殉愛の正体

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

最後のバースデー

★順子

10月1日、たかじんの体重は58キロまで回復していた。

10月5日はたかじんの誕生日。たかじんはさくらが外出中に、持ち歌の「順子」をipadに吹き込んだとされている。たかじんは歌詞中の順子をさくらに変えて歌ったが、これは二人が初めて会ったサロン105でのクリスマスオフ会の時と同じだ。
バースデーパーティー会場の「サロン105」へ行くと、お揃いのピンクのポロシャツを着た人達が集まっていた。袖には「SAKUJIN」の文字があった。当初、たかじんは出かけるのを億劫がったが、さくらの説得で同意したとの記述がある。

【引用: 純愛326P】
サロンに集まっていたのは、 相原康司、、松山源一、三浦真理子(以上、ボーイズ) 山西敏之、相島良樹(以上、読売テレビ) 田中威至、徳岡敦郎(以上、テレビ大阪) 竹本潔観、古市忠嗣、中澤健吾、木村弥寿彦(以上、関西テレビ) 長谷川豊、日置圭信(以上、レジスタエックスワン) 吉田真規子(スタイリスト) 遥洋子(タレント) 山田晃 (TVTVTV) 山元貫司、植田清子(サロン105) Kの19名だった。


その後もさくらを褒めそやす面々だ。Kマネだけは「K」と書かれ「マネ」の称号もなく、いじめっ子が書いた作文のようて可笑しくなる。後日、この時撮った写真をフレームに入れ、たかじんがサインして18人に送ったとあるが1名分不足している。Kマネだけが疎外されたと思われるがどれだけ嫌っているのか。

★誕生日の朝写したとされる2ショットフォト
ケーキ2













★同日、サロン105のバースデーパーティー
xmas3








★下の画像を見た第一印象はたかじんの目力がないこと、相当な衰弱だったのではないか。これなら外出を躊躇したのも理解できる。
サプライズでパーティーを準備した相原、山西の狙い、集まったテレビ業界人達の狙い、たかじんを説得して連れ出したさくらの狙いは何だったのだろうか。
たかじんとさくらは5日後の10月10日に札幌で入籍することになる。

たかじん番組終了騒動

★Uの存在

8月26日、読売テレビの山西から電話があった。番組復帰を待ち続けると公表していいかとの確認だった。その後に山西が言った。

【引用: 純愛 315-317P】
「たかじんが番組を終わらせたがっているとUが言っているが本当か」という質問だった。それを聞いたたかじんは激怒して、「そんなことはない!」と否定した。
たかじんは電話を切ったあと、さくらに「Uの奴、余計なこと言いやがって」と怒った。
(中略)
その日(9.30)の夜彼が寝たあと、相原からさくらに電話があった。
「山西さんからUが言うてたこと聞きました。ひどいよなぁ。師匠が番組やめろなんて言うはずないもんなあ」
これからは番組の事は、Uさんじゃなくて、私に直接言ってください
「そうするよ。Uはもともと音楽界の人間で、ぼくらテレビのことはわからん。バラエティのスタッフを馬鹿にしてるようなところがあるんで、前から気分が悪かったんです」

さくらは「胸いっぱい」制作プロデューサーの日置に電話すると、「Uがたかじん番組のプロデューサークラスを集めて、「番組の看板を降ろせ、これはたかじんの意向だ」と言ったとのことだった。翌日、相原からその話を聞いたたかじんは激怒し、Kマネに「今後一切、Uは仕事に関わらせるな」と告げた。

9月18日、東京から札幌に向かう機中で、たかじんはUを辞めさせたかKに訊くがまだだった。たかじんが直接言うと告げると、Kは「ぼくから話す」と言った。


【引用: 純愛 321P】
さくらはKに言った。
「ハニーはKさんに、マネージャーとして期待しているんです。Uさんがいなくなってもやれるという気持ちをわかってください」
「基本的にはぼくが全部やってるんですけどね」
Kは不満そうな顔をした。それを聞いたたかじんは大きな声で言った。
「お前、車の運転以外、何もでけへんやないか」
Kはぶすっとして黙った。

★殉愛によると、山西から電話が入った前の週、Uがたかじんと会っている。たかじんは「胸いっぱいのパネルと、委員会の人形、あれは申し訳ない」「ああやってパネルでスタジオにいるのが悪くてなあ」と言った。自身が出演出来ず、パネルや人形が堂々と鎮座しているのが心苦しかったのだろう。
Uは、復帰の目がないなら、番組は終わらせた方がいい、番組があるとプレッシャーになる、本人は終わらせてほしいと思っているはず、とさくらに話している。さくらはUに対し、「たかじんのテレビに懸ける気持ちをわかっていない」となじる。
このやりとりが殉愛で書かれたということは、たかじんとUの間で、番組終了(又は冠外し)に関する何らかの意思表示が有ったと見て間違いないだろう。死期を悟ったたかじんが12月25日にKマネを呼び、冠番組を終わらせることを指示していることもその証明だ。
番組終了で一番困るのは、たかじんを取り巻くテレビ局や制作会社と、その神輿に乗るさくら達だからだ。事実、死後も冠番組を続行し、甘い蜜を吸ったのは彼らだ。さくらは相原に対し、番組のことは私に言ってくださいと宣告したが、真実はまだまだおぞましい"ハイエナ達の密談"だったことだろう。

(※Uと弟子の打越氏は別人)


減薬と免疫細胞療法

★減薬を決断

7月1日X病院での放射線治療(全36回)が終わり、一、二ケ月経過後の治療測定を待つことになった。医師からはその間の抗がん剤投与を勧められるが、さくらは抗がん剤治療は放射線治療と併用しないとほとんど意味がないので受けないとし「気休めみたいな治療はしたくない」とも記されている。
考えていたのは「免疫療法」への転換だった。

