絶望

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

直葬の日

★火葬場

1月5日、マンションに集まったのは、松本、前妻、Hとその夫、弁護士だ(*Kも参列とする報道もある)。


【引用: 殉愛 392P】
弁護士が顔を見せた途端Hが「遺言書に何て書いてありました?」と訊いた。弁護士は「それはここでは言えません」と答えた。するとHは「あなたはさくらさんに雇われた弁護士ですか?彼女の味方ですか」と問い詰めるように言った。弁護士は取り合わなかった。


さくらは柩の中に、パイプ、タバコ、さくらの手紙、テレビリモコン、腕時計、帽子、レギュラー番組DVDを入れた。火葬炉に入れられたとき、過呼吸を起こしたさくらの背中を前妻が抱きかかえた。

【引用: 殉愛 393P】
待合室に戻ると、Hはお腹すいた」と言って、ビールとつまみを頼んだ。そして泣いているさくらに向かって、「喪主なんやから、しっかりしいや」と言った。
(中略)
炉の前で、前妻が「見たことある? 人体模型みたいで、結構グロいよ」とさくらに耳打ちした。しかし出て来た骨はバラバラだった。Hは「なんや、ボロボロやん」と言い、「係の人に火力が強いんですか」と訊いた。
(中略)
しかし、文春にこう書かれた。
「彼女(さくら)は遺骨を見るや、へらへら笑って『うわあー、焼き上がったマカロン見たーい』と言い放ったそうなのです。これには参列者全員が唖然としたそうですよ(たかじんの親友)」
これは真っ赤な嘘である。


骨上げが終わると全員で食事に向かった。

【引用: 殉愛 395P】
「じんちゃんはええ人間やった」と松本は言った。「松本哲郎の名前で、寄付とかもしょっちゅうしてた」
たかじんが生前から恵まれない子供たちの施設や盲導犬協会に寄付を頻繁にしていた話は、彼自身からも聞かされていたし、彼が亡くなったあとはさくらが続ける約束をしていた。
「そんなことより、おばあちゃんとおじさんにいつ知らせるのよ」
Hがさくらに言った。
「やしきの遺志で、まずテレビ局のスタッフの皆さんに知らせなければならないので、親族の方に知らせるのは、七日の夕方以降まで待ってほしいのです」
弁護士も「はい」と言い、松本も「そらそうや」と同意した。すると、前妻が突然、口を開いた。
「私が言うのもなんやけど、じんちゃんは口ではそう言ったかもしれないけど、本心は違う。家族の立場から言わせてもらうと、じんちゃんすごく優しい人だから、皆に知らせてほしいと思ってるはず」
「でもやしきはまずスタッフに知らせてほしいと言ったんです。それ以外には連絡するなと言われたのに、ここにおられる皆さんには連絡したんです」
「妻が連絡するのは当たり前やろう。お父さんが連絡するなと言ったとしても、それを説得するのが妻の役目ちゃうん」
Hが言うと、前妻も同調した。
「テレビ局のスタッフよりも、親族のほうが大事やろう」
Hはきつい口調で言うと、弁護士に向かって、「そうでしょう」と同意を求めたが、彼は「私は口を出すことは出来ません」と答えた。


さくらが明後日まで待ってほしいと言い、娘は連絡をいれてほしいと言った。
娘は弁護士に遺言書の件を聞きたいと言って残った。松本は「あんなんだから、じんちゃんも嫌いになったんや」と言った。その後、弁護士から「娘が遺言の事でかんかんに怒っている」と連絡が入り、さくらはトラブルの予感がした。

★葬儀形式は直葬だった

さくらはたかじんが希望した密葬を行っていない。密葬とは親近者のみで行う通夜を含む葬儀のことを指す。つまり親族と極近い関係者が参列されるものだ。たかじんの場合は直葬と呼ばれるものだ。(*下記参照)
密葬なのでたかじんは親族と最期のお別れが出来るものだと考えていたはずだ。さくらは当初、娘と前妻も呼ばない算段をしているが、松本と二人で事を済まそうとしたのはどんな秘密があるのたろうか。献身的な妻を世にアピールしていた姿は借り物で、さくらのこころの奥底は・・・真逆の魂が潜んでいるのだろう。


[直葬] 通夜や告別式などの宗教儀式を行わない、火葬のみの葬儀形態。近親者や友人など限られた関係者のみで執り行うケースが多い。葬儀費用が平均18万円程度と安価で、時間が軽減できることが利点である。一方で、十分な別れの時間が取れない、招待しなかった人々からの反感を招く、葬儀後に個別の弔問が多発するといった問題が起こるリスクもある。経済的な問題や宗教観の変化、人間関係の希薄化などにより、2000年以降、都市部を中心に増加している。NHKが2013年に行った調査によると、地域別では関東地方が特に多く、葬儀全体の5件に1件を占めている。

[密葬] ひそかに死者を葬ること。特に、身内だけで内々に葬式をすること。また、その葬式。
本来は、身内だけで簡単な葬儀を行い火葬もすませること。後日、死亡通知を出し本葬を行う。著名人にこの形式をとることが多い。

殉愛文中にある娘と前妻の見解が一般的な社会通念である。この主張をする人達と、秘密裏にことを運ぼうとするさくらとの比較では、どちらを信用出来るかは一目瞭然である。
弁護士も「何も申し上げられない」と言ってるが、密葬の意味を理解しているなら、的確な見解を述べて然るべきだっただろう。

★母の悲痛

「お母さんは、息子が亡くなったことを1月7日に知ったそうです。死から4日後ですよ 関東に住むたかじんの長女から夕方5時すぎに電話があったそうですが、『葬式もすでに済ませた』と言ったそうなんです。お母さんは。息子の死を現実のものと受け止めることができないようで、涙を見せるのでもなく絶句していました」
なんと、実母が知ったときには、息子はすでに荼毘に付されていたのだ。 
(女性自身 2014年01月14日)

★マカロン・人体模型発言

週刊文春では、1月23日号、2月6日号と2号にわたって、未亡人がたかじんの死を彼の実母や実弟にも知らせず、参列者5人だけの火葬ですませてしまったことが報道され、火葬場でたかじんの骨を見て「うわぁ~、焼き上がったマカロンみた〜い」と言い放ったと書き立てられた。 (リテラ) 

殉愛には、この前妻がたかじんさんの葬儀で「人体模型みたいで、けっこうグロイよ」とさくら氏に耳打ちしたとも書かれているが、彼女の親族は憤りを隠さずこう語る。
「本が出て、すぐ彼女から怒りのメールが来ました。『そんなことは絶対に言っていない』と言っていました」
(女性自身 2014年12月19日)

★前妻の携帯電話

たかじんは前妻に看取ってほしいと親族に連絡していたが、2013年8月頃を境に連絡が途絶えたそうだ。この頃にさくらがたかじんの携帯電話を操作し、登録変更や着信拒否設定などを行い、外部との接触を断った可能性が高い。たかじんに電話するとさくらが出た、とのコメントが出始めるのもこの時期頃からだ。

この前妻へのたかじんさんの思いについて、生前の彼を知る複数の人が同様の証言をしている。親族は「闘病中もたかじんさんから連絡があり、細かく検査の数値や治療法などを知らせてきていたそうです。そして何度も復縁したいと伝え、『お前に最期を看取ってほしい』とも言っていたそうです。
最後にそうした連絡があったのは13年8月ごろ。彼女は『一度は愛した人。主人の許可が得られたら私が看取るという選択肢も考えた』と言っていました」と続ける。13年8月といえば、たかじんさんが再発したがんと闘っていた時期。だが急に連絡は途絶え、2カ月後に彼はさくら氏と結婚したのだ。前出の親族がこう語る。
「たかじんさんの携帯に登録されている彼女(前妻)の電話番号が変わっていたそうです。090が080になっていて……。さくらさんが彼の携帯から彼女に訃報を知らせてきたとき『登録していた電話番号が変わっていて連絡できませんでした』と言ったそうです」
それでは、彼からいくら前妻に連絡していてもつながらない状態だったということになる。
さくら氏は「主人は嫌なメールはかたっぱしから消す人だった」と語っており、今となっては前妻とのやりとりを示す証拠はない。
だが彼の弟子の打越元久氏(56)も言う。
「マネージャーのKでさえ、たかじんさんと連絡が取れなくなっていたと言っていました。さくらさんの電話はつながるのですが、彼女が『誰とも話したくないと言っています』と言うので、会うのを控えていたそうです」  (女性自身 2014.12.19)

