2015年02月

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

最後の入院 知らされない長女

★緊急入院

12月26日、ガン細胞の悪質液が全身に回り、内臓の衰弱が激しく、聖路加病院に入院した。若い医師は肺炎の疑いがあると言った。久保田医師は「肺炎の気がある程度なので10日くらいでよくなる。聖路加で緩和ケアをして、6日からは在宅看護をしましょう」と提案した。
案内された病室は皇族が使う聖路加で一番高級な部屋だった。


【引用: 純愛 369P】
「あーあ、ひとつ心残りがあるなあ」
彼はベッドに寝そべりながら天井を見上げた。
「なぁに?」
「もっと元気な時に、さくらとしといたらよかった」
一瞬何のことかわからなかったが、気付いた時は恥ずかしかった。
「さくらだって、そうしてほしかったよ」
「さくらはずっと自分に女性として魅力がないのかなと思ってた。ハニーはほかの女性のほうがいのかなと思っていた」
「ちゃう」彼は大きな声で言った。「ハニーはめちゃくちゃ魅力的や」
「だったら、浮気なんかしないで、さくらとしてくれたらよかったのに」


たかじんは、ぼくでいいのか、お父さんとも会ってない、他の女とは違う等と言い、さくらは天使、自分は白馬の王子様と形容した。

12月27日、自力で起きあがれず、昼間は麻薬でほとんど眠っていた。
さくらが「お嬢さんに知らせる?」と訊くと、「あんな奴に知らせるな」と言った。親族はどうするかと訊ねると、「いらん!」と答えた。夜はうなされながら、「許さん」「情けない」「最低や」とか口走った。

12月28日、久保田医師は、「林さんはよく頑張っています、闘っています」と話した。さくらはたかじんの娘に近況を知らせるべきか訊ねると、「やめたほうがいいんじゃないでしょうか」と言い、緩和ケアの医師も同意した。
「これだけ頑張っているのに、会いたくない人に会えば、安らかな状態をキープ出来ません。最後まで気持ちよくさせてあげることが大切です」

★長女・Kマネへの責任転嫁

たかじんの死期が近づき、たかじんが娘、親族やKマネへの恨みを蓄積している表現が多くなって来ている。彼等のせいで病状が悪化した、どれだけ恨んでいたか、さくらにとってたかじん死後の有利な交渉を見据えたものだろう。
問題は病院側の対応だ。さくらから作り話しを吹き込まれたのだろうが、「会いたくない人に会えば・・・・・・」の発言は常軌を逸している。重篤な患者を前にして、血肉を分けた親子が本当に会いたくないと思っているのだろうか。しかも、たかじんに直接訊いてもいない。久保田医師はさくらとの結婚がホンの二ヶ月前に済ませたことを知っており、死後のトラブルも予測できる立場にあったと言える。これは8月と12月の余命宣告の際も同様で、さくら一人に対して行われたことに納得がいかない。
病院のこれらの対応は、最近話題の「後妻業」が蔓延る温床となるものではないのか。自分の経験で言うと、手術前説明時でも親族2名以上の同席を求められ、同意書への記名・捺印を行った。当時は遠方に住む子供たちに申し訳なかったが、あらためて病院側の適切な対応に感心している。

長女が発売元の幻冬舎に出版差し止めを求めた民事訴訟裁判の陳述書を読むと、殉愛の内容とは真逆だ。

 何よりもショックだったのは父が私のことをどれだけ嫌っていたかということを強調している内容です。この記述は心の底をえぐられるような打撃をわたしに与えました。何も知らない、父に会ったこともない、父の話を聞いたことすらない著者がなんで私と父の大切な大切なつながりを土足で踏みにじるのでしょうか。
 何の必要があり、何をもくろんで私を悪く言わなければならないのでしょうか。私たち親子に会ったこともない著者が、『2人の間には普通の父・娘のような交流はなかった』などと断定することが許されるのでしょうか。
 私は父の闘病中も入院先を知ることができず、死に目に会うこともかないませんでした。たった1人の親が亡くなったのに、看取ることもできず、亡くなってから知らせが来たのです。すぐに父の元に行きましたが、冷たくなった父は何も語りかけて返事をしてくれることはありませんでした。(抜粋)

長女の差し止め請求に関して、百田尚樹は恐喝まがいのツイートを繰り返した。





しかし、百田尚樹が裁判を無視しただけでなく、弁護士も出廷しなかった。
激怒したのが、原告代理人の的場徹弁護士だ。閉廷後、取材に応じ「訴訟提起から2か月もたっているのに、認否も出さないとはどういうことだ。百田も脅すだけ脅して来ない」と猛批判を展開。
また、百田氏に対しても「ツイッター上で長女を脅し、裁判を受ける権利を阻害した。すでに人権救済を申し立てているが、これから弁護士会に告発することも考えている」  (東スポWEB)


エンディング・ノート/温井メモ

★何もいらない

12月25日、二人でエンディングノートについて話し合った。
夕方、たかじんがさくらには生活できるものを残すと言ったが、さくらは「いらない、一緒に連れて行って」と話した。「じゃ、寄付してもええか」と訊かれ、「いいよ」と答えた。大阪のマンションはさくらに残す、退職金で清算できると話した。
さくらは項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した。


【引用 :純愛 364-366p】
葬儀は密葬にすること。立ち会う親族はさくらだけ。骨はハワイと大阪に分骨。ただし、大阪の墓は、さくらがマンションからすぐにタクシーで行ける場所にすること。たかじんメモリアルを作る。たかじん名義の預金は全額寄付。寄付先は大阪市、親がいない子供達の施設、盲導犬協会というものだった。
さくらが伝えたいことは?」と訊くと、たかじんは熱く語った。
「病気のこと、復帰のこと、結婚のこと、これまで全部、スタッフはマスコミ報道で知らされてきた。この二年間、番組を守って支え続けてくれた人間に、自分が死んだという報せくらいは、マスコミを通して知らせたくない。これに関しては、さくらが責任を持って、みんなを呼んで直接伝えてほしい。それだけは必ず頼む、あと洋子と」
洋子というのはタレントの遥洋子のことだった」
「親族にはお知らせしなくていいの?」
さくらが訊くと、彼は「あかん!」と言った。
「ろくな奴はおらん。マスコミとか週刊誌にペラペラ喋る奴がおる」
さくら、たかじんが父親に勘当されたこと、母親とも疎遠になっていることは知っていたが、それ以外の親族にもいい感情を持っていないことを初めて知った。

