2015年02月

たかじん本 付箋だらけの殉愛
たかじんの最期を書いたノンフィクション小説「殉愛」の信憑性は地に堕ちた。
次々と明かされるさくら未亡人・驚愕の正体とは・・・。

さくらの足跡・再発後~直葬

2013.5.10 (殉愛)
三田病院で若い医師から放射線治療の説明を受ける。さくらは医師の説明の仕方に不満を持つ。
[大阪-東京]


2013.5.13 (殉愛)
三田病院で一回目の放射線治療。その後さくらは一人で東大病院へ出向き、中川准教授に症状説明。中川は放射線治療で第一人者と言われている。


2013.5.14 (殉愛)
三田病院で放射線治療を受けた後、たかじん、Kマネ、さくらの三人で東大病院で中川准教授と会う。放射線治療計画を立てる約束をしてくれた。

2013.5.17 (殉愛)
大阪へ帰る途中、品川駅でFRIDAY記者に撮影され、翌週掲載された。
[東京-大阪]

2013.5.19 (殉愛)
伊丹から羽田に向かう機内で鶴瓶と会う。さくらは鶴瓶と電話番号を交換する。

2013.5 (殉愛)
中川准教授が監修した治療計画にのっとり、三田病院で放射線治療を受ける。
調べると180度回転させながら放射線を当てる新型機器の方がいいことが解る。

2013.5.23 (殉愛)
さくらは新型機器を持つ大阪成人病センター西山副院長と電話で話す。「明日、来てください」と言わる。

2013.5.24 (殉愛)
三田病院で放射線治療を受けた後大阪へ向かい、成人病センターで西山副院長と会う。プライバシーが守れない事がわかり、西山が同じ機器を持つX病院を紹介してくれ、西山が同行して治療計画を立ててくれた。
[東京-大阪]

2013.5.27 (殉愛)
大阪X病院へ入院。ポイント照射と同時に、4日連続の抗がん剤投与を行う事になった。
朝、この日が誕生日のさくらにたかじんがメモを渡した。「何万語、何億語・・・To Sakura Love」と書かれたものだ。
(※詳細は殉愛の正体で・放射線治療をめぐる転院)

2013.6.1 (殉愛)
X病院を退院、通院で放射線治療を受けることにした。

2013.6.2 (殉愛)
たかじんが吐き気を訴え、X病院へ行く。一時間放っておかれたと不満。
たかじんの精神異常が始まり、アカシジアかと疑う。

2013.6.23 (殉愛)
さくら耳鳴りが始まる。

2013.6.24 (殉愛)
さくらはX病院で「左耳の突発性難聴」と診断され、入院を勧められる。医師にたかじんが借りていた特別室へ二人で入院することを申し出るが却下される。
(※詳細は殉愛の正体で・さくらの難聴)

2013.6.25 PIS(登記簿)
P、I、S役員変更。松本哲郎、たかじん母退任、たかじん長女、Kマネ重任。

2013.6.26 (殉愛)
さくらはX病院で、難聴の治療薬一週間分の処方を受ける。

2013.7.1 (殉愛)
X病院での全36回の放射線治療を終える。
さくらが目眩で倒れ、額から出血し意識を失う。
さくらは「免疫療法」をやると決めていた。

2013.7.8 (殉愛)
JR札幌病院鶴間医師が「知り合いの神経科医師を紹介する」と言ったので札幌へ向かう。
[大阪-札幌]

2013.7.9 (殉愛)
たかじんが夜中に吐いたため、AM5時にJR札幌病院で緊急受診、吐き気止め薬を注射される。
昼過ぎにJR札幌病院鶴間医師が往診、採血と点滴を行う。
午後、神経科診療所で減薬の相談をするが、「薬はどんどん増やせばいい。副作用は仕方がない、そのうちに慣れます」と言われる。
さくらは思い切った減薬を決心し、翌日から始める。
(※詳細は殉愛の正体で・減薬と免疫細胞療法)

2013.7.23 (殉愛)
三田病院で放射線治療の一ヶ月検診を受けるため、東京へ。(何故かX病院ではない)
[札幌-東京]

2013.7.24 (殉愛)
三田病院でPET検査を受け、ガンが縮小していると言われた。
樹状細胞ワクチンを作るため、食道ガン細胞と採取した血液を三重大学へ送る。
夜、大阪へ向かう。
[東京-大阪]

2013.夏 (殉愛の真実)
久保田医師が余命半年であることをさくらに伝える。
さくらはKマネ、U、たかじん親族等に報告せず。

(※テレビ局、制作会社へは話した可能性大と思われる)

2013.7.25 (殉愛)
ワクチン治療適合検査の為、神戸のクリニックで採血。

2013.8.1 (殉愛)
神戸のクリニックから、細胞は適合すると連絡が入る。三重大学の検査結果を待つことにする。

2013.8 (女性自身)
「食道がんを患う彼の看病を続けているうちに自身も乳がんとなり、大阪市内の病院で日帰り手術を受けた。お金を下さい」さくらさんがこう言いだしたというのだ。


2013.8 (SPA)
余命宣告を告げられていたやしきさんに、さくらさんが「あなたのがんが感染して私も乳がんになったから、日帰り手術を受けてきま」と言ったという記事がすでに出ていますが、あれは本当の話。
このやり取りを病室で聞いた近しい人が「あの奥さん、アカンで」とやしきさんに忠告したのですが、これに本人も「病気がようなったら別れる」と答えており、やしきさんの奥さんに対する純愛も疑わしい

2013.8 (殉愛の真実)
たかじんは責任を感じて結婚を決意。・・・たかじんさんは「本意ではないが、仕方ない」と漏らしていたんです


2013.8.5 (殉愛)
札幌へ移動。たかじんは「大阪にいるとストレスになる」と言う。
[大阪-札幌]

2013.8.8 (殉愛)
東大附属病院免疫細胞治療学准教授の垣見から連絡が入る。「東大の研究施設と民間の共同で検査してみましょう」と告げた。
次の日、久保田医師が食道ガンの細胞を研究施設に送った。

2013.8.13 (殉愛)
三重大学から、細胞検体から「MAGE-A4」「NY-ESO-1」が見つからなかったとの連絡が入る。

2013.8.19 (殉愛)
たかじんが左の脇下が痛いと言い出し、JR札幌病院で受診するが異常はなかった。
東大垣見医師から電話が入り、「ワクチンを作るために必要なHLAの型が適合した」と告げた。

2013.8.22 (殉愛)
垣見から連絡が有り、「東大は時間がかかる、瀬田クリニックなら速い」と告げられ、瀬田クリニックを選択する。

2013.8.26 (殉愛)
たかじんは試験管3本分の採血をし、東大ラボに送る。脇下の痛みを継続的に訴える。
読売テレビ山西から電話が入り、「たかじんさんが番組を終わらせたがっていると、Uさんが言っているが本当か」と話し、たかじんは、「そんなことはない」と言った。Kマネに、「Uを辞めさせろ」と告げた。
(※詳細は殉愛の正体で・たかじん番組終了騒動)