★さくらと松本の寄付話

火葬後の食事会で、さくらと松本が恵まれない子供の施設と盲導犬協会への寄付の話しをしている。これはたかじんとさくらがエンディングノートについて話した記述と同様だ。しかし後日判明した遺言書での寄付先は、大阪市、大阪あかるクラブ、桃井学園となっていた。
たかじんも松本名で寄付をしていたとの記述と、その後さくらが、大阪あかるクラブと桃井学園へ寄付辞退交渉を行っている事実からの推測として、当初二人は、松本を窓口として子供たちの施設と盲導犬協会への寄付をし、還流させる案を立てていたのではないだろうか。故人に鞭打つ憶測で恐縮だが、たかじんもその形でマネロンをしていたのかも知れない。ならば、たかじんにとって松本の利用価値はそこに有ったのだろう。
さくらと松本が再度同じ形のマネロンを謀ったが、遺言書で違う団体に変わったのは、弁護士に不適格な遺贈先と指摘されたか、或いは何らかの不都合な事情が起きたのだろうと思う。もしそうならこの二人には、たかじん生存中から遺産をめぐる企みが始まっていた事になる。

殉愛のエンディングノート作成時の描写では、たかじんメモリアルを作るとサラッと書かれているが、具体的な創設方法と資金面には触れられていない。遺言書作成時の記述でも同様だ。発刊後に判明するのだが、さくらは9月11日、「たかじんメモリアル」設立を口実に、大阪あかるクラブへ返還交渉に出向いた。この場には著者の百田尚樹とAZITO代表の井関が同行しているが、これは殉愛が発刊される二ケ月前のこと。つまり、百田尚樹は正式な寄付先を知っていながら、殉愛でウソの描写をし、さくらの企みをアシストしたと言える。

(遺言書内容は2014.12発売・女性自身が掲載した。詳細は打算と逆襲カテゴリーにて)

長女とさくら 初対面の日

★亡骸の前で

1月4日、たかじんの長女がマンションに来た。


【引用: 殉愛 391-392P】
Hは父を見て、「お父さん、痩せたなあ」と言った。そのあとリビングに戻ると、「お父さん、私のこと何て言ってた?」と訊いた。
「メールいただいたときは、気持ちの行き違いがあったみたいですね」とさくらは言った。
「メールの返事もくれへんから、別にどうでもええとほっといたけど、それ、自業自得やん。そんなに悪かったら、連絡くれたらよかったのに」
「Kさんから連絡もらってなかったんですか」
「私、Kとは仲悪いねん」
(中略)
「私はSからあなたのことを聞いて、あまりよく思ってなかったよ」
 (Sとは2013.5迄PISの事務員をしていた)
「私がお父さんに送ったメールも、あなたがお父さんに見せてないんじゃないかと疑っていた。私とお父さんの仲が悪くなったのは、Sのせいや」
Hは言い訳めいた言葉を並べ、Sに責任転嫁するようなことを言った。


★百田尚樹、"人間のクズ"はお前だろ!

たかじんが息を引き取ったとき、さくらは声を出して泣いたと書いただろう。実の娘がたった一人しかいない父親の亡骸を前にして、「痩せたなあ」とたんたんとした一言で終わることなどないだろう。
"シャネル"のハンカチ"1.000枚"でも足りないくらい泣いただろう。"嘘八百"が決め技のさくらに"騙されて"、何が本当なのか分らないだけだろう。真に"おぞましい人間"は自分だったという茶番は可笑し過ぎて、"ヘンズリパワー"で茶沸かしてやるわ。

おそらくはKマネがそうしたように、祖母(たかじん実母)やたかじんの兄弟にも会わせるべきと主張するやりとりが有ったと思うが、それらの記述はない。取材側も受けた側も、人としての心を持ち合わせているのか疑問だ。

★奇妙な電話連絡

死亡翌日の四日に、さくらがたかじん前妻へ連絡した際の会話が奇妙だ。

「私は(たかじんから)連絡もないので、気にはなっていたのでドキッとしたんです。奥さんは最初、亡くなったっていうことをおっしゃらずに、『とりあえず来てください』と言うだけだったんですよ。私はお正月を主人と過ごしていたので、『ちょっと待ってください。そんなに今すぐどうこうというえほど調子が悪いの?』って聞いたら、『そうなんです』と。そしたらせめてお正月が明けてから、すぐに行きますからって言ったら、『実は昨夜亡くなりました』っておっしゃるので、翌日すぐに東京に飛んで行ったんです」
(角岡伸彦著/小学館・ゆめいらんかね やしきたかじん伝 253P)

★メール

メールとは「自業自得メール」のことだ。たかじんは激怒し絶縁を宣言したとされるものだが、娘の言い分は違い、実際に送ったメールは残されており週刊朝日が報じた。

「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」 (週刊朝日 2014.12月18日号)

たかじんの死後初対面の娘さんに対して、さくらの対応は、看病の苦労と、いかに自分が父に愛されていたかを、その後は元マネージャーKさんの悪口を滔々とまくし立てていました。 (婦人公論 2015年1月22号)

Hさんインタビュー
 「(がんとわかって)最初はメールを送っていた。ご飯を作ってあげたいなと思って。娘だから看病しなくちゃと思っていた。でも連絡を無視され続けた。
兄弟や親戚とも絶縁していたというのも全然違う話。ガンになってみんな心配して、どこに入院しているんだろうと。聞いても教えてもらえない状況だった。父本人から話を聞きたかった。どんな病気で、どうするのか聞きたかった。
私の連絡を無視し続けているのに、若い女性に世話させていると聞いて腹が立った。父に挑発的なメールは送ったが、自業自得なんてメールは絶対に送っていない(最後は涙声に)」 (FLASH)

一方さくらは、たかじんは嫌なメールはすぐに消去するので、そのメールは残っていないと言う。信憑性のない話しだ。

★さくらの名前も知らなかった親族

せめて亡くなる直前には、お母さんや兄弟に『たかじんが危ないねん』とひと言だけでも知らせるべきでしょう。でも実は、親族の誰も彼女と会ったことがないんです。連絡先はおろか、名前さえも知りません。長女とも、今は連絡してもつながらない状態になっています。 (女性自身 2014.1.14)

殉愛でも報道でも書かれていないがたかじんの「囲い込み」について、長女がさくらを厳しく問い質す発言が有ったと思う。それは当然だ、自分なら土下座されても許さない。

揉めた葬儀の段取り

★湯灌

1月3日

寺田は入浴用の移動ベッドにたかじんを乗せ、入浴室へ向かった。たかじんをベッドに乗せたまま湯船で体を洗った。午前4時頃葬儀社の人が来て、事務手続きを終えて病院を出た。


【引用純愛 385P】
葬儀社の人が遺体を袋に入れてファスナーを閉めるのを見て、さくらはたまらない気持になった。
(中略)
ワゴン車の後ろに遺体を乗せ、さくらはその横に座った。マンションに戻る途中、さくらはファスナーを少し開けた。
「こんなことを言うと変に思われますが、ハニーの息が詰まるような気がしたのです」

マンションに戻ってたかじんをベットに寝かせると、赤いジャケットを着せた。
葬儀社の人と、密葬とする、戒名は付けないことを告げた。葬儀場、柩、花などの打ち合わせをし、火葬は1月5日に行うことにした。

午後、松本哲郎、Kマネ、弁護士に電話すると、それぞれ今日行くとの返事だった。Kマネは「ああ、そうですか。お疲れさまでした」と、あっさりした口調で言った。松本にだけは来てから死を知らせた。
Kが来た。「Uも下に来ている、呼んでくる」と言ったがさくらは断り、押し問答となった。さくらは「ハニーが密葬を望んだ、皆に言うと報道される、それは個人の意思ではない」と言った。

【引用純愛 389P】
「何じゃあ、お前!」Kは大きな声を上げた。「師匠の気持は俺が一番わかっとるんや。俺のオカンが死んだときみたいに、みんな呼んで顔触らせるんや」
「Kさんのお母さんと一緒にしないでください」さくらも負けずに大きな声で言い返した。
「やしきたかじんは私の夫です。妻の私が、夫に言われた通りにやります」
「お前なんか、妻でも何でもないわ、俺のほうが師匠をずっと思ってるわ」
「それなら、どうして、彼が一番大事なときに女遊びなんかしてたんですか」
「なんでお前にそんなこと言われなあかんねん、師匠が何も言わへんかったんやから、ええやないか」
(中略)
「ハニーから私を助けろって言われたでしょう。誰にも言うなって言われたでしょう」
「うるさい!」とKは言った。「誰がお前なんか助けるか、会社も何も勝手にせいや。俺は辞める」
「わかりました。それでは、後日、やしきたかじんが亡くなったことを知らせるために、会社関係のリストをください。それくらいはしてください」
「何でそんなんせなあかんねん。お前一人でやれや。P、I、Sも一人でやれ。俺は辞めたらあ」

