伯父

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

キーワードで見る空間模様 じんちゃんのために死ぬよ

たかじんが逝去する3ヶ月前から、さくらはたかじんの妻であったが、「殉愛」でいうところの誰も知らなかった741日間において、たかじんとさくらのポジショニングはどうだったのだろうか。

★2012.1.25 マンションの鍵


【引用 :殉愛 96P】
一月二十五日、出会ってちょうど一ヶ月にあたる日に、たかじんはさくらにマンションの鍵を渡したそしてひと部屋を与え、さらにクローゼットの引き出しもさくらの分を空けてくれた。
たかじんは真面目な顔をして言った。
「ぼくは何日生きるかわからへん。これからすべての日が記念日みたいなもんや。いつ死ぬかわからんから、ぼくの言うたこと、したこと、全部覚えていてほしい
「わかった」とさくらは答えた」。これから胸にも耳にも頭にも覚える」

・・・マンションの鍵を渡し、一部屋を与えたということは同居が始まったと見ていいと思うが、3月に伯父から借りているマンションから向かいのマンションに越すとも書いてあり、実態がよく分らない。
推測すると、たかじんもこの時期は衝動的な行動をとっていたが、急速に冷めて向かいのマンションを提供することになったのではないだろうか。
全部覚えていてほしいと言ったのは、ガン撲滅チームの書記係としてではないかと思う。


★2012.1.27 ・スタジオ見学

たかじんが「最後になるかもしれないので、一度見ておいてほしい」と言い、そこまで言って委員会の収録を観覧する。
さくらはテレビ局へ行く前に、長い髪を切った。たかじんはこのヘヤ―スタイルを大喜びした。たかじんが愛した「京都の女性」と同じだった。

・・・京都の女性とは、たかじん不遇時代に付き合った女性を指すが、その人と姿形が似ているとの理由で喜ばれても、心はここに非ずと言える。自分が女性なら「代用品かっ!」と突っ込みを入れるだろう。

★2012.1.30 ・ステージⅢ

三田病院でステージⅢを宣告され、にこりともしない たかじんの背中を、さくらがさすり続けた
その後、買ったばかりの東京のマンションへ行った。
「ここはどの女も入れていない。二人だけの新居や。さくらちゃんが思うように自由にリフォームしてもらったらいい」
自棄になったたかじんは、「最後まで無茶苦茶して死んでいくような男でないとあかん、毎日飲み歩いて、新地で死にたい」と言った。

【引用 :殉愛 96P】
さくらはメールを送った。
「じんちゃんがそういう考えであれば、さくらは支えることができません。私が好きになったのは、目の前の屋鋪隆仁で、みんなのやしきたかじんではない。だから、治る可能性があるのに、元気になる可能性があるのに、一緒にいられる時間が長くなる可能性があるのに、そっちのやしきたかじんの生き方を望むならもう私には何もできません
翌朝、たかじんから返事があった。
「一緒に頑張る」

・・・背中をさするボディランゲージは、さくらの得意技のようで、たかじん死後も含めて各所に登場する行為である。
有名な人気者になったことがないので良く解らないか、本名の自分を好きになったと言われると嬉しいものなのだろうか。さくらはそこらのミーハーと一線を画した存在を演じたかったのだろう。
「もう私には何もできません」の言い回しは、奥様掲示板にも似た書込みがあり、本人降臨か!と話題になったが、弱者(病人等々)にとっては堪える追い込みの言葉だ。
死後のMoney事情では、「家鋪隆仁」と「やしきたかじん」の両方を独占しようすることになるのだが


★2012.2.5 ・検査入院

たかじんが入院中、さくらは東京のホテルに泊まる。退院後、大阪に戻る。

★2012.2.21 遊び相手

この日、さくらはKマネとUの三人で食事に出かけ、その席上でUから言われる。「あの人にとって女なんか ただの遊び相手やで。今は病気で気が弱っているから、あんたに頼っているけど、病気が治ったら、すぐに捨てられるで」
さくらはマンションに戻り泣いた。二人の言う事は出鱈目だと思おうとしたが、もしかしたら本当かもしれないと考えると不安でいっぱになった。自分はやしきたかじんのことを何も知らない。もしかしたら自分はとんでもない過ちを犯したのかもしれない。
翌日、たかじんに言うと、「記にすんな、。あいつは昔から一言多いねん。あいつにはぼくから言っておく」と答えたが、明確な否定はなかった。さくらは少し悲しかった。

・・・今は病気で気が弱っているからは、言い得て妙である。この段階では「とんでもない過ち」に繋がる事実はない。伊夫イヴァンもTwitterの書込みを見る限り、さくらの帰国を首を長くして待っているのだから。

★2012.3.11

抗がん剤治療で入院中、たかじんが胸の痛みを訴えたため、さくらも病室に泊まり込むようになった。

★2012.3.24 浮気

さくらはたかじん自宅の向かいのマンションに引っ越す。片付けを終えたかじんのマンションへ行くと、エレベーター前で派手な服装の女とすれ違う。女は「あんた、遊ばれているで。私、今、じんちゃんとやってきてん」と言った。
玄関の三和土に、女性もののハンカチとメモが落ちており、メモには「消えろ、ブス」と書かれていた。さくらはたかじんに「誰か来たの?」と訊くが、Kマネしか来ていないと言い張る。
さくらはいつものように足裏マッサージをして帰った。

【引用 :殉愛 113P】
失望とかショックという言葉で表せるものではなかった。心がナイフでえぐられるようだった。私がいったいどんな悪いことをしたというのか。イタリアに戻るチケットを引き裂いてまで彼のために残ったのに、その仕打ちがこれか。なぜ、こんなひどい目に遭わなくてはならないのだ。
(中略)
実は、この日までたかじんとは一度も肉体関係がなかった。性的な意味での体の愛撫もない。さくらも最初は意外に思えた。(中略)・・・私のいない間に、彼は他の女とそういう関係を結んでいたのだ。
私は「女性」として見られていなかったのか。彼にとっては、ただ病気の世話をするだけの女だったのか。
(中略)この人を支えていくことはできない!もうお別れしよう

