2015/02

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

放射線治療をめぐる転院

★東大病院

5月10日、三田病院で放射線治療の説明を受けるが、若い医師の説明が事務的である事に不満を持ち久保田医師に電話をするが、同僚をかばうような言い方に不満が増幅する。
さくらは本で調べた東京大学医学部付属病院放射線科准教授に電話を入れた。中川に事情説明し話していると、久保田医師とは以前同僚だったことが判り、「これも何かの縁です、月曜日にカルテを持ってきてください」と言った。
さくらがCD-LOMを持参して事情説明し、「林一」は偽名で本名はやしきたかじんだと告げると、中川は名前だけは知っていた。「本来は東大病院で手術した患者以外は受け付けないのですが、明日、本人を連れてきてください」と言った。

5月14日、三田病院で2回目の通院放射線治療を終え、東大病院へ向かった。中川は病院の枠を越えて自分が担当すると話し、余命を聞いたたかじんに、「この病気は厳しいです。データで言えば短くて半年、長くて二年、治療は早ければ早い方がいい」と言った。

5月19日から中川医師が監修した治療計画を基に三田病院で放射線治療を再開したが、さくらは三田病院の放射線機械に不満だった。患部に一定方向から一定時間放射線を当てる方式の物だからだ。最新式のものは180度回転してピンポイントで患部を照射するので、他臓器の被曝が減少する。

5月24日、さくらはその機械を持つ大阪府立成人病センターへ行き説明を受けるが、そこは個室の用意が出来ないと言われた。担当した西山医師がX病院なら同じ機械があり、大きな病院なのでプライバシーが守られると紹介してくれた。西山医師がX病院に同行して治療計画を立て直してもらってくれた。翌週からの入院を決め、三田病院久保田医師と東大病院中川医師に断わりを入れた。

★転々とする病院

最終的にX病院で放射線治療を受けるまでに四病院が関わっている。たかじんは歌手・タレントであり喉は大事な商売道具、患部周囲への悪影響が少ないピンポイント照射式機械を選ぶのは必然と言える。
殉愛によると三田病院で治療を始める前から機械に対する不安を抱いていたとある。それなら最初から新式機械を備えた病院を選ぶのが賢明な方法と言える。東大病院では神戸出身の医師に、大阪府立成人病センターでは多くのスタッフに、林一がたかじんであることが知られており、さくらが言う病気の実態を知られたくない考えに逆行しているのだ。
東大病院中川医師の配慮を簡単に裏切ることも無く済んだだろうし、正常に説明した三田病院の若い医師へのお門違いな苦情も発生しなかった。
この間、たかじんは東京-大阪間を二度往復することになり、体力を落としているたかじんにとって負担が増したであろう。後述するがFridayされる事にもつながる。
さくらは自身の奮闘ぶりをアピールしたいのだろうが、第三者の見地から言うと「思慮が浅い行動」と思える。

5月27日、X病院へ入院する日である。そしてさくら31才の誕生日でもあった。


【引用: 純愛 287-289P】
明け方の四時、さくらがキッチンで朝食の支度をしていると、たかじんが目を真っ赤にしてやってきた。泣いたあとだというのすぐにわかった。彼はさくらに一枚の紙を手渡した。B6サイズのメモ帳を破って書いた手紙だった。
文字は涙で滲んでいた。そこにこう書かれていた。


何万語、何億語、
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をほく以上に
のり越えてくれて、
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura Love                 (原文ママ)


▼このメモは「偲ぶ会」さくらの挨拶の中で読み上げられた。
手紙2


















★5月16日、大阪へ荷物を取りに帰る際、品川駅新幹線ホームでFriday記者に写真を撮られている。さくらは誰かがリークしたと思っている。後に続く名前は"K"とでも言いたげだが、自分は違うと睨んでいる、もっとさくらに近い人達でないのか?

品川2












★5月19日、大阪から東京へ戻る機内で偶然に鶴瓶と会う。心配してたと言う鶴瓶にたかじんは「なんとか生きてるわ」と答え、昔話しを懐かしんだ。最期の鶴瓶との時間だった。


【引用: 純愛 284P】
鶴瓶はさくらを見て不思議そうな顔をした。
「前に会いましたよね。覚えてります?」
「初めてお目にかかると思います」
「そうやったかな、すんません」
鶴瓶は笑った。
「奥さん、こいつむちゃくちゃやけど、ええ奴なんや。たかじんを頼んます」
「はい」
「何かあったら、いつでも電話してや」


二人は電話番号を交換した。

ガン再発

★長くなかった復帰

4月21日、安全地帯のコンサートに行くが、「しんどい」と言い出しコンサートを途中退席した。4月25日、「胸いっぱい」の収録から帰ったたかじんは胸の痛みを訴え、翌日の「そこまで言って委員会」の収録から帰った時も不調を訴えた。三田病院の久保田医師に連絡すると「心筋梗塞か狭心症かもしれない」と言われ薬を服用するが一向に治まらなかった。4月30日、検査の為たかじんとさくら、Kマネは東京の三田病院へ向かった。