2013.8.29 (殉愛)
前日のCT検査の結果、左脇下のしこりはガンの可能性も考えられると言われる。
相原からUの件で電話が入る。さくらは、今後仕事のことは私に言って下さいと告げた。

2013.8 (週刊朝日)
前妻はすでに再婚していた、それでも「僕が死ぬまでだけでも一緒にいてくれ。今の夫と籍抜いてくれ。財産はお前に全部やりたい」と説得していた。
私もたかじんさんに「あいつしか看取ってくれる人はおらん。なんとかしてくれ」と説得を頼まれた。13年8月頃までそういう連絡があった。(たかじん親族)

 
2013.9.2 (殉愛)
JR札幌病院でしこりの摘出手術を受けた。組織を冷凍し、待機していた瀬田クリニックスタッフが至急持ち帰った。

2013.9.4 (殉愛)
東大病院垣見医師から電話があり、しこりは転移したガンだったと告げられ、「その細胞からワクチンが作られ、自分のガン細胞から作られたワクチンは最強だ」と言われる。10日、再度連絡があり、6回分のワクチンが作れると言われる。

2013.9.13 (殉愛)
山西と相原が札幌へ来た。たかじんはさくらが作ったスケッチブックのパネルを使い、これまでの闘病記を説明した。

2013.9.17 (殉愛)
瀬田クリニック東京で、アルファベータT細胞療法を受ける。
[札幌-東京]

2013.9.18 (殉愛)
札幌へ戻る機中でたかじんがKマネに言った。「Uを辞めさせたんか?」 Kマネは「僕の方から言います」と答えた。
[東京-札幌]

2013.9.25 (殉愛)
胸いっぱいのスタッフ、中澤、日置、木村が札幌へ来た。

2013.10.1 (殉愛)
体重が58キロまで回復。たかじんが10月10日に入籍しようと言った。

2013.10.3 (殉愛)
戸籍謄本を揃えるために大阪に戻る。相原に婚姻届保証人を依頼。
[札幌-大阪]

2013.10.5 (殉愛)
たかじんがアカペラで「順子」をiPADに吹き込む。
サロン105でたかじん最後となるバースデイパーティを開く。さくらと相原、山西が内緒で企画したもので、テレビ関係者等が19人参加した。揃いのシャツが用意され、
(※詳細は殉愛の正体で・最期のバースデイ)

2013.10.7 (殉愛)
瀬田クリニック東京で「アフェレーシス」を受ける。
[大阪-東京]

2013.10.8 (殉愛)
札幌へ戻る。誕生会の写真を参加者に発送する。
[東京-札幌]

2013.10.10 (殉愛)
たかじんがすまいる歯科で治療を受ける。さくらは札幌市役所へ行き、婚姻届を提出。
たかじんは明年1月8日のハワイ行きのチケットを予約した。二人はただ抱き合って眠った。
(※詳細は殉愛の正体で・札幌での入籍)

2013 (女性自身)
周囲には「さくらとの結婚は本意ではない。最期は2番目の妻に看取ってほしいし、遺産も受け取ってほしい」と漏らしていた。

2013.10.21 (殉愛)
東京へ向かい、たかじんへの結婚記念プレゼントに、渋谷ヨシダ時計店でHUBLOTの時計を購入、シリアルナンバーが8だった。
880万円だったが、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した。
[札幌-東京]

2013.10.22 (殉愛)
瀬田クリニック東京で樹状細胞ワクチン療法を受ける。その後大阪へ向かう。
その後、たびたび腹痛を起こす。
[東京-大阪]

2013.10.29 (殉愛)
東京へ向かう。機内で井関猛親とばったり会う。
久保田医師が転院した聖路加国際病院へ行き、診察を受ける。ストレスからくる過敏性腸炎かも知れないとの診断。
[大阪-東京]

2013.10.31 (殉愛)
大阪に戻り、Kマネに入籍を報告し記念のマグカップを渡す。
たかじん「お前にとったら、さくらは社長の奥さんや。そやから気に入らんとか言わんと助けなあかんぞ」
[東京-大阪]

2013.11.8 (殉愛)
腹痛がおさまらず、大阪X病院でCT撮影、胃カメラ検査を受ける。ガンも大きくなっておらず、その他の異常も見つからす。体重は55キロまで落ちている。

2013.11.13 (殉愛)
胃の内容物が逆流、病院の検査では異常なしだった。
瀬田クリニック大阪で樹状ワクチン治療を受ける。神垣医師から腸のためにステロイドを処方される。

2013.11.14 (殉愛)
相原とメッセンジャー黒田がマンションに来た。
相原は冠料の話しを持ち出し、多額の金がPISに振り込まれていると言い、帳簿を調べた方がいいと進言した。
(※詳細は殉愛の正体で・病状悪化とKのトラブル)


2013.11.24 (殉愛)
東京へ行き、聖路加国際病院で受診。多少の狭窄があったが、再発部分に異常はなかった。
[大阪-東京]

2013.11.25 (殉愛)
聖路加国際病院で食道を拡げる施術。
食事を殆ど摂れず、薬も飲めないのですりつぶして服用。

2013.11.26 (殉愛)
聖路加国際病院でプジ―処置と点滴。高カロリー栄養液を処方される。
胃カメラ、腫瘍マーカーに異常なし。

2013.11.27 (殉愛)
悪寒が始まる。食事も喉を通らない。聖路加国際病院でプジ―処置をしたが効果がない。久保田はステント留置を提案した。

2013.11.28 (殉愛)
ステント留置手術を受ける。

2013.11.29 (殉愛)
たかじんのi-padに、男女のあられもない画像が送られてきた。差出人はKマネだった。

2013.12.1 (殉愛)
聖路加国際病院を退院、たかじんはKマネの「解任通知書」作成を知人に依頼。

2013.12.2 (殉愛)
三田病院で栄養点滴。

2013.12.6 (殉愛)
井上公造からさくらにメールが入った。「今日のスポーツ紙に、たかじんさんの結婚報道が出る、日付だけでも教えてほしい」との内容。たかじんは「余計な事は書くな」とだけ指示した。
三田病院で点滴、聖路加国際病院でステントの確認を行った。

2013.12.9 (殉愛)
たかじんに大阪の女からメールが入った。゜「もう結婚しているから、メールは送らないでほしい」と返事し、着信拒否にした。

2013.12.10 (殉愛)
瀬田クリニック東京でワクチン治療を受ける。

2013.12.13 (殉愛)
大阪に戻る。Kマネが駅まで迎えに来た。
たかじんはKマネに、「会社をたたむ、お前もやめろ」と言ったとさくらに言う。さくらは「解雇しなかったのか」と訊くが、たかじんは言葉を濁した。
[東京-大阪]