まずはアカシジアを何とかしたいと久保田医師とJR札幌病院の鶴間医師に、服用している薬のデータを送って相談すると「減薬すべき」との意見だった。一気になくす方法もあるが反動もあるため神経科の医師の診断を必要とする。


【引用: 純愛 300P】
JR病院の鶴間医師が「知り合いの神経科の先生を紹介してあげる」と言ったので、思い切って札幌に行ってみようかと考えた。七月に入って暑くなってきていたので、涼しい札幌に行けば気分転換にもなるかもしれない。
たかじんに提案すると喜んで賛成した。しかしさくらにはひとつ気がかりなことがあった。彼の精神状態には大きなムラがある。もし札幌行きの飛行機に乗っている最中に、最悪の精神状態になったらどうしょう。万が一、暴れだしたりしたら大変な事になる。自分一人で連れていくのは無理かもしれないと思った。
「ハニー、札幌にはKさんも一緒に来てもらう?」
「Kは嫌や。二人で行く」
さくらは自分一人でなんとかしようと思った。


7月8日、伊丹空港出発前にKから電話があり、一緒に行くことになった。飛行機に乗る前にたかじんに精神安定剤を飲ませたので彼はすぐに眠った。

7月9日、神経科診療所を訪ね、たかじんの症状を訴える。

【引用: 純愛 303P】
「薬の副作用なんか気にせずに、どんどん薬を増やせばいい」
さくらは一瞬耳を疑った。小太りの医師は構わずに続けた。
「今、辛いのが嫌か、副作用が嫌か、でしょう。どっちもなくす方法はない。じゃあどっちを取るかです。今、辛いのが嫌でしょう。だったら薬をバンバン飲んで、その辛さを消せばいいんです。副作用は仕方ない。そのうちに慣れます」
さくらの隣に座るたかじんは不快げな顔をしていた。
診療所を出てタクシーに乗った途端、たかじんは「あいつは頭がおかしい!」と吐き捨てるように言った。
(中略)
しかし、さくらは思い切った減薬に挑戦してみようと思った。
(中略)
生活に工夫をして睡眠薬と精神安定剤をできるだけ与えないようにすると、日を追うごとにたかじんの頭は政情に戻ってきた。抗がん剤の副作用が抜けてきたことにより、吐き気止めを使わなくなったのも大きかった。

急激な減薬は危険性を伴うと知っていながら、さくらの独断で行動に移したようだ。頭が正常に戻ったとあるが、文中にあるように抗がん剤副作用の低減がに起因するだろう。
ガン患者に迫られる決断の一つに、クオリティを取るか完治・延命を取るかが上げられる。腹膜播種が命取りとなったたかじんの場合、それが忍び寄っていたこの時期は、目先のクオリティより優先される手だてが有ったと悔やまれる。

7月23日、三田病院でPET検査を受ける。久保田医師からガンが縮小していると告げられる。
この日、採取した血液と以前に手術で摘出して保存していた食道ガンの細胞を、久保田が三重大学に送って入れた。いずれも樹状細胞ワクチンを作るために必要なものだった。

7月24日、神戸某クリニックで、「WTI」「Mac1」と呼ばれるワクチン治療を行った。

(後日、三重大学から細胞検体が見つからなかったと連絡が入る)

★X病院

X病院から抗がん剤治療続行を問われて断わったのはミスだと思う。理由を放射線治療と併用しないと効果がないとしているが、医師の言うように今回の放射線治療は1-2ケ月の経過観察をみないと効果測定が出来ない。その間、目に見えないガン細胞を叩く意味でも、抗がん剤治療が有効との説明を受けているはずだ。特に再発後の治療なのだから慎重を期すべきであった、

純愛では大阪のX病院と札幌の神経科診療所の医院名と医師名が伏せられている。電話で問い合わせしただけのところでさえ名が上げられているのにだ。これは何を意味しているのだろうか?
X病院はさくらが突発性難聴と診断された際に、たかじんとの同室入院を断られた病院で、その後さくらは治療を諦め左耳は永遠に難聴となったとされており、他にも対応等について不満を述べている。

もしかするとさくらが難聴を患ったのは事実でない可能性が有る。 事実でないため病院名・医師名明らかにしない選択をしたのではないのか?
匿名掲示板なので真偽は不明だが、さくらの高校時代を知るという人物から、当時から難聴だったとの書込みをがあったことを、ふと思い出した。
7月23日、放射線治療の一ヶ月健診を東京の三田病院で受けている。結果はガンが縮小していたのでX病院の治療は成功と言えるだろう。だが治療を受けたX病院での検査が本来だと思う。
さくらにとって都合がいい病院ではなかったのだろう。

★免疫療法の処方法

▼たかじんが受けた免疫療法の説明(Mrサンデー・殉愛特集)免疫療法1







代替として免疫療法のみの治療とは不可解な判断だ。
ここで触れておくと、「免疫療法」は第四の治療法として注目を集めているが、免疫療法による効果はまだ確立されていないと言っていい。まだ大学病院でも治験の段階であり、厚生労働省の保険適用となっていない。所定の効果が認められているのなら保険適用治療法の位置を得ているはずだ。

自身もガン発見時から免疫療法を実施しているクリニック数ヶ所で説明を受けた。各クリニックが公表しているデータによると、ステージが上がる程に効果測定値が極端に低く、ステージⅣの身に有効と思えないこと、組成された細胞が最終的にガン化する(特に樹状細胞)場合があるとの説明を受け断念した経緯がある。主治医から免疫療法施術はクリニック系が中心ですよね、と懐疑的に言われたことも、断念した理由の一つだった。

かつ、全てのクリニックで抗がん剤との併用を強要された。仮に効果が有ったとして、それが抗がん剤によるものなのか、免疫療法によるものなのか判別が付かないことを意味する。
抗がん剤治療は副作用で生活クオリティが維持できないリスクが伴い、純愛によるとたかじんも悩まされているが、免疫療法は副作用抑制効果も大きなセールスポイントとなっている。たかじんもその使い方をしたのなら理解できるが、免疫療法のみを選択したことで余命を縮めたと言っていいだろう。

