2015年03月

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

たかじんにすがるハイエナ達

★偲ぶ会を主催したテレビ局の不可解

たかじん逝去から二ヶ月後の三月三日、在阪テレビ局五社の主催で「偲ぶ会」が開催されたが、親族の出席を巡って不可解な経緯があった。殉愛の真実で明かされた事実を要約して引用する。

たかじんの親族は会が催されることを知らなかったが、或る日、長女宛てにさくらから突然、「親族は会に出席しないように」とのメールが来た。さくらへ連絡をとるが、「局に全てを任せている」との返事だった。
理不尽だと考えた親族が、知人から教えてもらった読売テレビ執行役員兼伊作局長の山西と連絡を取るが、一向に返事がなく、たかじん弟が知り合いの読売テレビ関係者にこの話しをすると、ようやく山西からメールがあった。
話し合い場所に指定された関西テレビへ行くと、山西、関テレ・菅沼、テレビ大阪・田中の三局長が集まっていたが、「今回はお呼び出来ない」と繰り返す゛かりであった。最終的に長女が、「開催中止の仮処分を申し立てる」というと、時間をくださいと言った。二日後に行われた面談でようやく「ご招待させていただきます」との回答を得た。

その偲ぶ会の様子は、各マスコミ等で既報の通りである。さくらは各テレビ局社長に囲まれた中央席に陣取り、親族は隅の末席に配席され、長女は会の最中に奇声を発したと殉愛に書かれた。この会はPISの権利を横取りしたオフイスタカジン社長に就任したさくらの、お披露目の場のようであったと証言する関係者も多い。

いやはや、何という残虐な仕打ちであろうか。たかじんの一人しかいない娘、たかじんの亡き骸にも会えず落ち込む老母、そして兄弟達。娘を除いて、荼毘に伏されるたかじんとお別れも出来ないでいた人達だ。さくらが本当にたかじんを愛していたのなら、親族の出席を自らテレビ局に訴えるべきだろう。いや、主催したテレビ局がさくらの意向を汲んだのか、自らの意向なのか。
しかし、この驚きのエピソードも、たかじん利権に群がるハイエナストーリーの一小節に過ぎない。

★一致した利害

殉愛に実名で登場するテレビ関係者は、さくらを賞賛するかたわら、KマネやUについては凄まじいばかりに貶めることで一致していた。特に、「ボーイズ」の相原康司、「AZITO」の井関猛親を筆頭とする、たかじん番組の制作に携わっていた者達は顕著であり、前出の読売テレビ・山西も例外ではない。
たかじんが腹膜播種を起こし、短い余命を知った2013年12月25日にKマネと打ち合わせ、たかじん事務所を閉めるとしたところにポイントがある。それはたかじん冠番組の終焉を意味しており、それらの高視聴率で稼いできたテレビ局と、それらの番組制作を事業収入の柱としてきた制作会社にとって大打撃である。
特に読売テレビは人気番組「たかじんのそこまで言って委員会」を放送しており、一本約4.000万円の広告収入があり、年間では約20億円前後稼ぐとされていた。レギュラー番組を持つ他の二局の事情も同様であろう。番組終焉で被ることになる減収は巨額に上る。其れゆえ、たかじん休養中も「冠」を外すこともなく続けて来たのだ。
たかじん利権を持つことになるさくらにとっても、算盤勘定は一緒である。たかじん闘病中から番組継続への、さらには死後の継続へも向けた「皮算用」が、両者間に有ったとしてもおかしくはない。
関西の視聴率男の威光は想像を超える大きさだったであろう。テレビ会社のお偉いさんや制作会社の者達が、自分の機嫌を損ねないように接してくる、たかじん未亡人の称号を持つだけで。これまで俗物的な人生を送ってきたさくらにとっては、眩いほどのチャンスと映ったことだろう。
PISの副社長でもあるKマネを、力づくでも排除し貶める必要があったのである。

★制作会社

相原康司が代表を務める制作会社「ボーイズ」は、当初はたかじんが作った会社で、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」とテレビ大阪「たかじんNOマネー」を制作している。文字通りたかじん在っての会社だ。相原はたかじんから「アホ原」の称号を与えられているが、業界の最側近の一人と言っていい人物だ。
殉愛の中でも、常にさくらを持ち上げる言動をとっている。2012年末のハワイでは、「師匠が今こうしていられるのは、さくらちゃんのおかげですよ」と言い、復帰を果たした収録後には、「師匠が今こうして元気な姿でいるのは、さくらちゃんがいてこそです」と言っている。たかじんが婚姻届を出すと知った時には、「師匠、とうとう・・・」と涙を流している等々だ。
制作会社「AZITO」は井関猛親が代表を務め、「そこまで言って委員会」と「たかじんNOマネー」の演出を手掛けている。又、殉愛の著者百田尚樹が放送作家を務める「探偵ナイトスクープ」の制作も担当している。井関は各方面に人脈を持つと言われている。
日置圭信が取締役を務める、制作会社「レジスタ・エックスワン」は、関西テレビ「たかじん胸いっぱい」の制作を担当している。同番組はたかじん番組として最も長く続いている。

特にボーイズはたじんが出資して設立した会社で役員登記もされており、子会社のTVTVTV社に至っては副社長となっていた。つまり、高い視聴率が見込めるたかじん番組を作りたいテレビ局は、同時にボーイズを使わざるを得ない仕組みとなっていたのだ。

▼たかじん利権相関図 (takoutsubo.wiki.fc2.com/m/)
相関図2














★KマネとUの排除

殉愛によると、2013年8月28日、読売テレビ・山西からたかじん電話が入り、「たかじんが番組を終わらせたいと、Uが言っているが本当か」と質問があり、たかじんは即座に否定したと書かれている。その後、相原から同様の問い合わせがあった際にさくらは、「これから番組のことは私に直接言って下さい」といい、相原が、「そうするよ」と答えるシーンがある。
殉愛の真実によると、たかじんがKとUに番組終了の指示を出したのは事実で、相原からの問い合わせに、「そんなことはない」と答えたのも事実だ。Uにとってはヒドイ話だがそれは置いておこう。この成り行きを知っているさくらが、これからは私を通してほしいと言って野心をのぞかせ、相原が同調している点に目が行く。

2014年11月29日、たかじんのipadにKマネからメールが入り、添付された画像を見ると、女性のあられもない姿が写されたモノであった。これを見たたかじんは激怒し、Kマネをクビにすると言い解任通知書を作成したとされている。さくらは相原にことの成り行きと、Kマネをクビにすることを告げると、「今から行って、しめたろうか」と息巻いた。
その後さくらは、たかじんに何度も「Kをクビにしたのか」と迫るが、たかじんははぐらかし有耶無耶となった。

この二つの出来事からわかる通り、さくらと相原にはKマネとUを排除しようとする懸命な姿が浮かび上がるが、それはたかじんの考えを超えたものだった。

★復帰を早めたテレビ局

2013年の正月が過ぎたころ、読売テレビ・山西制作局長、レジスタエックスワン」の日置と橘、日を違えてボーイズ・相原代表とAZITO・井関代表がハワイにやって来てたかじんと会っている。
相原が「師匠、復帰出来そうですか」と訊ね、たかじんが「春くらいに復帰しようと考えている」と答えている。相原はいつまでも待つので無理はしないでほしいと言うが、たかじんは体重が戻ったのでもういけると言い、その後、三人で具体的な日取りを話し合っている。
殉愛によるとたかじんは、手術から一年検診を受け異常がなければ復帰に向けて考えると計画していた。再手術から計算する一年後とは、四月下旬となる。予定より早いこの時期に、たかじん番組に関係している面々がハワイまでやってきて、復帰の日取りまで話し合ったということは、たかじんに早期の番組復帰を迫った可能性が高い。先発隊の山西達が意向を伝え、相原とたかじんのコンドミニアムを初めて訪れた井関が、スケジュール打ち合わせに来たのだろう。

★謎のフエースブック<家鋪さくら>

殉愛をみる限り、12月初旬以降にはテレビ関係者との接点が書かれていない。腹膜播種と診断された際も、下顎呼吸が始まり予断を許さない状態となった時もだ。たかじんが荼毘に伏された後の1月6日になって、初めてテレビ関係者を大阪のマンションに集め、死を報告している。
相原に至っては、さらに一日遅れた7日になってからと、不自然な形の流れとなっている。これはにわかには信じられない話しで、少なくとも相原と井関は逐一、状況報告を受けていたと思わずにいられない。
謎なのは、たかじんが危篤状態となっていた2014年1月1日、さくらが「家鋪さくら」名でフエースブックを開設し、翌日にテレビ関係者とたかじん友人の数人と友達となっている。フエースブックのメール機能を利用すると、他人に知られず連絡をとることが出来るのだが、開設日の怪しさから、チーム間の何らかの手段に使われた可能性は高く、「ねんねする?」と言って睡眠薬を投与する直前にアップされたプロフィール画像は、男女のシューズ姿(Nマーク)だったが、何らかのシグナルだったのかも知れない。