2013.12.15 (殉愛)
たかじん、尿道の痛みを訴える。久保田医師の指示で抗生物質を投与。痛みが引かず、腹も張っている。X病院へ電話すると、明朝9時に熱が37.5度以上の熱があれば抗生物質が効いていないことになる、と言われる。

2013.12.16 (殉愛)
Iクリニックの看護師が来て点滴。玄関のチャイムを鳴らして逃げていく女性がいた。

2013.12.18 (殉愛)
瀬田クリニック大阪で6回目のワクチン治療。チャイムを鳴らして逃げる女性が現れる。

2013.12.19 (殉愛)
熱が下がらないので久保田医師に電話すると、炎症反応を調べるように言われる。Iクリニックの看護師が来て採血。結果は後日となる。
さくらは東京へ行くことを打診、たかじんが応じる。

2013.12 (週刊朝日)
年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており、これはきちんと調べたほうがいいということになり、12月22日、たかじんさんは東京の先生の病院へ行かれました」 (友人の伊東クリニック院長・伊東医師)


2013.12.22 (殉愛)
たかじんの左脇下にしこりを発見。ガスが出ずお腹が張る、熱も高い等の症状があり、久保田医師に連絡すると明日検査しようと言った。

2013.12.23 (殉愛)
東京へ行き、聖路加国際病院で検査を受ける。結果は「腹膜播種」だった。たかじんがベッドで点滴をしているとき、久保田医師はさくらを診察室に呼び告げた、「あと、一、二ヶ月でしょう」
マンションに戻るとたかじんはタバコを吸った、「味もわからん」
(※詳細は殉愛の正体で・絶望の腹膜播種)
[大阪-東京]

2013.12.23 (メモ記入日付)
桃山学園温井校長宛ての「温井メモ」を書いたとされる日


2013.12.25 (殉愛)
エンディングノートを書く。夜、Kマネが来て、たかじんと二人で打ち合わせをする。
(※詳細は殉愛の正体で・エンディングノート)

2013.12.26 (殉愛)
聖路加国際病院入院、皇室も使う特別室だった。
(※詳細は殉愛の正体で・最期の入院 知らされない長女)

2013.12.27 (殉愛)
昼間は麻薬で殆ど寝ていた。たかじんは「親族には知らせるな」と言ったとされている。

2013.12.28 (殉愛)
久保田医師「林さんは、よく頑張っています」と言った。
さくらはテイフアニーの指輪と喪服を買いに行く。

2013.12.29 (殉愛)
Y弁護士が来て、たかじんと遺言書の打ち合わせをする。
Y弁護士、たかじん金庫内の現金2億8000万円確認。
さくらが1000万円持参するよう依頼。

2013.12.30 (殉愛)
朝、久保田医師が来て麻薬を投与。その後「やしきたかじんの意識はしっかりしており、正常な判断力を持っている」と証明書を書く。
午後、Y弁護士と二人の立会人が来て「危急時遺言」を作成。
さくら、Y弁護士から1000万円受取る。
(※詳細は殉愛の正体で・遺言書作成
)

2013.12.31 (殉愛)
たかじん、下顎呼吸始まる、酸素マスク装着。
久保田医師は正月のスキー旅行をキャンセルした。

2013.12.31 (たかじん胸いっぱい2014.1.11放送)
北野誠が未亡人から聞いた話として、「たかじんがNHK紅白歌合戦を見て"綾瀬はるか、これどやねん?"とつっこんでいた」と番組内でコメント。

2013.12.31 (さくら証言・フライデー)
Y弁護士に依頼した1.000万円を受け取る際、受領サインを求められたことをたかじんに話すと、最後の力を振り絞メモに「現金さくら」と書いてれた。


2014.1.1 (殉愛)
たかじん、さくらに指輪を渡す。
家鋪さくら名でFacebook開設、相原・山田等のテレビ関係者と友達となる。

2014.1.2 (殉愛)
さくら「ねんねしようか」、たかじん「アイラブユー」
さくらはたかじんに睡眠薬を投与。

2014.1.3 (殉愛)
久保田医師が確認、1時34分、たかじん永眠。
この日、たかじんマンションを訪れたのは、松本哲郎、Y弁護士、Kマネ、Uの四人。
(※詳細は殉愛の正体で・揉めた葬儀の段取り)

2014.1.3 (週刊文春)
たかじん長女に連絡しないと言うさくらと、そんな訳にいかないと言うKマネが激しく口論となり、さくらは娘への連絡を渋々了承した。


2014.1.4 (殉愛)
たかじん長女がマンションで、遺体となったたかじんと会う。
(※詳細は殉愛の正体で・長女とさくら初対面の日)

2014.1.4 (女性自身)
たかじんの携帯に登録されている前妻の電話番号が変わっていたことが判明、090が080になっていた。
さくらさんが彼の携帯から彼女に訃報を知らせてきたとき、「登録していた電話番号が変わっていて連絡できませんでした」と言った。

2014.1.5 (殉愛)
たかじん直葬の日、参列者は、長女夫妻、前妻、Y弁護士、松本哲郎、さくら。
(※詳細は殉愛の正体で・直葬の日)

2014.1.7 (女性自身)
実母が息子の訃報に接したのは死から4日後。
「何で言ってくれんかったんや……」と泣き暮らしていたという。

2014.1.8 (伊夫・イヴンtwitter)
mercenary [...] - any person who works solely for money
Essentially a bitch..................
【銭ゲバ】-金でどうにでもなる人。中身は売女…ピッチ.

さくらの足跡・発病~再休養

2012.1.2 (殉愛)
たかじんマンションへ行く。お節料理と鯛の尾頭付きが用意されていた。鯛の目を見て「怖い」と言う。

2012.1.3 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫・イヴン、イタリアへ帰国。
※The Gaijin is back to Italy


2012.1.3 (殉愛)
たかじんのマンションへ行くと、友達が7人いた。酔いつぶれたたかじんの枕元に「二日酔いの薬」を置いて帰る。

2012.1.4 (殉愛)
お粥を買って夜9時にマンションへ行く。

2012.1.5 (殉愛)
足裏マッサージをする。マッサージ用オイルはあらかじめ持参していた。

2012.1.6 (殉愛)
足裏マッサージをして帰る。

2012.1.9 (殉愛)
たかじんがお好み焼きを作ってくれた。足裏マッサージをして帰る。

2012.1.11 (殉愛)
たかじんから「イタリアから日本に帰って来てくれへんか」と言われる。さくらは「イタリアと日本に暮らしながら結婚生活をするのも可能じゃないですか?」と答える。
たかじん「向かいのマンションに暮らすねん、あるいは、同じマンションの上と下とか」と言った。
足裏マッサージをして帰った。

2012.1.13 (殉愛)
たかじんのマンションで、300万円渡される。

2012.1.14 (殉愛)
さくら、イタリア行きのチケットの搭乗日変更をした。マンションを貸してくれている伯父に、「2月3日まで日本にいる」と連絡した。

2012.1.15 (殉愛)
たかじんは山王病院で人間ドックを受けるため、Kマネと東京へ向かう。
[大阪-東京]