結果的に9月から瀬田クリニックで免疫療法を受けた。しかし全クールを終える前に他界する。
「気休めみたいな治療法はしたくない」と言っていながら、選んだのは「気休め」そのものだったのだ。愚か者と言いたいところだ。
もしかすると、さくらは効果がないことを判っていて選択し、再発時久保田医師に「何もしないと半年の余命」と宣告された、その半年を狙ったのかも知れない。一応、何かをしたアリバイだけは残る。

▼(参考) がん免疫療法は奇跡の治療法か
http://apital.asahi.com/article/kiku/2013090300001.html

さくらの左耳難聴

★入院却下

6月24日、前日から耳鳴りとめまいがひどくX病院耳鼻科で受診すると「左耳突発性難聴」と診断された。治療は毎日24時間のステロイド点滴を急ぐ必要があると説明を受け、さくらはたかじんと二人で特別室へ入院したいと申し出るが却下される。耳鼻科病室なら可能だが一般病棟なのでプライバシーが保てない。

【引用: 純愛 297P】
さくらが困っていると、医師は「マネージャーに頼みなさい」ともう一度言った。
この日は月曜日だった。さくらはいったんマンションに戻り、午後、放射線治療のためにたかじんを連れて、再びX病院に向かった。車を運転するのはKだった。
たかじんが治療を受けているとき、さくらKに突発性難聴になったと診断書を見せた。
「あー、そうすか、大変ですね」
Kは何事でもないかのように言った。さくらは事情を説明して、自分が一週間入院する間、たかじんの看護をしてくれないだろうかと頼んでみた。しかしKの返事はそっけないものだった。
「ぼくには無理っすね、何とかならんすか」
さくらKに頼むのは無理だと諦めた。初めから期待はしていなかった。それに大切なハニーをKなんかには任せられない。
(中略)
「ハニー、さくらの耳が聞こえにくいの。治すために一週間入院したら困る?」
「嫌や」「一人で家にいるの嫌や」
「Kさんにお願いするのは?」
「嫌や!」
それを聞いて、さくらは決心した。
「わかった、ハ二―。耳は二つあるから、一つ聞こえなくなってもいい」
「うん。ぼくがさくらの耳にも目にもなる。ぼくが元気になって、さくらを守るから、そばにおって!」


さくらは薬の服用を止め、左耳は永遠に聞こえなくなった。

★Kマネに頼むフリをしたり、初めから任せられないと言ったり、さくらの考えはひと言で言うと「わけ、わからん」が、Kマネを貶める文脈のアヤと解釈しておこう。
たかじん弟子のシンガー佐々木清次さんが、Kマネの声をツイートしている。



★対処法は有った

ここで最も理に適った対処法を考えてみる。たかじんはX病院の特別室をリザーブしたままだったそうなので、彼はそこに入院し病院スタッフの看護が受ける。さくらは同じ病院の耳鼻科病室に入院し適切な治療を受け、点滴しながらたかじんの病室を訪れることも可能であるし、専門業者へ依頼する手も有る。男手であるKマネの自宅看護は最初から無理な話しなのだ。
たかじんが「さくらの耳・目となるから・・・そばにおって」の行があるが、こんな時こそテレビ局関係者達に入院を説得してもらうことも可能だっただろう。

★連続した出来事

さくらが「突発性難聴」と診断された翌日の6月25日、たかじんの個人オフィスP、I、Sの役員変更が行われている。たかじんの友達の松本哲郎とたかじん実母が退任し、Kマネとたかじんの長女が重任されている。
さらに、たかじん持分株式は、全50株のうちの12株となっていた。(引用:宝島・殉愛の真実 212P)
たかじん持株は多かったとの報道が有り、この時期に、大部分が長女持分へと譲渡、或いは生前贈与されたものと思われる。
役員変更登記がされたのは7月22日だが、この翌月、さくらは驚愕の主張を始める。週刊誌記事を引用しよう。

「食道がんを患う彼の看病を続けているうちに自身も乳がんとなり、大阪市内の病院で日帰り手術を受けた。お金を下さい」さくらさんがこう言いだしたというのだ。(女性自身)

余命宣告を告げられていたやしきさんに、さくらさんが「あなたのがんが感染して私も乳がんになったから、日帰り手術を受けてきます」と言ったという記事がすでに出ていますが、あれは本当の話。
このやり取りを病室で聞いた近しい人が「あの奥さん、アカンで」とやしきさんに忠告したのですが、これに本人も「病気がようなったら別れる」と答えており、やしきさんの奥さんに対する純愛も疑わしい。(週刊SPA)

言うまでもないが、ガンが感染することは有り得ない。宝島社・純愛の真実によると、特定されたその病院は、「当病院では開業以来、日帰りで乳がん摘出手術をしたことはありません」とコメントしている。

角岡伸彦著「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」に下記の記述が有る。
たかじんは2番目の妻に財産を全部譲るから最後を看取ってほしいと頼み、診断結果や治療内容を電話やメールでまめに伝えていた。2番目の妻は「財産はいらんよ、でも身の回りの世話をする人がおらんのやったら主人の承諾を得て、できるだけのことはするよ」とは言っていた。抗癌剤治療が始まる前はたかじんから「生きるためやから、我慢しないとね」と前向きなメールが送られてきていたが、その後、ぴたっと連絡が来なくなった。

一連の流れから推測して、たかじん死後の利権ビジネスと遺産に対する執着が見てとれる。さくらはたかじん持株のことは把握していなかったようだが、PIS社の役員就任が果たせなかった事は痛恨の出来事だったはずた。二番目の妻への思慕を知り嫉妬し、遺産を継げないと悔しがり、たかじんへの工作が始まったのだろう。