・・・「今、やってきてん」まさしく下品な言葉であるが、たかじんをよく知る人は「あんな下品な女とは付き合わない」とも言う。殉愛ではたかじんの周囲の女性は、ことごとく下品に扱われている。社会性に欠しいさくららしい取材だったのだろう。
病気の世話をするだけの女だったのか疑わしいが、オンリー・ワンでなかったことは確かだ。しかし、それがどうしたと言うのか。さくら自身、常に複数の男性間を行き来している身であり、この時間も人妻であるのにだ。
結果論になるが、ここでお別れしてくれていたなら、たかじんは親族やファンを悲しませる結果とならずに済んだと思う。本心とは思えない「お別れ」の言葉が虚しい。

★2012.3.25 許してほしい

さくらはKと会い、たかじんと一緒に東京の病院へは行けないと告げるが、Kマネは「その女と師匠は何もない、師匠を見捨てないでほしい」と言った。
たかじんの部屋へ行ったさくらはたかじんに言った。「昨日、マンションに来たとき、下で女の人に声かけられて・・・」
「何、その女、誰?」
「その人、すれ違うとき、じんちゃんと今、してきたって、言った」
たかじんはいろいろ説明するが、さくらは納得しない。
「さくらは心から信頼できない人のそばにいる自信がないし、一緒に頑張れない。じんちゃんはその人に看病してもらったらいい
たかじんは、その女はただの遊び相手だと言うと、さくらは「さくらも遊び相手の一人?」と訊いた。
「ぼくが本当に結婚したいと思っている女はさくらちゃんだけや」「もう二度と会わん、だから許してほしい
真剣な顔を見ていると、見捨てることは出来ない。決して許せない・・けれど、許す努力をしよう。

・・・東京の病院へ行かない、他の人に見てもらえ。さくらは許してほしいと言わせる話法に長けている女だと感じる。

★2012.4.6 お利口さん

二人は芝公園まで桜見学に出かける。
たかじん「さくらってええ名前やな、でも家鋪さくらのほうがええで。森田さくらよりもええ」
来年も見に来ると約束してと言うたかじんに、さくらは心の傷は癒えていなかったが「お利口さんにしていたらね」と答えた。

★2012.4.9 結婚しよう

たかじんは初めて「さくら」と呼び捨てにした
「さくら、手術が無事に終わったら、結婚しよう
さくらはうなずいた。

・・・もうやっていけないかもしれないと言って2週間、結婚に同意する不思議。

★2012.4月 夜間譫妄

たかじんの夜間譫妄が強くなり、ひとり言を言い出す。殆どが他の女性との経験談であったが、「さくらは本気で惚れた女や」とも言った。
「夜間譫妄でいろんな話を聞かされたことで、ようやく浮気を許す気になった ような気がします。彼が本当に私を愛しているということもわかりました」

・・・譫妄は無意識のうちに起こるものであるが、たかじんの頭の中には「女」のことしかなかったのか。夜間譫妄の症状まで持ち出して、自分への想いを強調する技法に思えてならないのだが。

★2012.4.19 再手術の日

たかじん「この恩返しをせなあかん」
さくら「じゃあ、幸せにしてくれる? 」「言うたことは絶対にやる」と指切りした。


・・・恩返しには様々な形があると思うが、結婚を持ち出して迫っているのは、むしろさくらの方である。

★2012.4.20 お父さん

【引用 :134P】
「さくらのおかげで頑張れた」たかじん言った。「元気になったら、さくらのお父さんに会いに行きたい。ほんで、お嬢さんがどんなに素晴らしいかを伝えたい
さくらはそれよりもたかじんが目を覚ましたことが嬉しかった。

・・・さくらは父と会われたら困る立場、伊夫イヴァンの存在と併せて、さくらの過去をいろいろ知っているからだ。

★2012.4.22 伯父.

病院にプジ―の購入を打診するが難色をしめすと、さくらは伯父に電話し、一億円を無心する。

・・・ここで書かれている伯父と会ったとしても、プジ―とは無関係な用件だった可能性が高い。伯父と表現しているが、殉愛の真実では元愛人だったF氏とされている。
(※F氏についてはこちら・ さくらを通り過ぎた男達)

★2012.4月 じんちゃんのために死ぬよ

【引用 :134P】
そして何度もおしっこにトライした。もちろん尿瓶でおしっこを取るのはさくらの役目である。
「他になにかしてほしいことある?」とさくらは訊いた。
ずっとそばにいてほしい
「さくらでいいの?」
そう訊くと、たかじんは嬉しそうに「当然」と答えた。そして、
女は尽くして尽くして死ぬもんなんや。さくら、そうやな」と言った。
「いいよ。じんちゃんのために死ぬよ
本心だった。彼のためなら死んでもいいと思った。


・・・殉愛騒動後、マスコミ取材に対して自殺未遂もあったと答えているが、当時のSNSから窺がえるウキウキ振り、遺産に対する執念、祭祀の扱いを見る限り、じんちゃんのために死ぬの言葉は虚しい。

★2012.5.5 ひとつになりたい

「さくら」と呼ばれ近くに行くと、たかじんが ぎゅっと抱きしめた。それを何度も繰り返した。
「そばにいれて良かった、色々なことを許してしまう。彼がこれまで付き合ってきた人とさくらはまるで違うと思う。それでも選んだのはじんちゃんだから。こんなにそばにいられるのだから、心もカラダもひとつになりたい


・・・これまで付き合ってきた人とまるで違う、の意味は何だろうか。殉愛で描かれた他の女は、打算的な汚い女ばかりだ。自分は違うと言うのか!? 抱いてもらえない悔しさなのかも知れない、カラダも一つになりたいのだから。

★2012.5.13 嬉しい

たかじんは「もう、仕事はええ。ひらがなのやしきたかじんやなくて、漢字の屋鋪隆仁になって、さくらと二人で静かに暮らしたい」と言った。さくらはやしきたかじんに戻してあげたいと思った。
「私は幸せな女だと思う。きっと色々な人がじんちゃんを大好きで、ファンで、お世話したいに違いない。お世話できるのが嬉しい

・・・知合った初期は「家鋪隆仁」を好きになったと言って近付き、距離が近まると「やしきたかじん」側近を嬉しがるさくら。

★2012.5.25 いつ死ぬかわからない

一億円を借りた伯父と会い、不要となった小切手を返す。五千万円入りのボストンバッグを渡される。

【引用 :殉愛 154P】
「なんで、そんな奴にそこまでするんや」
「私にとって大事な人だから」
「あんな女たらしと真剣に付き合ってるつもりか。遊ばれてるだけかもしれん。都合よく使われているだけと違うんか」
いつ死ぬかわからへんのに・・・、(中略)それでもいいのか?」
さくらはうなずいた。