★相続宣言

たかじんの遺骨を大阪のマンションへ運んだ1月6日の夜、さくらはテレビ局、制作会社の幹部達を呼び、たかじんの死を報せている。殉愛では見届けたさくらに対し、労いや賛辞する声を掛けられたとしているが、殉愛の真実では全く違う表現となっている。

参集された幹部達に、「全てをさくらに相続させる」と書かれた遺言書を見せ、「今後は、やしきたかじんに関するすべてを私が引き継ぎ、取り仕切る」「PISも自分が社長となる新体制となる」と伝えた。
翌7日にたかじんの逝去が正式に発表されたのだが、夜10時頃、さくらの意を受けたY弁護士がPIS事務所に現われ、「PISの次期社長はさくらさんなので」と言って、同社の実印、通帳、帳簿類、契約書を持ち出したという。

殉愛ではこの件について、弁護士がPISへ出向き、「あなたに法的な権限は一切ない」とKに伝え、会社の帳簿と関係書類を没収したと書かれている。実印や通帳、契約書のことは明記されず、カモフラージュしたと思われる。なぜなら、周囲の殆どはたかじんがPISの株式の大半を所有していると思っていたが、実は24%の所有だったのである。ならば、遺言書を盾に実印と通帳、契約書を持ち出したとなると、問題となるからだ。

この夜、制作会社AZITO代表の井関は奇妙な行動を取る。死亡を知らないはずの毎日放送が、たかじん追悼番組をこの日の深夜に流すとの情報が流れテレビ関係者達が調べた結果、KマネとUが情報を流していたことが判明する。これを知った井関が毎日放送の常務に、「遺族の許可を取ったのか、KマネとUは権利がない。番組を中止しないと低変なことになる」と電話し放映を中止させたエピソードが殉愛に書かれている。井関は遺言書を見せられたと思われるがそれは夕方以降のことだ。しかも危急時遺言なので裁判所の認定を受けなければ正式な物にはならない。それでもこれまで契約中だったPISを差し置き、遺族の権利を盾に毎日放送に対して番組中止を強要したのは、死後利権を死守する為と言えよう。しかも遺族と口実を付けるなら、長女の権利関係も精査してから発言すべきであった。

前述したが、相原は翌7日に伝えられている。二つのたかじん番組制作を担当している社の代表が、たかじん死亡の報告を後回しにされているのは不自然極まりない。遺言書内容、さくらへのPIS利権移行、PISへの弁護士派遣、全て知ったうえで井関と共に最後に訪問したのだろう。首謀者と思しき悪党が最後に登場するのは、さすがテレビ屋の演出か、と思わせてくれる。
(殉愛によると東京にいた井関は、たかじん死亡を前日に電話で知らされていた)

★Offise TAKAZIN設立

たかじんの持株比率が低く、PISの権利を引き継ぐことが不可能となったさくらは、新会社Offise TAKAZINを設立し、代表におさまった。この会社はたかじんの著作、出版物、映像等の権利の管理を目的とし、以降はさくらの許可を抜きにして、たかじん番組が成り立たない事を前提に創設されたものだ。
しかし、権利を持っているのはPISである。如何様にしてさくらが権利を獲得出来たのであろうか。

まずは骨壺作戦である。
さくらは骨壺を首から下げてテレビ局等を訪問、冠代、肖像権などの権利を「オフイス・タカジン」のものとして契約を取り付けた。決め台詞は「私の言葉は主人の言葉です」だったそうだ。(業界関係者) たかじん追悼番組の収録時には、骨壺を持参したさくらに、相原が同行したとの情報も有る。
自分もどこかの国へ出張中に見たことがある光景であるが、実際ゾッとした記憶は今も鮮明に残っている。訪問された方の心理を逆手にとった行動は、効果てき面だったことだろう。

▼骨壺行脚を目撃した、作詞家・及川眠子氏の感想


何よりスムーズに利権以降が進んだ背景は、テレビ局の思惑だろう。PISが権利を持つとたかじんの意志が優先され、冠番組が早晩消滅するのは必定である。PISが相続するには根拠が足りないとの理由を付け、いとも簡単にOffise TAKAZINと契約を結んだのだ。
さらに在阪のテレビ局が約五千万円の費用を負担して偲ぶ会を開催し、もっぱらOffise TAKAZIN代表・家鋪さくらのデビュー戦と称される場を与えたのである。

テレビ関係者はたかじん死亡を、葬儀後に突然知らされたように装っているが、三者がそれぞれに甘い蜜を貪る一連の流れは、たかじん没前から描かれていたストーリーのように思えてならない。
たかじんが長期離脱中も、復帰までの期間はいざ知らず、その後も冠番組を続け、テレビ復帰は不可能と考えたたかじんの意向を押しとどめ、さくらを介在役として全てをコントロールしていたと言えるテレビ業界。死後も然りで「冠」を継続させて視聴率を貪る。たかじんの偉大さがなせる業と言えばそれまでだが、たかじん休養から約三年もの時間が過ぎている。今尚、新しいコンテンツを産み出せず、一種の恩人とも言えるたかじんを静かに眠らせることが出来ず、すがるだけが術の関西テレビ業界には失望する。

★たかじん利権

Offise TAKAZINはさくらの一人役員会社であり、その収入の全てを管理出来る。更には「ボーイズ」の取締役にも就任し発言権を増した。
三つの「冠番組」はたかじん死後も続き、冠代は一本30万円程度と言われており、年間では約4千数百万円もの収入となる。たかじんの映像が使われる都度に発生する肖像権収入もあり、さくらは露出チェックに余念がないという。
その他にもサイト運営や記念フレーム切手発売等の関連事業も行っているが、こちらの営業成績は芳しくないようだ。ネット民、雑誌、書籍類を通じて、さくらの本性が明らかになったことも、無関係とは思えない。

関西で圧倒的な人気を誇るたかじんの冠ビジネスを取り囲む、前記のテレビ会社、制作会社、たかじん利権継承者さくらの三者は、いちご大福の形に似ているように思える。甘い餡の中心にくるまれた苺は賞味期限が短く、ただの守銭奴で業界に疎い未亡人は与しやすさで選ばれたのだろうが、実は古米が使われたカビやすい餅皮のようだからだ。

さくら「殉真」出版差止申立


こんな愚挙に打って出た背景には何があるのだろうか。本来なら「名誉棄損」や「プライバシーの侵害」を理由とした「出版差止め仮処分申立」が一般的と言われている。たかじん長女が、殉愛発行元の幻冬舎に対して行った、出版差止め訴訟の際もそうだった(現在係争中)。リテラの取材に応じた専門家の談話を要約すると、名誉棄損を理由とした場合、宝島社の徹底した反論にあい、差止めまでに時間がかかる。手っ取り早く差止めに持ち込むには、「著作権侵害」だと考えたらしい。

素人が考えても不可解な理由だが、さくら側に勝算はあるのだろうか。むしろ、殉愛の真実で偽物と結論付けされたメモが、今度は法廷で確定されると、ますます窮地に追い込まれることになるのではないのか。これまでも沢山の詭弁を重ねて来ていることと重ね合せると、今度はどんなウルトラ級の"実は~"を出してくるのか、聞き耳を立てておこう。
宝島社側はすでに「反論書面」を提出しており、4月上旬にはさくら氏側の反論が予定されている。


★Twitterで見る識者の見解






そもそも手紙とも言えない礼を欠いたものだが、数多く残したノートの一ページに書かれたこのメモ。しかも内容は寄付金を迂回させ相続税を逃れる、いわば脱税の片棒担ぎを依頼するものだ。これのどこに著作権を主張する根拠が存在するのだろうか。そもそもこのメモは、殉愛発売日に放送されたテレビ番組、「金スマ・たかじんSP」の中で紹介され世に出たものだ。さくら自身が提出したことに他ならず、前記の記者も困惑を隠さない。

「さくら側は(温井メモが)『これまで公表されたことがない』などと主張しているのですから、取材班の中でも、いったいこの人は何を言っているのかと……」(前出・記者)(リテラ 2015.3.30)

★終わりの始まり

殉愛の真実誌上で捏造メモと断定された際、鑑定の実作業をした青木鷹文氏が、リテラ記事が発せられた直後、掲示板にコメントを書込んだので紹介する。

xxxxxx 2015/03/30(月)
腹筋崩壊になりそうな著作権侵害という斜め上の争点…言い替えると「温井メモの真贋」が争点になったのよ。
宝島社側はこれで堂々と「原本出せ」と言えるわね。
ここを争点とした以上、当然お出し頂けるのでしょうね____
もちろん、宝島社側は鑑定や当事者以外も含む幅広い証言も含めて隙のない証拠を積み上げているわよ。
この裁判で宝島社が勝つ=事実上温井メモが偽造であることを証明したことになるわ。
だから「終りの始まり」になる可能性があるのよ。

xxxxxx 2015/03/30(月)
鑑定書はもう証拠として出ているわ。
京極さんも弁護士事務所も「温井メモは真筆」からスタートしているので著作権侵害でいけると思ったのよ。
実際、真筆なら裁判官次第で差し止めもあり得るから…だから喜んでたのでしょうね、期日が合いすぎなので。
あら、そう言えばあのメモが真筆でないなら、校長先生に見せて説得した訳だから偽造有印私文書の行使に当るような気がするわね__