夜になって、大阪からKがやってきた。たかじんが、「大事な話やから、席を外してくれ」と言ったので、さくらはマンションを出て下のロビーで待っていた。
一時間後、Kが降りてきた。その表情はこわばっていた。
「ハニーのこと、聞きました?」
さくらが訊くと、Kは「はい」と言った。
「もう何もできないんですか」
「やれることを探しています」
「そうすか」
「ハニーは何と言っていました」
「余命のこと、誰にもいうなって」
「それだけですか」
「ああ」
Kを見送ったあと、さくらは部屋に戻った。
「Kさんには何を言ったの?」
「寿命のこと誰にも言うなと。それと、会社をたたむから、さくらの言うとおりにして、さくらを助けろと。とにかくさくらを助けるというのは、念押しした」
たかじんが亡くなったあと、Kが自分を助けてくれることはないだろうとさくらは思った。


★食い違う内容

もう一つのたかじん本、「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」(小学館・角岡伸彦著)や週刊誌記事によると、純愛の記述と違う点がある。尚、角岡伸彦はKマネに取材をしているが、百田尚樹は取材していない。

『12月25日にマネージャーのK氏がたかじんの東京のマンションに呼び出されて、 たかじんと"3時間位"話し合って、年末に東京の弁護士つけて遺言書つくることにしたら、 翌日、たかじんの容体が急変して入院したとかで、K氏はたかじんと約束していた遺言作成が進められなくなった。
そうこうしているうちに1月3日たかじんが亡くなった。』

この時たかじんはKマネに次の話しをしている。 
「年末に東京で事務所の弁護士と遺言状を作成する。
・「たかじんの冠番組は終わらせること」
・「事務所の終わらせ方はKマネに任せること」
・「娘には金を残すこと」
・これらを書いたエンディングノートがある

さくらへの取材を基に書かれた殉愛の内容と全く逆なのだ。

★不思議だ、仮説を立ててみる

「さくらは項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した」ということは、たかじんが話し、さくらが聞いて書いたということになる。たかじんが考えていた内容とエンディングノートに書かれている内容が異なっていても誰もわからないのだ。
Kマネもエンディングノートの存在を知らされているが見てはいない。さくらはKマネに「たかじんは何と言っていたか」と訊ねるが、「余命のことを誰にも言うな」だけだと答えている。さくらは自分の企みが気付かれていないと安堵しただろう。
別の可能性として、ノートが二冊在ったとも考えられる。

たかじんが「会社をたたむから・・・」と、Kマネに告げたとさくらに話したことになっているが、さくらは当初P、I、Sを手中に収めようとしていたので、これはオフィス・タカジン設立理由付けの一行かと思う。

このエンディングノートは、三田病院の足場看護師長から貰ったものとされている。医療関係者の名を出すことによって、信憑性を高める算段なのだろう。それにしても、三田病院で受診していた頃にエンディングノートを用意していたとは周到なことだ。項目を眺めながら理想とする内容を思いめぐらせていたのだろう。

さくらは長女が起こした遺言書無効裁判の際に、エンディングノートを裁判所に提出したと得意気に話しているが、己の意のままに書かれたノートなら喜び勇んで出しただろう。
WILL手記にこう書かれている。

エンディングノートには、前妻にも相続させると書かれていたのに、
私が盗んで隠しているという憶測や嘘も書き立てられた。
ノートが手元になかったのは、裁判所の証拠資料として提出していたためで、ノートには、遺言書と同様のことが書かれている。 (WILL12月発売)

ノートに前妻にも相続させると書いてあると言い、遺言書と同じ内容だと言うが、公表された遺言書に前妻の事は触れられていない。娘についても遺留分の放棄を希望すると書いてあるだけだ。辻褄の合わない手記であるが、読み取れるのは裁判所でも重要な証拠となったということだけだ。

★変更された寄付先

又、殉愛では、
寄付先は大阪市、親がいない子供達の施設、盲導犬協会と書かれているが、遺言書では大阪市、大阪あかるクラブ、桃山学園となっている。殉愛執筆時には遺言書内容を当然知り得ているはずなのに、何故、事実と違う記述をしたのか。その謎はさくらの寄付金放棄(百田Twより)要求にあることが分かったが、驚くことにこの作戦には百田尚樹も加わっていたのだ。大阪あかるクラブへ出向いたさくらに、百田尚樹と制作会社AZITO代表の井関猛親が同行していたことが、殉愛の真実(宝島社)の取材により判明した。これでは自身の著書に真実を書くことが出来ないのは明白だ。

さくらは桃山学園に寄付金放棄の交渉を行っているが、同学園校長の温井氏に宛てた、寄付金迂回処理を求めるたかじんが書いたとされるメモまで出てくる騒動となった。さくらは無税となる寄付を利用し、相続税を脱税した形での相続を企んだのだ。
これだけでも純愛に書かれたエンディングノートの信憑性はゼロに等しい。
(※結果的に大阪あかるクラブ・桃山学園は、さくらの要望を却下し寄付金を受理した 2014.12.24)

▼「温井メモ」(たかじんが書いたとされるメモ)
日付が2013.12.23となっているが、この日は大阪~東京へ移動し、腹膜播種の診断を受けた日でもある。
NUKUIMEMO












★衝撃!!この「温井メモ」は偽造だった。

2015年2月23日発売「殉愛の真実」[宝島社発刊]で、このメモはたかじんが書いたメモではないと断定された。詳しくはこちらをお読みください。

http://tkj.jp/takarajima/contents/blog/p/1067/

(「殉愛の真実」では、百田尚樹著「殉愛」が如何に杜撰なノンフィクション本であるか、綿密な取材を重ねて立証されている。まだ明かされていない疑問もあるが、是非ご一読する事をお勧めします。
尚、当ブログは「殉愛の真実」発刊前に出ている情報を紡いで書いていますので推測・憶測が混在しています。)


★たかじんと母

たかじんは家族への連絡を「あかん」と言ったようだが交流があった。


実母の左肩を優しく抱き、リラックスした柔和な笑顔で写り込むたかじん氏。 そして、2人を囲むようにして並ぶ6人の家族たち――。 本誌が入手したのは、2009年のたかじん氏の還暦パーティーで撮影された貴重な1枚である。 (サンデー毎日)

たかじんの実母は、がん発表の12年2月、女性自身の取材にこう語っていた。
「私の喜寿のお祝いを、兄弟揃ってやってくれた。普段は音信不通で連絡もない、どこに住んでいるのかもわからない。でも、親孝行なんです」  (女性自身2014.12.30)

★さくらの仕打ち


がその遺骨に会えたのも死から1ヶ月後のことでした。さくらさんに懇願し、それが叶ったとそうです。このとき、親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面というのもまた驚きです。
このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪などは一切なかったそうです。 (女性自身)

絶望の腹膜播種

★寿命を知る

12月23日、午前9時台の伊丹発航空便で東京へ向かった。
聖路加国際病院でCTやレントゲンの検査を受けた。たかじんが点滴を受けてる時、久保田はさくらを診察室に呼んでレントゲン写真を見せた。