たかじんにはさくらの誕生日だから伯父が会いに来たと説明。たかじんは指輪をもっているふりをし、さくらの指にはめる仕草をしてった。「結婚してな」。さくらは嬉しくて泣いた。

・・・たかじん死後この五千万円は、たかじんの金庫に入っていた2億8千万円の内の一部だと主張することになる。作り話だとすると、べストセラーとなった書籍・殉愛の中でアリバイ工作をしたことになる。著者は伯父への取材で確認しただろうか、そうでないなら遺産工作を幇助したことになる。
この伯父が愛人として出て来たF氏なら、会話の端々にさくらに対する未練が読み取れ、さくらが傾注しているたかじんが憎かったことだろう。「いつ死ぬかわからへんのに」と言ったのはたかじんの病状をさくらから聞いたのだろう、殉愛の真実で明かされた海戦山戦な伯父の正体から、「たかじん遺産獲得」へ向けた方策を伝授された可能性もある。

★2012.5.29 私がなにもかもやる

久保田医師は、「さくらさんが自宅でそれができるなら、来月の初旬には退院できます」と言った。「私がなにもかもやるので、退院させてほしい」と言う。

・・・たかじんの最期を看取った久保田医師の言動には、不可解な点が多数見受けられるのだが、ここでの「さくらがそれができるなら」の発言の真意は、患者、或いは付添い人から強く要望されたのではないだろうか。或いは、クレーマーなさくらに病院側が辟易した可能性もある。そうでなければ条件付き退院を勧めるはずはない。

★2012.6.1 家に帰れるなんて

退院日を打診されたさくらは「六月九日」を選び、たかじんに伝えた。「家に帰れるなんて・・・」と呟き、「それにしても、シックスナインの日というのは、いかにも縁起がええなあ」と言った。
その後、さくらを札幌とハワイに連れて行きたいと話した。

・・・この後、特に札幌は頻繁に行き来し、多くのエピソードを残す地となる。

★2012.6.4 料理

さくらに京都こずこんオーナーシェフの鵜川から電話があり、さくらは「料理の師匠になってください」と頼む。たかじん好みの味を知るためである。

・・・たかじん好みの味を、と言えば聞こえはいいが、さくらの都会っ子ブログでは、料理が殆ど出来ないとカミングアウトしている。幾度もの結婚歴を残すアラサーとしては情けないことだ。

★2012.6.8 お別れするとき

退院前日、たかじんはエルビス・プレスリーの「愛さずにはいられない」のサビの部分を英語で歌った。
さくらは再発した時は最後だ、いつかお別れするときが来た としても、笑顔でいよう思った。


・・・この段階で、再発したら終わりなことを認識している。多くの遺産を残すであろうたかじんと、離れるわけにはいかないのだ。


さくらを通り過ぎた男達

★「殉愛」の中のさくらとの乖離

殉愛で、さくらがたかじんと過ごした741日間の中で、肉体関係がなく、入籍の日も抱き合って眠っただけと記されており、最も濃い描写で「ディープ・キス」、それだけでさくらは「ドキドキした」と書かれている。この結ばれていない描写が、約400ページの中で十回近くも強調されている。
俗人の自分にとって「にわかには信じられない話」では有るが、さくらの弁なのか作者の思いなのか、或いはたかじんの意志だったのか、少しの間思いめぐらせる事象ではあった。しかし、ネット上でさくらの数度の結婚履歴が明かされたことで、この「生娘」設定も短い時間で終息するが、驚きはまだ残されていた。生々しい愛人生活までもが裁判記録で明かされたのだ。

★一回目の結婚

さくら最初の結婚は2002年20才の時、大阪難波にある高島屋内アパレルショップ店員として勤務していた時で、お相手は岸和田市内に住む会社員のM氏、結婚後もさくらはショップで働き、岸和田のM氏実家で過ごした。
しかし結婚生活は短かく、2003年に別居生活が始まり2004年に離婚が成立している。それもそのはずだ、結婚翌年の2003年1月には、高齢の会社社長との愛人関係が始まるのである。
この離婚に際して、さくらはM氏の浮気を理由に慰謝料を受け取っている。自分の愛人関係はどうなのか?

★パパさん F氏

高齢の会社社長は、さくらが結婚間もない頃の2002年ショップに現われてひとめぼれし、交際を申し込まれたとされている男性で、大阪でAVソフト配信会社を経営しているF氏のことだ。
後にF氏にストーカー行為が有ったとして、さくらが慰謝料を求める裁判があるが、その大阪地裁裁判記録によると、二人の愛人契約は2003年1月に始まっており、M氏と夫婦関係にあった時期と被り、まぎれもない不貞行為である。
さくらとはF氏とデートする度に五万円もらっており、いつか結婚を思いめぐらすようになる。そしてこの年にM氏と別居、翌年に離婚が成立し、F氏と月6回会う約束で三十万円もらう契約となる。
さくらは2005年から勤めを辞め大阪外語専門学校に通い出すが、さくらといる時間を長くしたいというF氏の希望に沿ったもので、初年度学費はF氏が負担したという。F氏はさくらが入学間もない同年5月から、自分(会社)が所有するマンションでさくらを一人暮らしをさせ、引越費用として二千八百万円渡し (渡した総額とする説もある)、月々のお手当は四十三万円に増額している。
さくらが大阪外語専門学校を卒業する際の進路表に「V社秘書」と掲載されていたが、それはF氏の会社のことであり、二番目の夫・ダニエルは(※殉愛の真実)、V社秘書ではなく、F氏個人の秘書だったと証言している。つまり専門校生時代の月三十万円から増額された、月四十三万円での愛人生活を送っていたことになる。
だが、さくらの多情性はこれで終わりではない。F氏と愛人関係にあった最中、アメリカ人男性ダニエルと交際を始め、2007年1月さくらはF氏に関係解消を申し出るが、ずるずると続くことになる。
後述にあるダニエルとの交際・入籍において、さくらはF氏側のストーカー行為があったとして警察に通報し、F氏は警察から警告を受けることになった。示談を申し出たF氏に対して、さくらは合計三百三十万円の慰謝料を請求するが、F氏の反訴が有り2007年11月、F氏が40万円払う事で和解が成立した。