Kが帰った後、さくらと松本が話しして、長女と前妻を呼ぶことにした。松本がじんちゃんは前妻に来てほしいはずだと進言した。

★湯灌と納体袋

まず以て驚くのは、死後のたかじんを病院の入浴室で湯灌を行った事だ。そこは一般の入院患者が使用するところなのでにわかに信じ難い。もし本当なら聖路加国際病院の倫理管理が疑われる。通常はエンジェル・サービスまでが病院の役割で、遺体を入浴させる場合は葬祭業者が専用設備で行うのが通例である。
疑うときりがないが、たかじんの遺体を第三者に見られたくない事情が有ったのだろうか。食べ物を詰らせて救急搬送されたとの報道、遺体を「納体袋」に入れてマンションまで運んでいる事と併せて疑問が増幅する。

▼湯灌・納体袋については下記引用を参照

湯灌とは、葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。簡易には遺体を清拭(せいしき)することで済ませる場合もある。故人が男性の場合はその際に髭を剃られ、女性の場合は死に化粧が施される。地域差があり、一般的ではない地域もあるとされる。
葬祭業者の手によって行われ、自宅で葬儀を行う場合などでは給排水装置を積んだ専用車が手配され、葬儀会場へ専用の湯船が搬入される。看護師による簡易な清拭は「エンジェル・サービス」と称される(ウィキペディア)

この本に登場する葬儀屋さんは故人の写真を撮ることを優しい声ですすめた、として好意的に書かれています。しかし病院から自宅へ搬送するときご遺体を納体袋(腐乱死体や警察業務などの際、遺体を収める袋)に収めたため搬送途中で奥さんが「息が苦しそう」ということで、こっそり袋のファスナーを下ろす描写があります。
一般的な病院業務では布担架は使うかもしれませんが、納体袋はコストもかかるうえ
モノ扱いの印象を与えるので、通常使いません。もちろん普段から使っている葬儀社は存在しない、とはいえませんが・・・
あんまり良い葬儀屋さんではなかったのかもしれません。 (考える葬儀屋さんのブログ)

▼納体袋用途
1.一類感染症、二類感染症、三類感染症又は新型インフルエンザ等感染症の病原体に汚染された遺体。
2.血液・体液・排泄物等による接触感染リスク暴露の防止。
3.屋内や野外の遺体の一時期的な安置。
4.又、その後の腐敗臭の防止。
5.損傷のある遺体や腐乱したご遺体におけるプライバシー保護など。
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(モレーンコーポレーション/納体袋が必要な場合)

さくらがたかじんの希望として密葬を主張しているが、さくらが考えているのは事実上「直葬」であり、通夜も葬儀もなく火葬とする形だ。身寄りも側近もいない天涯孤独の身とは比較にならない、著名人であるたかじんの送り方としては異常事態であり、Kマネが激怒するのは当然である。
それにしても松本哲郎に一番最初に連絡し、誰よりも早く掛け付けていたのは何故なのか。その後もさくら側に立った発言を繰り返すのだが・・・。


★殉愛では松本が長女と前妻を呼ぶことを打診したことになっているが、実際は違うようだ。

たかじん長女に連絡しないと言うさくらと、そんな訳にいかないと言うKマネが激しく口論となり、さくらは娘への連絡を渋々了承した。 (週刊文春)

さくらはたかじんの遺言で、さくらとたかじんが親しかった大阪の会社社長だけで密葬を済ませてくれと言われていると主張した。(角岡伸彦著・ゆめいらんかね やしきたかじん伝)

たった一人の娘や親族にも知らせようとせず、Kマネの参列をも阻止しようとするさくらは、一体、何を企んでいたのか。遺産狙いで次々と夫を殺害した京都の筧千佐子と親族縁者を遠ざける発想が似ている。


たかじん 旅立つ

★下顎呼吸

12月31日、この日の朝は下顎呼吸が始まる。こうなると数時間で死亡するケースがある。時々話そうとするがとても小さな声だった。さくらは氷らせたコーラを口に含んで、たかじんの口に移した。久保田医師はスキー旅行をキャンセルして待機する事になった。

携帯電話をボイスレコーダー代わりにして、たかじんと会話を交わした。


【引用純愛 378-379P】
「またしばらくねんねするから、ねんねする前にちょっとお喋りしてくれる、さくらに」
「うん」
「うん?何か言いたいことない?」
「しんどい」
「しんどいねむ、オーケー、じゃあマスクしようね」
「ぼくは、あと、どのくらい?」
(中略)
「頑張る」


百田尚樹は、この時のさくらの優しい声はまさに天使のように聞こえた。私はこの録音を聴いて涙をこぼした。と書いている。

1月1日、たかじんが夜に目を覚ました。


【引用純愛 380P】
「一月一日、頑張ったね。すごいね」
さくらが褒めると、彼は「あかん」と言った。
「何があかんの?」
「あかん、あかん」
「一月一日だから、あかんの?」
彼は「うん」と言った。
「何があかんの?神様のところへ行くのは、お正月だからあかんの?」
「うん」とたかじんはまた言った。「頑張る。もっと頑張る」
「明日まで頑張るの?」
彼は首を横に振った。
「明後日まで頑張るの?」
彼は「うん」ともう一度言って、眠りについた。


1月2日

【引用純愛 381P】
たかじんは呼吸がしにくそうで、見ていて本当に苦しそうだった。現在の状態で睡眠薬を使うと、そのまま息が止まってしまう可能性もあると言われたが、少しでも楽にしてあげたいと思った。
「ハニー、苦しいから、少しねんねできるようにしてもらいたい?しようか?」
さくらは耳元で言うと、彼は「アイラブユー」と言った。これが、たかじんの最期の言葉となった。
睡眠薬を投与すると、静かに眠った。しかし、手足はどんどん冷たくなっていた。
(中略)
彼は口を動かして何か言ったが、聞き取ることができなかった。でも唇は「アイラブユー」と動いているのがわかった。


息をしていないのに気付いたさくらがナースコールで呼んだ、ナースマネージャーの寺田麻子が心拍を調べ、久保田医師を呼んだ。
久保田が死亡を確認した。1月3日午前一時三十四分だった。

★救急搬送報道

殉愛では12月26日入院、1月3日未明死亡となっているが、当時の報道は全く違う。自分もテレビで「食べ物を喉に詰まらせて死亡」と聞いた記憶がある(記憶によると辛坊治朗が出演した番組だったと思う)。当時の報道等を列記しよう。

年始は自宅で過ごしていたが、容態が急変し、搬送された病院で死亡した。(角岡伸彦著「ゆめいらんかね たかじん伝」)

関西人にとっては父親を亡くしたも同然だった。1月7日、関西を中心にカリスマ的な人気を誇る歌手・タレントのやしきたかじん(64)が心不全で亡くなったことが発表された。
1月3日に、東京都内のマンションで食事中に食べ物を喉(のど)に詰まらせ、主治医の勤務する中央区の総合病院に救急搬送。昨秋に入籍したばかりの妻が見守る前で息を引き取った。
(FRIDAYデジタル2014.1.9)

やしきさんは食道ガンで活動を休止し、静養中だった。関係者は、東京で正月を過ごしていた際、食事を喉につまらせ救急搬送されたと証言。
関係者によると、一時は好きなワインもたしなみ、ウオーキングをするなど心身共に順調に回復。 今月中旬には静養も兼ねハワイに滞在する予定だった。
(ライブドアニュース)

関係者によると、東京の自宅で正月を過ごしていた際に食事を喉につまらせ救急搬送され、最期は夫人に看取られ息を引き取ったという。
親交の深かった著名人たちの反応で共通するのは、全く死の兆候を感じていなかったことだ。たかじんさんの関係者から漏れ伝わってくる情報によって「体調は少しずつ回復している」との認識が広がっており、突然の死去は寝耳に水だったようだ。
(メンズサイゾー)