【引用: 純愛 355p】
「林さんは腹膜播種です」
初めて聞く病名だった。
「それって…ガンですか」
「腹膜内にお米の粒くらいの小さなガンが無数に出来るものです」
「治療方法はありますか」
久保田は少し間を置いて、「ありません」と答えた。さくらは衝撃のあまり気を失いかけた。
「どうすれば、いいんですか」
「聖路加病院では、ここまでくると緩和ケアをお勧めしています」
(中略)
「ハニーの時間は、あとどれくらいですか」
「一、二ヶ月でしょう」
(中略)
その瞬間、初めて「もう無理なのか!」と思った。この二年間どんな状況に陥っても一度も諦めなかったさくらの心が折れた。

診察室に戻ったさくらを見て、たかじんは言った、「・・・・・わかった」

12月24日、三田病院で点滴を受けた。栄養分を減らしたため体力が落ちるのがわかった。二人で相談し積極的な延命治療は行わない、東京のマンションで緩和ケアを受ける事を決めた。
12月25日、既に薬も飲みこめなくなったいた。たかじんは少し冗談を言い出し、さくらの浮気相手として、「ナイナイの岡村なら許す」と言った

★メモ

腹膜播種は数個なら手術で除去できるが、一定数を超えると手の施しようがない厄介な病気だ。ここまで来ると確かに死期を悟ることになる。
たかじんの場合、大阪X病院での放射線治療を終えた時に、抗がん剤治療の打診を受けたが断った経緯がある。さくらは高額で先進的な免疫療法を選択したと自慢気だったが、補助的治療と位置付け抗がん剤投与と併用したなら、放射線治療で小さくなったガンを叩くことが出来たと思われるし、腹膜への転移も防げたかも知れない。
そうすることにより、定期的なPET検査にもつながり、播種も対処可能な早期の発見につながったかも知れない。
何より複数病院を転々とする受診体制に問題の根底があった。

★ナイナイ岡村の名前が出て来たが、本当にたかじんが書いたのだろうか? 常識的に考えて、死へのカウントダウンに入った夫婦の会話とは思えない。今となっては真実はさくらしか分らないが、鶴瓶も訝っているように、もし、このメモが創作されたものだとしたら、たかじん死後に骨壺を持参して岡村に見せる魂胆をしていたのだろうか。

▼たかじんメモ「岡村ならしゃあない」と書かれている。山西はさくらに手出すなとも書かれている。下の方に「つるべえ」とあるが、鶴瓶は「つるべ」と呼ばれていた、「え」を付けるのはおかしいと話している。

ナイナイ2







然、さくらはたかじんの長女・親族への連絡を考えていない。

病状悪化とKのトラブル


★HUBLOT社の時計

10月21日、札幌から東京で向かう。渋谷・吉田時計店で840万円のHUBLOT社製時計を購入。世界に99個しかないもので、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。

夫婦で2年間!?まだ2週目なんだが。わざわざ怪しい言い回しを使い、わずか6行使っただけのエピソードを挿入したのは何故なのか。

★腹痛

10月22日、東京・瀬田クリニックで樹状細胞ワクチン治療を行う。終了後、大阪へ向かう。数日してたかじんが「お腹が痛い」と言い出す。

10月29日、東京・聖路加国際病院へ行く。三田病院にいた久保田医師が転院して勤めていたからだ。「ストレスからくる過敏性腸炎」の疑いで薬を処方される。

10月31日、東京から大阪に戻りKマネを呼び、二人が入籍したことを伝え、記念品のテイフアニーのマグカップを渡した。Kマネは「ああ、そうですか」と気のない返事だった。
「さくらは、Kがお祝いの言葉を言わなかったのは別の理由があるような気がした」

11月8日、腹痛が一向によくならず、大阪X病院へ行く。異常は見つからず、ガンの再発部分も大きくなってなかった。

11月13日、早朝、胃の内容物が逆流、胃痛もあった。大阪・瀬田クリニックでワクチン療法を受け、腹痛を相談するとステロイド系の薬を出してくれた。

★メッセンジャー黒田

この日の夜、相原とメッセンジャー黒田がマンションを訪れる。黒田は「ぼくもこんな人(さくら)、欲しいですけど、無理やろうなぁ」と話す。
先に黒田が帰った後、相原が、たかじん休業中も冠料支払われていることを知っているかと訊ねる。たかじんはKから聞いてるが月5万か10万だろと答えた。相原は放送一本分だけでそれを軽く超える金額をP、I、Sに払っていると告げると、たかじんは驚き、相原は会社の帳簿を調べた方がいいと進言した。
Kが会社に金がないと言ったので、2012-2013にかけてたかじん個人の金を数千万円、Kに渡しているとのことだ。


メッセンジャー黒田はたかじんは「たかじんNOマネー追悼番組」内で、マンションへお伺いしたのは12月中旬と話し、たかじんはワインをかぶがぶ飲むほど元気だった、と話しており、殉愛で書かれた11月13日は虚偽の可能性が有る。

★悪化

11月24日、体重が52キロを割り、水も飲めない。聖路加病院の久保田医師に連絡をとり東京へ向かう。胃カメラ検査を行うがガン再発部分には異常はない。

11月25日、食事を摂れなくなり聖路加病院で診てもらうと食道が細くなっており、拡げる処置を行う。

11月26日、痰がからみ、こんどは病院でプジ―で食道を拡げた。

11月27日、悪寒が始まる。久保田医師がプジ―で食道を拡げたが効果はなく、ステント留置を提案するが一晩考えることにした。ステント留置は手術に危険が伴い、一度留置すると取ることは出来ない。いわば緩和ケア処置の一種だからだ。さくらはその夜10時過ぎに久保田に電話して処置を依頼する。

11月28日、Kにステント手術を告げると、「ああ、そうすか」とだけ言った。入院して行った夕方の手術は成功した。

11月29日、たかじんがコップの水を飲むとスルスルと流れ、手術の成功が確認された。

12月15日、たかじんはおしっこをすると痛いと言い、さくらが久保田医師に連絡すると、「膀胱炎の可能性があるので抗生物質を飲ませるよう指示を受ける」。しかし痛みが続き、お腹の張りも訴えたので再度久保田医師に連絡すると、「腎盂炎の可能性があるので病院へ行くことを勧められる」。大阪のX病院へ連絡し体温の経過を見ることになった。