さくらの同級生と名乗る人物から2ch既婚女性板にあったタレコミ、「難聴は学生時代からだ」が真実であるなら、P、I、S役員構想が固まった頃に「難聴」を主張し、登記がなされた後、「乳がん感染」を狂言し、二番目の妻からの連絡が途絶えた。連絡が途絶えた理由は、たかじんの携帯に登録された前妻の電話番号が変更されていたのが原因だと思う。(※電話番号変更の詳細は殉愛の正体・直葬の日)

殉愛の真実によると、たかじんはさくらの「乳がん感染」に何らかの責任を感じていたと記されている。
余命半年を宣告された後の出来事であり、他の治療を断ち、免疫細胞療法に方針転向した時期とも被る。さくらが「利権」と「遺産」の獲得にギァアップした、たかじん最期の夏の出来事だ。

★慰謝料

後日、たかじんの金庫に入っていた1億8千万円がさくらのものだと主張するが、その根拠の一つに「難聴に対する慰謝料」がある。本人は治療を受ける体制をとれたにもかかわらず、多額の慰謝料を主張するのは無理があり、Kマネが原因であるやに引き合いに出すあざとさに嫌悪感が湧く。

百田尚樹が語った、たかじんがさくらにお金を残しておきたい理由
(週刊朝日)
・さくら氏がたかじん氏と出会う前経営していたイタリアのネイルサロン/の出店をとりやめた時の賠償費用
・看病中の突発性難聴で耳が聞こえなくなったことに対する慰謝料
・秘書契約のお金


アカシジア

★アカシジア

5月27日、X病院で放射線治療とと抗がん剤治療が始まった。4日間の抗がん剤治療を終えると退院し、放射線治療は通院で行うことになっている。
抗がん剤の副作用は吐き気が強烈で、口内炎、腹痛、発熱も伴い、栄養は静脈点滴で補った。退院した翌日にたかじんが強い吐き気を訴えたため病院へ行ったが、吐き気止めと睡眠薬を出してくれただけだったと不満をもらしている。
次第にたかじんは精神状態の異常をきたし、じっとしていられなくなったり、口からよだれを垂らすようになった。さくらがネットで調べると「アカシジア」じゃないかと思いX病院に質問すると、それを知らず、吐き気からくる辛さだと説明した。さくらが服用している薬を調べると、アカシジアが起きやすいと知りX病院の医師に訊くと、薬剤師が大丈夫と言っているとの返事だった。
さくらはX病院に不信感を持つようになる。薬の件、対応の件、たかじんが治療を受けている時にサインや写真撮影をせがまれること等を理由にあげている。


【引用: 純愛 292P】
「テレビが怖い」と言い出した。
「どうして観ないの?」
さくらが訊くと、彼は「申し訳ない気分になる」と答えた。
「それと、ぼくはもうここには帰られへんのやと思うと、辛い」
「また戻れるよ。必ず戻れる」
彼は首を振った。
「もう無理や、戻っても、喋られへん」


たかじんは抗がん剤の副作用でろれつが回らなくなっており、テレビ番組を観なくなった。
精神状態も完全におかしくなっており、さくらのワンピースをベッドに置いて添い寝したり、パジャマのまま浴槽に入ったりすることもあった。『それで買い物にも行けず、何度かはKマネに頼んだが、その度に嫌そうな顔をされた』
睡眠薬を飲んでも三時間くらいしか眠れないようになっていた。いつしか昼夜が逆転し、さくらは殆ど睡眠を取れなくなっていた。

★服用薬

この頃のたかじんは、吐き気止めとしてプリンぺラン、ナウゼリン、コントミン、精神安定剤としてジプレキサ、睡眠薬はセレネース、ロヒプノールを服用している。


放射線治療をめぐる転院

★東大病院

5月10日、三田病院で放射線治療の説明を受けるが、若い医師の説明が事務的である事に不満を持ち久保田医師に電話をするが、同僚をかばうような言い方に不満が増幅する。
さくらは本で調べた東京大学医学部付属病院放射線科准教授に電話を入れた。中川に事情説明し話していると、久保田医師とは以前同僚だったことが判り、「これも何かの縁です、月曜日にカルテを持ってきてください」と言った。
さくらがCD-LOMを持参して事情説明し、「林一」は偽名で本名はやしきたかじんだと告げると、中川は名前だけは知っていた。「本来は東大病院で手術した患者以外は受け付けないのですが、明日、本人を連れてきてください」と言った。

5月14日、三田病院で2回目の通院放射線治療を終え、東大病院へ向かった。中川は病院の枠を越えて自分が担当すると話し、余命を聞いたたかじんに、「この病気は厳しいです。データで言えば短くて半年、長くて二年、治療は早ければ早い方がいい」と言った。

5月19日から中川医師が監修した治療計画を基に三田病院で放射線治療を再開したが、さくらは三田病院の放射線機械に不満だった。患部に一定方向から一定時間放射線を当てる方式の物だからだ。最新式のものは180度回転してピンポイントで患部を照射するので、他臓器の被曝が減少する。

5月24日、さくらはその機械を持つ大阪府立成人病センターへ行き説明を受けるが、そこは個室の用意が出来ないと言われた。担当した西山医師がX病院なら同じ機械があり、大きな病院なのでプライバシーが守られると紹介してくれた。西山医師がX病院に同行して治療計画を立て直してもらってくれた。翌週からの入院を決め、三田病院久保田医師と東大病院中川医師に断わりを入れた。

★転々とする病院

最終的にX病院で放射線治療を受けるまでに四病院が関わっている。たかじんは歌手・タレントであり喉は大事な商売道具、患部周囲への悪影響が少ないピンポイント照射式機械を選ぶのは必然と言える。
殉愛によると三田病院で治療を始める前から機械に対する不安を抱いていたとある。それなら最初から新式機械を備えた病院を選ぶのが賢明な方法と言える。東大病院では神戸出身の医師に、大阪府立成人病センターでは多くのスタッフに、林一がたかじんであることが知られており、さくらが言う病気の実態を知られたくない考えに逆行しているのだ。
東大病院中川医師の配慮を簡単に裏切ることも無く済んだだろうし、正常に説明した三田病院の若い医師へのお門違いな苦情も発生しなかった。
この間、たかじんは東京-大阪間を二度往復することになり、体力を落としているたかじんにとって負担が増したであろう。後述するがFridayされる事にもつながる。
さくらは自身の奮闘ぶりをアピールしたいのだろうが、第三者の見地から言うと「思慮が浅い行動」と思える。