【引用:純愛 268P】
検査室から久保田医師が出てきた。彼の深刻な表情を見て、さくらは事態が容易でないことを悟った。久保田は自分の胸のあたりを指差しながら言った。
「気管支の近辺に三つ再発しています」
「再発って何すか!」
Kが食ってかかるように言った。
「治療はできるんですか?」とさくら訊いた。
「抗がん剤治療と放射線治療を行います」
(中略)
彼の余命はどれくらいありますか?」
「余命というのはあってないようなものです。五年以内に再発すると、あとは放射線治療と抗がん剤治療しかありません。これが効いたとしてしても、半年から、よくて来年の夏・・・」
(中略)
まもなく久保田医師が部屋に入ってきた。
「林さん、検査をしてみたら、腫瘍ができていました」
たかじんの顔色が変わった。


その後、三人はマンションに戻ったが、今後の治療について話をするため、さくらが病院へ行き久保田医師と会う。
治療をしなければ、半年も持たないでしょう
「治療をして二年生きられたケースもまれにあります。治療をしても効果が出なければ、生きられるのは、あと半年くらいでしょう」と余命宣告を受ける。
さくらは涙でぐしゃぐしゃになつた顔で言った。「抗がん剤治療は意味なかったんですね!」久保田医師は黙ってうつむいていた。
具体的な治療は週明けになるとの説明を受け、痛みを押さえる麻薬を受け取ってマンションに戻り、その日の夕方、新幹線で大阪に戻った。

余命宣告は本人が望まない場合は別だが、以後の治療を効果的にするために宣告するのがマターとなっている。自分の場合もセカンドオピニオンを受けた大学病院で、抗癌剤治療しか出来ないが余命を言いますかと訊ねられた。手術でしか完治は望めないと判断していたので、それが出来ない病院で宣告を受けるつもりはなかったので断ったが、もう一つの本心を言うと、医師の言い方が弄んでいるように感じたからだ。しかし、主治医から半年を宣告されたのをきっかけとして東京の名医と巡り合え、今、こうして健康な毎日を過ごすことが出来ている。完治した今となっては、なんと卑屈になっていたものかと思うが。
たかじんの場合も、本人なり親族や側近が余命半年を知っていたなら、違った治療方針を選択し寿命が延びた可能性が有り得たと思う。そうしなかったさくらの選択ミスは罪深い。また、妻でもない者だけに宣告した久保田医師と、正確な家族関係確認を行わなかったと見られる三田病院の管理体制は批判されて然るべきである。

★PET

実は2月のPET検査で小さく光った部分があったが、腫瘍マーカーが正常値のため問題なしと診断されていた。さくらはもしかしたら小さな再発部分があったのでないかと疑っている。
自分の経験で言うと、「腫瘍マーカーに表れないガンもあるので、PET検査等は慎重を期す」と担当医から言われている。たかじんのケースは小さく光るものが検出されたにもかかわらず、何故精密検査を実施しなかったのか疑問が残る。

抗がん剤については投与日数とサイクルからの想像として、シスプラチン、或いはフルオロウラ汁シルとの併用でないかと思われる。これは食道ガンに用いられる最も効果が高い標準抗がん剤である。 (食道ガン治療)

★告知

2013年5月8日、たかじんの事務所P、I、S名で、体調不良により今後の活動は未定と告知を行った。


所属事務所は「主治医による検査診断の結果、疲労による食欲不振や睡眠不足などから起こる体力の低下がみられ、しばらくの間休養を要するとの指示が出ました。苦渋の選択ではありましたが、本人も今は大事をとって休養に専念する所存でおります」と報告。今後については「主治医とも相談しながら改めてご報告させていただきます」として、復帰時期は未定という。 (当時のニコニコニュース)

テレビ復帰の日

★スタジオ見学を熱望するさくら

2013年3月21日、復活第一弾は「たかじんの胸いっぱい」と決まった。前日、さくらはスタジオへの同行をせがむがたかじんは躊躇し、「別々に関テレに入るから」と言い、「段取りはKマネに連絡させる」と言った。

【引用: 純愛 245-246P】
五時過ぎにKマネが迎えに来た。この日、さくらはたかじんをモデルのようにお洒落させて送り出した。退院してからは、彼の服はすべてさくらがコーディネートしていた。
「ほな、行ってくるわ」
彼は言った。
「あとのことはKから連絡させるから」
Kは黙ってうなずいた。
たかじんが出ていったあと、さくらはマンションでKからの連絡を待った。すぐに出られるように服も着替えておいた。しばらくするとKからメールがあった。
「今日は来んといてください。マネージャーは自分なんで、仕事の事は自分がやる。余計な口ははさまんどいてください」
ショックを受けたさくらは「たかじん胸いっぱい」のプロデューサーの日置に電話した。
「ぼくらはさくらさんに来てもらいたいと思っていましたが、Kが来させない方がいいと言うので・・・・・」
日置は苦しそうに答えた。
彼はこの時の事を私にこう語った。
「Kに言われたら、それは、もしかしたらたかじんさんの意向かも知れないと思うじゃないですか。こちらが勝手にさくらさんを呼んだりしたら、あとで怒られるかもしれないと思いました」
復帰の日のスタジオ収録に立ち会えないとわかったさくらは泣いた。
(中略)
私はいつか捨てられるのかもしれない・・・・・。
Kに対しても怒りが湧いてきた。(中略)・・・復帰するとなったら急にマネージャー風を吹かして、仕切りだすなんて・・・。
(中略・・・収録を終えたたかじんはマンションに戻った)
「今日、Kがスタジオで泣いとったらしい」
「さくらもその場にいて、泣きたかったよ」
「これから元気になったら、いつでも来れるから」
「そうじゃない!」さくらは言った。「今日という日を二人でシェアしたかった。前に何でもシェアするって約束したじゃない!」