12月16日、体温が落ち着いたのでX病院へは行かなかった。Iクリニックの看護師が来て点滴。

12月18日、瀬田クリニック大阪でワクチン投与。

12月19日、たかじんはは落ち着かない様子で食欲もない。久保田医師は炎症反応を調べるように告げる。

12月20日、Iクリニックの看護師が来て採血、結果は後日判明とのこと。たかじんは食欲が戻らず、Kがうっとおしい、Tがピンポンダッシュするのが嫌と言い出す。

12月22日、この日の夜、久保田に下腹部の張りを説明すると、「明日、聖路加に連れてきてください」と言った。

★過酷な移動

末期がん患者を引き連れて凄まじい移動をしている。後にたかじんの親族が「どこにいるか解らなかった」と話したがもっともな話だ。例えて言うと「逃亡者」並みの行動だ。ここまでの症状になると、病人にとってはそれが公になることを避けている段階ではない。信頼できる医師の元で治療に集中するのが常識と言えるだろう。実際に電話相談での対処となって正確性を欠いていた事例も窺がえる。

炎症の数値が
通常の30倍になっているのに、何ら対応できていなかったことも伊東には腑に落ちなかった。疑念と心残りが、今も伊東を苛んでいる。」 (たかじん長年の友人・伊東整形外科医の話)
(角岡伸彦著・ゆめいらんかね やしきたかじん伝)

「去年はあまりしんどい様子が見られなかったので、今春には復帰できるだろうと思っていました。ただ、昨年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており、これはきちんと調べたほうがいいということになり、12月22日、たかじんさんは東京の先生の病院へ行かれました」
その後、クリスマスカードを受け取ってからも、伊東氏は電話で、東京にいるたかじんさんと話をしたという。しかし、元日に送った年賀のメールは返信が来なかった。1月2日に、たかじんさんの容体は急激に悪化し、3日の朝には亡くなっていたのだ。 (週刊朝日 2014/1/24号)


殉愛ではあやふやな表記になっているが、他の情報とつなぎ合わせると次の流れとなる。
12月20日、伊東クリニックが採血検査、12月21日、検査結果で炎症数値が90倍を示し、伊東医師から専門医検診を勧められる。12月22日、その結果を久保田医師に連絡すると、聖路加に来いと指示される。12月23日、聖路加国際病院で腹膜播種の診断。

殉愛では伊東クリニックをIクリニックと表しているが、大阪X病院と同じで、自分達に都合の悪い施設なのだろうか? 百田尚樹は殉愛の中で次のように記している。

【引用: 殉愛 413P】
国会議員でもある某医師は、主治医でもないのに主治医のように言い、一度も診察をしたことがないのに間違った病状を週刊誌などて話し、担当医の処置を批判したりもした。

自分の作中で「Iクリニックで採血」と書いておきながら、同じ作中で「一度も診察した事がないのに」と書く。殉愛はゴーストライターと手分けして書いたのか、或いは悪意が事実を勝ってしまうのか、不思議な作家であるが、取材対象の偏りがもたらした矛盾だろう。
( I医師と伊東医師・国会議員でもある某医師は同人物・Iクリニック、伊東クリニックは同医院)
誤りを認める性格ではない百田尚樹はTwitterでもウソを言い張った。


★Kマネ

その日の夜、たかじんのipadにメールが届いた。男女のあられもない恰好をした画像だけが添付されていた。再度届いたメールにも同じような画像が添付されていた。写っていするのはKと付き合っている女性だったようだ。次のメールには誤送信と謝罪が書かれていた。
たかじんは激しく怒った。「Kは仕事はできんやつだったが、師匠として慕ってくれたとこだけが取り柄だった・・・・・あいつはクビにする」
その夜、さくらは相原に電話し、たかじんがKをクビにする意向だと伝えた。そして皆さんにも伝えてほしいと。
そしてたかじんが大阪に戻った12月13日、たかじんはKとマンションで話をする。
復帰出来るかどうかわからないから会社をたたむので、お前も辞めろとたんじんが言ったが、Kマネは最後までやらせてほしいと言って、解雇話はうやむやになった。問い詰めるさくらにたかじんは「解雇通知は作ってある」と言った。

病状の悪化に並行して、Kマネの暗部が書かれている。これまでも悪役、或いは間の抜けた人物描写が続いていたが、お金の話し、女性の話しとより辛辣な出来事の描写だ。
たかじん死去後の遺産等をめぐるトラブルは激しいが、特にKマネは、たかじんから後を一任されたP、I、Sの権利にまつわるトラブルに関しては当事者だ。週刊誌等によると、莫大な収入が見込めるたかじん死後ビジネスの権利を、さくらは自分が代表を務める「オフイス・タカジン」へ勝手に移動したとされている。
遺産も権利も一人占めしたい欲望むき出しの「銭メスさくら」にとって、たかじんマネーの流れと秘密を知っているKマネが邪魔者なのは容易に想像が付く。Kマネは真っすぐな性格だと古くからの知人が語っている。これは自分の想像だが、さくらはある時から「Kマネの懐柔」に失敗したのではないか。純愛でKマネの世間からの評価を貶めることを図った理由がここに有るのだと思う。

今のところKマネは黙して語らないので真偽は不明だが、Kマネは三人の子供を抱えているが、P、I、Sを退職金もなく退社したようだ。多少の優柔不断さと一本気ゆえの世渡り下手が有ったかも知れないが、近々、元弟子の打越氏やたかじんと長年の友達のA氏がさくらから訴えられた裁判が始まると、Kの証言がポイントになると見られており、純愛に書かれたKが真実なのか虚偽なのか判明するだろう。

結婚リークの件も、Kマネが疑わしいとたかじんが思っているような書き方になっている。しかしKがこのタイミングでリークして何のメリットが有るのだろうか。結婚の事実を世間に認知させるメリットは、遺産とたかじん利権に群がるさくらとテレビ業界関係者が受けるだけたろう。案の定、さくらとこのグループは冠番組を継続させWINWINの関係を築いている。

★突然の結婚報道

この間の12月6日、芸能レポーターの井上公造からさくらにメールが入り、「今日のスポーツ新聞にたかじんの結婚報道が出る」とのことだった。さくらがスポーツ新聞を買いに行くと「スポニチ」に記事が出ていた。さらにテレビ関係者からも記事を見たが、と電話が入った。入籍を報せたのは、松本哲郎、相原、久保田医師、そしてKだけだった。たかじんはリークしたのは「あいつしかおらんやろう」と言った。

▼たかじん結婚を報じたスポニチ記事
体調不良のため長期療養中の歌手でタレント、やしきたかじん(64)が今秋、交際中だった一般女性Aさん(32)と婚姻届を提出していたことが5日、分かった。たかじんは3度目の結婚となる。32歳年下のAさんは、初期の食道がん手術から1度は復帰を果たしたものの、再び長期療養中のたかじんを献身的に支え続けてきた女性で、ごく親しい関係者にはすでに結婚を報告している。
来春の復帰に向け、長期療養中のたかじんが「男のけじめ」として3度目の結婚に踏み切った。お相手は32歳の長身美女で、関係者によると2人の交際は3年近くに及ぶという。
すでに、たかじんは親しい友人やテレビ局関係者にAさんを紹介。あるテレビ局関係者は「1度目の復帰の前に紹介を受けた」とし、別の関係者によると、現在ではAさんが実質、対外的な窓口になっていることもあるという。
2度の離婚で再々婚には消極的だと伝えられていたたかじんだが、長い療養生活を支えてくれるAさんと名実ともに、二人三脚で来春の芸能活動復帰を目指すことを選んだようだ。
(スポニチ 2013年12月6日

