チームさくら

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

最後のバースデー

★順子

10月1日、たかじんの体重は58キロまで回復していた。

10月5日はたかじんの誕生日。たかじんはさくらが外出中に、持ち歌の「順子」をipadに吹き込んだとされている。たかじんは歌詞中の順子をさくらに変えて歌ったが、これは二人が初めて会ったサロン105でのクリスマスオフ会の時と同じだ。
バースデーパーティー会場の「サロン105」へ行くと、お揃いのピンクのポロシャツを着た人達が集まっていた。袖には「SAKUJIN」の文字があった。当初、たかじんは出かけるのを億劫がったが、さくらの説得で同意したとの記述がある。

【引用: 純愛326P】
サロンに集まっていたのは、 相原康司、、松山源一、三浦真理子(以上、ボーイズ) 山西敏之、相島良樹(以上、読売テレビ) 田中威至、徳岡敦郎(以上、テレビ大阪) 竹本潔観、古市忠嗣、中澤健吾、木村弥寿彦(以上、関西テレビ) 長谷川豊、日置圭信(以上、レジスタエックスワン) 吉田真規子(スタイリスト) 遥洋子(タレント) 山田晃 (TVTVTV) 山元貫司、植田清子(サロン105) Kの19名だった。


その後もさくらを褒めそやす面々だ。Kマネだけは「K」と書かれ「マネ」の称号もなく、いじめっ子が書いた作文のようて可笑しくなる。後日、この時撮った写真をフレームに入れ、たかじんがサインして18人に送ったとあるが1名分不足している。Kマネだけが疎外されたと思われるがどれだけ嫌っているのか。

★誕生日の朝写したとされる2ショットフォト
ケーキ2













★同日、サロン105のバースデーパーティー
xmas3








★下の画像を見た第一印象はたかじんの目力がないこと、相当な衰弱だったのではないか。これなら外出を躊躇したのも理解できる。
サプライズでパーティーを準備した相原、山西の狙い、集まったテレビ業界人達の狙い、たかじんを説得して連れ出したさくらの狙いは何だったのだろうか。
たかじんとさくらは5日後の10月10日に札幌で入籍することになる。

たかじん番組終了騒動

★Uの存在

8月26日、読売テレビの山西から電話があった。番組復帰を待ち続けると公表していいかとの確認だった。その後に山西が言った。

【引用: 純愛 315-317P】
「たかじんが番組を終わらせたがっているとUが言っているが本当か」という質問だった。それを聞いたたかじんは激怒して、「そんなことはない!」と否定した。
たかじんは電話を切ったあと、さくらに「Uの奴、余計なこと言いやがって」と怒った。
(中略)
その日(9.30)の夜彼が寝たあと、相原からさくらに電話があった。
「山西さんからUが言うてたこと聞きました。ひどいよなぁ。師匠が番組やめろなんて言うはずないもんなあ」
これからは番組の事は、Uさんじゃなくて、私に直接言ってください
「そうするよ。Uはもともと音楽界の人間で、ぼくらテレビのことはわからん。バラエティのスタッフを馬鹿にしてるようなところがあるんで、前から気分が悪かったんです」

さくらは「胸いっぱい」制作プロデューサーの日置に電話すると、「Uがたかじん番組のプロデューサークラスを集めて、「番組の看板を降ろせ、これはたかじんの意向だ」と言ったとのことだった。翌日、相原からその話を聞いたたかじんは激怒し、Kマネに「今後一切、Uは仕事に関わらせるな」と告げた。

9月18日、東京から札幌に向かう機中で、たかじんはUを辞めさせたかKに訊くがまだだった。たかじんが直接言うと告げると、Kは「ぼくから話す」と言った。


【引用: 純愛 321P】
さくらはKに言った。
「ハニーはKさんに、マネージャーとして期待しているんです。Uさんがいなくなってもやれるという気持ちをわかってください」
「基本的にはぼくが全部やってるんですけどね」
Kは不満そうな顔をした。それを聞いたたかじんは大きな声で言った。
「お前、車の運転以外、何もでけへんやないか」
Kはぶすっとして黙った。