 いろんな方々から電話やメールをいただいたが、ボクは信じられなかった。8日から、たかじんさんは新妻とハワイに静養に行く予定になっており、チケットも購入済みだったからだ。
それだけではない。この静養に備えて、たかじんさんは大好きなカルフォルニアワインを大量に注文。米国本土にしか売っていない葉巻も取り寄せていた。この行動は体調が回復していたことを裏付けるもので、ハワイ静養後、タイミングを見て復帰するという青写真だったことを意味している。(芸能レポーター・井上公造)
 (yahooニュース)

この他に各スポーツ紙も報じがん闘病中に心不全との報もあったが、「救急搬送」と同一の単語が使われた報道が複数に渡るのは、ソースが消防か警察なので捏造はない。ならば殉愛での記述はフィクションとなる。

★病院事情の指摘

何度か書き込んでる医師です。
悪く考えれば、主治医に死亡確認してもらわなければ困ること、他の医療関係者の目につきにくいことだとすれば、年末年始体制の夜間が、もってこいです。

自宅で救急車を呼ぶの同時に、主治医にも連絡(勤務時間外でも主治医に電話メールしていたと殉愛に記述)すれば、自宅にいた主治医も、救急車到着すぐには病院に着きたかじんを診ることができ、他の待機の救命の医者が診ることなく 死亡診断が書けた。
でも、運ばれる救命には救命の看護師がいるから、そこの目はどうしたのかが分からない。

(2CH 既婚女性板より抜粋)

そういえば、聖路加はキリスト教の病院なのでしっかりした緩和ケア科もあると思いますが、最後まで主治医は久保田先生なんですね。オペ不能な末期ガンで疼痛コントロールが主なら、緩和ケア科にうつるのが普通ですが、よほど久保田医師を主治医にしておきたかったのですね(医師)
(2CH 既婚女性板より抜粋)

聖路加病院医師、看護師達は実名で書かれながら、さくらを賛美しているが疑問への一切の説明をしていない。

★息を止めた!?

殉愛の中でさくらが、現在の状態で睡眠薬を使うと、そのまま息が止まってしまう可能性もあると知っていて、「ねんねしようか」と言い「睡眠薬」を与えた。このシーンと救急搬送がオーバーラップして、湧き出す疑念を抑えることが出来ないでいるのだ。

聖路加国際病院の医療管理体制に対する根本的な疑問と疑惑
(2CH 既婚女性板より抜粋)
・「たかじんが苦しそう→ナースコール」という病室での通常行動を取らなかった理由は何か?
・当時のたかじんは、錠剤の睡眠薬を嚥下できるはずないので、点滴か注射で投与のはず
・医療資格を持たない素人のさくらが、このような医療行為を本当に行ったのかという疑問
・危険性を告知されていたさくらが、自己判断で睡眠薬を投与し死亡に至らせたことの是非


救急搬送が正しいなら、入院継続中に死亡と殉愛に書かれた、聖路加国際病院と主治医の久保田医師はなぜ反論しないのだろうか、それともマスコミ報道が誤報なのか、 やはり百田尚樹の演出なのか。

★たかじんは回復していたのか!?

もう一つの情報がある。北野誠が未亡人から聞いた話として証言している話だ。
『北野誠が、2014年1月11日放送「たかじん胸いっぱい」で報告。たかじんがNHK紅白歌合戦を見て「綾瀬はるか、これどやねん?」とつっこんでいた』
紅白歌合戦が放映された12月31日は、殉愛によると朝から下顎呼吸が始り、数時間で命を落としてもおかしくないと久保田医師に診断された日だ。そんな状態でテレビ番組に見入り、司会者を論評しているのは真実性に欠ける。

殉愛を読むと不思議な気分になる事が有った。10月10日の入籍後はたかじんの病態悪化とKマネへの批判的な記述が圧倒的に多いのだ。井上公造のコメントにあるように、たかじんは正月のハワイ行きのチケットを用意したり、メッセンジャー黒田が訪問した際にはワインを痛飲する程回復していたのにだ。さらに、大晦日の関西テレビ「胸いっぱい1000回記念」にサプライズ登場しようとして赤いブレザーを用意していた。そして紅白の件。
たかじんは復帰のきざしを見せる体調だったのではないのか?。
そしてこれは「アサヒ芸能」に掲載された記事だ。

「昨年末(注:2013年12月、死亡の数日前)の段階でも、たかじんさんは元気だったんです。一部報道にあったガンの全身転移なんてのはウソ。復帰に向けてゆっくりとリハビリしているという状態で、春にも復帰するスケジュールでスタッフも動いていたのに‥‥」
「正月に都内で過ごしていたたかじんさんは、食事中に気分を悪くしてそのまま倒れ、緊急搬送された。最期は夫人に看取られ、静かに息を引き取ったそうです」(民放関係者) (アサヒ芸能)


「食べ物を喉に詰まらせ救急搬送」されたとあるが、「食べ物」は何だったのか?
一部のマスコミが書いた死因「心不全」もこのことでないのか?
それは偶然なのか? それとも故意なのか?
殉愛で死因が書かれていないのはなぜなのか?
憶測は尽きないのだが、その後の検証記事は出てこない。出て来たのは巨額の遺産を相続した未亡人に対する記事だけである。それどころか、救急搬送を報じたFRIDAY(講談社)でさえ、殉愛騒動勃発後はいわゆる作家タブーに屈した形で未亡人擁護側に回り、真実を伝える様子はさらさらないようだ。。

★疑念

この日まで最初に抱いた報道と殉愛の乖離への疑念が払えていない。幾通りもの推測を立ててみたが記するのは控えておくことにする。あまりにもおぞましいストーリーばかりだからだ。今後の真実の解明に期待するとしたい。

遺言書作成

★危急時遺言

12月29日、Kが弁護士を連れて来た。たかじんと弁護士の二人で打ち合わせをした。たかじんの意向で会話は録音されており、さくらに「明日、正式に遺言書を作る」と告げた。
たかじんの足は冷たくなり紫色になっていた。医師は「今、生きているのが不思議なくらい」と言った。

12月30日、朝9時に目が覚めたたかじんは、「帰りたい」と言い出した。その後、久保田医師に麻薬を投与してもらい眠った。
午後3時半に弁護士三人がやってきた。本来は公証人が認証するが、今回は「危急時遺言」となるため二人の弁護士を立会人とした。朝にたかじんと会話した久保田医師が「やしきたかじんの意識はしっかりしており、正常な判断力を持っている」と証明した。遺言書作成の一部始終を録画・録音した。
たかじんは会話はできるものの、文字を書けるような状態ではなかったため口述で作成された。筆記したのは、遺言執行者のY弁護士(PIS顧問弁護士)だった。


【引用殉愛 376P】
死期が間近に迫った状況でこけほどのことができるたかじんの意志の強さと精神力に感嘆するが、別の見方をすれば、そこまでしなければならないほど親族のクレームが心配だったのだ。しかし、彼の懸念は不幸にも的中する。たかじんの死後、娘が遺言書は無効だと主張して、大きなトラブルに発展する。
(中略)
この時点でさくらは遺言書の中身は何も知らない。たかじんはひと仕事を終えて安心したのか、ハイタッチをするとすぐに眠りについた。


夜、たかじんの息が苦しそうだったので、マスクと鼻のチューブを付けた。ちなみに遥洋子が話す最後の言葉、「ちょっと飲みに行ってくる」と言って眠ったのはこの夜である。

12月31日の朝、久保田医師から下顎呼吸が始まった事が告げられる。

★不自然な日時選択

殉愛で書かれた流れを要約すると、12.29日に顧問弁護士が来てたかじんと打ち合わせをした、翌日、二名の立会人のもと遺言書を作成した。正月休み期間なので、後日裁判所で認定を受ける。たかじんの意識については久保田医師が正常と証明した。念のため様子の録画・録音も保存している。こう羅列すると問題はないように思える。しかし、疑問の声もあがった。


遺言書作成に取り掛かった12月29日から、死亡した1月3日まで正月休暇中である。通常日であれば弁護士が作成した遺言書を裁判所が確認する。だが遺言書作成から初業務開始日となる1月6日(本来は1月4日だがこの年は土曜日だった)は、たかじんは荼毘に伏された後であるため、この作業は行われていない。
たかじんがKマネに遺言書作成を指示したのが12月25日なので、暦を遡ると通常の遺言書作成が可能だった日は12月26.27と2日あるが、腹膜播種は数日で命を落とす事が有ると言われていたにも関わらず、なぜ12月29日を選んだのか疑問だ。更に言うと、死亡した1月3日はも休み期間であり、スキー旅行を急遽取止めた、担当の久保田医師に死亡診断書を書いてもらうのに都合がいい日であった。
守銭奴さくらにとって重要な出来事が、この期間に集中して起こった。


★ゆめいらんかね、週刊誌記事との相違点

一方、角岡伸彦著「ゆめいらんかね」では12月29日にビデオで遺言書作成としている。このことから推測できるのは、29日の打ち合わせ内容と30日に書かれた内容が違うのではないか?