札幌での入籍

★すまいる歯科、

10月10日、たかじんはインプラントと虫歯の治療のため、札幌のマンションから近いすまいる歯科を訪ねる。
さくらはたかじんの治療中に、10月3日に大阪で用意した戸籍謄本等を持って札幌市役所へ行く。「婚姻届」を提出するためである。婚姻届は旅先でも受付するが本籍地への確認を行うので待たされるケースが多い。待っている間、さくらはたかじんにメールを送った。


【引用: 純愛 328P】
「ドキドキ・・・・・。ハニーが頑張っているから、こちらもうまく行きますように。これからは夫婦として、どうかよろしくお願いします。今までと変わらず、仲良くしで、力を合わせて頑張っていこうね」  (原文ママ)
(中略)
確認に時間がかかりそうだったので、さくらは「受理されたら、ご連絡ください」と言い残して、歯科医院に戻ることにした。
タクシーで医院に戻る途中、市役所から電話があった。
「ご入籍できました。本日よりご夫婦となられました。おめでとうございます」


マンションに戻るとたかじんは、「結婚式はハワイでやろう、この前パーティーに来てくれたメンバーを呼ぶ」と言い、2014年1月8日発のハワイ行きチケットを予約した。
芸能レポーター井上公造によるとハワイにはたかじんが愛飲するワイン"オーパス・ワン"が箱入りで送られていたとのことだ。ハワイ在住の友人も連絡は受けていたとのこと。結婚式が目的と話している人はいないが、ハワイ滞在を計画する気力はあったようだ。


【引用: 純愛 330P】
彼は「そばに来て」と言った。添い寝すると、彼はさくらの胸に顔をうずめた。そしてそのまますやすやと眠った。
実はこの日に至ってもまだたかじんとさくらは一度も肉体的に結ばれていない。この夜はいわゆる新婚初夜だったが、ただ抱き合って眠った。


★婚姻届

通常、届出受理がうまくいくかどうか「ドキドキ」する必要はない、これは審査ではなく受付なのだから書類に不備が無ければ受理される。ドキドキは現実的な何を起因とするものなのか。
婚姻届には保証人が二名必要だ。一名はボーイズの相原がなっていると(323P)書かれているが、もう一名は明らかになっていない。純愛の中では関わった人物が詳細に記されているのに、ここは触れられていないのは何故だろう。まさかだが、二名必要なことをさくらと百田尚樹は知らなかったのか、いや、ノンフイクショ小説の中で提出したと言っているのだからそれはないと思うが。
ちなみに札幌市役所では婚姻届の受付業務をしていない。提出するなら札幌市内の区役所がその窓口である。すまいる歯科からだと札幌市役所は徒歩でも可能な距離、一番近い区役所だと中央区役所になりタクシーで10分程度の距離だ。
百田尚樹は純愛執筆に際し、さくらを伴って札幌へ取材旅行に行っており、この時の写真がすまいる歯科に掲示されている。綿密な取材をしていると思うのだが不思議だ。

たかじんが10月10日の入籍を選んだ理由として、以前は8月8日に結婚式を挙げようと言っていたが、その8に二人の2を足すと10になるとの理屈と書かれている。取ってつけたような屁理屈で余計な疑心が増す記述だ。

★FBアカウント

入籍絡みでもう一つ不思議なことがある。たかじん死亡の2日前の2014年1月1日に家鋪さくら名でFACEBOOKのアカウント登録がされたのだ。
さくらは以前よりSakura  S. Moritaでアカウントを持っていた。これはイタリア夫の(だった?)イヴンも知っているアカウントなので残すのは当然としても、この日に晴れて家鋪さくらになれたのなら、この日の前後にアカウント登録がされていいだろう。

ネット上の"可愛い奥様"達が発見したのだが"憶測"を呼ぶ一因となっている。
1月1日は純愛によると、たかじんが下顎呼吸が始り一刻を争う重篤状態の時である。
・そんな時に入籍後名で新アカウントを造る必然性があるのだろうか。
・直前に行われた遺言書作成と繋がる事情があるのだろうか。
・次の日までに相原康司・山田晃等テレビ関係者数人と友達になっているが、何らかのサイン伝達を意味するものではないか。 

▼屋鋪さくらアカウント登録直後のFB友
Akira Yamada(山田 晃)09時34分 
Mariko Miura(三浦 真理子)09時38分
Yoshinobu Hioki(日置 圭信)10時38分
Makoto Sunano(砂野 信)10時42分
Kengo Nakazawa (中澤 健吾)11時38分
Fukuo Umeda(梅田 福夫)11時45分
Kanji Yamamoto(山元 貫司)12時49分
Seiji Ukawa(鵜川 誠二)14時28分

その後タイムラインの中で、喪に服す身としての一般的な感情とはかけ離れた書込みが発見され、ネット上で批判的な声があがった。
 ・森田さくら名アカウント 
 https://www.facebook.com/Sakura.Y.Morita?fref=ts
 ・家鋪さくら名アカウント 
 https://www.facebook.com/yashiki.sakura
現在はブロックされているので友達以外は詳細を見ることが出来ない。

★百田尚樹とさくらが札幌取材で立ち寄ったすまいる歯科に掲示されている写真
スマイル歯科








相も変わらず肉体関係はないと記述している。何度出て来るのか、もう厭きた。百田尚樹も作家なら、入籍日のこの日くらいは、濃厚なセックスシーンの一つも書いて置くと良かったのにと思う。どのみち後日、さくらを天使と言うにはおぞましい多くの事実が判明するのだから。

最後のバースデー

★順子

10月1日、たかじんの体重は58キロまで回復していた。

10月5日はたかじんの誕生日。たかじんはさくらが外出中に、持ち歌の「順子」をipadに吹き込んだとされている。たかじんは歌詞中の順子をさくらに変えて歌ったが、これは二人が初めて会ったサロン105でのクリスマスオフ会の時と同じだ。
バースデーパーティー会場の「サロン105」へ行くと、お揃いのピンクのポロシャツを着た人達が集まっていた。袖には「SAKUJIN」の文字があった。当初、たかじんは出かけるのを億劫がったが、さくらの説得で同意したとの記述がある。