5月27日、X病院へ入院する日である。そしてさくら31才の誕生日でもあった。


【引用: 純愛 287-289P】
明け方の四時、さくらがキッチンで朝食の支度をしていると、たかじんが目を真っ赤にしてやってきた。泣いたあとだというのすぐにわかった。彼はさくらに一枚の紙を手渡した。B6サイズのメモ帳を破って書いた手紙だった。
文字は涙で滲んでいた。そこにこう書かれていた。


何万語、何億語、
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をほく以上に
のり越えてくれて、
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura Love                 (原文ママ)


▼このメモは「偲ぶ会」さくらの挨拶の中で読み上げられた。
手紙2


















★5月16日、大阪へ荷物を取りに帰る際、品川駅新幹線ホームでFriday記者に写真を撮られている。さくらは誰かがリークしたと思っている。後に続く名前は"K"とでも言いたげだが、自分は違うと睨んでいる、もっとさくらに近い人達でないのか?

品川2












★5月19日、大阪から東京へ戻る機内で偶然に鶴瓶と会う。心配してたと言う鶴瓶にたかじんは「なんとか生きてるわ」と答え、昔話しを懐かしんだ。最期の鶴瓶との時間だった。


【引用: 純愛 284P】
鶴瓶はさくらを見て不思議そうな顔をした。
「前に会いましたよね。覚えてります?」
「初めてお目にかかると思います」
「そうやったかな、すんません」
鶴瓶は笑った。
「奥さん、こいつむちゃくちゃやけど、ええ奴なんや。たかじんを頼んます」
「はい」
「何かあったら、いつでも電話してや」


二人は電話番号を交換した。

ガン再発

★長くなかった復帰

4月21日、安全地帯のコンサートに行くが、「しんどい」と言い出しコンサートを途中退席した。4月25日、「胸いっぱい」の収録から帰ったたかじんは胸の痛みを訴え、翌日の「そこまで言って委員会」の収録から帰った時も不調を訴えた。三田病院の久保田医師に連絡すると「心筋梗塞か狭心症かもしれない」と言われ薬を服用するが一向に治まらなかった。4月30日、検査の為たかじんとさくら、Kマネは東京の三田病院へ向かった。


【引用:純愛 268P】
検査室から久保田医師が出てきた。彼の深刻な表情を見て、さくらは事態が容易でないことを悟った。久保田は自分の胸のあたりを指差しながら言った。
「気管支の近辺に三つ再発しています」
「再発って何すか!」
Kが食ってかかるように言った。
「治療はできるんですか?」とさくら訊いた。
「抗がん剤治療と放射線治療を行います」
(中略)
彼の余命はどれくらいありますか?」
「余命というのはあってないようなものです。五年以内に再発すると、あとは放射線治療と抗がん剤治療しかありません。これが効いたとしてしても、半年から、よくて来年の夏・・・」
(中略)
まもなく久保田医師が部屋に入ってきた。
「林さん、検査をしてみたら、腫瘍ができていました」
たかじんの顔色が変わった。


その後、三人はマンションに戻ったが、今後の治療について話をするため、さくらが病院へ行き久保田医師と会う。
治療をしなければ、半年も持たないでしょう
「治療をして二年生きられたケースもまれにあります。治療をしても効果が出なければ、生きられるのは、あと半年くらいでしょう」と余命宣告を受ける。
さくらは涙でぐしゃぐしゃになつた顔で言った。「抗がん剤治療は意味なかったんですね!」久保田医師は黙ってうつむいていた。
具体的な治療は週明けになるとの説明を受け、痛みを押さえる麻薬を受け取ってマンションに戻り、その日の夕方、新幹線で大阪に戻った。

余命宣告は本人が望まない場合は別だが、以後の治療を効果的にするために宣告するのがマターとなっている。自分の場合もセカンドオピニオンを受けた大学病院で、抗癌剤治療しか出来ないが余命を言いますかと訊ねられた。手術でしか完治は望めないと判断していたので、それが出来ない病院で宣告を受けるつもりはなかったので断ったが、もう一つの本心を言うと、医師の言い方が弄んでいるように感じたからだ。しかし、主治医から半年を宣告されたのをきっかけとして東京の名医と巡り合え、今、こうして健康な毎日を過ごすことが出来ている。完治した今となっては、なんと卑屈になっていたものかと思うが。
たかじんの場合も、本人なり親族や側近が余命半年を知っていたなら、違った治療方針を選択し寿命が延びた可能性が有り得たと思う。そうしなかったさくらの選択ミスは罪深い。また、妻でもない者だけに宣告した久保田医師と、正確な家族関係確認を行わなかったと見られる三田病院の管理体制は批判されて然るべきである。

★PET

実は2月のPET検査で小さく光った部分があったが、腫瘍マーカーが正常値のため問題なしと診断されていた。さくらはもしかしたら小さな再発部分があったのでないかと疑っている。
自分の経験で言うと、「腫瘍マーカーに表れないガンもあるので、PET検査等は慎重を期す」と担当医から言われている。たかじんのケースは小さく光るものが検出されたにもかかわらず、何故精密検査を実施しなかったのか疑問が残る。

抗がん剤については投与日数とサイクルからの想像として、シスプラチン、或いはフルオロウラ汁シルとの併用でないかと思われる。これは食道ガンに用いられる最も効果が高い標準抗がん剤である。 (食道ガン治療)