<29日の内容>
前頁でも触れたが、12月25日にKマネがたかじんに呼ばれて指示を受けた内容。
・たかじんの冠番組は終わらせること
・事務所の終わらせ方はKマネに任せること」
・娘には金を残すこと」

ここではさくらのことには触れていない。

<30日の内容>
正式に受理された遺言書では、全く逆の内容となっている。寄付分を除くと下記の通りだ。(抜粋)
・全ての動産、不動産はさくらへ
・P、I、Sの権利もさくらへ
・娘には一切相続させない

娘には何も渡さないと明記されているのも驚きの内容だ。

★ここからは推測を含む。

29日、Kマネは実際には立ち会っていないが、長年P、I、Sの顧問弁護士を務めてきたY弁護士を信用していたと思われ、たかじんから指示された内容が守られたと安心したことだろう。

一方のさくらは思惑が外れた。以前から"吹き込んでいた"娘の非道な言葉や仕打ちが功を奏していない。
ここで巻き返しする最大の小道具がエンディングノートだ。29日に打ち合せた内容が不服のさくらは、弁護士に自分の意向に沿ったエンディングノートを出し、たかじんの意識が正常ではなかったと意義を申し出る。当然弁護士から抵抗があり、すったもんだの末に出て来た案が医師の「清明証明書」だと思う。
もう一つさくらが行ったのは、朦朧としたたかじんが弁護士に訊かれた際に、「はぁぁ~い」と返事するレッスンを施したことだろう。

フラッシュ誌上で、遺言書作成時の「テープ」を聞いたとして次の記事が掲載されている。百田がベストセラーの肩書を利用して、強引に書かせた記事と報道があったものだ。

たかじん「もう寿命もあんまりないから(中略)法律である分配率は、絶対守らなあかんの?」
Y弁護士「いや、守らんでエエですよ」
たかじん「俺、娘にやりたくないんで、いいんですか?」
Y弁護士「いけますね」
たかじんの掠れた声が確かに聞き取れた。 (フラッシュ)

フラッシュでは「テープ」を聞いたとしているが、百田尚樹は録音と録画があると言っているのに、何故テープを根拠に書いているのか、録画での確認の方が公平性が増すと思う。掠れた声が・・・との記述もあやふやな表現だ。何故なら、もう一つの報道が有る。

「弁護士がこれらを●●さん(さくらさんのフルネーム)に遺すことを承知しますね? と聞かれたたかじんさんが、朦朧としながらただ『はぁい』と言っているのです。
とても弁護士の話の内容を理解しているようにはみえませんでした」
生前のたかじんさんを知る関西メディア関係者は、「余命いくばくかの病床の人に対してすることではないでしょ」と怒りを隠さない。 (ライブドアニュース)

<さくら談話> たかじんの場合、会話はできるが、ベッドに横たわったまま。腕や指に力が入らず、文字を書くのは難しい状況で、口頭で遺言し、証人が書面化する「危急時遺言」の形を取った。 それが12月30日のこと。私が遺言書を書かせるのは不可能。 (フラッシュ)

このことから、弁護士がさくらから渡されたエンディングノートを読み上げ、たかじんはさくらにレッスンされた「はぁぁ~い」を繰り返したのだろうと思う。

(※エンディングノートについては前項参照 (エンディングノート))
(※清明証明書とは、正常な判断力を有するとした診断書)
(※殉愛では29日、30日両日共録画録音をしたとしている。裁判にどちらを提出したのかは不明)

文中でさくらが弁護士に、「無事に終わりましたか?」と訊き、弁護士が「大丈夫です、遺言は認められると思います」と言うシーンがある。無事とはさくらの思惑通りの遺言書が作成されたことを指すのだろう。

裏付けとして必要になった医師の「清明証明書」だが、久保田医師が証明したのは午前で、その後麻薬を投与し、15時半頃から遺言打ち合せの流れとなっている。これは正常な判断力を立証することにはならないのではないか。本来なら打ち合せ直前に証明されてこそ効力が発生するものだろう。さくらが姑息な謂いまわしで医師に用意させたのか、弁護士も黙認したのか、或るいは法の盲点なのか、釈然としないのは事実だ。

この点は百田尚樹も逆手にとり、twitterで咆哮する根拠になっている。更に驚くのは、久保田医師が娘が問合せに来た情報を第三者に流している点だ。これは主治医がさくら側に取り込まれている証明となる。


さらにあざとさを感じる点がある。12月29日の遺言打ち合せから12月30日の遺言作成までの間、たかじんとさくらが会話した記録が殆どない点だ。意識の清明を証明出来るほどであるなら種々のやりとりがあったと思うが、工作をしていないことを強調したかったのだろうか。
(遺言書・遺産問題の詳細は、打算と逆襲カテゴリーにて)

★もう一つの相違点

「ゆめいらんかね」によると、Kマネは12月25日にたかじんと打ち合わせして、年末に「東京」の弁護士を付けて遺言書を作ることにしたが、 「翌日、たかじんの容体が急変」して入院し、Kマネはたかじんと約束していた遺言書作成が進められなくなった。
こうなると上に記した推測も大部分がハズレになる。想像以上におぞましいのかも知れない。
いずれ角岡伸彦氏が謎解きを発表される機会があるかも知れない。

★一千万円

この日、Y弁護士とKマネがたかじんの大阪のマンション内の金庫の中にある現金を数えに行き、証拠となるビデオ撮影をした。その中から、さくらから頼まれた現金1.000万円を持参し渡した。


▼12月30日書いたとされる危急時遺言書
遺言書 手書き















遺言書内容は2014.12発売・女性自身で明かされた。殉愛では寄付先が「大阪市」「盲導犬協会」「親のいない子供の施設」となっている。百田は執筆時点で、「大阪市」「大阪あかるクラブ」「桃山学園」となっていることを知っていたが、あえて書かなかった事になる。
実は書けない事情が有ったのだ。さくらが寄付放棄交渉に出向いた大阪あかるクラブへ、百田尚樹本人が同行していたことが判明したのだ。しかも数々の暴言を吐いた事実も証言されている。

(詳細はこちら・OSAKAあかるクラブ寄付金放棄騒動)


最後の入院 知らされない長女

★緊急入院

12月26日、ガン細胞の悪質液が全身に回り、内臓の衰弱が激しく、聖路加病院に入院した。若い医師は肺炎の疑いがあると言った。久保田医師は「肺炎の気がある程度なので10日くらいでよくなる。聖路加で緩和ケアをして、6日からは在宅看護をしましょう」と提案した。
案内された病室は皇族が使う聖路加で一番高級な部屋だった。


【引用: 純愛 369P】
「あーあ、ひとつ心残りがあるなあ」
彼はベッドに寝そべりながら天井を見上げた。
「なぁに?」
「もっと元気な時に、さくらとしといたらよかった」
一瞬何のことかわからなかったが、気付いた時は恥ずかしかった。
「さくらだって、そうしてほしかったよ」
「さくらはずっと自分に女性として魅力がないのかなと思ってた。ハニーはほかの女性のほうがいのかなと思っていた」
「ちゃう」彼は大きな声で言った。「ハニーはめちゃくちゃ魅力的や」
「だったら、浮気なんかしないで、さくらとしてくれたらよかったのに」


たかじんは、ぼくでいいのか、お父さんとも会ってない、他の女とは違う等と言い、さくらは天使、自分は白馬の王子様と形容した。

12月27日、自力で起きあがれず、昼間は麻薬でほとんど眠っていた。
さくらが「お嬢さんに知らせる?」と訊くと、「あんな奴に知らせるな」と言った。親族はどうするかと訊ねると、「いらん!」と答えた。夜はうなされながら、「許さん」「情けない」「最低や」とか口走った。

12月28日、久保田医師は、「林さんはよく頑張っています、闘っています」と話した。さくらはたかじんの娘に近況を知らせるべきか訊ねると、「やめたほうがいいんじゃないでしょうか」と言い、緩和ケアの医師も同意した。
「これだけ頑張っているのに、会いたくない人に会えば、安らかな状態をキープ出来ません。最後まで気持ちよくさせてあげることが大切です」