【引用: 純愛326P】
サロンに集まっていたのは、 相原康司、、松山源一、三浦真理子(以上、ボーイズ) 山西敏之、相島良樹(以上、読売テレビ) 田中威至、徳岡敦郎(以上、テレビ大阪) 竹本潔観、古市忠嗣、中澤健吾、木村弥寿彦(以上、関西テレビ) 長谷川豊、日置圭信(以上、レジスタエックスワン) 吉田真規子(スタイリスト) 遥洋子(タレント) 山田晃 (TVTVTV) 山元貫司、植田清子(サロン105) Kの19名だった。


その後もさくらを褒めそやす面々だ。Kマネだけは「K」と書かれ「マネ」の称号もなく、いじめっ子が書いた作文のようて可笑しくなる。後日、この時撮った写真をフレームに入れ、たかじんがサインして18人に送ったとあるが1名分不足している。Kマネだけが疎外されたと思われるがどれだけ嫌っているのか。

★誕生日の朝写したとされる2ショットフォト
ケーキ2













★同日、サロン105のバースデーパーティー
xmas3








★下の画像を見た第一印象はたかじんの目力がないこと、相当な衰弱だったのではないか。これなら外出を躊躇したのも理解できる。
サプライズでパーティーを準備した相原、山西の狙い、集まったテレビ業界人達の狙い、たかじんを説得して連れ出したさくらの狙いは何だったのだろうか。
たかじんとさくらは5日後の10月10日に札幌で入籍することになる。

たかじん番組終了騒動

★Uの存在

8月26日、読売テレビの山西から電話があった。番組復帰を待ち続けると公表していいかとの確認だった。その後に山西が言った。

【引用: 純愛 315-317P】
「たかじんが番組を終わらせたがっているとUが言っているが本当か」という質問だった。それを聞いたたかじんは激怒して、「そんなことはない!」と否定した。
たかじんは電話を切ったあと、さくらに「Uの奴、余計なこと言いやがって」と怒った。
(中略)
その日(9.30)の夜彼が寝たあと、相原からさくらに電話があった。
「山西さんからUが言うてたこと聞きました。ひどいよなぁ。師匠が番組やめろなんて言うはずないもんなあ」
これからは番組の事は、Uさんじゃなくて、私に直接言ってください
「そうするよ。Uはもともと音楽界の人間で、ぼくらテレビのことはわからん。バラエティのスタッフを馬鹿にしてるようなところがあるんで、前から気分が悪かったんです」

さくらは「胸いっぱい」制作プロデューサーの日置に電話すると、「Uがたかじん番組のプロデューサークラスを集めて、「番組の看板を降ろせ、これはたかじんの意向だ」と言ったとのことだった。翌日、相原からその話を聞いたたかじんは激怒し、Kマネに「今後一切、Uは仕事に関わらせるな」と告げた。

9月18日、東京から札幌に向かう機中で、たかじんはUを辞めさせたかKに訊くがまだだった。たかじんが直接言うと告げると、Kは「ぼくから話す」と言った。


【引用: 純愛 321P】
さくらはKに言った。
「ハニーはKさんに、マネージャーとして期待しているんです。Uさんがいなくなってもやれるという気持ちをわかってください」
「基本的にはぼくが全部やってるんですけどね」
Kは不満そうな顔をした。それを聞いたたかじんは大きな声で言った。
「お前、車の運転以外、何もでけへんやないか」
Kはぶすっとして黙った。

★殉愛によると、山西から電話が入った前の週、Uがたかじんと会っている。たかじんは「胸いっぱいのパネルと、委員会の人形、あれは申し訳ない」「ああやってパネルでスタジオにいるのが悪くてなあ」と言った。自身が出演出来ず、パネルや人形が堂々と鎮座しているのが心苦しかったのだろう。
Uは、復帰の目がないなら、番組は終わらせた方がいい、番組があるとプレッシャーになる、本人は終わらせてほしいと思っているはず、とさくらに話している。さくらはUに対し、「たかじんのテレビに懸ける気持ちをわかっていない」となじる。
このやりとりが殉愛で書かれたということは、たかじんとUの間で、番組終了(又は冠外し)に関する何らかの意思表示が有ったと見て間違いないだろう。死期を悟ったたかじんが12月25日にKマネを呼び、冠番組を終わらせることを指示していることもその証明だ。
番組終了で一番困るのは、たかじんを取り巻くテレビ局や制作会社と、その神輿に乗るさくら達だからだ。事実、死後も冠番組を続行し、甘い蜜を吸ったのは彼らだ。さくらは相原に対し、番組のことは私に言ってくださいと宣告したが、真実はまだまだおぞましい"ハイエナ達の密談"だったことだろう。

(※Uと弟子の打越氏は別人)


減薬と免疫細胞療法

★減薬を決断

7月1日X病院での放射線治療(全36回)が終わり、一、二ケ月経過後の治療測定を待つことになった。医師からはその間の抗がん剤投与を勧められるが、さくらは抗がん剤治療は放射線治療と併用しないとほとんど意味がないので受けないとし「気休めみたいな治療はしたくない」とも記されている。
考えていたのは「免疫療法」への転換だった。

まずはアカシジアを何とかしたいと久保田医師とJR札幌病院の鶴間医師に、服用している薬のデータを送って相談すると「減薬すべき」との意見だった。一気になくす方法もあるが反動もあるため神経科の医師の診断を必要とする。


【引用: 純愛 300P】
JR病院の鶴間医師が「知り合いの神経科の先生を紹介してあげる」と言ったので、思い切って札幌に行ってみようかと考えた。七月に入って暑くなってきていたので、涼しい札幌に行けば気分転換にもなるかもしれない。
たかじんに提案すると喜んで賛成した。しかしさくらにはひとつ気がかりなことがあった。彼の精神状態には大きなムラがある。もし札幌行きの飛行機に乗っている最中に、最悪の精神状態になったらどうしょう。万が一、暴れだしたりしたら大変な事になる。自分一人で連れていくのは無理かもしれないと思った。
「ハニー、札幌にはKさんも一緒に来てもらう?」
「Kは嫌や。二人で行く」
さくらは自分一人でなんとかしようと思った。


7月8日、伊丹空港出発前にKから電話があり、一緒に行くことになった。飛行機に乗る前にたかじんに精神安定剤を飲ませたので彼はすぐに眠った。

7月9日、神経科診療所を訪ね、たかじんの症状を訴える。

【引用: 純愛 303P】
「薬の副作用なんか気にせずに、どんどん薬を増やせばいい」
さくらは一瞬耳を疑った。小太りの医師は構わずに続けた。
「今、辛いのが嫌か、副作用が嫌か、でしょう。どっちもなくす方法はない。じゃあどっちを取るかです。今、辛いのが嫌でしょう。だったら薬をバンバン飲んで、その辛さを消せばいいんです。副作用は仕方ない。そのうちに慣れます」
さくらの隣に座るたかじんは不快げな顔をしていた。
診療所を出てタクシーに乗った途端、たかじんは「あいつは頭がおかしい!」と吐き捨てるように言った。
(中略)
しかし、さくらは思い切った減薬に挑戦してみようと思った。
(中略)
生活に工夫をして睡眠薬と精神安定剤をできるだけ与えないようにすると、日を追うごとにたかじんの頭は政情に戻ってきた。抗がん剤の副作用が抜けてきたことにより、吐き気止めを使わなくなったのも大きかった。

