プロローグ

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

殉愛とは

★殉愛とは、辞書によると下記の訳がある。

「ひたむきな愛を貫くために、命を投げ出すこと」
  (日本国語大辞典)

愛が深そうではあるが、自分には一寸有難迷惑かも知れないと思う年齢でもある。付かず離れずぐらいの距離感の方が気が楽そうだ。

★ノンフィクション小説「殉愛」で著わすところではどうだろう。

「財産も何も要らない、無償の愛」
「愛を知らなかった男が初めて知った本当の愛」

純愛







★幻冬舎紹介文

「誰も知らなかった、やしきたかじん最後の741日」

2014年1月3日、ひとりの歌手が食道がんで亡くなった。
「関西の視聴率王」やしきたかじん。
ベールに包まれた2年間の闘病生活には、
その看病に人生のすべてを捧げた、かけがえのない女性がいた。
夜ごとに訪れる幻覚と、死の淵を彷徨った合併症の苦しみ。
奇跡の番組復帰の喜びと、直後に知らされた再発の絶望。
そして、今わの際で振り絞るように発した、最後の言葉とは――。
この物語は、愛を知らなかった男が、本当の愛を知る物語である。
『永遠の0』『海賊とよばれた男』の百田尚樹が、
故人の遺志を継いで記す、かつてない純愛ノンフィクション。

▼著者・百田尚樹とさくら未亡人
取材2






★すべて真実である

読者がにわかには信じられないかも知れないが・・・・・と、著者が前置きしている。
確かに自分に置き換えてみると面映い気がしないでもない。
有名人ではあるが還暦過ぎた男と、32才下の「天使」のような女性の殉愛エピソード。百田尚樹によると「この物語はすべて真実である」と記している。

【引用: 殉愛 406P】
家鋪さくらの記憶力は異常とも言えるほどで、日をずらして質問しても、何度質問しても記憶がぶれることは一度もなかった。それは細部にわたり、そのときの人々の服装や立ち位置まで記憶していていた。特にたかじんの言葉や行動に関しては、まるで今そこで見ていたかのように素振りや言葉遣いのニュアンスまで再現した。または膨大な看病日記が残っていて、それらの記憶の正しさを裏付けている。

(中略)

「自分がかわいそうとも不幸とも思ったことは一度も有りませんし、今もおもっていません。ハニーと暮らした二年間は本当に幸せだったんです。自分の三十二年の人生の中でも、最も幸福な二年間でした」

その瞬間、私はこの物語を本にしようと思いました。

★未亡人の言葉

最愛の夫やしきたかじんを亡くし、辛い悲しみの中にいた私は、数々の心無い週刊誌の記事によりさらに深く傷つけられ、すぐに彼の後を追いたいと思っていました。

そんな中、ノーマネーMCの皆様がすぐに自宅に駆けつけてくださいました。
かをりさんから何度も励ましの連絡をいただき、食事に連れ出して頂きました。
八代さんにはご多忙のところ的確なアドバイスをいただき、大変心強かったです。
黒田さんからは癒しになるだろうとワンちゃんに会わせていただいたり、何度もお花を送っていただきました。
スタッフの皆様からは、たかじんの冠を守ると言っていただきました。

皆様に助けられながら迎えた偲ぶ会で、百田尚樹さんと出会い、その後「やしきたかじんがどれだけ懸命に生き抜いたのか。真実の物語を本にしよう」と熱心におっしゃっていただきました。
やしきとのかけがえのない2年間を、公にするということには迷いも葛藤もありましたが、やしき本人が書き残した膨大なメモの中で、百田さんを熱く評価していたので、信頼してお願いしたいと思いました。

実際に出来上がった本を手にして、やしきたかじんと、もう一度向き合えたような気がします。
2年間、彼はどんなに辛くても、最後まで希望を捨てず、一生懸命生き抜きました。その彼と過ごした時間は、私には幸せそのものでした。
この本を通して、彼の本当の姿を一人でも多くの方に知ってもらい、また彼と同じような病気と闘っている方々に、少しでも勇気を持ってもらえたら嬉しく思います。
そして彼は生前、「圧倒的におもろくて暴れん坊で、圧倒的にかっこよく歌うぼくで、みんなの頭と心に生き続けたいねん」と願っていました。
そんな彼を、皆様の中で忘れず生かし続けて頂けたら幸いです。