★長女・Kマネへの責任転嫁

たかじんの死期が近づき、たかじんが娘、親族やKマネへの恨みを蓄積している表現が多くなって来ている。彼等のせいで病状が悪化した、どれだけ恨んでいたか、さくらにとってたかじん死後の有利な交渉を見据えたものだろう。
問題は病院側の対応だ。さくらから作り話しを吹き込まれたのだろうが、「会いたくない人に会えば・・・・・・」の発言は常軌を逸している。重篤な患者を前にして、血肉を分けた親子が本当に会いたくないと思っているのだろうか。しかも、たかじんに直接訊いてもいない。久保田医師はさくらとの結婚がホンの二ヶ月前に済ませたことを知っており、死後のトラブルも予測できる立場にあったと言える。これは8月と12月の余命宣告の際も同様で、さくら一人に対して行われたことに納得がいかない。
病院のこれらの対応は、最近話題の「後妻業」が蔓延る温床となるものではないのか。自分の経験で言うと、手術前説明時でも親族2名以上の同席を求められ、同意書への記名・捺印を行った。当時は遠方に住む子供たちに申し訳なかったが、あらためて病院側の適切な対応に感心している。

長女が発売元の幻冬舎に出版差し止めを求めた民事訴訟裁判の陳述書を読むと、殉愛の内容とは真逆だ。

 何よりもショックだったのは父が私のことをどれだけ嫌っていたかということを強調している内容です。この記述は心の底をえぐられるような打撃をわたしに与えました。何も知らない、父に会ったこともない、父の話を聞いたことすらない著者がなんで私と父の大切な大切なつながりを土足で踏みにじるのでしょうか。
 何の必要があり、何をもくろんで私を悪く言わなければならないのでしょうか。私たち親子に会ったこともない著者が、『2人の間には普通の父・娘のような交流はなかった』などと断定することが許されるのでしょうか。
 私は父の闘病中も入院先を知ることができず、死に目に会うこともかないませんでした。たった1人の親が亡くなったのに、看取ることもできず、亡くなってから知らせが来たのです。すぐに父の元に行きましたが、冷たくなった父は何も語りかけて返事をしてくれることはありませんでした。(抜粋)

長女の差し止め請求に関して、百田尚樹は恐喝まがいのツイートを繰り返した。





しかし、百田尚樹が裁判を無視しただけでなく、弁護士も出廷しなかった。
激怒したのが、原告代理人の的場徹弁護士だ。閉廷後、取材に応じ「訴訟提起から2か月もたっているのに、認否も出さないとはどういうことだ。百田も脅すだけ脅して来ない」と猛批判を展開。
また、百田氏に対しても「ツイッター上で長女を脅し、裁判を受ける権利を阻害した。すでに人権救済を申し立てているが、これから弁護士会に告発することも考えている」  (東スポWEB)


エンディング・ノート/温井メモ

★何もいらない

12月25日、二人でエンディングノートについて話し合った。
夕方、たかじんがさくらには生活できるものを残すと言ったが、さくらは「いらない、一緒に連れて行って」と話した。「じゃ、寄付してもええか」と訊かれ、「いいよ」と答えた。大阪のマンションはさくらに残す、退職金で清算できると話した。
さくらは項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した。


【引用 :純愛 364-366p】
葬儀は密葬にすること。立ち会う親族はさくらだけ。骨はハワイと大阪に分骨。ただし、大阪の墓は、さくらがマンションからすぐにタクシーで行ける場所にすること。たかじんメモリアルを作る。たかじん名義の預金は全額寄付。寄付先は大阪市、親がいない子供達の施設、盲導犬協会というものだった。
さくらが伝えたいことは?」と訊くと、たかじんは熱く語った。
「病気のこと、復帰のこと、結婚のこと、これまで全部、スタッフはマスコミ報道で知らされてきた。この二年間、番組を守って支え続けてくれた人間に、自分が死んだという報せくらいは、マスコミを通して知らせたくない。これに関しては、さくらが責任を持って、みんなを呼んで直接伝えてほしい。それだけは必ず頼む、あと洋子と」
洋子というのはタレントの遥洋子のことだった」
「親族にはお知らせしなくていいの?」
さくらが訊くと、彼は「あかん!」と言った。
「ろくな奴はおらん。マスコミとか週刊誌にペラペラ喋る奴がおる」
さくら、たかじんが父親に勘当されたこと、母親とも疎遠になっていることは知っていたが、それ以外の親族にもいい感情を持っていないことを初めて知った。

夜になって、大阪からKがやってきた。たかじんが、「大事な話やから、席を外してくれ」と言ったので、さくらはマンションを出て下のロビーで待っていた。
一時間後、Kが降りてきた。その表情はこわばっていた。
「ハニーのこと、聞きました?」
さくらが訊くと、Kは「はい」と言った。
「もう何もできないんですか」
「やれることを探しています」
「そうすか」
「ハニーは何と言っていました」
「余命のこと、誰にもいうなって」
「それだけですか」
「ああ」
Kを見送ったあと、さくらは部屋に戻った。
「Kさんには何を言ったの?」
「寿命のこと誰にも言うなと。それと、会社をたたむから、さくらの言うとおりにして、さくらを助けろと。とにかくさくらを助けるというのは、念押しした」
たかじんが亡くなったあと、Kが自分を助けてくれることはないだろうとさくらは思った。


★食い違う内容

もう一つのたかじん本、「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」(小学館・角岡伸彦著)や週刊誌記事によると、純愛の記述と違う点がある。尚、角岡伸彦はKマネに取材をしているが、百田尚樹は取材していない。

『12月25日にマネージャーのK氏がたかじんの東京のマンションに呼び出されて、 たかじんと"3時間位"話し合って、年末に東京の弁護士つけて遺言書つくることにしたら、 翌日、たかじんの容体が急変して入院したとかで、K氏はたかじんと約束していた遺言作成が進められなくなった。
そうこうしているうちに1月3日たかじんが亡くなった。』

この時たかじんはKマネに次の話しをしている。 
「年末に東京で事務所の弁護士と遺言状を作成する。
・「たかじんの冠番組は終わらせること」
・「事務所の終わらせ方はKマネに任せること」
・「娘には金を残すこと」
・これらを書いたエンディングノートがある

さくらへの取材を基に書かれた殉愛の内容と全く逆なのだ。

★不思議だ、仮説を立ててみる

「さくらは項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した」ということは、たかじんが話し、さくらが聞いて書いたということになる。たかじんが考えていた内容とエンディングノートに書かれている内容が異なっていても誰もわからないのだ。
Kマネもエンディングノートの存在を知らされているが見てはいない。さくらはKマネに「たかじんは何と言っていたか」と訊ねるが、「余命のことを誰にも言うな」だけだと答えている。さくらは自分の企みが気付かれていないと安堵しただろう。
別の可能性として、ノートが二冊在ったとも考えられる。

たかじんが「会社をたたむから・・・」と、Kマネに告げたとさくらに話したことになっているが、さくらは当初P、I、Sを手中に収めようとしていたので、これはオフィス・タカジン設立理由付けの一行かと思う。

このエンディングノートは、三田病院の足場看護師長から貰ったものとされている。医療関係者の名を出すことによって、信憑性を高める算段なのだろう。それにしても、三田病院で受診していた頃にエンディングノートを用意していたとは周到なことだ。項目を眺めながら理想とする内容を思いめぐらせていたのだろう。

さくらは長女が起こした遺言書無効裁判の際に、エンディングノートを裁判所に提出したと得意気に話しているが、己の意のままに書かれたノートなら喜び勇んで出しただろう。
WILL手記にこう書かれている。

エンディングノートには、前妻にも相続させると書かれていたのに、
私が盗んで隠しているという憶測や嘘も書き立てられた。
ノートが手元になかったのは、裁判所の証拠資料として提出していたためで、ノートには、遺言書と同様のことが書かれている。 (WILL12月発売)

ノートに前妻にも相続させると書いてあると言い、遺言書と同じ内容だと言うが、公表された遺言書に前妻の事は触れられていない。娘についても遺留分の放棄を希望すると書いてあるだけだ。辻褄の合わない手記であるが、読み取れるのは裁判所でも重要な証拠となったということだけだ。