▼たかじんのそこまで言って委員会 復帰版


★終わりにしよう

翌日は「そこまで言って委員会」の収録日、さくらはスタジオ見学を話すが「Kマネに言って」と気乗りしない風であった。さくらはテレビ局、制作会社の面々からはさくらのスタジオ見学を誘う電話を受けており、Kマネに連絡するがなしのつぶてだった。ちなみにKは、たかじんの友人である梅田等数人をスタジオに呼んでいた。
その日の夜、「間違いなく捨てられる・・・」と考えたさくらはその日の看病日記に書いた。「都合よく使われるのは、終わりにしよう」

さくらなどは眼中にない一つの事実を紹介する、たかじんは母を復帰のスタジオに呼んでいたことが明らかになった。殉愛で強調したかった、「家族との断絶」「愛を知らなかった男」のキャッチフレーズなぞ、微塵も感じられないエビソートだ。

「お母さんは幸いにも初期段階で脳梗塞を発見できたため、命に別状はありませんでした。ただ、手足がちょっと思い通りに動かせないみたいで、いまも自宅で療養されています。
そんなお母さんに、たかじんさんは『復帰番組を見に来てください』とスタジオに招待したそうです。母親が脳梗塞で大変だったことは、他のご兄弟を通して知っていたみたいで、何とか母親を励ましたかったのでしょう」(近所の人)
実母は残念ながらスタジオまで行けなかったというが、元気になった息子の姿をテレビで見て元気をもらったことだろう――。 (女性自身 2013.4.2)

まず自分の性分を書くと、例え妻だろうと、仕事に口出ししたり現場に介入したりすることに堪えられない。彼のような職業であれば、「完成品である番組を見てもらうのが一番嬉しい」と言うだろう。特に彼は本番前に嘔吐するほど緊張することもあったと言う。余計な神経は使いたくないのが本音だと思う。

仮にたかじんがフィアンセとして認識していたとして、この頁の記述から覗えることがある。
たかじんはさくらを面倒な女と思っていたのではないか? 思惑を持つテレビ局関係者は別として、自己顕示欲が強そうなさくらがスタジオ入りすると、共演者等と接触し自己アピールするだろう。仕事のパートナーであるKを差し置いてさい配するだろう、Kマネのプライドを傷つけることにもなり、それを目の当たりにした同業者達は「たかじんの躾けが悪い」と悪評が立つだろう。たかじんはさくらの性分を見破っていたと思える。

★決断の日

さくらは「都合よく使われるのは、終わりにしよう」と日記に書いた。
その後明らかになるさくらの異常とも言える金への執着心は、この時を境にMAXに上り詰めたたのではないだろうか。たかじんは冷たい人、私を愛していない、間違いなく捨てられる、との感情が記され、この日の日記のページは涙で字が滲み、よれよれになっていたそうだ。
いわゆる業務委託契約中のさくらに対して、たかじんも多少の甘言や誤解を生む行動は有ったと思う。それらはさくらの心の中で、自分の立ち位置が時計の振り子のように揺れていた事だろう。
この時の「終わりにしよう」は去る事ではない、たかじんが持つものすべてを手中にしようと決心した時だったのではないか。皆が待ち望み、仲間に囲まれてワインをかたむけ上機嫌なたかじん復帰の祝い日が、その陰で殉愛騒動出発の日でもあったのではないだろうか。

★復帰後、週刊ポスト誌に送られた謎のFAX

午後11時過ぎ、京都祇園の喧噪から離れた通りにあるスナックのドアが開き、中から4人の男と1人の女が出てきた。その中のひとりは酒に酔ってはいるもののしっかりとした足取りで、茶色い中折れ帽にグレーのコート、パイプを咥えた“ちょいワルオヤジ”。
それは、3月21日にがん治療から復帰したばかりの、やしきたかじん(63)だった。本誌記者は意を決して声をかけた。

・たかじんさん、ご結婚おめでとうございます!
「ありがと!」

記者の問いかけにそう答えたのは、たかじんの隣にいる男性。当の本人は、突然声をかけられて驚いたのか、無言でこちらをじっと見返すだけ。
たかじんの隣には、かなりの年の差があると思われる若い女性がぴたりと寄り添っている。肩よりも長い髪、オレンジ色の膝丈のスカートにベージュのハーフコートを着たその女性は、右手をたかじんの腰に回していた。その姿は、“ほろ酔い”のたかじんを支えているようにも見える。