2012.1.16 (殉愛)
たかじん「食道ガン」が見つかる。さくらはイタリア行きのチケットを縦に引き裂く。

2012.1.17 (殉愛)
帰阪したたかじんを新大阪駅まで迎えに行く。たかじんはKマネに、「さくらをマネージャーにするから、名刺を作れ」と言った。
[東京-大阪]

2012.1.18 (殉愛)
さくらは伯父から頼まれた通訳の仕事があって、たかじんのマンションに行けなかった。
父と兄に、イタリアには帰らないことにした、と伝える。

2012.1.19-20 (殉愛)
住民票や健康保険証等の必要な書類を揃えるために、役所を回る。
イタリアのネイルサロンはスタッフに電話して店をたたんだ。下宿先のママに暫く帰れないので、さーちやんの面倒を見てほしいと頼む。

2012.1.21 (殉愛)
たかじんと京都へ行く。こずこん、アクアマリン、ラボー。朝4時にマンションへ帰り、さくらはベット脇で眠った。初めて泊まった日となった。

2012.1.22 (殉愛)
たかじんは、ガンのことは家族には知らせないと言った。「娘にだけは知らせようと、大事な話があると電話したら、忙しいから行かれへんと言いよった。薄情な娘や」
足裏マッサージをして帰った。

2012.1.22(伊夫・イヴンtwitter)
長い間、妻と会話が無い。
奥さんと2日間しゃべってない、これまでで最長期間だ


2012.1.24 (殉愛)
ガンは悪性だったことが判明。

2012.1.25 (殉愛)
さくらにたかじんのマンションの鍵を渡す。

2012.1.26 (殉愛)
たかじんの番組収録見学の為、さくらが読売テレビに行く。その前に髪を短く切った。

2012.1.30 (殉愛)
医師説明を受けるため、東京三田病院へ行く。さくらとUがたかじんに同行した。診断はステージⅢだった。
たかじんは購入した東京のマンションの決済をする。
(※詳細は殉愛の正体・ステージⅢ)

[大阪-東京]

2012.1.31 (殉愛)
夜、たかじん休養が公表される。

2012.2.1 (殉愛)
たかじんに娘からメールが来た。「なんや食道ガンかいな、自業自得やな」

2012.2.1 (週刊朝日)
Hさんの携帯の記録によれば、この時にたかじん氏に送ったメールの文面は以下の通りだという。
「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。 ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」


2012.2.5 (殉愛)
三田病院に検査入院。久保田医師から抗がん剤治療をすすめられる。

2012.2.7
一旦、大阪に帰る。
[東京-大阪]

2012.2.12 (殉愛)
三田病院へ入院。さくらは東京のマンションに住む。抗がん剤治療は13日-17日まで。
[大阪-東京]

2012.2.23 (殉愛)
三田病院退院。東京のマンションで過ごす。

2012.2.26 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]

2012.2.28 (殉愛)
京都の酵素風呂に数日間通う。

2012.3.1(fridayさくら手記)
2012年3月1日にイタリア人の夫との離婚届が受理され、正式に離婚が成立しました。


2012.3.5 (殉愛)
東京三田病院へ検査入院、二回目の抗がん剤投与。
[大阪-東京]

2012.3.11 (殉愛)
このころから、たかじんが胸の痛みを訴える。さくら病院に泊まり込む。

2012.3.11 (都会っ子ブログ)
帰国予定日前に、父にガンが見つかった。
※当初帰国予定は1月下旬。

2012.3.14 (殉愛)
手術日が4月9日に決まる。退院し大阪に戻る。
[東京-大阪]

2012.3.15 (伊夫・イヴンtwitter)
伊夫、75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかなとつぶやく。

2012.3.20 (殉愛)
さくらの父から、「前立腺ガンが見つかった」と連絡が入る。

2012.3.24 (殉愛)
伯父から借りていたマンションから、たかじん自宅真向いのマンションに引っ越す。
派手な女とエレベーター前ですれ違い、「私、今、じんちゃんとやってきてん」と言われる。さくらは足裏マッサージをして帰った。
(※詳細は殉愛の正体・今、やってきてん)

2012.4.1 (殉愛)
東京へ行き三田病院で検査を受け、緊急入院する。カロリー輸血を行う。
[大阪-東京]

2012.4.9 (殉愛)
食道ガンの手術を行う。
(※詳細は殉愛の正体・手術の日)

2012.4.10 (殉愛)
痛み止めの麻薬で幻覚が起きる。

2012.4.11 (殉愛)
夜間譫妄も起き、ICUシンドロームの可能性があると診断される。
(※詳細は殉愛の正体・ICUシンドローム)

2012.4.15 (殉愛)
ICUから病室へ移る。

2012.4.19 (殉愛)
縫合不全と診断され、すぐに手術が行われる。手術中にさくらの妹から電話があり、父の手術日が4月23日に決まったと伝えられる。さくらは父に電話し、立ち会えないと伝える。
夜、たかじんが暴れ出したので、医師たちは縛るしかないと言ったが、さくらは私が見ますと言い、縛るのを辞めさせた。さくらはICUに泊まり込むことになった。
(※詳細は殉愛の正体・縫合不全再手術)

2012.4.22 (殉愛)
病院のプジ―購入資金提供を申し出るため、さくらは伯父に電話し一億円の借金を申し込む。二日後、小切手が届く。
(※詳細は殉愛の正体・プジ―)

2012.4.24 (殉愛)
さくらは一億円の小切手を見せ金に、三田病院にプジ―機器購入を迫る。病院側はお金は受け取れないと断る。

2012.5.1 (殉愛)
たかじん、プジ―治療を始める。
(※プジ―は三田病院が自己資金で購入)

2012.5.9 (殉愛)
病室へヘアーメイクアーチストの和野陽介を呼び、たかじんの髪を切ってもらう。
たかじんは、麻薬と睡眠薬の副作用で、手先が震え声が出にくくなっていた。

2012.5.25(殉愛)
さくらが異形狭心症と診断される。
東京マンダリンホテルで伯父と会い、一億円の小切手を返す。伯父は五千万円入りのバッグをさくらに渡し、「困った時に使え」と言った。

2012.6.5 (殉愛)
マックでフィレオフィッシュとチキンナゲットを買い、たかじんに食べさせる。

2012.6.9 (殉愛)
三田病院を退院し、東京・六本木のマンションに住む。
夜、娘からメールが届いた。「なんかわけのわからん韓国女に世話してもらっているらしいな。いざとなったら、私も出るとこ出るよ」

2012.7.6 (殉愛)
二人の写真が掲載されたFRIDAYが発売される。
(※詳細は殉愛の正体・一回目のフライデー)

2012.7.7 (殉愛)
札幌のマンションに移動する。
[東京-札幌]

2012.7.23 (殉愛)
大阪に戻る。
[札幌-大阪]