★変更された寄付先

又、殉愛では、
寄付先は大阪市、親がいない子供達の施設、盲導犬協会と書かれているが、遺言書では大阪市、大阪あかるクラブ、桃山学園となっている。殉愛執筆時には遺言書内容を当然知り得ているはずなのに、何故、事実と違う記述をしたのか。その謎はさくらの寄付金放棄(百田Twより)要求にあることが分かったが、驚くことにこの作戦には百田尚樹も加わっていたのだ。大阪あかるクラブへ出向いたさくらに、百田尚樹と制作会社AZITO代表の井関猛親が同行していたことが、殉愛の真実(宝島社)の取材により判明した。これでは自身の著書に真実を書くことが出来ないのは明白だ。

さくらは桃山学園に寄付金放棄の交渉を行っているが、同学園校長の温井氏に宛てた、寄付金迂回処理を求めるたかじんが書いたとされるメモまで出てくる騒動となった。さくらは無税となる寄付を利用し、相続税を脱税した形での相続を企んだのだ。
これだけでも純愛に書かれたエンディングノートの信憑性はゼロに等しい。
(※結果的に大阪あかるクラブ・桃山学園は、さくらの要望を却下し寄付金を受理した 2014.12.24)

▼「温井メモ」(たかじんが書いたとされるメモ)
日付が2013.12.23となっているが、この日は大阪~東京へ移動し、腹膜播種の診断を受けた日でもある。
NUKUIMEMO












★衝撃!!この「温井メモ」は偽造だった。

2015年2月23日発売「殉愛の真実」[宝島社発刊]で、このメモはたかじんが書いたメモではないと断定された。詳しくはこちらをお読みください。

http://tkj.jp/takarajima/contents/blog/p/1067/

(「殉愛の真実」では、百田尚樹著「殉愛」が如何に杜撰なノンフィクション本であるか、綿密な取材を重ねて立証されている。まだ明かされていない疑問もあるが、是非ご一読する事をお勧めします。
尚、当ブログは「殉愛の真実」発刊前に出ている情報を紡いで書いていますので推測・憶測が混在しています。)


★たかじんと母

たかじんは家族への連絡を「あかん」と言ったようだが交流があった。


実母の左肩を優しく抱き、リラックスした柔和な笑顔で写り込むたかじん氏。 そして、2人を囲むようにして並ぶ6人の家族たち――。 本誌が入手したのは、2009年のたかじん氏の還暦パーティーで撮影された貴重な1枚である。 (サンデー毎日)

たかじんの実母は、がん発表の12年2月、女性自身の取材にこう語っていた。
「私の喜寿のお祝いを、兄弟揃ってやってくれた。普段は音信不通で連絡もない、どこに住んでいるのかもわからない。でも、親孝行なんです」  (女性自身2014.12.30)

★さくらの仕打ち


がその遺骨に会えたのも死から1ヶ月後のことでした。さくらさんに懇願し、それが叶ったとそうです。このとき、親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面というのもまた驚きです。
このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪などは一切なかったそうです。 (女性自身)

絶望の腹膜播種

★寿命を知る

12月23日、午前9時台の伊丹発航空便で東京へ向かった。
聖路加国際病院でCTやレントゲンの検査を受けた。たかじんが点滴を受けてる時、久保田はさくらを診察室に呼んでレントゲン写真を見せた。


【引用: 純愛 355p】
「林さんは腹膜播種です」
初めて聞く病名だった。
「それって…ガンですか」
「腹膜内にお米の粒くらいの小さなガンが無数に出来るものです」
「治療方法はありますか」
久保田は少し間を置いて、「ありません」と答えた。さくらは衝撃のあまり気を失いかけた。
「どうすれば、いいんですか」
「聖路加病院では、ここまでくると緩和ケアをお勧めしています」
(中略)
「ハニーの時間は、あとどれくらいですか」
「一、二ヶ月でしょう」
(中略)
その瞬間、初めて「もう無理なのか!」と思った。この二年間どんな状況に陥っても一度も諦めなかったさくらの心が折れた。

診察室に戻ったさくらを見て、たかじんは言った、「・・・・・わかった」

12月24日、三田病院で点滴を受けた。栄養分を減らしたため体力が落ちるのがわかった。二人で相談し積極的な延命治療は行わない、東京のマンションで緩和ケアを受ける事を決めた。
12月25日、既に薬も飲みこめなくなったいた。たかじんは少し冗談を言い出し、さくらの浮気相手として、「ナイナイの岡村なら許す」と言った

★メモ

腹膜播種は数個なら手術で除去できるが、一定数を超えると手の施しようがない厄介な病気だ。ここまで来ると確かに死期を悟ることになる。
たかじんの場合、大阪X病院での放射線治療を終えた時に、抗がん剤治療の打診を受けたが断った経緯がある。さくらは高額で先進的な免疫療法を選択したと自慢気だったが、補助的治療と位置付け抗がん剤投与と併用したなら、放射線治療で小さくなったガンを叩くことが出来たと思われるし、腹膜への転移も防げたかも知れない。
そうすることにより、定期的なPET検査にもつながり、播種も対処可能な早期の発見につながったかも知れない。
何より複数病院を転々とする受診体制に問題の根底があった。

★ナイナイ岡村の名前が出て来たが、本当にたかじんが書いたのだろうか? 常識的に考えて、死へのカウントダウンに入った夫婦の会話とは思えない。今となっては真実はさくらしか分らないが、鶴瓶も訝っているように、もし、このメモが創作されたものだとしたら、たかじん死後に骨壺を持参して岡村に見せる魂胆をしていたのだろうか。

▼たかじんメモ「岡村ならしゃあない」と書かれている。山西はさくらに手出すなとも書かれている。下の方に「つるべえ」とあるが、鶴瓶は「つるべ」と呼ばれていた、「え」を付けるのはおかしいと話している。

ナイナイ2







然、さくらはたかじんの長女・親族への連絡を考えていない。

病状悪化とKのトラブル


★HUBLOT社の時計

10月21日、札幌から東京で向かう。渋谷・吉田時計店で840万円のHUBLOT社製時計を購入。世界に99個しかないもので、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。

夫婦で2年間!?まだ2週目なんだが。わざわざ怪しい言い回しを使い、わずか6行使っただけのエピソードを挿入したのは何故なのか。

★腹痛

10月22日、東京・瀬田クリニックで樹状細胞ワクチン治療を行う。終了後、大阪へ向かう。数日してたかじんが「お腹が痛い」と言い出す。

10月29日、東京・聖路加国際病院へ行く。三田病院にいた久保田医師が転院して勤めていたからだ。「ストレスからくる過敏性腸炎」の疑いで薬を処方される。

10月31日、東京から大阪に戻りKマネを呼び、二人が入籍したことを伝え、記念品のテイフアニーのマグカップを渡した。Kマネは「ああ、そうですか」と気のない返事だった。
「さくらは、Kがお祝いの言葉を言わなかったのは別の理由があるような気がした」

11月8日、腹痛が一向によくならず、大阪X病院へ行く。異常は見つからず、ガンの再発部分も大きくなってなかった。

11月13日、早朝、胃の内容物が逆流、胃痛もあった。大阪・瀬田クリニックでワクチン療法を受け、腹痛を相談するとステロイド系の薬を出してくれた。

★メッセンジャー黒田

この日の夜、相原とメッセンジャー黒田がマンションを訪れる。黒田は「ぼくもこんな人(さくら)、欲しいですけど、無理やろうなぁ」と話す。
先に黒田が帰った後、相原が、たかじん休業中も冠料支払われていることを知っているかと訊ねる。たかじんはKから聞いてるが月5万か10万だろと答えた。相原は放送一本分だけでそれを軽く超える金額をP、I、Sに払っていると告げると、たかじんは驚き、相原は会社の帳簿を調べた方がいいと進言した。
Kが会社に金がないと言ったので、2012-2013にかけてたかじん個人の金を数千万円、Kに渡しているとのことだ。


メッセンジャー黒田はたかじんは「たかじんNOマネー追悼番組」内で、マンションへお伺いしたのは12月中旬と話し、たかじんはワインをかぶがぶ飲むほど元気だった、と話しており、殉愛で書かれた11月13日は虚偽の可能性が有る。

★悪化

11月24日、体重が52キロを割り、水も飲めない。聖路加病院の久保田医師に連絡をとり東京へ向かう。胃カメラ検査を行うがガン再発部分には異常はない。

11月25日、食事を摂れなくなり聖路加病院で診てもらうと食道が細くなっており、拡げる処置を行う。

11月26日、痰がからみ、こんどは病院でプジ―で食道を拡げた。

11月27日、悪寒が始まる。久保田医師がプジ―で食道を拡げたが効果はなく、ステント留置を提案するが一晩考えることにした。ステント留置は手術に危険が伴い、一度留置すると取ることは出来ない。いわば緩和ケア処置の一種だからだ。さくらはその夜10時過ぎに久保田に電話して処置を依頼する。