・ご結婚を決められたんですよね?
「……」

相変わらずじっとこちらを見たまま、返事がない。

・24歳差の郷ひろみさんご夫婦を抜く年の差婚になるそうですね?
「あかんあかんあかん!」

ここで、見かねた友人の男性が記者を遠ざけ、たかじんと女性を取り囲むようにして去っていった。

実は本誌がたかじんを直撃したのは、“招待状”を受け取ったからなのである。FAXで届いたその手紙には手書きで「30才年下看病妻と婚約、復帰報告パーティ!!」とあり、しっかりと場所や時間まで指定してある。半信半疑で会場に駆けつけてみたところ、本当に出会ってしまったというわけなのだ。送り主は不明だが、本人には内緒で本誌記者を“サプライズゲスト”として招待してくれたのだろうか。
気になる“お相手の女性”はどんな人なのか。在阪テレビ局関係者が語る。
「たかじんさんは、去年『FRIDAY』で写真を撮られた女性とまだ続いています。彼女をコロコロ変えるたかじんさんにしては珍しい(笑い)。病気の時もずっと彼女に看病してもらっていたし、そろそろ結婚となっても自然な感じもします。もう昔のように無茶はできないでしょうからね」
改めてたかじんの事務所に聞くと「復帰を祝う飲み会でしたが、婚約の発表というわけではありません」との回答だった。たかじんは、過去に2度の結婚と離婚の経験がある。3度目を流行の“年の差婚”で迎えることを本誌も応援しています!
(週刊ポスト2013年4月26日号)

たかじんは知らなかったようだが、このFAXは誰がどの様な目的で流したのか。婚約、復帰報告パーティの場と時間がたかじんのそれとして相応しいと思えない。この一件を記事にしたのはポスト誌だけのようだが、正式なものなら多くの媒体に知らせるのがたかじん流であろう。
参加者の名前は不明だが、二人の婚約を既成事実化しようとする人間が介在してたのは間違いないなく、たかじんが復帰したスタジオ収録に呼ばれず、「都合よく使われるのは、終わりにしよう」と決心したさくらの意趣返しなのかも知れない。

読売テレビ会長と食事会

★思惑

3月14日、テレビ復帰に向けて約4ケ月(一時帰国が有った)のハワイ生活から大阪に戻った。18日、読売テレビ越智会長と山西制作局長が食事会を開いてくれ、さくらも同席した。


【引用: 純愛 242-245P】
「いつか越智さんにハニーをきちんと紹介したい」とも言っていた。
この夜、たかじんはその言葉通り、「ぼくの一番大切な女性です」と、さくらを紹介した。そして自分がどれほどさくらを大切にしているかを熱く語った。
「たかじんさんとさくらさんは、殉愛なんだね」
越智はしみじみと語った。たかじんは本気で照れていた。越智はさくらに向かって、「たかじんさんは本当は心の優しい男なんです。しっかりと支えてやってください」と言った。
(中略)
越智は、何度もさくらの手を握りながら、にこにこして「こんな若い娘をつかまえて」と言った。


▼読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」
委員会2






越智会長がさくらの手を何度も握り・・・のシーンは、初対面の女性に手擦り合わせるテレビ会社会長として品格が疑われる。さくらとしてはテレビ局トップとの親密さをアピールすることで、その後の利権ビジネスを容易に進めようとする魂胆には、願ったり叶ったりだったことだろう。
読売テレビのたかじん冠番組継続、さくらによるたかじん利権の独占、今現実に起こっている事案の暗示と取れる食事会で興味深い。
会長のお墨付きを与えられたも同然の山西制作局長は、冠番組継続に向けて中心的に尽力したことだろう。現在も読売テレビ制作の「そこまで言って委員会」は番組継続の方向を匂わせている。

※追記
そこまで言って委員会は、2015年4月放送分から「たかじん」の冠を外し、そこまで言って委員会NPとして番組を継続することになった。メインキャスターには辛坊治朗、サブには元ニュースステーションで司会をした渡辺真理が就任した。

二つの偲ぶ会 (一周忌)

★騒動の中で

2015年2月3日、二つの偲ぶ会が行われた。たかじんの命日は1月3日であるが正月三が日なのでこの日が選ばれたのだろう。

一つはたかじんの親族やお弟子さん、古くからの友人達が集まった「偲ぶ会」、一つはさくら未亡人が主催した「TAKAJIN MEMORIES 2015」だ。何故、こうなってしまつたのか? 原因は未亡人側にある。たかじん闘病中に親族に会わすこともなく、親兄弟が死亡を知ったのは直葬を終えた後だった。更に遺産相続や裁判等のトラブル、百田尚樹も加勢した長女に対する暴力的な発言、落としどころを失ったさくらと百田尚樹。亀裂は修復不可能なところまで来ている。