★告知

2013年5月8日、たかじんの事務所P、I、S名で、体調不良により今後の活動は未定と告知を行った。


所属事務所は「主治医による検査診断の結果、疲労による食欲不振や睡眠不足などから起こる体力の低下がみられ、しばらくの間休養を要するとの指示が出ました。苦渋の選択ではありましたが、本人も今は大事をとって休養に専念する所存でおります」と報告。今後については「主治医とも相談しながら改めてご報告させていただきます」として、復帰時期は未定という。 (当時のニコニコニュース)

テレビ復帰の日

★スタジオ見学を熱望するさくら

2013年3月21日、復活第一弾は「たかじんの胸いっぱい」と決まった。前日、さくらはスタジオへの同行をせがむがたかじんは躊躇し、「別々に関テレに入るから」と言い、「段取りはKマネに連絡させる」と言った。

【引用: 純愛 245-246P】
五時過ぎにKマネが迎えに来た。この日、さくらはたかじんをモデルのようにお洒落させて送り出した。退院してからは、彼の服はすべてさくらがコーディネートしていた。
「ほな、行ってくるわ」
彼は言った。
「あとのことはKから連絡させるから」
Kは黙ってうなずいた。
たかじんが出ていったあと、さくらはマンションでKからの連絡を待った。すぐに出られるように服も着替えておいた。しばらくするとKからメールがあった。
「今日は来んといてください。マネージャーは自分なんで、仕事の事は自分がやる。余計な口ははさまんどいてください」
ショックを受けたさくらは「たかじん胸いっぱい」のプロデューサーの日置に電話した。
「ぼくらはさくらさんに来てもらいたいと思っていましたが、Kが来させない方がいいと言うので・・・・・」
日置は苦しそうに答えた。
彼はこの時の事を私にこう語った。
「Kに言われたら、それは、もしかしたらたかじんさんの意向かも知れないと思うじゃないですか。こちらが勝手にさくらさんを呼んだりしたら、あとで怒られるかもしれないと思いました」
復帰の日のスタジオ収録に立ち会えないとわかったさくらは泣いた。
(中略)
私はいつか捨てられるのかもしれない・・・・・。
Kに対しても怒りが湧いてきた。(中略)・・・復帰するとなったら急にマネージャー風を吹かして、仕切りだすなんて・・・。
(中略・・・収録を終えたたかじんはマンションに戻った)
「今日、Kがスタジオで泣いとったらしい」
「さくらもその場にいて、泣きたかったよ」
「これから元気になったら、いつでも来れるから」
「そうじゃない!」さくらは言った。「今日という日を二人でシェアしたかった。前に何でもシェアするって約束したじゃない!」


▼たかじんのそこまで言って委員会 復帰版


★終わりにしよう

翌日は「そこまで言って委員会」の収録日、さくらはスタジオ見学を話すが「Kマネに言って」と気乗りしない風であった。さくらはテレビ局、制作会社の面々からはさくらのスタジオ見学を誘う電話を受けており、Kマネに連絡するがなしのつぶてだった。ちなみにKは、たかじんの友人である梅田等数人をスタジオに呼んでいた。
その日の夜、「間違いなく捨てられる・・・」と考えたさくらはその日の看病日記に書いた。「都合よく使われるのは、終わりにしよう」

さくらなどは眼中にない一つの事実を紹介する、たかじんは母を復帰のスタジオに呼んでいたことが明らかになった。殉愛で強調したかった、「家族との断絶」「愛を知らなかった男」のキャッチフレーズなぞ、微塵も感じられないエビソートだ。

「お母さんは幸いにも初期段階で脳梗塞を発見できたため、命に別状はありませんでした。ただ、手足がちょっと思い通りに動かせないみたいで、いまも自宅で療養されています。
そんなお母さんに、たかじんさんは『復帰番組を見に来てください』とスタジオに招待したそうです。母親が脳梗塞で大変だったことは、他のご兄弟を通して知っていたみたいで、何とか母親を励ましたかったのでしょう」(近所の人)
実母は残念ながらスタジオまで行けなかったというが、元気になった息子の姿をテレビで見て元気をもらったことだろう――。 (女性自身 2013.4.2)

まず自分の性分を書くと、例え妻だろうと、仕事に口出ししたり現場に介入したりすることに堪えられない。彼のような職業であれば、「完成品である番組を見てもらうのが一番嬉しい」と言うだろう。特に彼は本番前に嘔吐するほど緊張することもあったと言う。余計な神経は使いたくないのが本音だと思う。

仮にたかじんがフィアンセとして認識していたとして、この頁の記述から覗えることがある。
たかじんはさくらを面倒な女と思っていたのではないか? 思惑を持つテレビ局関係者は別として、自己顕示欲が強そうなさくらがスタジオ入りすると、共演者等と接触し自己アピールするだろう。仕事のパートナーであるKを差し置いてさい配するだろう、Kマネのプライドを傷つけることにもなり、それを目の当たりにした同業者達は「たかじんの躾けが悪い」と悪評が立つだろう。たかじんはさくらの性分を見破っていたと思える。

★決断の日

さくらは「都合よく使われるのは、終わりにしよう」と日記に書いた。
その後明らかになるさくらの異常とも言える金への執着心は、この時を境にMAXに上り詰めたたのではないだろうか。たかじんは冷たい人、私を愛していない、間違いなく捨てられる、との感情が記され、この日の日記のページは涙で字が滲み、よれよれになっていたそうだ。
いわゆる業務委託契約中のさくらに対して、たかじんも多少の甘言や誤解を生む行動は有ったと思う。それらはさくらの心の中で、自分の立ち位置が時計の振り子のように揺れていた事だろう。
この時の「終わりにしよう」は去る事ではない、たかじんが持つものすべてを手中にしようと決心した時だったのではないか。皆が待ち望み、仲間に囲まれてワインをかたむけ上機嫌なたかじん復帰の祝い日が、その陰で殉愛騒動出発の日でもあったのではないだろうか。