急激な減薬は危険性を伴うと知っていながら、さくらの独断で行動に移したようだ。頭が正常に戻ったとあるが、文中にあるように抗がん剤副作用の低減がに起因するだろう。
ガン患者に迫られる決断の一つに、クオリティを取るか完治・延命を取るかが上げられる。腹膜播種が命取りとなったたかじんの場合、それが忍び寄っていたこの時期は、目先のクオリティより優先される手だてが有ったと悔やまれる。

7月23日、三田病院でPET検査を受ける。久保田医師からガンが縮小していると告げられる。
この日、採取した血液と以前に手術で摘出して保存していた食道ガンの細胞を、久保田が三重大学に送って入れた。いずれも樹状細胞ワクチンを作るために必要なものだった。

7月24日、神戸某クリニックで、「WTI」「Mac1」と呼ばれるワクチン治療を行った。

(後日、三重大学から細胞検体が見つからなかったと連絡が入る)

★X病院

X病院から抗がん剤治療続行を問われて断わったのはミスだと思う。理由を放射線治療と併用しないと効果がないとしているが、医師の言うように今回の放射線治療は1-2ケ月の経過観察をみないと効果測定が出来ない。その間、目に見えないガン細胞を叩く意味でも、抗がん剤治療が有効との説明を受けているはずだ。特に再発後の治療なのだから慎重を期すべきであった、

純愛では大阪のX病院と札幌の神経科診療所の医院名と医師名が伏せられている。電話で問い合わせしただけのところでさえ名が上げられているのにだ。これは何を意味しているのだろうか?
X病院はさくらが突発性難聴と診断された際に、たかじんとの同室入院を断られた病院で、その後さくらは治療を諦め左耳は永遠に難聴となったとされており、他にも対応等について不満を述べている。

もしかするとさくらが難聴を患ったのは事実でない可能性が有る。 事実でないため病院名・医師名明らかにしない選択をしたのではないのか?
匿名掲示板なので真偽は不明だが、さくらの高校時代を知るという人物から、当時から難聴だったとの書込みをがあったことを、ふと思い出した。
7月23日、放射線治療の一ヶ月健診を東京の三田病院で受けている。結果はガンが縮小していたのでX病院の治療は成功と言えるだろう。だが治療を受けたX病院での検査が本来だと思う。
さくらにとって都合がいい病院ではなかったのだろう。

★免疫療法の処方法

▼たかじんが受けた免疫療法の説明(Mrサンデー・殉愛特集)免疫療法1







代替として免疫療法のみの治療とは不可解な判断だ。
ここで触れておくと、「免疫療法」は第四の治療法として注目を集めているが、免疫療法による効果はまだ確立されていないと言っていい。まだ大学病院でも治験の段階であり、厚生労働省の保険適用となっていない。所定の効果が認められているのなら保険適用治療法の位置を得ているはずだ。

自身もガン発見時から免疫療法を実施しているクリニック数ヶ所で説明を受けた。各クリニックが公表しているデータによると、ステージが上がる程に効果測定値が極端に低く、ステージⅣの身に有効と思えないこと、組成された細胞が最終的にガン化する(特に樹状細胞)場合があるとの説明を受け断念した経緯がある。主治医から免疫療法施術はクリニック系が中心ですよね、と懐疑的に言われたことも、断念した理由の一つだった。

かつ、全てのクリニックで抗がん剤との併用を強要された。仮に効果が有ったとして、それが抗がん剤によるものなのか、免疫療法によるものなのか判別が付かないことを意味する。
抗がん剤治療は副作用で生活クオリティが維持できないリスクが伴い、純愛によるとたかじんも悩まされているが、免疫療法は副作用抑制効果も大きなセールスポイントとなっている。たかじんもその使い方をしたのなら理解できるが、免疫療法のみを選択したことで余命を縮めたと言っていいだろう。

結果的に9月から瀬田クリニックで免疫療法を受けた。しかし全クールを終える前に他界する。
「気休めみたいな治療法はしたくない」と言っていながら、選んだのは「気休め」そのものだったのだ。愚か者と言いたいところだ。
もしかすると、さくらは効果がないことを判っていて選択し、再発時久保田医師に「何もしないと半年の余命」と宣告された、その半年を狙ったのかも知れない。一応、何かをしたアリバイだけは残る。

▼(参考) がん免疫療法は奇跡の治療法か
http://apital.asahi.com/article/kiku/2013090300001.html

さくらの左耳難聴

★入院却下

6月24日、前日から耳鳴りとめまいがひどくX病院耳鼻科で受診すると「左耳突発性難聴」と診断された。治療は毎日24時間のステロイド点滴を急ぐ必要があると説明を受け、さくらはたかじんと二人で特別室へ入院したいと申し出るが却下される。耳鼻科病室なら可能だが一般病棟なのでプライバシーが保てない。

【引用: 純愛 297P】
さくらが困っていると、医師は「マネージャーに頼みなさい」ともう一度言った。
この日は月曜日だった。さくらはいったんマンションに戻り、午後、放射線治療のためにたかじんを連れて、再びX病院に向かった。車を運転するのはKだった。
たかじんが治療を受けているとき、さくらKに突発性難聴になったと診断書を見せた。
「あー、そうすか、大変ですね」
Kは何事でもないかのように言った。さくらは事情を説明して、自分が一週間入院する間、たかじんの看護をしてくれないだろうかと頼んでみた。しかしKの返事はそっけないものだった。
「ぼくには無理っすね、何とかならんすか」
さくらKに頼むのは無理だと諦めた。初めから期待はしていなかった。それに大切なハニーをKなんかには任せられない。
(中略)
「ハニー、さくらの耳が聞こえにくいの。治すために一週間入院したら困る?」
「嫌や」「一人で家にいるの嫌や」
「Kさんにお願いするのは?」
「嫌や!」
それを聞いて、さくらは決心した。
「わかった、ハ二―。耳は二つあるから、一つ聞こえなくなってもいい」
「うん。ぼくがさくらの耳にも目にもなる。ぼくが元気になって、さくらを守るから、そばにおって!」


さくらは薬の服用を止め、左耳は永遠に聞こえなくなった。

★Kマネに頼むフリをしたり、初めから任せられないと言ったり、さくらの考えはひと言で言うと「わけ、わからん」が、Kマネを貶める文脈のアヤと解釈しておこう。
たかじん弟子のシンガー佐々木清次さんが、Kマネの声をツイートしている。