最後に、取材の中で、闘病のことを思い返すたび、その時の心境や悲しみ、彼の姿や言葉、堪えていた思いで泣き出してしまい、何度も取材を中止し、「もうこれ以上続けられない。本を出すのを止めたい」と言う私に、根気強く励まし続けてくださり、ときに一緒に涙してくださった百田さんに心から感謝しています。有り難うございます。
今の私がいるのは、たくさんの方々の支えがあったからです。
これからも感謝を忘れずに、彼が残した想いや夢を叶えていけるように、大切に生きてみたいと思います。

(テレビ大阪・NOマネーブラック)

★本の評価

Amazonレビューは☆☆/5星中 
殉愛

・百田さん、あまりに酷くないですか?
さくらさんの怪しさが世に知れて良かった
世紀の事故本として
気分が悪くなりました。
・販売を止めるべきです。
嘘つきは泥棒の始まり

かけがえのない人に逢えた東京

★たかじんを知った日

北海道に住む自分にとって、やしきたかじんの名を知ったのは、実はかなり遅い。
 
きっかけは、テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」だ。論じられる内容が、東京マターに馴らされた者にとって斬新であった。パネラーの三宅久之、宮崎哲也、勝谷誠彦、鴻池肇各氏達の、それまでには見られなかった切れ味のコメントの数々、そして怒りのざこば師匠、いじられ役の田嶋陽子氏、それぞれのキャラが嫌味なく溶け込んでいた。

時たま、指棒持って中央に出てくるサングラス姿の男がいる。関西らしい本音トーク、肝心な部分はシヤッターされていたが、番組の看板画像の彼の口にもチャックがされている。ちょっと過激な関西の司会者なのだろう、その程度の認識だった。
 
彼の名がやしきたかじんと知るのも、彼にシンパシーを感じるのも時間を必要とした。

たかじん





 

或る時検索すると、なんと、やしきたかじんの本業は歌手であった。代表曲は「東京」で日本有線大賞受賞曲との事だ。そう言えば聞いた事が有るような無いような、さっそく動画サイトで聴くと気になるフレーズが飛び込んできた。

"かけがえのない人に、逢えた東京~"

北海道の寒村育ちの自分にとって「東京」の響きは特別なものが有る。実は東京の大学受験に失敗して、東京行きを諦めた過去が有るからだ。今でも東京とは「かけがえのない"モノ"に逢い損ねた街」との意識が、頭の片隅に残っている。

彼が唄う東京は、一人の女が大事な男と出逢い、そして別れた悲恋の街。
もしあの時、自分が東京へ行くことが出来ていたとしたら、自分の人生はどのような図を描いていたのだろう。それを思い起こさせてくれたのがこの曲、「やしきたかじん」になにかしらのシンパシーを感じた瞬間だった。

▼やしきたかじん「東京」


★さようならたかじん

毎週日曜日の「そこまで言って委員会」を楽しみにする日が流れていた或る日、たかじんが食道ガン治療の為休養すると報じられた。ガンなので楽観は出来ないものの、今時の医学、食道ガンは手術により治癒する確率が高いと思っていた。妻の叔母も同じ病気で手術したが職場復帰し、今では各地のマラソン大会で走るまでになっている。

復帰までに時間がかかっているのは心配だったが、約14ケ月の休養を経て復帰して来た時は安堵し、たかじんが出演する番組は全て見るようになっていた。
しかし、それは束の間だった。再発による再休養が発表され、再度テレビから姿を消した。

彼の次の報は、まだ、正月気分が抜け切らない1月7日の夜であった。
「やしきたかじん、死す」

たかじん2









【引用】 
食道がんの手術から1度復帰したものの再び休養していた歌手でタレントの、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日未明に亡くなった。64歳だった。
12年1月に食道がんのため休養したが、同5月2日夜、体調不良を訴え再び長期療養。懸命に再復帰を目指したが、思いはかなわなかった。 (日刊スポーツ・2014年1月7日23時17分)

★シンパシー

たかじんとは同年代である。ガンの怖さも知ってはいる。健康的とは真逆な彼の生活ぶりも聞いている。しかし、64年で幕を閉じる人生は悔いが残るであろう、まだまだ、生き抜きたかったであろう、シンパシーを感じていたファンとしても、至極、残念な一報であった。

こよなく酒を愛し、新地を愛し、多くの女を愛し、自由奔放を好み、破天荒でありながら、どこかシャイな臭いがする生き様。
たかじんのその評伝もシンパシーが深まる一因であった。自分の人生を顧みながら・・・勿論、そのエピソードは彼の10分の1にも満たないが。

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