★復帰後、週刊ポスト誌に送られた謎のFAX

午後11時過ぎ、京都祇園の喧噪から離れた通りにあるスナックのドアが開き、中から4人の男と1人の女が出てきた。その中のひとりは酒に酔ってはいるもののしっかりとした足取りで、茶色い中折れ帽にグレーのコート、パイプを咥えた“ちょいワルオヤジ”。
それは、3月21日にがん治療から復帰したばかりの、やしきたかじん(63)だった。本誌記者は意を決して声をかけた。

・たかじんさん、ご結婚おめでとうございます!
「ありがと!」

記者の問いかけにそう答えたのは、たかじんの隣にいる男性。当の本人は、突然声をかけられて驚いたのか、無言でこちらをじっと見返すだけ。
たかじんの隣には、かなりの年の差があると思われる若い女性がぴたりと寄り添っている。肩よりも長い髪、オレンジ色の膝丈のスカートにベージュのハーフコートを着たその女性は、右手をたかじんの腰に回していた。その姿は、“ほろ酔い”のたかじんを支えているようにも見える。

・ご結婚を決められたんですよね?
「……」

相変わらずじっとこちらを見たまま、返事がない。

・24歳差の郷ひろみさんご夫婦を抜く年の差婚になるそうですね?
「あかんあかんあかん!」

ここで、見かねた友人の男性が記者を遠ざけ、たかじんと女性を取り囲むようにして去っていった。

実は本誌がたかじんを直撃したのは、“招待状”を受け取ったからなのである。FAXで届いたその手紙には手書きで「30才年下看病妻と婚約、復帰報告パーティ!!」とあり、しっかりと場所や時間まで指定してある。半信半疑で会場に駆けつけてみたところ、本当に出会ってしまったというわけなのだ。送り主は不明だが、本人には内緒で本誌記者を“サプライズゲスト”として招待してくれたのだろうか。
気になる“お相手の女性”はどんな人なのか。在阪テレビ局関係者が語る。
「たかじんさんは、去年『FRIDAY』で写真を撮られた女性とまだ続いています。彼女をコロコロ変えるたかじんさんにしては珍しい(笑い)。病気の時もずっと彼女に看病してもらっていたし、そろそろ結婚となっても自然な感じもします。もう昔のように無茶はできないでしょうからね」
改めてたかじんの事務所に聞くと「復帰を祝う飲み会でしたが、婚約の発表というわけではありません」との回答だった。たかじんは、過去に2度の結婚と離婚の経験がある。3度目を流行の“年の差婚”で迎えることを本誌も応援しています!
(週刊ポスト2013年4月26日号)

たかじんは知らなかったようだが、このFAXは誰がどの様な目的で流したのか。婚約、復帰報告パーティの場と時間がたかじんのそれとして相応しいと思えない。この一件を記事にしたのはポスト誌だけのようだが、正式なものなら多くの媒体に知らせるのがたかじん流であろう。
参加者の名前は不明だが、二人の婚約を既成事実化しようとする人間が介在してたのは間違いないなく、たかじんが復帰したスタジオ収録に呼ばれず、「都合よく使われるのは、終わりにしよう」と決心したさくらの意趣返しなのかも知れない。

読売テレビ会長と食事会

★思惑

3月14日、テレビ復帰に向けて約4ケ月(一時帰国が有った)のハワイ生活から大阪に戻った。18日、読売テレビ越智会長と山西制作局長が食事会を開いてくれ、さくらも同席した。


【引用: 純愛 242-245P】
「いつか越智さんにハニーをきちんと紹介したい」とも言っていた。
この夜、たかじんはその言葉通り、「ぼくの一番大切な女性です」と、さくらを紹介した。そして自分がどれほどさくらを大切にしているかを熱く語った。
「たかじんさんとさくらさんは、殉愛なんだね」
越智はしみじみと語った。たかじんは本気で照れていた。越智はさくらに向かって、「たかじんさんは本当は心の優しい男なんです。しっかりと支えてやってください」と言った。
(中略)
越智は、何度もさくらの手を握りながら、にこにこして「こんな若い娘をつかまえて」と言った。


▼読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」
委員会2






越智会長がさくらの手を何度も握り・・・のシーンは、初対面の女性に手擦り合わせるテレビ会社会長として品格が疑われる。さくらとしてはテレビ局トップとの親密さをアピールすることで、その後の利権ビジネスを容易に進めようとする魂胆には、願ったり叶ったりだったことだろう。
読売テレビのたかじん冠番組継続、さくらによるたかじん利権の独占、今現実に起こっている事案の暗示と取れる食事会で興味深い。
会長のお墨付きを与えられたも同然の山西制作局長は、冠番組継続に向けて中心的に尽力したことだろう。現在も読売テレビ制作の「そこまで言って委員会」は番組継続の方向を匂わせている。

※追記
そこまで言って委員会は、2015年4月放送分から「たかじん」の冠を外し、そこまで言って委員会NPとして番組を継続することになった。メインキャスターには辛坊治朗、サブには元ニュースステーションで司会をした渡辺真理が就任した。

早よ、出さんかい!

