★亡骸の前で

1月4日、たかじんの長女がマンションに来た。


【引用: 殉愛 391-392P】
Hは父を見て、「お父さん、痩せたなあ」と言った。そのあとリビングに戻ると、「お父さん、私のこと何て言ってた?」と訊いた。
「メールいただいたときは、気持ちの行き違いがあったみたいですね」とさくらは言った。
「メールの返事もくれへんから、別にどうでもええとほっといたけど、それ、自業自得やん。そんなに悪かったら、連絡くれたらよかったのに」
「Kさんから連絡もらってなかったんですか」
「私、Kとは仲悪いねん」
(中略)
「私はSからあなたのことを聞いて、あまりよく思ってなかったよ」
 (Sとは2013.5迄PISの事務員をしていた)
「私がお父さんに送ったメールも、あなたがお父さんに見せてないんじゃないかと疑っていた。私とお父さんの仲が悪くなったのは、Sのせいや」
Hは言い訳めいた言葉を並べ、Sに責任転嫁するようなことを言った。


★百田尚樹、"人間のクズ"はお前だろ!

たかじんが息を引き取ったとき、さくらは声を出して泣いたと書いただろう。実の娘がたった一人しかいない父親の亡骸を前にして、「痩せたなあ」とたんたんとした一言で終わることなどないだろう。
"シャネル"のハンカチ"1.000枚"でも足りないくらい泣いただろう。"嘘八百"が決め技のさくらに"騙されて"、何が本当なのか分らないだけだろう。真に"おぞましい人間"は自分だったという茶番は可笑し過ぎて、"ヘンズリパワー"で茶沸かしてやるわ。

おそらくはKマネがそうしたように、祖母(たかじん実母)やたかじんの兄弟にも会わせるべきと主張するやりとりが有ったと思うが、それらの記述はない。取材側も受けた側も、人としての心を持ち合わせているのか疑問だ。

★奇妙な電話連絡

死亡翌日の四日に、さくらがたかじん前妻へ連絡した際の会話が奇妙だ。

「私は(たかじんから)連絡もないので、気にはなっていたのでドキッとしたんです。奥さんは最初、亡くなったっていうことをおっしゃらずに、『とりあえず来てください』と言うだけだったんですよ。私はお正月を主人と過ごしていたので、『ちょっと待ってください。そんなに今すぐどうこうというえほど調子が悪いの?』って聞いたら、『そうなんです』と。そしたらせめてお正月が明けてから、すぐに行きますからって言ったら、『実は昨夜亡くなりました』っておっしゃるので、翌日すぐに東京に飛んで行ったんです」
(角岡伸彦著/小学館・ゆめいらんかね やしきたかじん伝 253P)

★メール

メールとは「自業自得メール」のことだ。たかじんは激怒し絶縁を宣言したとされるものだが、娘の言い分は違い、実際に送ったメールは残されており週刊朝日が報じた。

「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」 (週刊朝日 2014.12月18日号)

たかじんの死後初対面の娘さんに対して、さくらの対応は、看病の苦労と、いかに自分が父に愛されていたかを、その後は元マネージャーKさんの悪口を滔々とまくし立てていました。 (婦人公論 2015年1月22号)

Hさんインタビュー
 「(がんとわかって)最初はメールを送っていた。ご飯を作ってあげたいなと思って。娘だから看病しなくちゃと思っていた。でも連絡を無視され続けた。
兄弟や親戚とも絶縁していたというのも全然違う話。ガンになってみんな心配して、どこに入院しているんだろうと。聞いても教えてもらえない状況だった。父本人から話を聞きたかった。どんな病気で、どうするのか聞きたかった。
私の連絡を無視し続けているのに、若い女性に世話させていると聞いて腹が立った。父に挑発的なメールは送ったが、自業自得なんてメールは絶対に送っていない(最後は涙声に)」 (FLASH)

一方さくらは、たかじんは嫌なメールはすぐに消去するので、そのメールは残っていないと言う。信憑性のない話しだ。

★さくらの名前も知らなかった親族

せめて亡くなる直前には、お母さんや兄弟に『たかじんが危ないねん』とひと言だけでも知らせるべきでしょう。でも実は、親族の誰も彼女と会ったことがないんです。連絡先はおろか、名前さえも知りません。長女とも、今は連絡してもつながらない状態になっています。 (女性自身 2014.1.14)

殉愛でも報道でも書かれていないがたかじんの「囲い込み」について、長女がさくらを厳しく問い質す発言が有ったと思う。それは当然だ、自分なら土下座されても許さない。