京極さんとは殉愛著者の百田尚樹を指しているようだが、彼も弁護士もメモを本物と思っているようだ。さくらが本物だと頑として訴えたのだろうが、既に運命共同体と言える百田尚樹は別としても、弁護士は如何なる確証を得ているのか。或いは、窮地に追い込まれているさくらが、一縷の望みを託した負け戦覚悟で臨んだ争いなのか。
これまで三度の裁判で、やや理不尽とも取れる慰謝料をゲットしていることが「殉真」で明かされたが、今回は物理的証拠を要する裁判になるようだ。たかじん元弟子の打越氏、友人だったA氏、サンデー毎日(殉真著者・西岡研介氏twより)に続く、殉愛騒動だけで四度目となる訴訟魔のさくらには、そろそろ"敗北という名の鉄拳"が必要な時との思いを持つ人々は多いだろう。

▼「Nメモの真贋を問う著作権侵害がなぜ腹筋崩壊なのか」をチャートに(青木氏)
温位メモチャート










青木氏が「お出し頂けるでしょうね」と語りかけているように、件のメモを提出しない戦略も考えられるが、それならそれで氏の言葉通り、「終わりの始まり」であることに変わりはない。

蟻の群れ


イワン氏がアカウント削除をした日のこのツイートこそ#アリゾウの心だったのだろうと、深く感銘を受けた。

イワンのバカ@someout01

「人生生涯 小僧の心」
私の尊敬する「塩沼亮潤大阿闍梨」の言葉。


イワン氏達が退会を決断した理由は何なのだろうか。これまでのツイートを拝見している限り、無責任な行動に出る方とは思えない。本人から具体的な理由については明かされていないが、中には実情を知っている人、核心に近い判断を出来る人はいるのだろうと思うが、そこからも詳細の発信はされていない。それら全ては今後の#アリゾウ民の活動や殉愛問題解明のための、ベターな判断であり、一方、作戦なのだと思う。

★内部攪乱説

次もイワンのバカ氏最後の日のツイートである。
花も人も散る時を心得てこそ、その花(人)本来の美しさを後の世に残すことが出来ると意訳すると、#アリゾウ内部で軋轢が有ったことも予想される。

イワンのバカ@someout01

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
(ガラシャ辞世) 今の私の気持ちに近いです…。

自分もジャンルは固定されていないが、時折、つぶやく時が有る中で、#アリゾウ内部が何かしら揉めている様子だけは覗う事が出来た。ブロックが・・・、DMが・・・、思想的ポジションが・・・等である。
特に#アリゾウタグには思想的、政治的ポジションは無関係なアメーバ―のはずである。しかし、数の増大は軋轢を生むのであろう、リアルでは見知らぬはずの人達の間で、DM機能を利用して丁々発止としたやり合いが行われていたとは驚きだ。
私見だが、顔が見えない集合体において、目的が一緒でも方法や手段に違いが出てくるのは当然だろうし、究極ではそれぞれの自己責任が基本だ。各々が自分の出来ることを実行し、自分と合わない意見はやりすごす度量が必要だろう、一々取り上げるのはどうなのだろうか。DMを利用してとなれば他のアメーバ―に不透明な言論となり、もし、想像を絶する執拗なモノであれば、イワン氏の今回のような選択も致し方なくなる。それは誰を利することになるのか、甚だしく疑問である。

主導権争い説も言われているが、確かに世の一般社会でも存在する人格だ。しかし振り返ってみると、イワン氏の立ち位置は絶妙の距離感を保っていた。出過ぎず引き過ぎず、公平に謙虚に。その姿勢を感じ取ったからこそ、多くのアリンコ達が生まれたのではないだろうか。
それが誰であるのか自分が知る由もないが、大勢の時は声がデカくて勇ましいが、守勢にまわると"誰か"の責任だとすり抜ける類の人は多い。

★#アリゾウ民複数退会に関連するツイート


→信頼していた人とDMしてたが、執拗な嫌がらせと情報漏洩をされた
→そのフォロワーと、関連していると想像したフォロワーをブロック
→ブロックを指摘するツイートなどで#アリゾウ民の間に不信感が生じる
→ブロックは本人の知らぬ間に行われたようだ

本人の弁によると上記の流れで混乱が生じたようで、やはりDM機能利用で個人情報を漏らしたことが発端となっているようだ。仲間意識を構築してから付け込まれたのだろうと思われるが、罠はどこに潜んでいるか分らない。実名登録しているケースが多いFacebookの「いいね!」機能利用、実名著名サイトの利用などには気を付けなければならない。本当の敵の一人は「訴訟が処世術」のような人なので。

青木文鷹氏は今回の退会劇に関して発言している
アリゾウに関しては、実際に起こったことは内紛でもなく、訴訟でもなく、物理的恐怖

であるならプロの仕業と言ってよく、用心することが長い活動を支えることになると思う。


★自分が一番印象に残っているイワンのバカさんツイート画像。
「門」構えです。

門構え2





元弟子・打越氏を訴えたさくら

★名誉棄損なのか?

打越元久さんは、80年代にたかじんさんの弟子をしていた歌手であるが、殉愛発売直後ブログに記した。

「本でコケ落とされてるマネージャーK氏 前マネージャーN氏ほか、たかじんスタッフ/ファン多勢。みんな怒り心頭です」
「百田氏は会った事も無ければ取材もしていないマネージャーKを仕事も出来ないミスばかりする運転手...とマネージャーK氏をコケ落とした」

たかじん側近者として初の「殉愛」に対する異論であり、同書に疑問を持つたかじんファンサイドにとって、共闘体勢を組むにふさわしい声であった。殉愛内で最も悪人非道な人物として書かれたKマネと親交が深く、殉愛では書かれなかった真実を理解している人物であった。打越氏は本当のKマネの姿を知ってもらいたいと立上ったのだ。


さらに、「金スマたかじんSP」番組内で紹介された、数々の「メモ」に対しても疑問の声をあげた。発端は自身がたかじんから渡された自筆メモ筆跡との違いが著しいと感じたとのことだ。


打越氏はラヂオ番組の中でも、殉愛に対する感想を述べた。結果的にこの番組内での発言を対象に、「名誉棄損」で訴訟することになった。しかし番組内でも分かる通り、発売された週刊誌記事を根拠に話しているのだが、それらの週刊誌を訴えることはせず、一市井人を訴えるとは「弱い立場」の人間を狙い、目に見えないネット達の追及を弱めようとする作戦に出たのであろう。たかじん長年の友人である会社社長が開設していたブログに対しても、同様の訴訟を起こした。
訴状には、殉愛で書かれた内容は「事実でない」と発言したこと、後妻のさくらが看病をしているうちに「ガンが移った」として金銭を要求したことが書かれている。後妻さくらは、妻としての品性、人格に重大な疑いを生じさせ名誉が損なわれたとして、1.000万円と巨額な損害請求をしている。


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殉愛作者・百田尚樹がツイートでこの訴訟を予告している。殉愛一派が力任せの鎮静化を謀ったものだろうが、文面から読み取れるのは「脅迫もどき」だ。このツイート発言に対して打越氏はブログ上で、「一生忘れません」と記した。


百田尚樹の予告通り、打越氏に訴状が届いたことが、本人のTwitterで明らかになった。


★支援の勢い

実は、この訴状が届く前から、反殉愛を掲げるTwitter民やネット民等の間では、さくら達が弱い立場の者を攻撃し、騒動をなかったことにする作戦に出たことへの義憤から支援機運が高まっていた。打越氏も相談すべき個所と連携し、「募金」の形で速やかに支援体制を敷いた。

「打越元久の訴訟を支える会」がそれで、趣意書には以下のように記された。

『本来、打越の責任により戦うべきではございますが、本人も不徳の致すところではございますが現状ではその資金の不足が予想されます。加えて何よりご賛同頂ける皆様の「共にある」というお気持ちをお借り致したくここに「打越元久の訴訟を支える会」の運営を発足する事になりました』

趣意書にある言葉通り、「共にある」との思いは全国に拡がっており、この日を待ち望んでいたと言える。募金方法公表から僅か10日足らずで、303名の有志から2.152.456円の募金を集まる結果となった。無論、声をあげてくれた打越氏応援の思いが一番だと思うが、事故本を世に出しながら脅迫まがいの発言を続ける百田尚樹と、私利私欲に走り、たかじんファンや親族、関係者の思いを逆なでする後妻さくらに対する怒りが、底辺を流れている証明でもある。