★電話

2013年2月18日、ハワイから一時帰国していたたかじんは、東京三田病院でPET検査を受けた。経過は良好で3月のテレビ番組復帰に支障がないことが判明し、翌日大阪へ戻る。

2月21日、相原と新地へ飲みに行った際に、自宅に忘れたたかじんの携帯に電話が入る。何度も着信したためさくらが出ると、女は一気に話した。
「家からやから言うだけ言うね、明日、パンツ穿いていかへんから楽しみにしといてや」そう言うと切れた。
さくらは怒りが込み上げ、私が馬鹿にされているのかと思った。
23時頃相原とマンションに戻ったたかじんは、さくらが電話の件を話し怒ると、後の対応を相原に任せて寝室に引っ込んだ。相原は一時間も土下座しながら許しを請い帰った。
翌朝、たかじんはその女の母がガンなので人助けでお金を渡すだけで、今回が最後だと説明した。
さくらは腹が立ってハワイでプレゼントされた指輪を引き抜こうとすると、たかじんは「はずさんといて!」 と言いながらさくらにしがみついたが、さくらはハワイに戻らないと言い出す。

純愛 231P】
「ハニーはハワイに行ったらいいじゅない」
「さくらが行かへんのやったら、行かれへん」
「どうして、そんな勝手を言うの」
「ぼくの"エゴイズム"という歌、さくらも好きやんか。ほな、僕の言うてることわかるやろ」
エゴイズムという歌は、タイトル通り男のエゴを歌った曲だ。さくらは、こんな勝手な言い分はないと思った。
「歌が好きなだけで、歌詞の内容が正しいとは全然思っていない」
「そんな怖い顔せんといてえな。さくらはいつもニコニコして笑ってたらええねん」
(中略)
実はこの時点でも、まださくらとたかじんは一度も肉体関係がない。
これは私の想像だが、たかじんは体力に自信がなかったのかもしれない。実際、パソコンに残されたいた日記に、「さくらと結ばれたいが自信がない」という意味の事が書いてある。また日記を見る限り、病気が発覚する半年前くらいから、女性を家に呼んでも実際のセックスはしていない。露骨な表現になるが、別な形で処理してもらっている。(中略)
たかじんは本当に愛しているさくらに、それはさせたくないと思っていたようだ。


しかし、さくらは自分に魅力がないから、結婚する気がないから、都合のいい家政婦のような存在と思っているかもしれない。あとでややこしいことを言われないように、セックスもしないのかも・・・・・。さくらは女と会わないようにマンションを出る。

【引用: 純愛 231P】
お前の背中 抱きしめている同じ腕で
ほかの誰かのことを 抱く日もあるだろう
あの空のように 気持ちは迷い 流れてゆく
幸せにするなんて 約束できない
いつだって男はきまぐれで
新しい花に惹かれるけど
心ごと 疲れ果てた夜は ここに戻りたい
おまえのそばが Woo いちばんあたたかいから

(中略)

いつだって女は意地悪で
気付かないふりをしてくれるよ
だからそう 疲れ果てた夜はここに戻りたい
おまえのそばが Woo いちばんあたたかいから

(やしきたかじん「エゴイズム」より)

さくらが部屋に戻ると女は帰った後で、たかじんは「金だけわたした」と言ったが、さくらは荷物をまとめて自分のマンションに帰ると言い出した。たかじんはさくらの足にすがり付き「いま、僕は"泣いてもいいか"の歌と同じことしてるんや」と言った。
さくらは呆れたが、たかじんのプライベート用と仕事用の携帯に残っている、その女の番号とアドレスを消し、もう一つ記録用に持っている携帯を出すように求めた。「早よ、出さんかい!!」

★性的不能

たかじんにとってさくらの立ち位置はどうだったのか? これはほぼ全編に渡る疑問であり、読み手の感情が萎える素因であるが、そこは置いておこう。
強い不快感はたかじんの男としての矜持が、さくらと作者によって著しく損なわれている事だ。ノンフィクション小説"純愛"の主軸となる代名詞は、「ノン・セックスだった献身妻」なのだが、そこのオチがたかじんの性的不能では、まるで成人向けの4コマ漫画でも見ているような気分になる。
百田尚樹がベストセラー作家の名を汚してまでも、さくらに同情的な表現を用いたかった根拠は奈辺にあるのか。

早よ、出さんかい。これは関西ではよく使うセリフなのだろうか? 自分の地方では特に女性は使わない。もし自分が使われたならば、百年の恋も冷め即座に別れるだろう。

★エゴイズム

一方、たかじんのヒット曲を背景に使った描写は、この殉愛の中では異彩を放つページだと思う。しかし、もう一つの騒動が起きた。
百田尚樹が作中で引用したのは、たかじんの曲「エゴイズム」だが、青太字で著した部分がカットされている。このことだけが原因ではないが、この曲を作詞した及川眠子氏がtwitterで百田尚樹に異論を呈した。
及川氏はたかじんの曲を70曲以上作詞し、たかじんのことを知り尽くしている人だ。
百田尚樹は彼女の作品を引用しながら作者を知らなかっただけでなく、作者が意図する言葉の意味を理解していなかったようだ。
そこを指摘されると、「売名行為する作詞家というのも実に厄介や」と批判する暴挙に出、あらぬ敵を誘引する結果となった。 
(詳細は打算と逆襲カテゴリーにて)

【及川眠子twitterプロフから】
作詞家、プロデューサー。 代表曲は、Wink「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」、やしきたかじん「東京」、新世紀エヴァンゲリオン主題歌「残酷な天使のテーゼ」など1,000曲以上。




▼この件については下記に詳しく掲載されている
百田尚樹さん「売名行為する作詞家というのも実に厄介や」 エヴァ作詞家を批判し波紋が広がる(ネトラボ)


★近況メール

無期限療養中の歌手でタレントのやしきたかじん(63)が31日、自身がレギュラー出演していた関西テレビのバラエティー番組「たかじんの胸いっぱい 怒濤の生放送2時間SP」にメールを送り、近況を報告した。

 たかじんは「猛暑の大阪を避けて別のところに来ていますが、こちらもかなり暑いです」と記し、避暑地で静養している様子。「ここでは『胸いっぱい』が放送されていませんので、DVDを送ってもらい毎週チェックしています」と復帰に向けて過ごしていることも明かした。さらに、「体調は焦らずゆっくり整えています。番組も夏の特番の季節ですね。楽しみにしています」と、つづった。

 出演者の大平サブローは「どこにいるんやろ。北の方かな」などと話し、たかじんの復帰を待ち望んでいた。http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/08/31/0006297710.shtml

▼やしきたかじん「エゴイズム」


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