この裁判記録は、2ch既婚女性版に投稿された大阪地裁事件番号を元に、複数の可愛い奥様有志が閲覧したことにより判明したものだ。

★二回目の結婚
サクダニ





二番目のアメリカ人の夫・ダニエルとの出会いは、さくらが専門校時代に通っていたマンツーマンの英会話教室だ(※殉愛の真実)。さくらの猛烈なアタックで交際が始まったそうだ。2006年夏にダニエルとペアのTシャツで洗礼式に参加した写真が掘られているので、この時には交際がスタートしていたと見て間違いないだろう。そして同年12月にはアメリカ北東部にあるダニエルの実家を訪ね、彼の家族や親戚に紹介されている(※殉愛の真実)。
当然、結婚を前提とした行動である、さくらは宝塚市の特優賃住宅を気に入り、ここに住みたいと言い出す。その為には入籍しないと賃貸を受けれない為、二人は2007年4月5日婚姻届を提出し特優賃住宅にはさくらが一人で住む。この時、同居しなかったのは夏に予定されていた結婚式を終えてから、とダニエルが考えていたからだ。
しかしダニエルは、同居することも結婚式を挙げることもなく離婚を決意することになる。原因はさくらの特異な人格と、F氏の存在があったようだ(※詳細は殉愛の真実に掲載されている)。2008年3月に離婚が成立、ダニエルはさくらに慰謝料六十万円を払うことになる。

★ダニエル~伊夫イヴァン~たかじんまでの空白期間

「殉愛」によると、さくらの伯父は会社を経営し、さくらもそこで秘書として働き、洗礼を受けた時のグランドファザーを務めてくれたとある。実はこの伯父は先に記した愛人関係のF氏であることが、殉愛の真実で判明した。裁判記録では2007年11月にF氏が慰謝料を払う事で和解している。
では、2011年にさくらが日本に帰国し、たかじん自宅マンションの真向いに引越するまで住んでいたマンションも、F氏が所有する物件なのだろうか。又、2012年4月に一億円を貸してくれ、同年5月に5000万円をポンとくれた伯父もF氏なのだろうか。ならばその後も、さらに伊夫・ダニエルと結婚中も、慰謝料を取った男性と続いていたことになる。
ネットでは別の高齢男性の存在も話題に出ているが、真偽は定まっていない。さくらのSNSによると、ダニエルとの離婚後は仕事絡みで海外へ何度も出かけていることが分るが、明確な勤務先・業種等の記述はなく、殉愛でも筆者が把握していないと思われる表現に終わっている。
これまでに明らかになったさくらの生き様から、お金持ちの男性の傍らにいたことが予想される。ドラマチックな事実が次々と飛び出すさくらの半生、この空白期間について斯様なストーリーが飛び出すのだろうか。

★三回目の結婚
サク伊庭





殉愛騒動の中で、最初に明らかになったさくらの結婚歴がイタリア人イヴァンだった。きっかけはイタリア在住邦人女性からあるブログに投稿された記事を手掛かりに、2ch既婚女性板の可愛い奥様達が発見した画像・SNS等からである。たかじんとの重婚疑惑が出ていたからか、結婚・離婚の時期について、さくらの供述は辻褄が合わないのだが、まずはさくらの主張をもとに書こう。

2008年春、ステイ先のイタリアで男性と知り合い遠距離交際を始め、その年の12月に日本で入籍した。
2009年、イタリアに移住し生活を開始、日本人に勧められてブログを始めた。結婚式の準備を進めていたが7月頃、結婚生活を続けるのは難しいと感じた。
2010年3月、夫とはほぼ別居状態で、ベネチア、パリ、ミラノを行ったり来たりしていた。
2011年5月から離婚について話し合いを始め、夫婦生活はすでに破綻していた。同年11月に離婚手続きのため日本に帰国、同月イタリア夫が来日し離婚同意書にサインし、離婚手続きに入った。2012年3月離婚届けが受理され、正式に離婚が成立した。

この供述は、現実をほぼ1年前倒ししたものである。
(詳細はこちらで・
ミステリアスな伊人イヴァンとの結婚と離婚)

さくらの話しによると、二番目の夫・ダニエルと離婚が成立した直後の春に、海外ステイ先でイヴァンと知り合い交際が始まったことになる。しかし移住した半年後には結婚生活に問題が生じ、一年後には別居、二年後には離婚協議が始まり、その年末に離婚手続きに入ったという、又してもスピーディな破局ぶりである。
とは言えさくらの供述は、web上に残された様々な証拠から信用するには至らない。離婚成立にしても日本国内での手続きだけに過ぎず、それもさくらの供述にあるように、たかじんのガンが発見された後の成立だ。さくらのブログでの幸せそうな来日時画像、イヴァンのTwitter等から読み取れるように、それまで離婚を意識していたようには見えない。又、イタリアの法律に則せば、イタリアでの離婚が成立していないのはほぼ確実と見られている。
結論からいうと、さくらは資産持ちのたかじんに取り入ることが出来たので、イタリアの田舎っ子のイヴァンは捨てられて(一旦の可能性もあるが)しまったのだと思う。

(※詳細は打算と逆襲カテで)

イタリア人夫・イヴァンはさくらの7才(位)年下の、画像で見る限りではそこそこのイケ面男性だ。出会いはステイ先で知り合ったとなっているが、ショートステイなのかロングスティなのか。
さくらのMIXIの2009年8月19日アップ分に次の記事がある。
『とてもハードなスケジュールだったけれど、イタリアへ行ってから、パリのあらゆるところを回りました。・・・・・現地集合、解散は・・・やです』
これまでに発掘されたさくらのSNSに於いて、イタリアとの接点はこれだけである。この点だけで断定は出来ないが、様々な状況証拠からほぼ確定と言える、2009年入籍、2010年イタリアで挙式との整合性から、イタリア・パリ旅行の際に接触があったとみていいのではないだろうか。
現地集合・解散の旅行とは、何らかの目的でイタリアへ行き、イタリア発パリ周遊ツアーに参加したのだと思うが、旅行動機は何だったのだろうか。そしてイヴァンと知り合ったきっかけはなんだろう、 ナンパでもしたのか、もしかするとお得意のSNSを通じて知合ったのか。

