はない。じゃあどっちを取るかです。今、辛いのが嫌でしょう。だったら薬をバンバン飲んで、その辛さを消せばいいんです。副作用は仕方ない。そのうちに慣れます」
さくらの隣に座るたかじんは不快げな顔をしていた。
診療所を出てタクシーに乗った途端、たかじんは「あいつは頭がおかしい!」と吐き捨てるように言った。
(中略)
しかし、さくらは思い切った減薬に挑戦してみようと思った。
(中略)
生活に工夫をして睡眠薬と精神安定剤をできるだけ与えないようにすると、日を追うごとにたかじんの頭は政情に戻ってきた。抗がん剤の副作用が抜けてきたことにより、吐き気止めを使わなくなったのも大きかった。

急激な減薬は危険性を伴うと知っていながら、さくらの独断で行動に移したようだ。頭が正常に戻ったとあるが、文中にあるように抗がん剤副作用の低減がに起因するだろう。
ガン患者に迫られる決断の一つに、クオリティを取るか完治・延命を取るかが上げられる。腹膜播種が命取りとなったたかじんの場合、それが忍び寄っていたこの時期は、目先のクオリティより優先される手だてが有ったと悔やまれる。

7月23日、三田病院でPET検査を受ける。久保田医師からガンが縮小していると告げられる。
この日、採取した血液と以前に手術で摘出して保存していた食道ガンの細胞を、久保田が三重大学に送って入れた。いずれも樹状細胞ワクチンを作るために必要なものだった。

7月24日、神戸某クリニックで、「WTI」「Mac1」と呼ばれるワクチン治療を行った。

(後日、三重大学から細胞検体が見つからなかったと連絡が入る)

★X病院

X病院から抗がん剤治療続行を問われて断わったのはミスだと思う。理由を放射線治療と併用しないと効果がないとしているが、医師の言うように今回の放射線治療は1-2ケ月の経過観察をみないと効果測定が出来ない。その間、目に見えないガン細胞を叩く意味でも、抗がん剤治療が有効との説明を受けているはずだ。特に再発後の治療なのだから慎重を期すべきであった、

純愛では大阪のX病院と札幌の神経科診療所の医院名と医師名が伏せられている。電話で問い合わせしただけのところでさえ名が上げられているのにだ。これは何を意味しているのだろうか?
X病院はさくらが突発性難聴と診断された際に、たかじんとの同室入院を断られた病院で、その後さくらは治療を諦め左耳は永遠に難聴となったとされており、他にも対応等について不満を述べている。

もしかするとさくらが難聴を患ったのは事実でない可能性が有る。 事実でないため病院名・医師名明らかにしない選択をしたのではないのか?
匿名掲示板なので真偽は不明だが、さくらの高校時代を知るという人物から、当時から難聴だったとの書込みをがあったことを、ふと思い出した。
7月23日、放射線治療の一ヶ月健診を東京の三田病院で受けている。結果はガンが縮小していたのでX病院の治療は成功と言えるだろう。だが治療を受けたX病院での検査が本来だと思う。
さくらにとって都合がいい病院ではなかったのだろう。

★免疫療法の処方法

▼たかじんが受けた免疫療法の説明(Mrサンデー・殉愛特集)免疫療法1







代替として免疫療法のみの治療とは不可解な判断だ。
ここで触れておくと、「免疫療法」は第四の治療法として注目を集めているが、免疫療法による効果はまだ確立されていないと言っていい。まだ大学病院でも治験の段階であり、厚生労働省の保険適用となっていない。所定の効果が認められているのなら保険適用治療法の位置を得ているはずだ。

自身もガン発見時から免疫療法を実施しているクリニック数ヶ所で説明を受けた。各クリニックが公表しているデータによると、ステージが上がる程に効果測定値が極端に低く、ステージⅣの身に有効と思えないこと、組成された細胞が最終的にガン化する(特に樹状細胞)場合があるとの説明を受け断念した経緯がある。主治医から免疫療法施術はクリニック系が中心ですよね、と懐疑的に言われたことも、断念した理由の一つだった。

かつ、全てのクリニックで抗がん剤との併用を強要された。仮に効果が有ったとして、それが抗がん剤によるものなのか、免疫療法によるものなのか判別が付かないことを意味する。
抗がん剤治療は副作用で生活クオリティが維持できないリスクが伴い、純愛によるとたかじんも悩まされているが、免疫療法は副作用抑制効果も大きなセールスポイントとなっている。たかじんもその使い方をしたのなら理解できるが、免疫療法のみを選択したことで余命を縮めたと言っていいだろう。

結果的に9月から瀬田クリニックで免疫療法を受けた。しかし全クールを終える前に他界する。
「気休めみたいな治療法はしたくない」と言っていながら、選んだのは「気休め」そのものだったのだ。愚か者と言いたいところだ。
もしかすると、さくらは効果がないことを判っていて選択し、再発時久保田医師に「何もしないと半年の余命」と宣告された、その半年を狙ったのかも知れない。一応、何かをしたアリバイだけは残る。

▼(参考) がん免疫療法は奇跡の治療法か
http://apital.asahi.com/article/kiku/2013090300001.html

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