11月28日、Kにステント手術を告げると、「ああ、そうすか」とだけ言った。入院して行った夕方の手術は成功した。

11月29日、たかじんがコップの水を飲むとスルスルと流れ、手術の成功が確認された。

12月15日、たかじんはおしっこをすると痛いと言い、さくらが久保田医師に連絡すると、「膀胱炎の可能性があるので抗生物質を飲ませるよう指示を受ける」。しかし痛みが続き、お腹の張りも訴えたので再度久保田医師に連絡すると、「腎盂炎の可能性があるので病院へ行くことを勧められる」。大阪のX病院へ連絡し体温の経過を見ることになった。

12月16日、体温が落ち着いたのでX病院へは行かなかった。Iクリニックの看護師が来て点滴。

12月18日、瀬田クリニック大阪でワクチン投与。

12月19日、たかじんはは落ち着かない様子で食欲もない。久保田医師は炎症反応を調べるように告げる。

12月20日、Iクリニックの看護師が来て採血、結果は後日判明とのこと。たかじんは食欲が戻らず、Kがうっとおしい、Tがピンポンダッシュするのが嫌と言い出す。

12月22日、この日の夜、久保田に下腹部の張りを説明すると、「明日、聖路加に連れてきてください」と言った。

★過酷な移動

末期がん患者を引き連れて凄まじい移動をしている。後にたかじんの親族が「どこにいるか解らなかった」と話したがもっともな話だ。例えて言うと「逃亡者」並みの行動だ。ここまでの症状になると、病人にとってはそれが公になることを避けている段階ではない。信頼できる医師の元で治療に集中するのが常識と言えるだろう。実際に電話相談での対処となって正確性を欠いていた事例も窺がえる。

炎症の数値が
通常の30倍になっているのに、何ら対応できていなかったことも伊東には腑に落ちなかった。疑念と心残りが、今も伊東を苛んでいる。」 (たかじん長年の友人・伊東整形外科医の話)
(角岡伸彦著・ゆめいらんかね やしきたかじん伝)

「去年はあまりしんどい様子が見られなかったので、今春には復帰できるだろうと思っていました。ただ、昨年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており、これはきちんと調べたほうがいいということになり、12月22日、たかじんさんは東京の先生の病院へ行かれました」
その後、クリスマスカードを受け取ってからも、伊東氏は電話で、東京にいるたかじんさんと話をしたという。しかし、元日に送った年賀のメールは返信が来なかった。1月2日に、たかじんさんの容体は急激に悪化し、3日の朝には亡くなっていたのだ。 (週刊朝日 2014/1/24号)


殉愛ではあやふやな表記になっているが、他の情報とつなぎ合わせると次の流れとなる。
12月20日、伊東クリニックが採血検査、12月21日、検査結果で炎症数値が90倍を示し、伊東医師から専門医検診を勧められる。12月22日、その結果を久保田医師に連絡すると、聖路加に来いと指示される。12月23日、聖路加国際病院で腹膜播種の診断。

殉愛では伊東クリニックをIクリニックと表しているが、大阪X病院と同じで、自分達に都合の悪い施設なのだろうか? 百田尚樹は殉愛の中で次のように記している。

【引用: 殉愛 413P】
国会議員でもある某医師は、主治医でもないのに主治医のように言い、一度も診察をしたことがないのに間違った病状を週刊誌などて話し、担当医の処置を批判したりもした。

自分の作中で「Iクリニックで採血」と書いておきながら、同じ作中で「一度も診察した事がないのに」と書く。殉愛はゴーストライターと手分けして書いたのか、或いは悪意が事実を勝ってしまうのか、不思議な作家であるが、取材対象の偏りがもたらした矛盾だろう。
( I医師と伊東医師・国会議員でもある某医師は同人物・Iクリニック、伊東クリニックは同医院)
誤りを認める性格ではない百田尚樹はTwitterでもウソを言い張った。


★Kマネ

その日の夜、たかじんのipadにメールが届いた。男女のあられもない恰好をした画像だけが添付されていた。再度届いたメールにも同じような画像が添付されていた。写っていするのはKと付き合っている女性だったようだ。次のメールには誤送信と謝罪が書かれていた。
たかじんは激しく怒った。「Kは仕事はできんやつだったが、師匠として慕ってくれたとこだけが取り柄だった・・・・・あいつはクビにする」
その夜、さくらは相原に電話し、たかじんがKをクビにする意向だと伝えた。そして皆さんにも伝えてほしいと。
そしてたかじんが大阪に戻った12月13日、たかじんはKとマンションで話をする。
復帰出来るかどうかわからないから会社をたたむので、お前も辞めろとたんじんが言ったが、Kマネは最後までやらせてほしいと言って、解雇話はうやむやになった。問い詰めるさくらにたかじんは「解雇通知は作ってある」と言った。

病状の悪化に並行して、Kマネの暗部が書かれている。これまでも悪役、或いは間の抜けた人物描写が続いていたが、お金の話し、女性の話しとより辛辣な出来事の描写だ。
たかじん死去後の遺産等をめぐるトラブルは激しいが、特にKマネは、たかじんから後を一任されたP、I、Sの権利にまつわるトラブルに関しては当事者だ。週刊誌等によると、莫大な収入が見込めるたかじん死後ビジネスの権利を、さくらは自分が代表を務める「オフイス・タカジン」へ勝手に移動したとされている。
遺産も権利も一人占めしたい欲望むき出しの「銭メスさくら」にとって、たかじんマネーの流れと秘密を知っているKマネが邪魔者なのは容易に想像が付く。Kマネは真っすぐな性格だと古くからの知人が語っている。これは自分の想像だが、さくらはある時から「Kマネの懐柔」に失敗したのではないか。純愛でKマネの世間からの評価を貶めることを図った理由がここに有るのだと思う。

今のところKマネは黙して語らないので真偽は不明だが、Kマネは三人の子供を抱えているが、P、I、Sを退職金もなく退社したようだ。多少の優柔不断さと一本気ゆえの世渡り下手が有ったかも知れないが、近々、元弟子の打越氏やたかじんと長年の友達のA氏がさくらから訴えられた裁判が始まると、Kの証言がポイントになると見られており、純愛に書かれたKが真実なのか虚偽なのか判明するだろう。

結婚リークの件も、Kマネが疑わしいとたかじんが思っているような書き方になっている。しかしKがこのタイミングでリークして何のメリットが有るのだろうか。結婚の事実を世間に認知させるメリットは、遺産とたかじん利権に群がるさくらとテレビ業界関係者が受けるだけたろう。案の定、さくらとこのグループは冠番組を継続させWINWINの関係を築いている。

★突然の結婚報道

この間の12月6日、芸能レポーターの井上公造からさくらにメールが入り、「今日のスポーツ新聞にたかじんの結婚報道が出る」とのことだった。さくらがスポーツ新聞を買いに行くと「スポニチ」に記事が出ていた。さらにテレビ関係者からも記事を見たが、と電話が入った。入籍を報せたのは、松本哲郎、相原、久保田医師、そしてKだけだった。たかじんはリークしたのは「あいつしかおらんやろう」と言った。

▼たかじん結婚を報じたスポニチ記事
体調不良のため長期療養中の歌手でタレント、やしきたかじん(64)が今秋、交際中だった一般女性Aさん(32)と婚姻届を提出していたことが5日、分かった。たかじんは3度目の結婚となる。32歳年下のAさんは、初期の食道がん手術から1度は復帰を果たしたものの、再び長期療養中のたかじんを献身的に支え続けてきた女性で、ごく親しい関係者にはすでに結婚を報告している。
来春の復帰に向け、長期療養中のたかじんが「男のけじめ」として3度目の結婚に踏み切った。お相手は32歳の長身美女で、関係者によると2人の交際は3年近くに及ぶという。
すでに、たかじんは親しい友人やテレビ局関係者にAさんを紹介。あるテレビ局関係者は「1度目の復帰の前に紹介を受けた」とし、別の関係者によると、現在ではAさんが実質、対外的な窓口になっていることもあるという。
2度の離婚で再々婚には消極的だと伝えられていたたかじんだが、長い療養生活を支えてくれるAさんと名実ともに、二人三脚で来春の芸能活動復帰を目指すことを選んだようだ。
(スポニチ 2013年12月6日

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