二つの会の背景と概要はニュース記事を引用する。

なぜ、敵対するように偲ぶ会の開催日時が重なってしまったのか。親族側の関係者は「先に決まったのはこっち。後から同じ日の、しかも同じ時間にぶつけてきた。音楽と放送(の関係者)で分かれたことにしたけど、こっちに来るはずだった人もいっぱいいる」と不満を爆発させた。
親族側関係者は「テレビ局を中心に『こっちに来るように』と圧力をかけていた。局の人間にしてみれば踏み絵のようなもんですよ」と反論。続けて「親族側の代表に偲ぶ会を中止するように求めてきた。もちろん、突っぱねましたが…」と明かした。
(東スポweb)

大阪umeda AKASOでは、「『たかじん』を偲んで」が行われた。約30年前、たかじんさんが月イチでライブを行っていたゆかりのライブハウス。デビュー当時から支えたコンサートスタッフ、バンドメンバー、放送作家ら約130人が集まった。(サンケイスポーツ)

大阪・中之島のリーガロイヤルホテルで、たかじんさんの一周忌を偲ぶ会が行われ、落語家の桂ざこば、フリーキャスターの辛坊治郎らテレビ局関係者ら約150人が出席した。

会の関係者が「取材は一切お断りしています」と、報道陣をシャットアウト。中の様子について、出席した新党大地の鈴木宗男代表は「(冠番組を持つ)読売テレビ、関西テレビ、テレビ大阪が挨拶して、百田もいた。奥さんもおった」と説明。辛坊が司会を務め、たかじんさんの妻のさくら氏や「殉愛」を出版した作家の百田尚樹氏(58)も出席していたという。(サンケイスポーツ)

市内のホテルでは「TAKAJIN MEMORIES 2015」と銘打った会合が非公式で行われた。出席者によると、スピーチに立ったさくらさんは「ご心配をおかけして申し訳ありません。本のことは後悔してません」と語っていたという。百田氏は「お騒がせしてます」と話したが、騒動の詳細までは語らなかったという。 (デイリースポーツ)


▼飲食物を持ち込んだ手つくり感溢れる親族達の偲ぶ会
アズマラしのぶ会















★親族達の結束

「これまで沈黙を保っていた親族から、亀裂が決定的なメッセージが発せられた」

実弟の家鋪良行さん(62)が兄の“真実”を訴えた。
献杯のあいさつに立った良行さんは「64歳で亡くなった父、長男、昨年5月に胃がんで亡くなった母の入院費、葬儀の費用もすべてたかじんが出してくれた。外では疎遠的なことを言うてたけど、本当は親族を大事にしてくれていた。そういったことを分かってくれたら」と訴えた。
死去の際は「(さくら氏側から)次の日に発表やからと連絡があっただけ。話にならん。母はすごくショックを受けていた」と明かし、昨年3月の偲ぶ会についても、「母が近所の人に『行くんやろ』と聞かれ、『何の話?』と。辛いです。絶対許せない」と語気を荒げた。 (サンケイスポーツ)

 今後については、「真実を何らかの形で伝えていく。ファンの方はわかると思うし、すぐにメッキがはがれる」ときっぱり。「これから、はっきりとわかってくる時期がくるはず。これがホンマの『やしきたかじん』だという姿を、わかってもらいたいもの…」と絞り出すように話した。
(デイリースポーツ)

★百田尚樹も出席し挨拶した「TAKAJIN MEMORIES 2015」

(画像は勝谷誠彦FB掲載分より)
勝谷fb









★削がれるさくらグループ

一方、未亡人が主催した会には異変が起きていたようだ
参加人員は主催者発表150名となっているが、実際にはもっと少ないとの情報も有る。しかし、未亡人側にとってよりショックなのは不参加の面々なのではないか。
純愛騒動の最中に未亡人擁護発言をした人達、たかじんの番組で恩義を感じ出席するだろうと見られていた人達、そして芸能関係の大物達。情報を拾ってみると・・・。


今日の偲ぶ会!?について報告致します
昨日、百田は来ないと言いましたが来とりましたwww
よみうりテレビ、関西テレビ、テレビ大阪の社長誰も来てませんw
みなさんが知ってる著名人は杉浦太陽w、ざこば師匠、井上ハム造だけ来てましたw
遥洋子、電波芸者モモコ 、トミーズ雅誰も来てませんw
明治天皇玄孫も来てません
要はそこまで言って委員会スタッフが主導の会でした
(2ch既婚女性板への書込 2.4深夜)


匿名掲示板なので真偽不明だが、その後同掲示板に意味深な書込みがある。真に受ければ未亡人側関係者が「余計な情報」を流されたくないと取れるものだ。

招待客の中に、獅子身中の虫がいたとは。
アンチの行動には、もはや怒りを通り越して呆れる。
ネット上にうじうじ書かずに、面と向かって言えばいい。
(2ch既婚女性板への書込 2.4深夜)


さくらさんは素晴らしい女性ですとテレビで公言した竹田恒泰、委員会常連の金美齢、田島陽子、津川雅彦、山口もえ。たかじんの世話になつたM・黒田、堀ちえみ、遥洋子、ハイヒールももこ、トミー雅、北野誠、そして大親友だった鶴瓶やたけし達も来てない事になる。詳細なたかじん情報を持つこれらの諸氏が騒動について発言をし出したら・・・未亡人と百田尚樹は夜も寝られない日々を過ごすことになるかも知れない。

最後にこのツイートを紹介しよう。
たかじんNOマネーMCの「眞鍋かをり」は一番最初にさくら擁護の発言をし、さくらと"飯友"で相談に乗っているとされていた。しかし会が始まる直前にツィート。これは決別を意図的に公言したと考えられる。所詮、仕事欲しさで繋がっているだけなのだろう。


百田尚樹も出席を迷った経緯が窺がえる、既に憔悴しきっている状態だと思う。


早よ、出さんかい!