▼募金報告ブログに掲載された募金用口座残高。
募金1







件の裁判第一回口頭弁論は、2014年2月18日に大阪地裁で行われた。この日はさくら側弁護士2名が出廷しただけだった。打越氏は傍聴席で様子を見守り、心境を自身のブログで次のように語った。

『次回は目の前の被告席に座るのかと思うと表現し難い気持ちになりました。
先の事は分かりませんが可愛い奥様方、#アリゾウのみなさん、この問題に関心を持たれた方々のお気持ちを背に裁判に挑む事が出来て感謝の思いで一杯です。誇りを持って戦いたく思います』

第二回口頭弁論は4月15日に開かれるが、全国の支援者達は、同氏ブログコメント欄、Twitterや掲示板等で送り続けるエールは、衰えぬ勢いを見せている。

★スラップ( SLAPP) 訴訟

今回の訴訟はスラップ訴訟と似ているとの指摘がある。下記に引用した概要を見ると、弱い立場の者を標的にした点では似ている。

スラップ訴訟は威圧訴訟、恫喝訴訟とも言われる。定訳はないが「市民参加を排除するための戦略的訴訟」というのが語感に近い。

経済的に力のある団体が原告となり、対抗勢力を被告として恫喝的に行うことが多い。被告となった反対勢力は、法廷準備費用・時間的拘束等の負担を強いられるため、訴えられた本人だけでなく、訴えられることの怖さから、他の市民・被害者やメディアの言論や行動までもが委縮し、さらには被害者の泣き寝入りも誘発され、証人の確保さえ難しくなり、仮に原告が敗訴しても、主目的となるいやがらせは達成されることになる。そのため、原告よりも経済的に力の劣る個人が標的にされやすい。あえて批判するメディアを訴えずに、取材対象者である市民を訴える例もある。

そのため表現の自由を揺るがす行為として欧米を中心に問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。 (Wikipedia)

貶められた家鋪家

★殉愛で貶められた長女

殉愛を読む限り、たかじんの長女は相当に常識を外れた人物と仕立て上げられている。掲示板等から多少の情報を得てバイアスが掛かっていた自分でさえ、殉愛を読み進めるうちに、「幼い頃から離れ離れになった因果か」と思う時があったくらいなので、何も知らずに読んだ人が信じたことは間違いない。例をあげてみる。

ガンを宣告されたたかじんが、そのことを長女に電話で知らせた時の事だ。


【引用 :殉愛93p】
「娘にだけは伝えようと思て、この前、大事な話しがあるから来てくれと電話したら、忙しいから行かれんと言いよった。薄情な娘や」

たかじんが食道がんで休養のニュースが流れた2012年2月1日、長女からたかじんにメールが入る。

【引用 :殉愛102p】
「なんや食道がんかいな。自業自得やな」という内容のメールがあった。それを見た彼は激怒して、「親子の縁を切る!」と言った。

この流れからして、ガンを知ったたかじんが長女に電話した内容は、「会って話したいことがある」だけだったのが分かる。病気の事は会った時に話そうと思っていたのだろうが、報道が先んじてしまい、知った長女が心配してメールを入れた流れだ。
だが後々、このメールの文面が問題となる。
週刊朝日 2014.12月18日に掲載された長女の反論は次の通りで、メールも保存されているとのことだ。
『話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ』 
一方さくらは週刊新潮の取材に、「主人は嫌なメールはかたっぱしから消す人だったので、今は残っていません」とのことだ。どちらの言い分に理があるかは歴然としている。


又、長女は金に賤しい非常な人物としても書かれている。

【引用:殉愛 103P】

親友の松本哲郎は「娘の頭の中は金しかない! 縁を切りたい」とたかじんがこぼしているのを聞いている。

【引用:殉愛 103P】
「本当か嘘かはわかりませんが」と前置きして、「たかじんさんが、この前、娘に五千万円やって縁を切った、と言っていたのを聞いたことがあります」と言った。 (NOマネープロデューサー・徳岡敦朗)

【引用:純愛 192P】
Kはたかじんの娘から預かった手紙を彼に渡している。それは彼女の恋人がたかじんに宛てて書いた「お嬢さんと結婚します」というものだった。同時に娘からは、結婚祝いをしてと言われている。
たかじんは不快感を隠さなかった。
「親が生きるか死ぬかの病気で苦しんでいるのに、一度も見舞いに来んと、自分は結婚するから祝ってくれって、どこまでおのれのことばっかりなんや。これまでも仰山お金渡してきた。これからは旦那に養ってもらえ。もう親をあてにするな」


娘さんは、主人との関係は悪くなかったと主張しているが、ならば2年もの間なぜ、一度も見舞いにこなかったのか。もし、私が二人の関係を引き裂くよう画策した言うのであればマネージャー、個人事務所の社員、テレビ局の人など、いくらでも入院先を知る方法はあったはず。(Will掲載さくら手記)

長女は週刊朝日の取材に対し、「お金の無心をしたことも無く、5.000万円もお金も貰っていません」と反論、
「私は結婚祝いがほしいなんて言っていません。父に結婚相手に一目、会ってほしかっただけなのに、返事もくれなかった」と述べた。見舞いに来ないとの話しには、「連絡が取れなくなっていたので、父がどこに入院しているのかも、がんの進行の程度もわからなかった。ずっと大阪の病院だと思っていて、最期が東京の聖路加国際病院だったのも知りませんでした」と述べた。Kマネでさえ病院へ行ってもさくらから、「誰にも会いたくないと言っている」と言われ病室に入れなかったとのことだ(殉愛の真実)。これは隔離工作を彷彿とさせる。

百田尚樹が著した殉愛とは、なんとも酷いノンフィクション小説であることか。長女は婦人公論の手記で次のように述べている。

出版される直前に、私のことが悪く書かれているらしいという話を人から聞いていましたから、「ああ、やっぱり」というのが率直な感想です。
偏った取材に基づき、捏造した内容を綴ったものを、「ノンフィクション」と謳ってよいのでしょうか』

2014年11月21日、名誉毀損・プライバシー侵害の廉で発行元の幻冬舎に対し、長女側は「再婚した妻側の話を無批判に受け入れた内容で、親族らに取材していない」と主張。同書の出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした。代理人の的場弁護士によると、同書だけでプライバシー侵害14ヶ所、名誉毀損10ヶ所、敬愛追慕の念の侵害が6ヶ所あるという。
(※関連記事、長女陳述書はこちら・長女からの手紙)


★葬儀と偲ぶ会

たかじんの葬儀(直葬)に際して、さくらは長女をはじめとする親族を呼ばないと言い張り、Kマネと口論になっている。結果的に長女夫妻と前妻が参列することになるが、さくらは「私の好意で呼んであげた」と高圧的な態度をとったようだ。
(※葬儀の詳細はこちらで・揉めた葬儀の段取り  直葬の日)
たかじん没後に開催された「偲ぶ会」においても、当初は各テレビ局と結託し、親族を招待せず排除しようとしていた事も明らかになった。親族側がテレビ局との数度に渡る交渉で、ようやく認められるという異常な経緯であった。
(※偲ぶ会の詳細はこちらで・たかじんにすがるハイエナ達)

★老母の遺骨参り

実母が息子の訃報に接したのは死から4日後、最期に立ち会うことも、亡き骸に会うことも出来なかった無念。
女性自身の記事には次のように記された。

『年老いた母は、何で言ってくれんかったんや……と泣き暮らしていたという』
『母がその遺骨に会えたのも死から1ヶ月後のこと。さくらさんに懇願し、叶ったそうです。たかじんの実弟と実母が分骨を懇願したが、さくらは拒否した』
『このとき、母親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面、このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪どは一切なかったそうです』
『このとき、親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面というのもまた驚きです。このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪などは一切なかったそうです』

殉愛の真実によると、さくらが指定した2014年1月27日は長女と他の兄弟も都合つかない急な日であり、たかじんの弟(良行氏)夫妻と母だけが訪問したという。キリスト教の祭祀なので線香もあげられず合掌したのみで、お茶もよばれることもなく、僅か20分間の出来事だったという。喪服姿で訪れた親族に対し、さくらは真っ白なワンピースを着用して出迎えたとのことだ。
自分は一介のたかじんファン、それも熱狂的とは言い難い他人の分際であるが、このエピソードだけは許すことが出来ないでいるのだ。気持ちは親族の方々と一緒だ。たった一度だけ愛息子の遺骨に手を合わせただけで、数か月後に逝去した母の心情を慮ると、理屈は存在しない遣る瀬無さに、今でも涙が滲むのだ。