★四回目の結婚
さくたか2





殉愛によると、たかじんとさくらが最初に会ったのは、2011年12月のクリスマスオフ会で、たかじんのマンションに女一人で入室し、プロポーズされたのは12月30日となっている。さくらの「都会っ子ブログ」によると、これらは全てイタリア夫・イヴァンが来日中の出来事だ。たかじんとの初めてのキスも離婚届受理前のことだ。ここでも多情性が窺えるわけである。
その後、たかじんのガンが見つかり、余命半年と宣告された約4ケ月後、たかじん死亡の3ケ月前に入籍を果たした。くどいようだが、たかじんとは結ばれた性行為が一度もない夫婦だった。
殉愛では「さくらはなにもいらない」と語りながら、たかじん死後は様々な策略を駆使してたかじん利権を一人占めし、たかじんの金庫にあった現金一億八千万円を自分のものと主張、相続遺産と合わせて三億数千万、さらには大阪のタワーマンションの居住権を手中にした。(金額はたかじん長女遺留分勘案、今後の裁判結果で変動することがある)

★多情な人生
さくら散歩





振り返ってみると、いずれの結婚生活も短期間であることに驚く。そして、一回目の結婚生活中におけるF氏との愛人契約、その契約継続中のダニエルとの恋愛、F氏の影がちらつく中でのダニエルとの入籍と離婚、謎の空白期間に続くイヴァンとの結婚と、その離婚前からのたかじんとの邂逅。
さくらにはいつも複数の男が交差する「多情な人生」と言えるが、自分には「男達はさくらを通り過ぎて行った」だけに見えてしようがないのてある。次に通り過ぎていく男は誰なのか? 興味が尽きない下衆な気分にさせられるが、さくらの本性と題された報道を紹介する。

『いわゆる“ジジイ殺し”の典型的タイプ。百田さんも彼女に骨抜きにされたクチですよ。“人たらし”というか、相手にふところに入るのが抜群にうまいんです』 (芸能プロ関係者)
(ライブドアニュース)

これまでの結婚・交際相手の中でマスコミ取材に応じたのは、殉愛の真実取材班に詳細なエピソードを伝えた、二番目の夫・ダニエルだけである。М氏は結婚・離婚の事実を認めただけ、伊夫・ダニエルへの取材はなされておらず、パパさんだったF氏も取材に応じていない。まだ明かされていないさくらを通り過ぎた男達がいるのかもしれない。これらの男性から新事実が語られる時があるのだろうか。
だが、たかじんに至っては鬼籍の人、文字通り「死人に口なし」なのだ。

★三番目の夫の存在が明らかになった際、作者の百田尚樹は次のツィートを残したが、次々と出た結婚・離婚・愛人歴と、それらに伴った金銭を求める訴訟歴に対して、今は何を思うのか。おそらくは想像を超えた展開に作者自体が驚いていることと思う。ならば、物書きとしての説明責任を果たすことが求められる。




さくらの足跡・発病~再休養

2012.1.2 (殉愛)
たかじんマンションへ行く。お節料理と鯛の尾頭付きが用意されていた。鯛の目を見て「怖い」と言う。

2012.1.3 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫・イヴン、イタリアへ帰国。
※The Gaijin is back to Italy


2012.1.3 (殉愛)
たかじんのマンションへ行くと、友達が7人いた。酔いつぶれたたかじんの枕元に「二日酔いの薬」を置いて帰る。

2012.1.4 (殉愛)
お粥を買って夜9時にマンションへ行く。

2012.1.5 (殉愛)
足裏マッサージをする。マッサージ用オイルはあらかじめ持参していた。

2012.1.6 (殉愛)
足裏マッサージをして帰る。

2012.1.9 (殉愛)
たかじんがお好み焼きを作ってくれた。足裏マッサージをして帰る。

2012.1.11 (殉愛)
たかじんから「イタリアから日本に帰って来てくれへんか」と言われる。さくらは「イタリアと日本に暮らしながら結婚生活をするのも可能じゃないですか?」と答える。
たかじん「向かいのマンションに暮らすねん、あるいは、同じマンションの上と下とか」と言った。
足裏マッサージをして帰った。

2012.1.13 (殉愛)
たかじんのマンションで、300万円渡される。

2012.1.14 (殉愛)
さくら、イタリア行きのチケットの搭乗日変更をした。マンションを貸してくれている伯父に、「2月3日まで日本にいる」と連絡した。

2012.1.15 (殉愛)
たかじんは山王病院で人間ドックを受けるため、Kマネと東京へ向かう。
[大阪-東京]

2012.1.16 (殉愛)
たかじん「食道ガン」が見つかる。さくらはイタリア行きのチケットを縦に引き裂く。

2012.1.17 (殉愛)
帰阪したたかじんを新大阪駅まで迎えに行く。たかじんはKマネに、「さくらをマネージャーにするから、名刺を作れ」と言った。
[東京-大阪]

2012.1.18 (殉愛)
さくらは伯父から頼まれた通訳の仕事があって、たかじんのマンションに行けなかった。
父と兄に、イタリアには帰らないことにした、と伝える。

2012.1.19-20 (殉愛)
住民票や健康保険証等の必要な書類を揃えるために、役所を回る。
イタリアのネイルサロンはスタッフに電話して店をたたんだ。下宿先のママに暫く帰れないので、さーちやんの面倒を見てほしいと頼む。

2012.1.21 (殉愛)
たかじんと京都へ行く。こずこん、アクアマリン、ラボー。朝4時にマンションへ帰り、さくらはベット脇で眠った。初めて泊まった日となった。

2012.1.22 (殉愛)
たかじんは、ガンのことは家族には知らせないと言った。「娘にだけは知らせようと、大事な話があると電話したら、忙しいから行かれへんと言いよった。薄情な娘や」
足裏マッサージをして帰った。