★殉愛によると、山西から電話が入った前の週、Uがたかじんと会っている。たかじんは「胸いっぱいのパネルと、委員会の人形、あれは申し訳ない」「ああやってパネルでスタジオにいるのが悪くてなあ」と言った。自身が出演出来ず、パネルや人形が堂々と鎮座しているのが心苦しかったのだろう。
Uは、復帰の目がないなら、番組は終わらせた方がいい、番組があるとプレッシャーになる、本人は終わらせてほしいと思っているはず、とさくらに話している。さくらはUに対し、「たかじんのテレビに懸ける気持ちをわかっていない」となじる。
このやりとりが殉愛で書かれたということは、たかじんとUの間で、番組終了(又は冠外し)に関する何らかの意思表示が有ったと見て間違いないだろう。死期を悟ったたかじんが12月25日にKマネを呼び、冠番組を終わらせることを指示していることもその証明だ。
番組終了で一番困るのは、たかじんを取り巻くテレビ局や制作会社と、その神輿に乗るさくら達だからだ。事実、死後も冠番組を続行し、甘い蜜を吸ったのは彼らだ。さくらは相原に対し、番組のことは私に言ってくださいと宣告したが、真実はまだまだおぞましい"ハイエナ達の密談"だったことだろう。

(※Uと弟子の打越氏は別人)


読売テレビ会長と食事会

★思惑

3月14日、テレビ復帰に向けて約4ケ月(一時帰国が有った)のハワイ生活から大阪に戻った。18日、読売テレビ越智会長と山西制作局長が食事会を開いてくれ、さくらも同席した。


【引用: 純愛 242-245P】
「いつか越智さんにハニーをきちんと紹介したい」とも言っていた。
この夜、たかじんはその言葉通り、「ぼくの一番大切な女性です」と、さくらを紹介した。そして自分がどれほどさくらを大切にしているかを熱く語った。
「たかじんさんとさくらさんは、殉愛なんだね」
越智はしみじみと語った。たかじんは本気で照れていた。越智はさくらに向かって、「たかじんさんは本当は心の優しい男なんです。しっかりと支えてやってください」と言った。
(中略)
越智は、何度もさくらの手を握りながら、にこにこして「こんな若い娘をつかまえて」と言った。


▼読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」
委員会2






越智会長がさくらの手を何度も握り・・・のシーンは、初対面の女性に手擦り合わせるテレビ会社会長として品格が疑われる。さくらとしてはテレビ局トップとの親密さをアピールすることで、その後の利権ビジネスを容易に進めようとする魂胆には、願ったり叶ったりだったことだろう。
読売テレビのたかじん冠番組継続、さくらによるたかじん利権の独占、今現実に起こっている事案の暗示と取れる食事会で興味深い。
会長のお墨付きを与えられたも同然の山西制作局長は、冠番組継続に向けて中心的に尽力したことだろう。現在も読売テレビ制作の「そこまで言って委員会」は番組継続の方向を匂わせている。

※追記
そこまで言って委員会は、2015年4月放送分から「たかじん」の冠を外し、そこまで言って委員会NPとして番組を継続することになった。メインキャスターには辛坊治朗、サブには元ニュースステーションで司会をした渡辺真理が就任した。

初めて会ったクリスマスオフ会

★サロン105

2011年12月25日はたかじんとさくらが初めて会った日、たかじんの体調が悪く、恒例のハワイ旅行の代わりに開いたクリスマスオフ会の日だ。さくらが妹の出産手伝いで帰国中なのを知ったたかじんが、以前から誘っていた。
この日の夜、来日したイタリア夫(註・殉愛ではイタリア女性)と食事中に、たかじんから何度も誘いの電話が有り、少しだけ顔出しすることになる。
会場は南堀江にあり、ドアに「たかじんのバー」という暖簾がかかっている「サロン105」だ。