▼金スマで放映されたたかじん祭壇
骨壺









★たかじん実母の死

たかじんの母は失意の日々を送る最中の2014年6月に逝去した。葬儀に参列したさくらはその時の模様をWillに掲載した手記で、「5月に行われた主人のお母様の葬儀は弟さんからご丁寧に連絡をいただいて伺い、弟さんと奥様、親族の方は優しく温かい方々でご対応いただきました」と記したが、女性自身の記事によると実態は違うようだ。
「お母さんは、毎日たかじんの写真を見て泣いていました。息子の死に目に会えなかったことが、相当ショックだったみたいです。3月3日の『たかじんを偲ぶ会』前には、お母さんのがんはわかっていました。出席を果たしてからほどなくして体調が急変。最後は家族みんなに見守られながら、息を引き取りました」
実母の葬儀は大阪府内でしめやかに営まれた。だがそこに意外な人物が。なんと、Aさんが訪れていたというのだ!ようやく確執も溶けたのかと思いきや……そう簡単にはいかなかったようだ。別の親族が怒りを隠さずこう語る。
「参列者のひとりによると、彼女は当初『キリスト教だから……』と焼香を拒んでいたようです。周囲が説得を重ね、何とか焼香だけしてもらいましたが、参列者との会話もほとんどなし。出棺後の親族との食事会は辞退し、お骨を拾うことなくすぐに帰っていきました。最後は『帰ります』の挨拶もなく、気が付いたらいなくなっていました」

『さくらさん、あなたに家鋪性を名乗る資格はない』心あるたかじんファンが一致して思うところだろう。


さくらを通り過ぎた男達

★「殉愛」の中のさくらとの乖離

殉愛で、さくらがたかじんと過ごした741日間の中で、肉体関係がなく、入籍の日も抱き合って眠っただけと記されており、最も濃い描写で「ディープ・キス」、それだけでさくらは「ドキドキした」と書かれている。この結ばれていない描写が、約400ページの中で十回近くも強調されている。
俗人の自分にとって「にわかには信じられない話」では有るが、さくらの弁なのか作者の思いなのか、或いはたかじんの意志だったのか、少しの間思いめぐらせる事象ではあった。しかし、ネット上でさくらの数度の結婚履歴が明かされたことで、この「生娘」設定も短い時間で終息するが、驚きはまだ残されていた。生々しい愛人生活までもが裁判記録で明かされたのだ。

★一回目の結婚

さくら最初の結婚は2002年20才の時、大阪難波にある高島屋内アパレルショップ店員として勤務していた時で、お相手は岸和田市内に住む会社員のM氏、結婚後もさくらはショップで働き、岸和田のM氏実家で過ごした。
しかし結婚生活は短かく、2003年に別居生活が始まり2004年に離婚が成立している。それもそのはずだ、結婚翌年の2003年1月には、高齢の会社社長との愛人関係が始まるのである。
この離婚に際して、さくらはM氏の浮気を理由に慰謝料を受け取っている。自分の愛人関係はどうなのか?

★パパさん F氏

高齢の会社社長は、さくらが結婚間もない頃の2002年ショップに現われてひとめぼれし、交際を申し込まれたとされている男性で、大阪でAVソフト配信会社を経営しているF氏のことだ。
後にF氏にストーカー行為が有ったとして、さくらが慰謝料を求める裁判があるが、その大阪地裁裁判記録によると、二人の愛人契約は2003年1月に始まっており、M氏と夫婦関係にあった時期と被り、まぎれもない不貞行為である。
さくらとはF氏とデートする度に五万円もらっており、いつか結婚を思いめぐらすようになる。そしてこの年にM氏と別居、翌年に離婚が成立し、F氏と月6回会う約束で三十万円もらう契約となる。
さくらは2005年から勤めを辞め大阪外語専門学校に通い出すが、さくらといる時間を長くしたいというF氏の希望に沿ったもので、初年度学費はF氏が負担したという。F氏はさくらが入学間もない同年5月から、自分(会社)が所有するマンションでさくらを一人暮らしをさせ、引越費用として二千八百万円渡し (渡した総額とする説もある)、月々のお手当は四十三万円に増額している。
さくらが大阪外語専門学校を卒業する際の進路表に「V社秘書」と掲載されていたが、それはF氏の会社のことであり、二番目の夫・ダニエルは(※殉愛の真実)、V社秘書ではなく、F氏個人の秘書だったと証言している。つまり専門校生時代の月三十万円から増額された、月四十三万円での愛人生活を送っていたことになる。
だが、さくらの多情性はこれで終わりではない。F氏と愛人関係にあった最中、アメリカ人男性ダニエルと交際を始め、2007年1月さくらはF氏に関係解消を申し出るが、ずるずると続くことになる。
後述にあるダニエルとの交際・入籍において、さくらはF氏側のストーカー行為があったとして警察に通報し、F氏は警察から警告を受けることになった。示談を申し出たF氏に対して、さくらは合計三百三十万円の慰謝料を請求するが、F氏の反訴が有り2007年11月、F氏が40万円払う事で和解が成立した。

この裁判記録は、2ch既婚女性版に投稿された大阪地裁事件番号を元に、複数の可愛い奥様有志が閲覧したことにより判明したものだ。

★二回目の結婚
サクダニ





二番目のアメリカ人の夫・ダニエルとの出会いは、さくらが専門校時代に通っていたマンツーマンの英会話教室だ(※殉愛の真実)。さくらの猛烈なアタックで交際が始まったそうだ。2006年夏にダニエルとペアのTシャツで洗礼式に参加した写真が掘られているので、この時には交際がスタートしていたと見て間違いないだろう。そして同年12月にはアメリカ北東部にあるダニエルの実家を訪ね、彼の家族や親戚に紹介されている(※殉愛の真実)。
当然、結婚を前提とした行動である、さくらは宝塚市の特優賃住宅を気に入り、ここに住みたいと言い出す。その為には入籍しないと賃貸を受けれない為、二人は2007年4月5日婚姻届を提出し特優賃住宅にはさくらが一人で住む。この時、同居しなかったのは夏に予定されていた結婚式を終えてから、とダニエルが考えていたからだ。
しかしダニエルは、同居することも結婚式を挙げることもなく離婚を決意することになる。原因はさくらの特異な人格と、F氏の存在があったようだ(※詳細は殉愛の真実に掲載されている)。2008年3月に離婚が成立、ダニエルはさくらに慰謝料六十万円を払うことになる。

★ダニエル~伊夫イヴァン~たかじんまでの空白期間

「殉愛」によると、さくらの伯父は会社を経営し、さくらもそこで秘書として働き、洗礼を受けた時のグランドファザーを務めてくれたとある。実はこの伯父は先に記した愛人関係のF氏であることが、殉愛の真実で判明した。裁判記録では2007年11月にF氏が慰謝料を払う事で和解している。
では、2011年にさくらが日本に帰国し、たかじん自宅マンションの真向いに引越するまで住んでいたマンションも、F氏が所有する物件なのだろうか。又、2012年4月に一億円を貸してくれ、同年5月に5000万円をポンとくれた伯父もF氏なのだろうか。ならばその後も、さらに伊夫・ダニエルと結婚中も、慰謝料を取った男性と続いていたことになる。
ネットでは別の高齢男性の存在も話題に出ているが、真偽は定まっていない。さくらのSNSによると、ダニエルとの離婚後は仕事絡みで海外へ何度も出かけていることが分るが、明確な勤務先・業種等の記述はなく、殉愛でも筆者が把握していないと思われる表現に終わっている。
これまでに明らかになったさくらの生き様から、お金持ちの男性の傍らにいたことが予想される。ドラマチックな事実が次々と飛び出すさくらの半生、この空白期間について斯様なストーリーが飛び出すのだろうか。

★三回目の結婚
サク伊庭





殉愛騒動の中で、最初に明らかになったさくらの結婚歴がイタリア人イヴァンだった。きっかけはイタリア在住邦人女性からあるブログに投稿された記事を手掛かりに、2ch既婚女性板の可愛い奥様達が発見した画像・SNS等からである。たかじんとの重婚疑惑が出ていたからか、結婚・離婚の時期について、さくらの供述は辻褄が合わないのだが、まずはさくらの主張をもとに書こう。

2008年春、ステイ先のイタリアで男性と知り合い遠距離交際を始め、その年の12月に日本で入籍した。
2009年、イタリアに移住し生活を開始、日本人に勧められてブログを始めた。結婚式の準備を進めていたが7月頃、結婚生活を続けるのは難しいと感じた。
2010年3月、夫とはほぼ別居状態で、ベネチア、パリ、ミラノを行ったり来たりしていた。
2011年5月から離婚について話し合いを始め、夫婦生活はすでに破綻していた。同年11月に離婚手続きのため日本に帰国、同月イタリア夫が来日し離婚同意書にサインし、離婚手続きに入った。2012年3月離婚届けが受理され、正式に離婚が成立した。

この供述は、現実をほぼ1年前倒ししたものである。
(詳細はこちらで・
ミステリアスな伊人イヴァンとの結婚と離婚)