2012.1.22(伊夫・イヴンtwitter)
長い間、妻と会話が無い。
奥さんと2日間しゃべってない、これまでで最長期間だ


2012.1.24 (殉愛)
ガンは悪性だったことが判明。

2012.1.25 (殉愛)
さくらにたかじんのマンションの鍵を渡す。

2012.1.26 (殉愛)
たかじんの番組収録見学の為、さくらが読売テレビに行く。その前に髪を短く切った。

2012.1.30 (殉愛)
医師説明を受けるため、東京三田病院へ行く。さくらとUがたかじんに同行した。診断はステージⅢだった。
たかじんは購入した東京のマンションの決済をする。
(※詳細は殉愛の正体・ステージⅢ)

[大阪-東京]

2012.1.31 (殉愛)
夜、たかじん休養が公表される。

2012.2.1 (殉愛)
たかじんに娘からメールが来た。「なんや食道ガンかいな、自業自得やな」

2012.2.1 (週刊朝日)
Hさんの携帯の記録によれば、この時にたかじん氏に送ったメールの文面は以下の通りだという。
「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。 ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」


2012.2.5 (殉愛)
三田病院に検査入院。久保田医師から抗がん剤治療をすすめられる。

2012.2.7
一旦、大阪に帰る。
[東京-大阪]

2012.2.12 (殉愛)
三田病院へ入院。さくらは東京のマンションに住む。抗がん剤治療は13日-17日まで。
[大阪-東京]

2012.2.23 (殉愛)
三田病院退院。東京のマンションで過ごす。

2012.2.26 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]

2012.2.28 (殉愛)
京都の酵素風呂に数日間通う。

2012.3.1(fridayさくら手記)
2012年3月1日にイタリア人の夫との離婚届が受理され、正式に離婚が成立しました。


2012.3.5 (殉愛)
東京三田病院へ検査入院、二回目の抗がん剤投与。
[大阪-東京]

2012.3.11 (殉愛)
このころから、たかじんが胸の痛みを訴える。さくら病院に泊まり込む。

2012.3.11 (都会っ子ブログ)
帰国予定日前に、父にガンが見つかった。
※当初帰国予定は1月下旬。

2012.3.14 (殉愛)
手術日が4月9日に決まる。退院し大阪に戻る。
[東京-大阪]

2012.3.15 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫、75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかなとつぶやく。

2012.3.20 (殉愛)
さくらの父から、「前立腺ガンが見つかった」と連絡が入る。

2012.3.24 (殉愛)
伯父から借りていたマンションから、たかじん自宅真向いのマンションに引っ越す。
派手な女とエレベーター前ですれ違い、「私、今、じんちゃんとやってきてん」と言われる。さくらは足裏マッサージをして帰った。
(※詳細は殉愛の正体・今、やってきてん)

2012.4.1 (殉愛)
東京へ行き三田病院で検査を受け、緊急入院する。カロリー輸血を行う。
[大阪-東京]

2012.4.9 (殉愛)
食道ガンの手術を行う。
(※詳細は殉愛の正体・手術の日)

2012.4.10 (殉愛)
痛み止めの麻薬で幻覚が起きる。

2012.4.11 (殉愛)
夜間譫妄も起き、ICUシンドロームの可能性があると診断される。
(※詳細は殉愛の正体・ICUシンドローム)

2012.4.15 (殉愛)
ICUから病室へ移る。

2012.4.19 (殉愛)
縫合不全と診断され、すぐに手術が行われる。手術中にさくらの妹から電話があり、父の手術日が4月23日に決まったと伝えられる。さくらは父に電話し、立ち会えないと伝える。
夜、たかじんが暴れ出したので、医師たちは縛るしかないと言ったが、さくらは私が見ますと言い、縛るのを辞めさせた。さくらはICUに泊まり込むことになった。
(※詳細は殉愛の正体・縫合不全再手術)

2012.4.22 (殉愛)
病院のプジ―購入資金提供を申し出るため、さくらは伯父に電話し一億円の借金を申し込む。二日後、小切手が届く。
(※詳細は殉愛の正体・プジ―)

2012.4.24 (殉愛)
さくらは一億円の小切手を見せ金に、三田病院にプジ―機器購入を迫る。病院側はお金は受け取れないと断る。

2012.5.1 (殉愛)
たかじん、プジ―治療を始める。
(※プジ―は三田病院が自己資金で購入)

2012.5.9 (殉愛)
病室へヘアーメイクアーチストの和野陽介を呼び、たかじんの髪を切ってもらう。
たかじんは、麻薬と睡眠薬の副作用で、手先が震え声が出にくくなっていた。

2012.5.25(殉愛)
さくらが異形狭心症と診断される。
東京マンダリンホテルで伯父と会い、一億円の小切手を返す。伯父は五千万円入りのバッグをさくらに渡し、「困った時に使え」と言った。

2012.6.5 (殉愛)
マックでフィレオフィッシュとチキンナゲットを買い、たかじんに食べさせる。

2012.6.9 (殉愛)
三田病院を退院し、東京・六本木のマンションに住む。
夜、娘からメールが届いた。「なんかわけのわからん韓国女に世話してもらっているらしいな。いざとなったら、私も出るとこ出るよ」

2012.7.6 (殉愛)
二人の写真が掲載されたFRIDAYが発売される。
(※詳細は殉愛の正体・一回目のフライデー)

2012.7.7 (殉愛)
札幌のマンションに移動する。
[東京-札幌]

2012.7.23 (殉愛)
大阪に戻る。
[札幌-大阪]

2012.7.24 (殉愛)
たかじんはさくら留守中に、マンションに女を呼んで金を渡す。さくらにバレる。

2012.7.下旬 (殉愛)
三田病院で抗がん剤治療の説明を受ける。
[大阪-東京]

2012.7.30 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]

2012.8.16 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与。
[札幌-東京]

2012.8月 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]

2012.9.5 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(2回目)。
[札幌-東京]

2012.9.9 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]

2012.9.19 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(3回目)。
Kより娘から預かった手紙を渡される。娘の恋人からのもので、「お嬢さんと結婚します」と書かれていた。同時に娘からは『結婚祝いをして」と言われている。たかじんは不快感を隠さなかった。「一度も見舞いに来んと、・・・・・これからは旦那に養ってもらえ」
[札幌-東京]
(※詳細は殉愛の正体・長女からの手紙)

[東京-札幌]
2012.9.27 (殉愛)
JR札幌病院で腸閉塞と診断される。4回目の抗がん剤治療をキャンセルした。

2012.10.5(殉愛)
たかじん63回目の誕生日。フェースブック事件が起き、「変革の誕生日」がアップされる。

(※詳細は殉愛の正体・フエースブック事件)