【引用:殉愛29P】
(中略)・・・・「行けたら行く」と返事をした手前、嘘をつきたくないという思いもあった。

【引用:殉愛30P】
男性は自分の席の右側を空けると、「ここに座って下さい」と言った。後にわかるが、彼は女性を隣に座らせるときはいつも自分の右側に置いた。さくらが座ると、彼は「たかじんですぅ」と挨拶した。さくらは「ああ、前にテレビで見た男性はぼくです、と言っていたのは本当だったのだ」と思った。

★夫を置いて出かける人妻

行けたら行くは約束にあたらないと思う。まして、イタリア夫の来日に合わせてホテルをリザーブしている夜である。
ホテルはヒルトン大阪と記されており、殉愛では妹の出産予定日なのでホテルで待機していたとなっているが、一方で、今回の里帰り中は叔父が所有する大阪市内のマンションに仮住まいしているとも記している。妹さんがどこの病院で出産したのか不明であるが、わざわさ大阪駅前のホテルで待機する必要が有るのだろうか。クリスマスに来日した夫の為にリザーブしたと考える方が自然である。
その夜の21時を過ぎ、さほど興味を持っていない中年男性に誘われて、人妻が一人出掛けるものだろうか。少なくとも自分が知っている範囲の一般女性で、このような行動をとる人はいないので理解に苦しむ。
さくらには行かなければならない必然性が有ったのだろうと考えると納得がいく。それは面接だったのかも知れない。後にたかじんから秘書代として受け取った300万円との合点が行く。300万円の範疇が分らないが、一応高額なので、※※が〇〇してのお駄賃込みだったのかなとの勘繰りが働く。
面接だとしたら誰かの紹介だろうが、それは誰だろうか。 個人なのか組織なのか、今現在は怪しいという仮説しか立てられないが、別項で検証していくとしたい。


★「順子」

たかじんが女性を右側に座らせる理由は斜視の影響なのだろうか。 勘ぐり過ぎかもしれないが、後にさくらが主張する左耳の難聴と関連性が有るのだろうか?

この時たかじんは「さくらちゃんのために歌う」と言って、自分の曲である「順子」を、順子のところをさくらと変えて歌い、会に参加していた他の女性の嫉妬をかっている。これは二年後にさくらのために最期に歌ったとされる曲と同じである。

★チョル

【引用:殉愛31P】
歌の途中、別の男性が隣にやってくると、「どこかで会うた?」と訊いてきた。後に何度もさくらを助けてくれることになるこの男性は松本哲郎という男で、たかじんとは三十年来の親友だった。
「会ってないと思いますけど、どうしてですか?」
「じんちゃんが昔、好きやった女に似てる。一緒に皿を買いに行けへんかったかな?」


チョルこと松本哲郎は金スマSPに出演し、「たかじんの昔の彼女とさくらが激似だった」と証言している他、二人の殉愛ぶりの紹介をした。又、たかじんが信頼していたKマネ―ジャーを執拗に批判した人物だ。たかじん死去の報を受け、一番最初に東京へ駆け付けたとされているのも彼だ。
その「昔、好きだった女」は、たかじん京都時代に同棲していた女性を指しているとの説が有るが、たかじんが20代後半の頃の話しだ。それから三十年位経ているのでそれなりの年齢だろう。その女性と間違え「会うたことあるか」と訊くのはナンセンスだ。
さくらの過去の何らかのシーンで出会っていると考えた方が自然だと思う。

記事検索
プロフィール

障子 開

ギャラリー
  • さくらのMONEY勘定~リボンでくるんだお金
  • 最後の咆哮~アズマラ氏和解から
  • さくらのMONEY勘定~たかじん遺言書全文
  • さくらのMONEY勘定~たかじん遺言書全文
  • さくらのMONEY勘定~たかじん遺言書全文
  • おはよう朝日ですと井上公造の「殉愛問題」
  • OSAKAあかるクラブ寄付金放棄騒動
  • たかじんにすがるハイエナ達
  • さくら「殉真」出版差止申立
QRコード
QRコード
最新コメント
  • ライブドアブログ