さくらの話しによると、二番目の夫・ダニエルと離婚が成立した直後の春に、海外ステイ先でイヴァンと知り合い交際が始まったことになる。しかし移住した半年後には結婚生活に問題が生じ、一年後には別居、二年後には離婚協議が始まり、その年末に離婚手続きに入ったという、又してもスピーディな破局ぶりである。
とは言えさくらの供述は、web上に残された様々な証拠から信用するには至らない。離婚成立にしても日本国内での手続きだけに過ぎず、それもさくらの供述にあるように、たかじんのガンが発見された後の成立だ。さくらのブログでの幸せそうな来日時画像、イヴァンのTwitter等から読み取れるように、それまで離婚を意識していたようには見えない。又、イタリアの法律に則せば、イタリアでの離婚が成立していないのはほぼ確実と見られている。
結論からいうと、さくらは資産持ちのたかじんに取り入ることが出来たので、イタリアの田舎っ子のイヴァンは捨てられて(一旦の可能性もあるが)しまったのだと思う。

(※詳細は打算と逆襲カテで)

イタリア人夫・イヴァンはさくらの7才(位)年下の、画像で見る限りではそこそこのイケ面男性だ。出会いはステイ先で知り合ったとなっているが、ショートステイなのかロングスティなのか。
さくらのMIXIの2009年8月19日アップ分に次の記事がある。
『とてもハードなスケジュールだったけれど、イタリアへ行ってから、パリのあらゆるところを回りました。・・・・・現地集合、解散は・・・やです』
これまでに発掘されたさくらのSNSに於いて、イタリアとの接点はこれだけである。この点だけで断定は出来ないが、様々な状況証拠からほぼ確定と言える、2009年入籍、2010年イタリアで挙式との整合性から、イタリア・パリ旅行の際に接触があったとみていいのではないだろうか。
現地集合・解散の旅行とは、何らかの目的でイタリアへ行き、イタリア発パリ周遊ツアーに参加したのだと思うが、旅行動機は何だったのだろうか。そしてイヴァンと知り合ったきっかけはなんだろう、 ナンパでもしたのか、もしかするとお得意のSNSを通じて知合ったのか。

★四回目の結婚
さくたか2





殉愛によると、たかじんとさくらが最初に会ったのは、2011年12月のクリスマスオフ会で、たかじんのマンションに女一人で入室し、プロポーズされたのは12月30日となっている。さくらの「都会っ子ブログ」によると、これらは全てイタリア夫・イヴァンが来日中の出来事だ。たかじんとの初めてのキスも離婚届受理前のことだ。ここでも多情性が窺えるわけである。
その後、たかじんのガンが見つかり、余命半年と宣告された約4ケ月後、たかじん死亡の3ケ月前に入籍を果たした。くどいようだが、たかじんとは結ばれた性行為が一度もない夫婦だった。
殉愛では「さくらはなにもいらない」と語りながら、たかじん死後は様々な策略を駆使してたかじん利権を一人占めし、たかじんの金庫にあった現金一億八千万円を自分のものと主張、相続遺産と合わせて三億数千万、さらには大阪のタワーマンションの居住権を手中にした。(金額はたかじん長女遺留分勘案、今後の裁判結果で変動することがある)

★多情な人生
さくら散歩





振り返ってみると、いずれの結婚生活も短期間であることに驚く。そして、一回目の結婚生活中におけるF氏との愛人契約、その契約継続中のダニエルとの恋愛、F氏の影がちらつく中でのダニエルとの入籍と離婚、謎の空白期間に続くイヴァンとの結婚と、その離婚前からのたかじんとの邂逅。
さくらにはいつも複数の男が交差する「多情な人生」と言えるが、自分には「男達はさくらを通り過ぎて行った」だけに見えてしようがないのてある。次に通り過ぎていく男は誰なのか? 興味が尽きない下衆な気分にさせられるが、さくらの本性と題された報道を紹介する。

『いわゆる“ジジイ殺し”の典型的タイプ。百田さんも彼女に骨抜きにされたクチですよ。“人たらし”というか、相手にふところに入るのが抜群にうまいんです』 (芸能プロ関係者)
(ライブドアニュース)

これまでの結婚・交際相手の中でマスコミ取材に応じたのは、殉愛の真実取材班に詳細なエピソードを伝えた、二番目の夫・ダニエルだけである。М氏は結婚・離婚の事実を認めただけ、伊夫・ダニエルへの取材はなされておらず、パパさんだったF氏も取材に応じていない。まだ明かされていないさくらを通り過ぎた男達がいるのかもしれない。これらの男性から新事実が語られる時があるのだろうか。
だが、たかじんに至っては鬼籍の人、文字通り「死人に口なし」なのだ。

★三番目の夫の存在が明らかになった際、作者の百田尚樹は次のツィートを残したが、次々と出た結婚・離婚・愛人歴と、それらに伴った金銭を求める訴訟歴に対して、今は何を思うのか。おそらくは想像を超えた展開に作者自体が驚いていることと思う。ならば、物書きとしての説明責任を果たすことが求められる。




ミステリアスな伊人イヴァンとの結婚と離婚

★騙されたたかじん

次の引用を読むと分る通り、殉愛でさくらは独身女性として登場しており、これは全編を通じて言えることだ。しかし早々に過去の結婚歴が暴露されるに至り、同時に重婚疑惑も持ち上がった。
 (※詳細はちらで さくらを通り過ぎた男達 偽りの独身 )

【引用:殉愛 39P】
「イタリアには彼がいるの?」
「親しい男性はいます」
「恋人じゃないの?」
「違います」とさくらは答えた。「でも、父は彼と結婚したらいいと言いました」
たかじんは少し驚いた顔をした。
一年前、さくらの父がイタリアに来た時に、その彼を見ていたく気に入ったのは事実だ。また、彼からはプロポーズもされていた。もっとも彼と結婚するイメージは湧いていなかった。


これらの経歴の中で、さくらの不可解な証言が繰り返されるのが、最初に判明したイタリア人男性イヴァンとの結婚から離婚に至る時系列だ。まずはさくらの手記を引用する。

出会いは2008年春、遠距離恋愛の末、同年12月に日本で入籍した。
2009年の春にイタリアで夫婦生活をスタートさせたが、すれ違いにより、2010年の春に別居。
家族を安心させるため、
和気あいあいとした写真をブログにアップした。
2011年5月から離婚に向けての話し合いを始め、2012年3月1日正式に離婚が成立した。
(Will 2014.12月発売号)

2008年の春に私はイタリア人男性とステイ先で知り合い、その年の12月に入籍をし、2009年にはイタリアに移住しました。しかし、文化の違いからか結婚生活が難しいと判断し離婚を考えるようになりました。

当時私はイタリアでネイルサロンを開いており、知人の勧めでブログを始めました。そこでは実際には異国での生活に心身ともに疲弊していましたが、あえて夫婦仲が良好であるがごとく内容をブログに書くことで日常生活を忘れることができました。

2010年3月頃から夫婦は別居状態となりました。そして2011年ころから二人は離婚に向けた話し合いを始めました。そして正式な離婚手続きをするために日本に帰国しました。そして12月に夫が日本を訪れ、離婚合意書面にサインをし (※註・2012.3.1) 離婚が成立したのです。
(FRIDAY 2014.12.12号)

百田尚樹が「作家タブー」を利用して掲載させたと言われる、週刊新潮、FLASH等も同内容の手が掲載された。複数の天下の大出版社がミスプリントするとは思えないが、そうではないのなら、さくらの証言は真っ赤なウソだと思う。さくらと妹のSNSから事実を追ってみる。

2009/12/6 さくら「mixi」
ルミナリエ通り横のホテル・ヴィラマーレリザーブ
彼からプロポーズは受けたが指輪はまだだったが、レストランで受け取る。
・・・ここで指輪なら、2008年入籍一年後に貰ったことになる。常識的には考えられない。プロポーズを受けたと表現してるのは、結婚に至っていないという意味だ。

2010/2/17 さくら「都会っ子ブログ」
一個違いの日本に残した妹が結婚します。(正確には入籍は済ませていたので、結婚式です)

2月22日だから、ふ(2)ーふ(2)の日であります( ´艸`)

よく考えると・・・姉妹揃って同じ年に入籍をし、同じ年に結婚式を挙げる・・・そりゃあお父さんは寂しがっています。幸い妹のおうちは近くだけれど、あたしはそうとう遠いし・・・ヽ(;´ω`)ノ

ちなみに・・・あたしたちはクリスマスに入籍をし、2010年10月10日に式をしようと思いましたが・・・日曜日のため、クリスチャンにとっては大事なサンデーサービスの日ですから、もちろんできません。
・・・同じ年に結婚式とは2010年のことですね。

2010/2/22 さくら「都会っ子ブログ」
妹ちゃんの結婚式のため、前泊でホテルにいます。なんだか、自分のくらい緊張(>∀<)
・・・そう、2010年ですね

2010/03/17 さくら妹のブログ
「そんなイバンくんも5日にイタリアへ帰国。
ねーたんは今日イタリアへ発ちました。 」
「そうなんです、ふたりはこっちで入籍を済ませ
イタリアでの新婚生活に入ります。 」
・・・新婚生活に入るためイタリアへ向かった3月に、別居生活に入ったとはこれいかに!!