★電話

2013年2月18日、ハワイから一時帰国していたたかじんは、東京三田病院でPET検査を受けた。経過は良好で3月のテレビ番組復帰に支障がないことが判明し、翌日大阪へ戻る。

2月21日、相原と新地へ飲みに行った際に、自宅に忘れたたかじんの携帯に電話が入る。何度も着信したためさくらが出ると、女は一気に話した。
「家からやから言うだけ言うね、明日、パンツ穿いていかへんから楽しみにしといてや」そう言うと切れた。
さくらは怒りが込み上げ、私が馬鹿にされているのかと思った。
23時頃相原とマンションに戻ったたかじんは、さくらが電話の件を話し怒ると、後の対応を相原に任せて寝室に引っ込んだ。相原は一時間も土下座しながら許しを請い帰った。
翌朝、たかじんはその女の母がガンなので人助けでお金を渡すだけで、今回が最後だと説明した。
さくらは腹が立ってハワイでプレゼントされた指輪を引き抜こうとすると、たかじんは「はずさんといて!」 と言いながらさくらにしがみついたが、さくらはハワイに戻らないと言い出す。

純愛 231P】
「ハニーはハワイに行ったらいいじゅない」
「さくらが行かへんのやったら、行かれへん」
「どうして、そんな勝手を言うの」
「ぼくの"エゴイズム"という歌、さくらも好きやんか。ほな、僕の言うてることわかるやろ」
エゴイズムという歌は、タイトル通り男のエゴを歌った曲だ。さくらは、こんな勝手な言い分はないと思った。
「歌が好きなだけで、歌詞の内容が正しいとは全然思っていない」
「そんな怖い顔せんといてえな。さくらはいつもニコニコして笑ってたらええねん」
(中略)
実はこの時点でも、まださくらとたかじんは一度も肉体関係がない。
これは私の想像だが、たかじんは体力に自信がなかったのかもしれない。実際、パソコンに残されたいた日記に、「さくらと結ばれたいが自信がない」という意味の事が書いてある。また日記を見る限り、病気が発覚する半年前くらいから、女性を家に呼んでも実際のセックスはしていない。露骨な表現になるが、別な形で処理してもらっている。(中略)
たかじんは本当に愛しているさくらに、それはさせたくないと思っていたようだ。


しかし、さくらは自分に魅力がないから、結婚する気がないから、都合のいい家政婦のような存在と思っているかもしれない。あとでややこしいことを言われないように、セックスもしないのかも・・・・・。さくらは女と会わないようにマンションを出る。

【引用: 純愛 231P】
お前の背中 抱きしめている同じ腕で
ほかの誰かのことを 抱く日もあるだろう
あの空のように 気持ちは迷い 流れてゆく
幸せにするなんて 約束できない
いつだって男はきまぐれで
新しい花に惹かれるけど
心ごと 疲れ果てた夜は ここに戻りたい
おまえのそばが Woo いちばんあたたかいから

(中略)

いつだって女は意地悪で
気付かないふりをしてくれるよ
だからそう 疲れ果てた夜はここに戻りたい
おまえのそばが Woo いちばんあたたかいから

(やしきたかじん「エゴイズム」より)

さくらが部屋に戻ると女は帰った後で、たかじんは「金だけわたした」と言ったが、さくらは荷物をまとめて自分のマンションに帰ると言い出した。たかじんはさくらの足にすがり付き「いま、僕は"泣いてもいいか"の歌と同じことしてるんや」と言った。
さくらは呆れたが、たかじんのプライベート用と仕事用の携帯に残っている、その女の番号とアドレスを消し、もう一つ記録用に持っている携帯を出すように求めた。「早よ、出さんかい!!」

★性的不能

たかじんにとってさくらの立ち位置はどうだったのか? これはほぼ全編に渡る疑問であり、読み手の感情が萎える素因であるが、そこは置いておこう。
強い不快感はたかじんの男としての矜持が、さくらと作者によって著しく損なわれている事だ。ノンフィクション小説"純愛"の主軸となる代名詞は、「ノン・セックスだった献身妻」なのだが、そこのオチがたかじんの性的不能では、まるで成人向けの4コマ漫画でも見ているような気分になる。
百田尚樹がベストセラー作家の名を汚してまでも、さくらに同情的な表現を用いたかった根拠は奈辺にあるのか。