2012.7.24 (殉愛)
たかじんはさくら留守中に、マンションに女を呼んで金を渡す。さくらにバレる。

2012.7.下旬 (殉愛)
三田病院で抗がん剤治療の説明を受ける。
[大阪-東京]

2012.7.30 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]

2012.8.16 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与。
[札幌-東京]

2012.8月 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]

2012.9.5 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(2回目)。
[札幌-東京]

2012.9.9 (殉愛)
札幌へ戻る。
[東京-札幌]

2012.9.19 (殉愛)
三田病院で再発防止の抗がん剤投与(3回目)。
Kより娘から預かった手紙を渡される。娘の恋人からのもので、「お嬢さんと結婚します」と書かれていた。同時に娘からは『結婚祝いをして」と言われている。たかじんは不快感を隠さなかった。「一度も見舞いに来んと、・・・・・これからは旦那に養ってもらえ」
[札幌-東京]
(※詳細は殉愛の正体・長女からの手紙)

[東京-札幌]
2012.9.27 (殉愛)
JR札幌病院で腸閉塞と診断される。4回目の抗がん剤治療をキャンセルした。

2012.10.5(殉愛)
たかじん63回目の誕生日。フェースブック事件が起き、「変革の誕生日」がアップされる。

(※詳細は殉愛の正体・フエースブック事件)

2012.10.24 (殉愛)
イタリアに預けていた「さーちゃん」がガンにかかる。

2012.11.12 (殉愛)
札幌駅地下街で「海賊と呼ばれた男」を購入。

2012.11.16 (殉愛)
東京でPET検査を受ける。異常なし。
タカじんメモ「死ぬ前にさくらとやりたい。そのまま腹上死もええ、たかじんウケるで、ハワイで何とかする!勝負や!!」
[札幌-東京]

2012.11.20 (殉愛)
羽田空港からハワイ到着。
さくらはソファで寝る。
[東京-ハワイ]

2012.11.29 (殉愛)
さーちゃん、死亡。イタリアのママは「今、一緒にいる彼を大切にして」と言った。

2012.12.12 (殉愛)
さくら、手を切る。(※詳細は殉愛の正体・さくらの怪我)

2012.12.20 (殉愛)
三浦とゴルフに出掛ける。
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、「梅干し大のダイヤの指輪」を買う。数百万円をキャッシュで払った。たかじんからさくらへの婚約指輪と書かれている。

2012.12.24 (殉愛)
たかじん、さくらに指輪を渡す。

2012.12.25 (殉愛)
ハワイへ、相原康司、山田晃、松本哲郎が来た。三浦夫妻を加えてクリスマス・パーティーを開く。
席上、相原がたかじんの復帰を打診する。

2012.12.31 (殉愛)
カウントダウンパーティに参加、新しい服を買い、カメラマンの梅田にツーショット写真を写して貰う。

2013.1.15 (殉愛)
ハワイへ、読売テレビ・山西敏之、エックスⅠの日置圭信、橘庸介が来た。復帰に向けての話題とKマネの誹謗中傷話しが有った。

2013.1.19 (殉愛)
エックスⅠの長谷川社長がハワイへ来た。たかじんの体重は61キロまで回復し、復帰を前倒ししようかと考え始める。

2013.1.30 (殉愛)
相原康司 と井関猛親がハワイへ来た。井関はさくらに、「たかじんのお世話をしてくれてありがとう」と頭を下げた。
井関は2011年春に、胸が痛いと言うたかじんに、大阪市内の総合病院を紹介している。そこで突発性狭心症と診断されており、これは誤診だった。
この時の話し合いで、三月末のたかじん復帰が決まった。

2013.2.17 (殉愛)
復帰前健診のため、一時帰国。
[ハワイ-東京]

2013.2.18 (殉愛)
三田病院でPET検査。何ヶ所か光る部分が有ったが、マーカー値に異常がなかったため、炎症痕とだろうと診断され、復帰がほぼ決まった。

2013.2.19 (殉愛)
大阪に戻る。
[東京-大阪]

2013.2.21 (殉愛)
たかじんは相原と新地へ飲みに行く。たかじんが忘れた電話が鳴った。さくらが出ると女の声で言った。「明日、パンツ穿いていかへんから楽しみにしといてや」

2013.2.22 (殉愛)
さくらは電話の女と会いたくないと思い、街を歩いた。「私はいつか捨てられるかもしれない」と思った。
さくらが部屋に戻るとたかじんは「金だけ渡した」と言った。さくらはたかじんの二つの携帯と記録用の携帯に登録された女のアドレスと番号を削除した。「早よ、ださんかい」と怒声をあげたのは、この時のことだ。 (※詳細は殉愛の正体・早よ、出さんかい)

2013.2.24 (殉愛)
二人は再びハワイへ向かう。
[大阪-ハワイ]

2013.2.26 (殉愛)
二人で行ったゴルフ場で、島田紳助に会う。

2013.3.7 (殉愛)
テレビ大阪・田中威士と徳岡敦朗がハワイに来る。

2013.3.8 (殉愛)
ダイヤモンドヘッドが見える墓地を購入。

2013.3.9 (殉愛)
アラモアナショッピングセンターのティファニーで、ダイヤの指輪のグレードアップをする。

2013.3.13 (殉愛)
ハワイから日本・大阪へ向かう。
[ハワイ-大阪]

2013.3.20 (殉愛)
読売テレビ・越智会長、山西局長と食事会。
(※詳細は殉愛の正体・読売テレビ会長と食事会)

2013.3.21 (殉愛)
たかじん「たかじん胸いっぱい」で復帰。さくらはスタジオ行きを希望したが、叶わず。

2013.3 (女性自身)
たかじんは母親をスタジオに招待していた。実現しなかったが、脳梗塞で大変だった母親を励ましたかったのでしょう。


2013.3.22 (殉愛)
「たかじんのそこまで言って委員会」収録。さくらはスタジオに呼ばれず。
収録後、たかじんは、カメラマンの梅田、藤田和也、富田龍一を連れて帰宅した。彼らはKマネの計らいでスタジオに招待されていた。
(※詳細は殉愛の正体・テレビ復帰の日)

2013.3.23 (殉愛)
「たかじんNOマネー」収録。帰宅したたかじんは、橋下徹大阪市長を連れていた。
相原、徳岡も合流した。

2013.4 (週刊ポスト)
週刊ポスト紙に、謎の「30才年下看病妻と婚約、復帰報告パーティ!!」の招待FAXが届く。
記者が「ご結婚おめでとうございます」と声をかけると、たかじんは怪訝な顔をした。

(※詳細はこちらで・やしきたかじん 婚約の真相は)

2013.4.21 (殉愛)
安全地帯コンサートに行くが、たかじんは「しんどい」と言い、途中で帰ってきた。

2013.4.21 (殉愛)
早朝、たかじんは胸の痛みで目を覚ます。伊丹空港から東京へ行き、三田病院で検査を受けた。
結果は再発。久保田医師は、抗がん剤治療と放射線治療を行うと言い、これが効いたとしても余命は半年から来年の夏ーー」と告げる。
たかじんとKがマンションに帰ったあと、さくらは一人で久保田と会った。「治療をしなければ、半年も持たないでしょう」と宣告された。
その夜、大阪に戻った。
[大阪-東京]
(※詳細は殉愛の正体・ガン再発)