★対処法は有った

ここで最も理に適った対処法を考えてみる。たかじんはX病院の特別室をリザーブしたままだったそうなので、彼はそこに入院し病院スタッフの看護が受ける。さくらは同じ病院の耳鼻科病室に入院し適切な治療を受け、点滴しながらたかじんの病室を訪れることも可能であるし、専門業者へ依頼する手も有る。男手であるKマネの自宅看護は最初から無理な話しなのだ。
たかじんが「さくらの耳・目となるから・・・そばにおって」の行があるが、こんな時こそテレビ局関係者達に入院を説得してもらうことも可能だっただろう。

★連続した出来事

さくらが「突発性難聴」と診断された翌日の6月25日、たかじんの個人オフィスP、I、Sの役員変更が行われている。たかじんの友達の松本哲郎とたかじん実母が退任し、Kマネとたかじんの長女が重任されている。
さらに、たかじん持分株式は、全50株のうちの12株となっていた。(引用:宝島・殉愛の真実 212P)
たかじん持株は多かったとの報道が有り、この時期に、大部分が長女持分へと譲渡、或いは生前贈与されたものと思われる。
役員変更登記がされたのは7月22日だが、この翌月、さくらは驚愕の主張を始める。週刊誌記事を引用しよう。

「食道がんを患う彼の看病を続けているうちに自身も乳がんとなり、大阪市内の病院で日帰り手術を受けた。お金を下さい」さくらさんがこう言いだしたというのだ。(女性自身)

余命宣告を告げられていたやしきさんに、さくらさんが「あなたのがんが感染して私も乳がんになったから、日帰り手術を受けてきます」と言ったという記事がすでに出ていますが、あれは本当の話。
このやり取りを病室で聞いた近しい人が「あの奥さん、アカンで」とやしきさんに忠告したのですが、これに本人も「病気がようなったら別れる」と答えており、やしきさんの奥さんに対する純愛も疑わしい。(週刊SPA)

言うまでもないが、ガンが感染することは有り得ない。宝島社・純愛の真実によると、特定されたその病院は、「当病院では開業以来、日帰りで乳がん摘出手術をしたことはありません」とコメントしている。

角岡伸彦著「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」に下記の記述が有る。
たかじんは2番目の妻に財産を全部譲るから最後を看取ってほしいと頼み、診断結果や治療内容を電話やメールでまめに伝えていた。2番目の妻は「財産はいらんよ、でも身の回りの世話をする人がおらんのやったら主人の承諾を得て、できるだけのことはするよ」とは言っていた。抗癌剤治療が始まる前はたかじんから「生きるためやから、我慢しないとね」と前向きなメールが送られてきていたが、その後、ぴたっと連絡が来なくなった。

一連の流れから推測して、たかじん死後の利権ビジネスと遺産に対する執着が見てとれる。さくらはたかじん持株のことは把握していなかったようだが、PIS社の役員就任が果たせなかった事は痛恨の出来事だったはずた。二番目の妻への思慕を知り嫉妬し、遺産を継げないと悔しがり、たかじんへの工作が始まったのだろう。

さくらの同級生と名乗る人物から2ch既婚女性板にあったタレコミ、「難聴は学生時代からだ」が真実であるなら、P、I、S役員構想が固まった頃に「難聴」を主張し、登記がなされた後、「乳がん感染」を狂言し、二番目の妻からの連絡が途絶えた。連絡が途絶えた理由は、たかじんの携帯に登録された前妻の電話番号が変更されていたのが原因だと思う。(※電話番号変更の詳細は殉愛の正体・直葬の日)

殉愛の真実によると、たかじんはさくらの「乳がん感染」に何らかの責任を感じていたと記されている。
余命半年を宣告された後の出来事であり、他の治療を断ち、免疫細胞療法に方針転向した時期とも被る。さくらが「利権」と「遺産」の獲得にギァアップした、たかじん最期の夏の出来事だ。

★慰謝料

後日、たかじんの金庫に入っていた1億8千万円がさくらのものだと主張するが、その根拠の一つに「難聴に対する慰謝料」がある。本人は治療を受ける体制をとれたにもかかわらず、多額の慰謝料を主張するのは無理があり、Kマネが原因であるやに引き合いに出すあざとさに嫌悪感が湧く。

百田尚樹が語った、たかじんがさくらにお金を残しておきたい理由
(週刊朝日)
・さくら氏がたかじん氏と出会う前経営していたイタリアのネイルサロン/の出店をとりやめた時の賠償費用
・看病中の突発性難聴で耳が聞こえなくなったことに対する慰謝料
・秘書契約のお金


アカシジア

★アカシジア

5月27日、X病院で放射線治療とと抗がん剤治療が始まった。4日間の抗がん剤治療を終えると退院し、放射線治療は通院で行うことになっている。
抗がん剤の副作用は吐き気が強烈で、口内炎、腹痛、発熱も伴い、栄養は静脈点滴で補った。退院した翌日にたかじんが強い吐き気を訴えたため病院へ行ったが、吐き気止めと睡眠薬を出してくれただけだったと不満をもらしている。
次第にたかじんは精神状態の異常をきたし、じっとしていられなくなったり、口からよだれを垂らすようになった。さくらがネットで調べると「アカシジア」じゃないかと思いX病院に質問すると、それを知らず、吐き気からくる辛さだと説明した。さくらが服用している薬を調べると、アカシジアが起きやすいと知りX病院の医師に訊くと、薬剤師が大丈夫と言っているとの返事だった。
さくらはX病院に不信感を持つようになる。薬の件、対応の件、たかじんが治療を受けている時にサインや写真撮影をせがまれること等を理由にあげている。


【引用: 純愛 292P】
「テレビが怖い」と言い出した。
「どうして観ないの?」
さくらが訊くと、彼は「申し訳ない気分になる」と答えた。
「それと、ぼくはもうここには帰られへんのやと思うと、辛い」
「また戻れるよ。必ず戻れる」
彼は首を振った。
「もう無理や、戻っても、喋られへん」


たかじんは抗がん剤の副作用でろれつが回らなくなっており、テレビ番組を観なくなった。
精神状態も完全におかしくなっており、さくらのワンピースをベッドに置いて添い寝したり、パジャマのまま浴槽に入ったりすることもあった。『それで買い物にも行けず、何度かはKマネに頼んだが、その度に嫌そうな顔をされた』
睡眠薬を飲んでも三時間くらいしか眠れないようになっていた。いつしか昼夜が逆転し、さくらは殆ど睡眠を取れなくなっていた。

★服用薬

この頃のたかじんは、吐き気止めとしてプリンぺラン、ナウゼリン、コントミン、精神安定剤としてジプレキサ、睡眠薬はセレネース、ロヒプノールを服用している。


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