早よ、出さんかい。これは関西ではよく使うセリフなのだろうか? 自分の地方では特に女性は使わない。もし自分が使われたならば、百年の恋も冷め即座に別れるだろう。

★エゴイズム

一方、たかじんのヒット曲を背景に使った描写は、この殉愛の中では異彩を放つページだと思う。しかし、もう一つの騒動が起きた。
百田尚樹が作中で引用したのは、たかじんの曲「エゴイズム」だが、青太字で著した部分がカットされている。このことだけが原因ではないが、この曲を作詞した及川眠子氏がtwitterで百田尚樹に異論を呈した。
及川氏はたかじんの曲を70曲以上作詞し、たかじんのことを知り尽くしている人だ。
百田尚樹は彼女の作品を引用しながら作者を知らなかっただけでなく、作者が意図する言葉の意味を理解していなかったようだ。
そこを指摘されると、「売名行為する作詞家というのも実に厄介や」と批判する暴挙に出、あらぬ敵を誘引する結果となった。 
(詳細は打算と逆襲カテゴリーにて)

【及川眠子twitterプロフから】
作詞家、プロデューサー。 代表曲は、Wink「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」、やしきたかじん「東京」、新世紀エヴァンゲリオン主題歌「残酷な天使のテーゼ」など1,000曲以上。




▼この件については下記に詳しく掲載されている
百田尚樹さん「売名行為する作詞家というのも実に厄介や」 エヴァ作詞家を批判し波紋が広がる(ネトラボ)


★近況メール

無期限療養中の歌手でタレントのやしきたかじん(63)が31日、自身がレギュラー出演していた関西テレビのバラエティー番組「たかじんの胸いっぱい 怒濤の生放送2時間SP」にメールを送り、近況を報告した。

 たかじんは「猛暑の大阪を避けて別のところに来ていますが、こちらもかなり暑いです」と記し、避暑地で静養している様子。「ここでは『胸いっぱい』が放送されていませんので、DVDを送ってもらい毎週チェックしています」と復帰に向けて過ごしていることも明かした。さらに、「体調は焦らずゆっくり整えています。番組も夏の特番の季節ですね。楽しみにしています」と、つづった。

 出演者の大平サブローは「どこにいるんやろ。北の方かな」などと話し、たかじんの復帰を待ち望んでいた。http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/08/31/0006297710.shtml

▼やしきたかじん「エゴイズム」


さくらの怪我

★さくらが死んでしまう

【引用: 純愛 212P】
12月12日の夜、キッチンで洗い物をしていたさくらは、うっかり手を滑らせてガラスのジョッキをシンクに落とした。硬い陶器のシンクだったせいか、割れたジョッキの破片が勢いよく飛び散り、さくらの左手の薬指と中指の付け根近くが切れてたちまち鮮血が流れた。
さくらは冷静に傷口を見た。ざっくり切れて、骨まで見えている。

たかじんとさくらは梅田の車で病院へ向かった。


【引用: 純愛 212P】
たかじんは半ばパニック状態のまま、現金二万ドルとパスポートをウエストポーチに入れ、一緒に車に乗り込んだ。そして病院に着くまでずっとさくらを抱きしめ、「さくらが死んでしまう!!」と叫んでいた。
(中略)・・・たかじんが病院の受付に「金ならなんぼでも払う。早くしろ!」と日本語で怒鳴るのを、さくらがなだめた。まもなく三浦も駆けつけた。
三浦は私に「あんなに動転しているたかじんさんを見たのは初めてでした」と語った。


★確かに骨が見えるほどの裂傷はそれなりである。しかし「死んでしまう」と大騒動になる怪我ではない。たかじんが書いたとされるメモまで登場するこのシーンは、金スマでも視たが喜劇仕立と感じていた。
たかじんのイメージが大きく損ねられている表現だと思うが、それはこのシーンに限ったことではなく随所に出現する。証言した者、著作した者は悪意を持ち合わせているのか!?と思ってしまう程である。

二時間待って治療を受けたあと、ドクターは「あなたのハニーは大丈夫です」と言った。お互いが「ハニー」と呼び合うきっかけとなったと記されているが、さくらの「都会っ子ブログ」によるとイタリア夫もハニーと呼んでいたことが分った。さくらのお相手男性の呼称は、全て「ハニー」なのだろう、複数の男性と同時進行させる時に便利である。


▼手を切った時のたかじんメモ
メモ300





★更に信じられないことが!!


【引用純愛 215P】
二十日は三浦と一緒にゴルフに出かけた。そのゴルフ場はたかじんが会員権を持っているところだ。さくらは昔、伯父に勧められて何度か打ちっぱなしには行ったことがあるが、コースを回るのは初めてだった。

骨が見えるほどの創傷を負った手で8日後にゴルフコースを回れるとは、二万ドル出すと魔法の治療を受けられるのだろうか?ハワイは。 魔法などは有る筈もない、本来なら何針も縫う大ケガの筈だがその記述は見当たらない、仔細に書かれた小説なのに不思議だ。

下の画像は殉愛に書かれた内容から、12月26日前後に撮影されたものと思われるが、さくらの左手薬指に見えるのは、ケガをきっかけにたかじんが結婚を決意しXmasに贈ったとされる、数百万円のティファニーの指輪だけで、治療の痕跡は見えない。