2013.5.2 (殉愛)
たかじん、Uに連絡し「明日の収録は無理」と伝える。

2013.5.8 (殉愛)
PISがたかじん再休養発表。

さくらの足跡・生誕~たかじんとの出会い

★SNS系日付はアップ日です。

赤字部分は、殉愛騒動後のさくらの弁
※「都会っ子ブログ」「mixi」はさくらアカウント


1981.5.27
兵庫県明石市で生まれる。三人兄妹の長女。実家はJR魚住駅から数分のところにある。
旧姓はS Y子

1997.4月
地元の公立中学を卒業後、明石商業高校入学。

2000.3月
高校卒業

2000.4月
地元アパレル店に就職。その後数店を転々とする。


2000-2001年?(引用:殉愛46P)
さくらは高校卒業後、大阪の某百貨店に勤めたのち、二十一歳のときに単身アメリカへ渡り、そこで一年半暮らした。

2002年
大阪難波高島屋内ショップ店員として働いていたとき、大阪府岸和田市在住男性M氏と結婚。
岸和田市に住み、S姓からM姓に変わる。


2002年(大阪地裁裁判記録)
難波高島屋でAV会社社長F社長に接客。F氏からの積極的なアプローチを受ける。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2003.1月(大阪地裁裁判記録)
AV会社社長F社長と交際が始まる。F社長は55歳だとさくらに告げる。デートの度にお小遣いとして5万円をもらう。Fとの結婚を夢見る。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2003年(宝島社・殉愛の真実)
日本に帰化、さくら名取得も同時か?。
(※M氏と結婚後帰化)

2003年(宝島社・殉愛の真実)
M氏と別居。

2004年(宝島社・殉愛の真実)
M氏と離婚成立。姓はそのままMを名乗る。


2004.3月(大阪地裁裁判記録)
天王寺のコーチブランドショップに勤務。AV会社社長F氏より月に6回会う約束で月額30万円もらう。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2005年~(引用 :殉愛27P)
2005年(平成十七)年に帰国してから、大阪で会社を営む伯父の元で秘書を務めながら、海外を何度も往復した。

2005.3月(大阪地裁裁判記録) 
AV会社社長F社長の希望で仕事を辞め、専門学校入学へ。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2005.4月
大阪外語専門学校入学

2005.5月(大阪地裁裁判記録)
平成17年5月  さくらが一人暮らしを始めるにあたり、月額43万円のお手当となる。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2005.5月(大阪地裁裁判記録)
AV会社社長F氏から一人暮らしの引越費用2.800万円受取る
(※F氏から渡された総額とする説もある)
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2006.7.17(宗教的なblog)
洗礼式写真が載る、ペアTシャツ。
※二番目の夫、アメリカ人ダニエル


2006.11.26(宗教的なblog)
アフロヘア―の子との写真掲載


2006年末-2007年始(大阪地裁裁判記録)
アメリカ短期留学。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650

2007.1月(大阪地裁裁判記録)
AV会社社長F氏と交際解消
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650


2007.2月(大阪地裁裁判記録)
さくら、AV会社社長F氏から社員旅行に誘われ同行、復縁。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650

2007.3月
大阪外語専門学校卒業、進路表にヴェース社秘書
※森田さくら名
※実際はAV会社社長F氏のV社

2007.4.1(大阪地裁裁判記録)
外国人男性との結婚を考えていたさくら、ストーカー行為を受ける
※AV会社社長F氏が雇った探偵事務所(宝島社・殉愛の真実)
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650

2007.4.5(※宝島社・殉愛の真実)
二番目の夫、アメリカ人ダニエルと入籍。


2007.4.16(大阪地裁裁判記録)
さくらはAV会社社長F氏から示談を提案され、示談書を送付。慰謝料300万と諸経費30万。
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650

2007.5月(大阪地裁和解調書)
AV会社社長F氏がさくらに反訴
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650

2007.5.26(ブリーダーblog)
色白で背が高いアメリカ人の好青年ダニエルさんと小柄で華奢な日本人のお嫁さんのさくらさんが・・・と写真付きで掲載される。

2007.6月(※宝島社・殉愛の真実)
二番目の夫、アメリカ人ダニエル氏が離婚を決意。


2007.10.21(mixi)
二週間滞在していたお部屋、小さなお友達も公開。

2007.11.12(大阪地裁和解調書)
AV会社社長F氏より、ストーカー行為に対する慰謝料40万円受取で和解
※事件番号 平成19年(ワ)5879 平成19年(ワ)9650

2008.2.10(mixi)
ニューヨーク出張、今までのアメリカと違って、見るもの全てが驚き。
※タイムズスクエア、セントラルパーク、グランドセロ等

2008.2.13(mixi)
ニューヨークからラスベガスへ。べラジオホテル泊
※二つのショー「KA」「O」を観る

2008.3月(※宝島社・殉愛の真実)
二番目の夫、アメリカ人ダニエルと離婚成立。


2008春(fridayさくら手記)
ステイ先でイタリア人男性と知り合い遠距離交際を始める


2008.4.6(mixi)
京都へ桜見。銀閣寺、清水寺、ねねの路等

2008.5.8(mixi)
香港旅行。ネパール人とフィリピン人からパリ式エステを受ける。会話は全部英語。

2008.7.22(mixi)
ハワイ出張。怪我したまま行った。

2008.9.16(mixi)
弾丸韓国ツアー、急遽行った。面白い国。

2008.10.8(mixi)
サンノゼから来た友達を大阪案内。
※USJ、通天閣、日本橋・・・

2008.11.10(mixi)
〇〇ちゃんの誕生日(妹)。

2008.11.26(mixi)
ハワイ旅行。
※婚約パーティ、YSL・FENDYパーティ、社員旅行下見

2008.12月(fridayさくら手記)
イタリア人男性と日本で入籍


2009.1.4(mixi)
サンノゼ旅行
※一週間のリラックス休暇

2009.1.9(mixi)
十日戎、ヤクザやさんがカステラくれる。
※社長と一緒

2009.3.17(mixi)
ハワイ社員旅行、まさおと一緒。

2009春(fridayさくら手記)
イタリアへ移住

2009年(fridayさくら手記)
移住してすぐの頃、知人の紹介で知り合った日本人の方からブログを勧められ、バナーのデザインやタイトルまで作っていただいたため、自分のブログを始めました。家族や友人を心配させないようあえて夫婦仲が良好であることを書いたり、また、ショッピングや食事など、楽しい内容のブログを書くことで、日常生活を忘れることもできました

2009.4.9(mixi)
中国からのお客さんを案内。
※大阪城の桜

2009.6.9(mixi)
沢山の人から祝福受ける
??