2010/4/14 さくら「都会っ子ブログ」
さてさて、あたしたちはカトリック教徒として、結婚前に「フィアンセコース」なるものを他のカップルたちと受けたんです。「離婚」が良しとされていないので、事実婚が多いのもイタリア。それでも結婚するのだから、失敗がないように・・・結婚とは何ぞや?っていう勉強をドン(牧師)とします。

約2ヶ月、7回にわたり行われたコース…(あたしは最後の1回だけ参加(・Θ・;))
・・・2010年9月の結婚準備ですね

2010/9/25 
イタリアでの結婚式。イヴァンの親類がF.Bにアップした結婚式画像が発見される。さくらの父・妹が参加した画像も。
・・・別居中に結婚式ですか!?父と妹も出席していますが。

2010/9/26 さくら妹のブログ
イタリアで過ごす3日間と題されたブログ記事で、9月26日はベネチア周遊へ出掛けた様子をアップ。イヴァンの実家と、イヴァンと妹の2ショット画像が貼られる。
・・・前日の結婚式参加に続く旅行ですね。

2011/12/24 さくら「都会っ子ブログ」
クリスマスイヴですね~!
皆さんは、いかがお過ごしなんでしょうか??
あたしにとっては、「結婚2周年イヴ」「ハニー、日本来日イヴ」でもあります。
・・・結婚二周年イブなので2009年12月入籍ですね。イヴァンが来日して二人がクリスマスをエンジョイしている画像がたくさんアップされていますね、リザーブしたヒルトン大阪のルームも素敵でした。

2011/12/28 さくら「都会っ子ブログ」
イタリアから、たくさんプレゼントを持ってきてくれたハニー。
無事にハニーを迎えて、ホテルに着くと、ホテルの方にもお祝いしていただきました。
あたし、日本でしか買えないであろう、本人の欲しい物をあげようと思っていたので用意していませんでしたが、ハニーからはアクセサリー。新年のランジェリーは今年は回避できました!!
・・・離婚協議を重ね、離婚合意書にサインするために来日した夫との姿とは思えないショットの数々でした。イタリアでは離婚記念にアクセサリーをプレゼントされるのですか。

さくらが百田尚樹の圧力で書かせた週刊誌掲載の手記は、時系列が子供でも不思議に思うほど滅茶苦茶であることが分る。なぜ、こんな愚挙に出る必要があったのか。それはネットでも騒然となった「重婚疑惑」を原因とする。重婚が事実なら、さくらが一人占めを目論んだ遺産相続資格を失うことになるからだ。まずは次のブログを読んでおいてもらいたい。

2012/3/12 さくら「都会っ子ブログ」
帰国予定日近くに父に癌が見つかりました。。。一人の方から、わざわざ何度も、夫をイタリアに残してとか、実家に帰りすぎで甘えてるとか書かれました。母がいない中で、病気の自分の親を優先するのが間違いでしょうか?
また、夫婦で話し合い、今の形を納得して、毎日連絡して話しているにも関わらず、。。
・・・父と言ってますが、付添いしていたのはたかじんですよね。と言うより、3月1日に離婚が成立しているのに、「夫をイタリアに残して」とか、「夫婦で話しあい、今の形を納得して、毎日連絡して」とはどんな意味??もしかして離婚は成立していない!?或いは、イヴァンが離婚を知らないだけ!?それなら離婚届けは勝手に提出したことになりますが。

さくら「都会っ子ブログ」 さくらmixi さくら妹ブログ

退屈なイタリアの結婚生活と、有名な芸能人であり経済的に裕福、かつ余命が短いことが予測されるガン患者であるたかじんの妻の座を天秤にかけたのだと思う。

★重婚疑惑、イタリアでの離婚は未成立か

重婚疑惑が白熱し、鎮静化を謀るさくらは週刊新潮誌上で「離婚届受理証明書」を掲載させる。これは日本国内での離婚手続きを意味するものだ。

▼週刊新潮に掲載された日本での「離婚受理証明書」
受理証明書 離婚















この証明書では「届出日」「受理日」「さくら」「イタリア共和国」の文字が判読可能なだけ、さくらの姓、本籍、生年月日、イヴァンの姓名、生年月日、二名必要な保証人名、発行者名が伏せられた、厳密には信用に足ると言えない代物である。個人情報保護の観点は理解できるが、もう一歩、信憑性に足る形であれば納得出来たであろう。

一方、イタリアでの手続きはどうなっているのであろうか。この点について、さくら側は一切触れていないのだが、触れられない事情があるのだ。イタリアでの離婚手続きについては専門家の見解を引用する。

国際結婚や離婚は、双方の国で書類を提出するのが原則。
イタリアで婚姻届を提出していた場合、離婚するにはまず別居の申し立てが必要。
そこから3年後を待って裁判所へ申請し、離婚が成立する
さくらの主張では離婚への話し合いを始めたのは11年5月。
イタリアで結婚届を提出していれば、離婚が成立するのは早くて14年5月以降。
(行政書士・荒木康宏/女性自身)

イタリアでの協議離婚の第一ステップは「別居」の申請から始まります。
この申請は、正式書類を作成の後、この書類を裁判所の事務所に届け出て、裁判の予約をします。
市町村にもよりますが、ミラノでは、この予約から通常5~6ヶ月後に、裁判の日程が設定されるようです
(excite bit)

さくらはイタリアでの離婚が成立する法律を知っていたのか、重婚疑惑が持ち上がってから調べたのか、2013年10月のたかじんとの入籍が正当だと主張したかったことは間違いない。2009年12月の入籍を2008年と偽り、新婚生活をスタートさせるべく渡伊した2010年3月に別居が始まったと狂言し、家族も出席した2010年9月の結婚式は家族を安心させるためと言い訳する。重婚と認定されると相続欠格となるので、別居から三年経ないと離婚が成立しない国際結婚ルールを踏まえた作り話であり、全て、遺産相続権を守るための"真っ赤なウソ"以外の何物でもない。

たかじんと知り合ったとされる2011年のクリスマスシーズンは、イタリア夫と大阪で過ごしている。ブログでの様子からは、さくらが言う離婚合意書にサインをしたとは考えられない親密さである。「受理証明書」のとおり2012年3月に離婚届を提出したのであれば、たかじんと何度もキスをした後の出来事となり、経済的に申し分ないたかじんを選んだのだろうと思う。
その後のさくらのブログに、「夫婦で話し合い、今の形を納得して、毎日連絡して話している・・・」と書かれているが、日本に留まる原因を父のガンと言い含め、イヴァンとの間には夫婦としての認識が継続していたのではないか、としてもおかしくない。次のツイートは離婚が成立した2012年3月1日以後に投稿されたものだ。

2012.3.15 (伊夫・イヴァンtwitter)
75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかな。

・・・伊夫は離婚した意識など毛頭ないコメントだ

FRIDAYが掲載したさくら手記によると、たかじんはさくらの離婚歴を知っていたと書かれている。要旨は次の通りだ。

イタリア人夫の離婚のこと、過去の出来事を打ち明け、弁護士などいろいろサポートすると言われた。
イタリア人夫と知り合う前にも離婚歴があったが、そのことを話すと、「おもろいやん!」と笑ってくれて救われた。 (Friday)

信用するに足る手記かどうかは不明だが、ならば、冒頭に殉愛から引用した、「イタリアには彼がいるの?」「親しい男性はいます」「恋人じゃないの?」「違います」。恋人にとどまらず夫までいた身において、この会話が書かれる「殉愛」とは何なのだ。

百田尚樹 ゆらゆら


ニヤニヤ



笑った、腹いたい



はいはい



ふむふむ

さくらの足跡・たかじん逝去後

2014.1.5 (殉愛)
Y弁護士がさくらに電話、娘が「娘に一切相続させない」と知って、カンカンになって怒っていると知らせる。

2014.1.5 (Y弁護士解任陳述書)
さくらがY弁護士に、「長女への遺産相続を1億円で納得させてほしい」と持ちかける。


2014.1.6 (殉愛)
骨壺と共に新幹線で大阪へ。
車中、遥洋子にメール「明日お茶しないかと、ハニーが言ってます」
夕方6時、中澤・木村・長谷川・日置・山西・徳岡・田中がマンションへ。たかじんの死亡を伝え、死亡告知文書原案を見せる。
井関に電話でたかじんの死を報告。

2014.1.7 (殉愛)
遥洋子が訪問、たかじんの死を知らされる。この時「おこずかいを貰った」と本人が証言。
夕刻、相原康司・井関猛親がマンションへ、相原はここでたかじんの死を知らされる。
山西達7名が告知文原稿を持って訪問、「今夜11時に流して下さい」。
TVTVTV山田晃が訪問、告知文サイトアップを約束。
さくらはたかじん長女に電話、親族へ知らせることを許可。

2014.1.7 (殉愛)
深夜「たかじん追悼番組」を流そうとした毎日放送へ井関猛親が電話、「これを流すと大変なことになるぞ」と脅し、番組は中止。

2014.1.7 (殉愛)
Y弁護士がPISへ乗込み、「KとUには一切の権利がない」と伝え、会社の帳簿と関係書類を持ち出す。
(※殉愛の真実では、実印、通帳、帳簿類や契約書となつており、後に実印と決算書などをさくらに手渡したとされている)