2012.10.24 (殉愛)
イタリアに預けていた「さーちゃん」がガンにかかる。

2012.11.12 (殉愛)
札幌駅地下街で「海賊と呼ばれた男」を購入。

2012.11.16 (殉愛)
東京でPET検査を受ける。異常なし。
タカじんメモ「死ぬ前にさくらとやりたい。そのまま腹上死もええ、たかじんウケるで、ハワイで何とかする!勝負や!!」
[札幌-東京]

2012.11.20 (殉愛)
羽田空港からハワイ到着。
さくらはソファで寝る。
[東京-ハワイ]

2012.11.29 (殉愛)
さーちゃん、死亡。イタリアのママは「今、一緒にいる彼を大切にして」と言った。

2012.12.12 (殉愛)
さくら、手を切る。(※詳細は殉愛の正体・さくらの怪我)

2012.12.20 (殉愛)
三浦とゴルフに出掛ける。
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、「梅干し大のダイヤの指輪」を買う。数百万円をキャッシュで払った。たかじんからさくらへの婚約指輪と書かれている。

2012.12.24 (殉愛)
たかじん、さくらに指輪を渡す。

2012.12.25 (殉愛)
ハワイへ、相原康司、山田晃、松本哲郎が来た。三浦夫妻を加えてクリスマス・パーティーを開く。
席上、相原がたかじんの復帰を打診する。

2012.12.31 (殉愛)
カウントダウンパーティに参加、新しい服を買い、カメラマンの梅田にツーショット写真を写して貰う。

2013.1.15 (殉愛)
ハワイへ、読売テレビ・山西敏之、エックスⅠの日置圭信、橘庸介が来た。復帰に向けての話題とKマネの誹謗中傷話しが有った。

2013.1.19 (殉愛)
エックスⅠの長谷川社長がハワイへ来た。たかじんの体重は61キロまで回復し、復帰を前倒ししようかと考え始める。

2013.1.30 (殉愛)
相原康司 と井関猛親がハワイへ来た。井関はさくらに、「たかじんのお世話をしてくれてありがとう」と頭を下げた。
井関は2011年春に、胸が痛いと言うたかじんに、大阪市内の総合病院を紹介している。そこで突発性狭心症と診断されており、これは誤診だった。
この時の話し合いで、三月末のたかじん復帰が決まった。

2013.2.17 (殉愛)
復帰前健診のため、一時帰国。
[ハワイ-東京]

2013.2.18 (殉愛)
三田病院でPET検査。何ヶ所か光る部分が有ったが、マーカー値に異常がなかったため、炎症痕とだろうと診断され、復帰がほぼ決まった。

2013.2.19 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]

2013.2.21 (殉愛)
たかじんは相原と新地へ飲みに行く。たかじんが忘れた電話が鳴った。さくらが出ると女の声で言った。「明日、パンツ穿いていかへんから楽しみにしといてや」

2013.2.22 (殉愛)
さくらは電話の女と会いたくないと思い、街を歩いた。「私はいつか捨てられるかもしれない」と思った。
さくらが部屋に戻るとたかじんは「金だけ渡した」と言った。さくらはたかじんの二つの携帯と記録用の携帯に登録された女のアドレスと番号を削除した。「早よ、ださんかい」と怒声をあげたのは、この時のことだ。 (※詳細は殉愛の正体・早よ、出さんかい)

2013.2.24 (殉愛)
二人は再びハワイへ向かう。
[大阪-ハワイ]

2013.2.26 (殉愛)
二人で行ったゴルフ場で、島田紳助に会う。

2013.3.7 (殉愛)
テレビ大阪・田中威士と徳岡敦朗がハワイに来る。

2013.3.8 (殉愛)
ダイヤモンドヘッドが見える墓地を購入。

2013.3.9 (殉愛)
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、ダイヤの指輪のグレードアップをする。

2013.3.13 (殉愛)
ハワイから日本・大阪へ向かう。
[ハワイ-大阪]

2013.3.20 (殉愛)
読売テレビ・越智会長、山西局長と食事会。
(※詳細は殉愛の正体・読売テレビ会長と食事会)

2013.3.21 (殉愛)
たかじん「たかじん胸いっぱい」で復帰。さくらはスタジオ行きを希望したが、叶わず。

2013.3 (女性自身)
たかじんは母親をスタジオに招待していた。実現しなかったが、脳梗塞で大変だった母親を励ましたかったのでしょう。


2013.3.22 (殉愛)
「たかじんのそこまで言って委員会」収録。さくらはスタジオに呼ばれず。
収録後、たかじんは、カメラマンの梅田、藤田和也、富田龍一を連れて帰宅した。彼らはKマネの計らいでスタジオに招待されていた。
(※詳細は殉愛の正体・テレビ復帰の日)

2013.3.23 (殉愛)
「たかじんNOマネー」収録。帰宅したたかじんは、橋下徹大阪市長を連れていた。
相原、徳岡も合流した。

2013.4 (週刊ポスト)
週刊ポスト紙に、謎の「30才年下看病妻と婚約、復帰報告パーティ!!」の招待FAXが届く。
記者が「ご結婚おめでとうございます」と声をかけると、たかじんは怪訝な顔をした。

(※詳細はこちらで・やしきたかじん 婚約の真相は)

2013.4.21 (殉愛)
安全地帯コンサートに行くが、たかじんは「しんどい」と言い、途中で帰ってきた。

2013.4.21 (殉愛)
早朝、たかじんは胸の痛みで目を覚ます。伊丹空港から東京へ行き、三田病院で検査を受けた。
結果は再発。久保田医師は、抗がん剤治療と放射線治療を行うと言い、これが効いたとしても余命は半年から来年の夏ーー」と告げる。
たかじんとKがマンションに帰ったあと、さくらは一人で久保田と会った。「治療をしなければ、半年も持たないでしょう」と宣告された。
その夜、大阪に戻った。
[大阪-東京]
(※詳細は殉愛の正体・ガン再発)