▼ゴルフ写真
ゴルフ300












「海賊・・・」を読む

★回復

11月20日ハワイに到着後はたかじんの体調回復は順調だった。翌年4月の一年検診で異常がなければ仕事復帰しようかとも考えるようになっていた。


【引用: 純愛 209P】
ハワイでのもうひとつの日課は、日本から持ってきた「海賊と呼ばれた男」をさくらが読み聞かせることだった。朗読タイムは朝、たかじんが湯船に浸かっているときだ。しかしさくらが読めない漢字をとばして読むものだから、そのたびにたかじんが湯船から体を出し、読み方を教えた。
「さくらの朗読では、物語になかなか集中でけへんな」
彼はそう言って笑った。

▼「海賊・・・」に対して書かれた、いわゆる「たかじんメモ」(金スマで紹介)
かいぞく






★漢字を飛ばして読むさくら

「海賊・・・」はまさしく殉愛著者の百田尚樹が書いたベストセラーである。たかじんが休養中の「そこまで言って委員会」に登場し、「民主党に対する怒り」コーナーでコメントしている。テレビで見ていたたかじんが「こんなにおもろい奴とは知らんかった、こいつとんでもない逸材や」と呟き、著書を購入するきっかけになったとされている。

秘書一級検定(さくらSNSより)を持つさくらが読めない程「海賊・・・」は難しい文字が多用されているのか!?図書館へ行き確認したが、取り立てて難しい漢字は使われていない印象だった。もちろん人により感じ方は異なると思うが・・・・・さくらは「逸材」の意味も解らなかったそうだ。

さくらは朗読の予習をするようになり、たかじんが「うまくなった、僕の番組のナレーションさせたろか」と言ったとある。さくらは本気にしていたのだろうか。
web上でもさくらがいわゆるたかじんメモを持って有名芸能関係者を訪ねているとの噂も出ているが、本人も芸能界入りに胸ときめかせているのだろうか。こんなツィートも出てくる。



在阪放送局、つまりたかじん利権で生き残りを図る、ボーイズやAZITO周辺なら考えそうだと思う。

さーちゃん ママに抱かれて天国へ

★さーちゃん

ハワイ滞在中の2012年11月29日の夜、イタリアに預けてきた愛犬の「さーちゃん」が死んだとの報が入る。以前からガンに罹ったことは聞いていた。


【引用: 純愛 210-211P】
イタリアのママから「電話できる?」のメールがあった。電話すると、ママが泣いていた。涙で声にならなかっが、さくらには何が起こったのかわかった。"息子"が電話を代わった。
「さーちゃんはさくらを待つことができなかった」
そのあとママが電話を引きついで、泣きながら最期の様子を語った。
「私の腕の中で旅立ったよ」


ママは埋葬まで三日あるからイタリアまで来てお別れするかどうか尋ねたが、さくらはそれは出来ない事を伝える。ママは「今いる"彼"を大切にしなさい」と言った。

さくらがイヴァンとの結婚で渡伊の時に同行したさーちゃんは、たかじんとの出会いのきっかけとなったとされているが、飼い主がたかじんへ接近したことにより、異国に置きざりにされたまま死んでしまった。

▼さーちゃん
さーちゃん1






★義母

イタリアのママとは殉愛では下宿先のおばさんとなっているが、嫁ぎ先の義母の事であり、息子と書かれているのがイタリア夫のイヴンの事である。
ママが言った「今いる彼」のことは、前立腺ガンで入院したさくらの父のことを指す。イタリアの家族にはさくらは父の看病の為、日本に帰国中となっているのだ。ちなみに父の看病は妹に任せきりだった。


ブログ「都会っ子、イタリアカントリーサイドに嫁ぐ」読者のツイッター投稿でも、父の看病記事を指摘されている。

りらこ
@9i16ert
2h2 hours ago
私この人のブログ昔読んでたww急にお父さんの手術云々を最後に見なくなったけど、そういうことだったのか。これは酷い。イタリアの旦那さんかわいそう。


ハワイで勝負や!!

★もうたたんし

ハワイへ11月20日から行くことになった。
たかじんはワイに行く前に、メモを残していた。


【引用純愛 204-205P】
天使のさくらも浮気はあかんか
しゃーない、傷つけんようにせんと。申し訳ないが何もないんやけど。
もうたたんし、気色悪い。
さくら以外とはええ、死ぬ前にさくらとやりたい。
そのまま腹上死もええ、たかじんウケるで
ハワイで何とかする!勝負や! (原文ママ)


★ノンセックスは殉愛小説の一つのウリになっているが、その為だけのエピソードとして書かれた可能性が高いと思う。ハワイでは、たかじんはベッドで寝、さくらはソファで寝たことになっている。

たかじんからすると身の回りの世話をする家政婦なのだから当然との見方が出来るとも、さくらが魅力的な女性なら、たかじんのことだから迫ることだろうとも言えるが、それはどちらでもいい話しだ。

よしんば引用文が本当だとするなら、さくらはたかじんを貶めることに執念を持っていると言える。ベストセラー作家に「もうたたん」などと書かせる下品な女に付きまとわれたたかじんが、同じ男として不憫なだけだ
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