2014.1.17 (サンデー毎日)
たかじんの実弟と実母が遺骨と対面、キリスト教式祭祀のため線香はあげられず。


2014.1.17(or23) (週刊朝日)
さくら、Y弁護士に「自宅金庫の中の現金は、私のものだったことにしてほしい」と依頼するが拒否される。たかじん氏との間の業務委託契約書を見せる。

2014.1.18 (つるべのヤングタウン/ニッポン放送・日曜日のそれ)
鶴瓶、ハワイから帰国、成田-伊丹空港からたかじんマンションへ直行し、お参りする。その際に"つるべぇ"と書かれた、たかじんメモ(日記)を見せられる。ハワイ滞在中にさくらから、逝去とメモがあるとの電話が入っていた。

▼当時の様子を話す「つるべのヤングタウン」


2014.1.19 (宝島・殉愛の真実)
たかじん長女がY弁護士と羽田空港で会い、「遺言書」を書き写す。

2014.1.28 (週刊朝日)
呼び出されたY弁護士にさくらは、「実はたかじんとの業務委託契約書がある、認めてもらいたい」と主張。弁護士は「裁判所の判断をあおぐべきだ」と主張し、話し合いは平行線となった。

2014.1.29  (宝島・殉愛の真実)
さくらとボーイズ相原代表、「先生、遺言執行者を降りてください」とY弁護士に要求、Y弁護士は拒否。

2014.2.5  (宝島・殉愛の真実)
さくらが桃山学園へ寄付放棄交渉に出向く。温井校長に「寄付は1億円あります。実は私はお金に困っていて、寄付を放棄して下さい」と訴える。

2014.2.8  (宝島・殉愛の真実)
さくらは、たかじんが書いたとされる「メモ」と「骨壺」を持参し、桃山学園温井校長と面談。いわゆる「温井メモ」を渡した。不信感を抱いた温井校長が却下。

2014.2月 (宝島・殉愛の真実)
さくらがY弁護士に対し、金庫内を写したビデオ()2013.12.29撮影)を返せと要求。Y弁護士は拒否。

2014.2.21 (宝島・殉愛の真実)
さくらの代理人弁護士からY弁護士に、遺言執行者に就職すべきでない、就職するなら解任申立てをするとの文書が届く。

2014.2.22 (宝島・殉愛の真実)
さくらが2億7千万円入っているはずの自宅金庫を開ける。Y弁護士の制止を聞かなかった。

2014.2.25  (大阪家裁)
遺言書検認される。

2014.3.3
たかじん権利管理会社「Offise TAKAZIN」が設立される。さくら一人役員。
それまでPISに支払われていた「冠料」などの振込先を、OffiseTakazinに変更される。

2014.3.3
大阪リーガロイヤルホテルにて「TAKAJIN MEMORIES 2014 あんたのことが ICHIZUに やっぱ好きやねん」開催される。主催は在阪テレビ局5社。
昼の部(一般)3.700人が献花、夜の部は500人が参加。さくらは中央席、親族は末席が用意された。

2014.3.10 (宝島・殉愛の真実)
Y弁護士に「遺言執行者解任」の申立てがされた。委任理由は「自宅金庫内を撮影したビデオを返せ、との要求を拒否した」。その後Y弁護士は自ら辞任。
(週刊朝日は3.20としている)

2014.4.29 (伊夫twitter)
伊夫イヴン、ホンダバイク購入


2014.6.2
「やしきたかじんメモリアル」設立。「やしきたかじんオフィシャルウェブサイト」からの名称変更。
運営会社は株式会社OfficeTAKAJIN、TVTVTV株式会社、責任者 相原康司ボーイズ代表(当初はTVTVTV 山田晃)。

2014.6
たかじん実母死去。
さくらは葬儀に参列するも焼香、親族との会話はなし。

2014.6
さくら、ボーイズ取締役就任。たかじんの持株を継いだと思われる。
ボーイズ(代表・相原康司)とはテレビ番組制作会社で、たかじん冠番組を制作している。

2014.7.17 (スポニチ)
たかじん銅像建立計画が伝えられる。

2014.9.11 (宝島・殉愛の真実)
大阪あかるクラブ2億円寄付放棄交渉へ出向く。
訪問者はさくらと「殉愛」著者・百田尚樹、「AZITO」代表・井関猛親の三人。
さくらは数ヶ月前から、あかるクラブ役員個別に意向を打診していた

2014.10.16 (宝島・殉愛の真実)
大阪あかるクラブと寄付金放棄再交渉。
あかるクラブ側が妥協案を提示するも、さくらが一方的に拒否し決裂。さくらはあかるクラブ側にたかじん冠を使用しないように発言。
同席した百田があかるクラブ役員に対し、「たかが2億円で卑しい」と発言。

2014.10.17 (百田尚樹Twitter)
純愛執筆校了

2014.10.20
Kマネ、26年勤めたP、I、Sを退任する。

2014.秋 (宝島・殉愛の真実)
「遺言目録」が作成される。
金庫内現金は1億円と記載された。当初有った2億8千万円から、1億8千万円減っているが、それはさくらのものと主張した(担当F弁護士)。遺産総額8億6千万円で確定。

2014.11.7
幻冬舎刊、百田尚樹著「殉愛」発売。初版25万部。

2014.11.7
TBS「金曜日のスマたちへ」で殉愛特番放送。
この番組で放映された、さくら画像、たかじんメモ、看病日記が、後に殉愛とさくらの命取りとなる。

2014.11.11
さくらの「都会っ子ブログ」の読者だった、イタリア在住者からのあるブログへの書込みが発端となり、さくらの結婚歴(伊夫・イヴン)があきらかになる。

2014.11.21
たかじん長女が、名誉棄損、プライバシー侵害、父への敬愛追慕の念の侵害を訴え、出版差し止めと損害賠償を求めて「殉愛」の出版元である幻冬舎を提訴した。


2014.1.23
読売テレビ「そこまで言って委員会」、殉愛の特集部分がすべてカット。

2014.12.20
O.T社から「やしきたかじんメモリアルフレーム切手」を限定5万セットを4.530円で発売。

2014.12.22
さくら、打越もとひさ氏を名誉棄損と損害賠償請求で大阪地裁に提訴。
打越もとひさ氏のインターネットラジオでの発言について「全く事実に反し、名誉を棄損するもの」「妻としての品性、信用に重大な疑いを生じさせた」と主張している。慰謝料の請求額は1000万円。

2014.12.24
大阪あかるクラブ、桃山学園へ遺言執行人が寄付実行。
大阪あかるクラブ2億円、桃山学園1億円。

2015.1.13 (スポニチ)
たかじん銅像建立計画頓挫報道。

2015.1.13 (週刊朝日)
たかじんの長女が「殉愛」著者の百田尚樹に対し東京弁護士会へ人権救済申し立てを予定、理由はtwitter上で脅された。

2015.1.21
やしきたかじんの友人であるアズマラ氏を名誉棄損と損害賠償請求で提訴した。損害賠償の請求額は1000万円。

2015.1.21 (日刊スポーツ)
大阪市橋下市長が、たかじんから大阪市への寄付受取を再検討していると返答

2015.1.21 (長女弁護士)
長女は減殺請求権(法律で定められた遺産の相続分を請求する権利)をめぐり訴訟を起こす考え。

2015.2.23
宝島社「百田尚樹 殉愛の真実」発売

2015.3.2 (リテラ)
さくらが殉愛の検証本「百田尚樹殉愛の真実」の出版差し止めを申し立て

2015.3.3
たかじん偲ぶ会が二ヶ所で開催される。

(※詳細は打算と逆襲カテ・二つの偲ぶ会 (一周忌))

2015.3.9
関西テレビは最長寿冠番組「たかじん胸いっぱい」を、4月4日放送分から番組タイトルを「胸いっぱいサミット!」にリニューアルすると発表

2015.3.12
読売テレビは冠番組「たかじんのそこまで言って委員会」のタイトルを、4月5日放送回から「そこまで言って委員会NP」に変更すると発表。


2015.3.18 (サンスポ 2015/4/16)
さくらがサンデー毎日誌を名誉棄損で提訴。請求額は計2.200万円。

2015.3.18
さくらが女性自身誌を提訴
損害賠償請求事件、訴訟物の価格 3,300万円

2015.3.31
さくら、ボーイズ(制作会社)取締役を退任。

2015.5.26 (azumaraブログ)
たかじん友人アズマラ氏、ブログ上で家鋪さくら宛謝罪文掲載。
さくらは同氏ブログ記載内容に対し名誉棄損で提訴していた。今回の謝罪文掲載は和解しその条件の一端と思われる。

2015.5.57 (たかじんメモリアルサイト)
アズマラ氏の謝罪を受け、家鋪さくらは「たかじんメモリアルサイト」上に、裁判と謝罪に至る経緯を掲載した。


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