2013.5.2 (殉愛)
たかじん、Uに連絡し「明日の収録は無理」と伝える。

2013.5.8 (殉愛)
PISがたかじん再休養発表。

プジ―

★1億円

さくらがネットで調べると、食道が手術後に狭窄を起こした場合、「プジ―」という医療器具を使うと回復が早くなると知った。しかし、三田病院に旧式のものしかなく、順天堂大学等数病院に電話して詳しく訊くと、最新式の機器の方が効果が格段に高いとのことだった。
三田病院に導入を願い出るも「予算の問題」で難しいとの事だった。さくらはお金で済む問題なら自分でなんとかしようと考えた。
4月22日、伯父に電話して一億円をを無心する。病院にそれを見せて自家談判するつもりだったようだ。伯父はあまりの巨額に躊躇した。


【引用 :純愛 137P】
「そやけど、お前がそこまで言うんや。五千万円なら、貸してやる」
「一億円貸してほしんです」
伯父は電話の向こうで大きなため息をついた。
「住んでるのはどこや、小切手を持っていかせる」
(略)・・・・・さくらはプジ―の金額を知らずに一億円を見せると決めたが、病院はそのお金は使えない、導入は検討するとの返答だった。
たかじんは二カ月の絶食が必要と説明に来た医師達の伝え方が事務的だと批判している。「彼らにとって、たか
じんは患者の一人にすぎない」それが悔しかった。

★正体不明な伯父

またまた伯父さんの登場である。空いてるマンションを貸してくれたり、一億円をポンと貸してくれたり、5.000万円をくれたり、カトリックの洗礼を受けた時の代父であったりする。お金持ちなのは間違いないのだろうが何者なのだろうか、名前も職業も明かされていない。
何よりこの件を知るとたかじんは怒るはずだ。見しらぬ人からの借金は嫌がるだろうし、それ以上のお金を彼は持っている。
借りた一億円も所詮見せ金の意図が窺え、当然、病院はにべもなく拒否した。金額の割にあっさりとした記述に呆気に取られてしまい、意味のある項であったか疑問、さくらのこけおどしに百田尚樹が乗せられてしまったのか。(※伯父の詳細はこちら・謎の伯父)

▼たかじんが手術を受けた三田病院
三田










★クレーム

病状説明は事務的に聞こえるものだ、余計な形容詞を使われると謝った認識を持つことになるからだ。さくらは「自分の家族がそうなったら淡々としていられるか」と泣きながら訴えたと言うが、失礼な言動を除き、言い方が悪いとの批判はクレーマーそのものだ。
しかし久保田医師だけは別だったと記してあり、たかじんの希望で主治医になった。この久保田医師こそが後に聖路加国際病院に移動し、たかじんの死亡診断書を書いた医師である。金スマにも出演した。

謎の「伯父」

【引用 :殉愛27P】
2005年に帰国してから、大阪で会社を営む伯父のもとで秘書を務めながら、海外を何度も往復した。

【引用 :殉愛44P】
病院に行くことを強く勧めると、たかじんも少しその気になったむ。
「どこがいいかなあ」
「北野病院なら、私の伯父が会員だから、すぐに行けますよ」

【引用 :殉愛88P】
それとマンションを貸してくれていた伯父に、「二月三日まで日本にいる」と連絡した。

【引用 :殉愛88P】
さくらは伯父から頼まれた通訳の仕事があって、たかじんのマンションに行けなかった。

【引用 :殉愛111P】
三月二十四日、さくらは昨年秋から借りていた伯父のマンションを引き払い、たかじんの向かいのマンションに引っ越した。

【引用 :殉愛136-137P】
四月二十三日、さくらは思い切って伯父に電話した。
彼女はイタリアに渡るまで、伯父が社長を務める会社で秘書をしていた。伯父は七十歳を超えていたが年齢を感じさせない精力的な男だった。「おさないころからさくらを非常にかわいがってくれ、彼女が二十一歳でカトリックの洗礼を受けた時のゴッドファザー(代父)でもある。さくらに第二の人生を与えてくれた人だった。
余談だが、さくらは秘書時代に伯父の株式の運用を任され、二年間で一億円近い利益を出していた。伯父は姪に実業家の才能があると見て、「いつか起業するなら、いつでも投資してやるぞ」と言っていた。彼は実際に、起業する若者に投資した事もある。
伯父は姪からの久しぶりの電話に喜んだ。
「マンションを引き払ってイタリアに帰ったと思っていたのに、まだ日本におったんか?」
伯父はさくらがたかじんと一緒にいることを知らなかった。
「その話しはいずれ詳しくします。今日は、伯父さんに投資してもらおうと思って電話しました」
「会社を興すのか?」
「そうではないんですけど、どうしてもやりたいことがあって、お金が必要なんです」
「何に使うんや?」
「今は言えません。ですけど、必ず返します。お金を貸して下さい」
「事業内容も聞けないのに、金は貸せんな」
「ある医療器具を買いたいのです。多くの人が助かります」
伯父はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「なんぼいるんや」
「一億円」
(中略)
「お前な」と伯父はたしなめるように言った。「一億と言うのはすごい金やぞ。担保もなしに貸せる金やない」
「はい」
「そやけど、お前がそこまで言うんや。五千万円なら貸してやる」
「一億円貸してほしいんです」
伯父は電話の向こうで大きなため息をついた。
「住んでるのはどこや?」伯父は言った。「小切手を持っていかせる」
「伯父さん、ありがとうございます」

【引用 :殉愛153P】
午後、さくらは仕事で東京に出て来ていた伯父と日本橋の「マンダリン オリエンタル東京」で食事した。
前に電話で話してはいたが、会うのは半年ぶりだった。
「随分痩せたなあ」
伯父はさくらの変わりように驚いた。
「伯父さん、前に送ってもらった小切手、使わなかったから返します」
さくらは一億円の小切手を伯父に渡した。
「この金、何に使うつもりやったんや」
「好きな人の病気を治すために使うつもりでした」
「それは誰や」
「やしきたかじんさん」
伯父は一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに納得したようにうなずいた。
「まさか、たかじんとはなーーー。ガンらしいな」
(中略)
「いつ死ぬかわからへんのにーーー」伯父がぼそっと言った。「それでもええのか」
さくらはうなづいた。
伯父は小さな声で「そうか」と言うと、バックをさくらの前に置いた。
「五千万円ある。本当に困った時に使え」
さくらは伯父の優しさに泣きそうになった。
「やるんと違うぞ。貸してやるだけや」
伯父はぶっきらぼうに言った。
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