2009.7.7(mixi)
先週末、仕事で韓国へ

2009.7月(fridayさくら手記)
結婚式の準備を始めるが、結婚生活を続けるのは難しいと感じる。
当時、イタリアでネイルサロンを開いていた。


2009.8.19(mixi)
イタリアへ行ってから現地集合・解散のフランス周遊旅行

2009年~(引用 :殉愛28P)(引用 :殉愛136P)
その後、ネイリストの資格を取り、二00九(平成二十一)年、二十八歳の時にイタリアへ行き、そこでネイルサロンを立ち上げた。サロンの経営は順調で、多くの顧客とともに友人もできた。

彼女はイタリアに渡る直前まで(※時期不詳、伯父が社長を務める会社で秘書をしていた。

2009.12.6(mixi)
ルミナリエ通り横のホテル・ヴィラマーレリザーブ
※彼(伊夫・イヴン)からプロポーズは受けたが指輪はまだだったが、レストランで受け取る。
※翌日は妹と三人でオークラホテルの鉄板焼きを楽しむ

2009.12.20(mixi)
妹夫婦を伴い有馬温泉へ。彼は初めての温泉で大はしゃぎ。

2009.12.23(妹blog)
先日の有馬温泉旅行の写真をアップ
※妹夫婦、さくら、イヴン

2009.12.30(mixi)
関空からイタリアへ、途中アムステルダム泊。
※彼のパパとママが出迎え、グランバ宅でランチ。

2010.1.3(mixi)
ニューイヤーは彼の家で
※イタリア

2010.1.28(都会っ子ブログ開設)

2010.2.17(都会っ子ブログ)
「あたしたちはクリスマスに入籍をし、10月10日に式をしようと思いました」
※2009.12.25、日本で入籍を意味する

2010.2.22(都会っ子ブログ)
妹の結婚式の為、帰国中。
※2.11-3.20日本滞在

2010.2.24(都会っ子ブログ)
妹の結婚式写真アップ

2010.3.1(mixi)
日本へ帰国中、さくらがいっぱい泣いちゃっています。

2010.3.5(都会っ子ブログ)
伊夫・イヴンイタリア帰国

2010.3.17(妹blog)
3.5に伊夫・イヴン帰国、本日姉帰国。「ねーたん、イヴン君、結婚おめでとう」
ふたりはこっちで入籍を済ませ、イタリアでの新婚生活に入ります。
※200912.25入籍のことと思われる

2010.3.20(都会っ子ブログ)
イタリア帰国。

2010.3.23(mixi)
イタリアへ旅立つ準備。
※アクセサリー販売をしてくれていたカフェへ挨拶

20010.3月頃(fridayさくら手記)
私はサロンとは別に、日本とヴェネチア・パリ・ミラノなどを行き来しており、夫とはほぼ別居状態でした

2010.4.14(都会っ子ブログ)
さてさて、あたしたちはカトリック教徒として、結婚前に「フィアンセコース」なるものを他のカップルたちと受けたんです。

2010.4.22(都会っ子ブログ)
イタリア滞在許可書が発行され一安心。

2010.5.27(都会っ子ブログ)
伊夫とローマへ誕生日の旅行。

2010.6.17(都会っ子ブログ)
イタリアへ来て、ママ以外で初めてのネイルのお客さんを受ける。
お代を頂いたのでイタリアへ来て初めて自分の力でお金を稼いだことになる。

2010.9.26(伊人FBから)
伊夫・イヴンとイタリアで結婚式。
※父と妹が出席している
けっこん










2010.10.8(妹blog)
9.26からイタリアで過ごす3日間、ベネチア観光。

2010.11.24(都会っ子ブログ)
ハニーを残して日本へ帰りたいと思います。
※月曜日からとあるので11.29の事か?

20011.5月頃(fridayさくら手記)
2011年5月から離婚に向けての話し合いを始めました。夫婦生活はほとんど破綻していた。

2011.8.5(都会っ子ブログ)
日本帰国中。日本へ戻って10日、体調も怪我したところもずいぶんと良くなりました。 
一人で歩いて動けるほどに回復。

20011.9月(fridayさくら手記)
一部の荷物をイタリアから日本に送った。

20011.11月(fridayさくら手記)
正式な離婚手続きをするため、また妹の出産もあり日本に帰国しました

20011.11月(fridayさくら手記)
夫が日本を訪れ、離婚合意書面にサインし、離婚の手続きに入りました

2011.12.24(都会っ子ブログ)
あたしにとっては、「結婚2周年イヴ」、「ハニー、日本来日イヴ」でもあります。
(※詳細は殉愛の正体で・嘘から始まる物語)

2011.12.24(伊夫・イヴンtwitter)
ローマ行きの飛行機を待つ。
※日本到着は25日か26日と思われる


2012.12.25(引用:殉愛30P)
男性は自分の席の右側を空けると、「ここに座って下さい」と言った。後にわかるが、彼は女性を隣に座らせるときはいつも自分の右側に置いた。さくらが座ると、彼は「たかじんですぅ」と挨拶した。さくらは「ああ、前にテレビで見た男性はぼくです、と言っていたのは本当だったのだ」と思った。
※たかじんと最初に会った日
(※詳細は殉愛の正体で・初めて会ったクリスマスオフ会)

2011.12.28(都会っ子ブログ)
妹出産記事掲載。伊夫・イヴン来日中。

2011.12.29(伊夫・イヴンtwitter)
バカンス中に風をひいた。


2011.12.30(引用:殉愛37P)
家を出る時、余計な誤解をされないよう、スカートをやめてパンツを穿いた。
夕、五時過ぎ、メールで教えられた場所に行くと、マンションにはすぐにわかった。入口に赤いダウンを着て、キャップをかぶり、サングラスをかけたたかじんが立っていた。目立ちたいのか目立ちたくないのかわからなくて、おかしかった。(中略)
近くの鉄板焼きの店に行こうと誘った。

※初めて二人で会った日、たかじんがプロポーズしたとされている。
(※詳細は殉愛の正体で・プロポーズ)
(※詳細は殉愛の正体で・いつわりの独身)

2012.1.3(伊夫・イヴンtwitter)
伊夫・イヴン、イタリアへ帰国。
※The Gaijin is back to Italy
※都会っ子ブログでは1/2と書かれているので、日本出発がその日と思われる。

2012.1.6(引用:殉愛83P)(引用:殉愛46P)
さくらはメールを送ったあと、バッグに入っていたイタリア行きのチケットを取り出して、縦に引き裂いた。

年が明けた一月二十日にはイタリアに戻る予定だった。


2012.1.22(伊夫・イヴンtwitter)
長い間、妻と会話が無い。
奥さんと2日間しゃべってない、これまでで最長期間だ

2012.1.13 (殉愛)
たかじんから秘書代として300万円受取る。
初めてのディープキスでドキドキした。

2012.1.27(都会っ子ブログ)
イタリアに帰る前に、髪を切るかどうか悩み中。

2012.3.1(都会っ子ブログ)
都会っ子を満喫してまーす、ハニーに切った髪形を見せれた。
※日本滞在、ハニーは誰のことか不明

2012.3.1(fridayさくら手記)
2012年3月1日にイタリア人の夫との離婚届が受理され、正式に離婚が成立しました。


2012.3.11(都会っ子ブログ)
帰国予定日前に、父にガンが見つかった。
※当初帰国予定は1月下旬。

2012.3.15(伊夫・イヴンtwitter)
75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかな


2012.5.9(都会っ子ブログ)
ガン手術は成功、術後は完全看護、付きっ切りで大変。

作家タブー 週刊文春の変心

★週刊文春の変り身、「ボツになった長女手記」

事情を知る文藝春秋関係者が語る。
実はたかじんが亡くなった直後から、さくらの素性に疑いを持ち、いち早く報じてきたのが、いまや百田さんの“広報誌”と化してしまった。
『週刊文春』は、たかじんがガンで再休養していた13年末段階から「長期療養中やしきたかじん 再々婚した32歳下一般女性の正体」(12月19日号)、たかじんの死後も「やしきたかじん『参列者5人』葬儀の謎」(14年1月23日号)、「親族から噴出 やしきたかじん32歳下未亡人への怒り  遺骨を『マカロンみたい』」(同年2月6日号)と、さくらの正体や、彼女と遺族との確執について詳報し、まさに独走状態だった。

そして『週刊』は、さくらに対するトドメの一撃として、昨夏のお盆休みの合併号に、たかじんの長女の手記を掲載する予定でしたが、校了直前になって掲載が見送られたのです。
関係者によると、『文春』では、長女の手記を記事にまとめた後、最終的な事実確認のため、さくらが、たかじんの生前から同居していた大阪のマンションを訪問。取材を申し込んだという。


「ところがその直後に、編集部からストップがかかり、取材班は大阪から撤退。記事掲載も見送られたのです」

表向きの理由は『さくらと長女は現在、遺産をめぐって係争中で、法務(部門)が係争中の案件を記事にするのはまずい、と難色を示した』というものでした。が、さくらと長女が遺産をめぐる係争中であることは企画段階から分かっていた話ですし、そもそも『係争中』を理由に記事掲載を見送っていたら週刊誌など作れない。編集部内でそんな“理由”を信じる者は誰一人、いませんでした。

これは後になって社内で分かったことですが、
取材班がさくらに取材を申し込んだ直後、百田さんから新谷学『週刊文春』編集長の携帯に直接、電話があったそうです。おそらく、さくらから依頼を受けてのことでしょう。
それ以降、『文春』編集部では「さくら」がタブーとなり、今や百田センセイの“広報誌”と化したことは前述の通り。
(宝島)

週刊文春は2015年1月1・8日号から、百田尚樹の最新作「幻庵」の連載を開始する直前という事情を抱えており、大作家先生のご機嫌を損ねては一大事と考えたのだろう。
しかし連載の初回から文中の誤りを指摘され、作者がツイッター上で「浅学非才の身」と自らを嘆く醜態を晒す結果となり、多くの嘲笑を招くこととなったが、週刊文春も等しく信用を落とす羽目となった。

同誌は日本で最大の発行部数を誇る週刊誌だ。タブーを恐れない取材記事に定評が有り、多くのスクープを連発してきた歴史がある。その編集部と言えど、ベストセラー作家からの電話一本で記事をボツとし、編集方針を転換させる程度の週刊誌であったとは、ジャーナリズム魂はどこを彷徨っているのか、驚き以外の何物でもない。

★長女取材内容を百田に漏らした週刊文春記者

さらに驚きの事実が百田尚樹のツイッターで明らかになる。ボツとなった長女手記の取材で知った内容を、主張が相反し、著作が「名誉棄損」で告訴されている著者に告げた週刊文春記者がいたのだ。

下は<2014/12/17>の百田尚樹のツイートだ。ここで明確に「週刊文春の記者に・・・」と記し、情報の出所が同記者であることを示唆している。これは記者にとって命取りとなる事実だ。
twiter、net上で批判が相次ぐと、百田尚樹もさすがにマズイと思ったのか、<2014/12/20>のツイートで表現を微妙に変える。「世間のバカ」と余計な一言を付け加えてだ。
どうやら「本当のバカ」は誰なのか理解していない大先生のようだ。


高校時代からバイト代で「文藝春秋」を購読、行ける範囲は参加して来た「文藝春秋文化講演会」、いい想い出だった。
たった一冊の読者より、売れる(かも知れない)作家一人の方が大事なのだから仕方ない。

「信じてきたな~、ワシら~」
「文春、買わんとこ~」

作家タブー 林真理子の尻たたき


★先行したネット民

2014年11月の「殉愛」発売以来、ネット民を中心に疑問点が論じられ、ついには結婚の事実と併せて重婚疑惑騒動が持ち上がる中、雑誌、新聞、テレビ等の大手メディアが一切取り上げない状況が続き、たかじんファンを中心としてフラストレーションが高まる一方であった。
ノンフィクションと謳われた「殉愛」に対して生じる不可解なストーリー、批判はアマゾンレビューにも向かう事になった。更にはたかじん長女が、発行元の幻冬舎に対して「出版差止めと1100万円の損害賠償を求める」訴訟を起こす。しかし取り上げる大手マスコミは皆無であった。これは異常事態である。

大手マスコミがだんまりなのを背景に、作者の百田尚樹が吠えまくり、お得意の「人間のクズ」フレーズを使いながら恫喝する。



まず声を上げたのは作詞家の及川眠子氏である。彼女はたかじんへ約70曲の詞を提供し、他にも多くのヒット曲を手掛けている人物である。


★林真理子「誰が朝日新聞のことを叩けるのであろうか」

普段は重箱の隅をつつくのが役割のようかな週刊誌も、「殉愛」発売から約一ヶ月経過しても音無しの構えだ。
著者の百田尚樹は時の大ベストセラー作家、版元は安倍総理との親密な交友関係にある見城徹氏率いる幻冬舎。何かの力が働いていることは想像出来たが、ここに切り込んだのは文壇の大御所・林真理子氏だ。

彼女は連載中の「週刊文春・12月11月号・コラム 夜ふけのなわとび」で、「殉愛」問題に触れないメディアに苦言を呈したのだ、当の「週刊文春」も含めて彼女の「尻たたき」をまとめてみよう。

・ものすごい不気味さを感じるのである。この言論統制は何なんだ!

・大手の芸能事務所に言われたとおりのことしかしない、テレビのワイドショーなんかとっくに見限っている。けれど週刊誌の使命は、こうしたものをきちんと報道することでしょう

・意地悪が売りものの週刊新潮もワイドの記事にすらしない。週刊文春も一行も書かない。

・やしきたかじんの新妻は遺産めあて、と最初に書きたてたのは週刊誌ではなかったか

・あと講談社が版元の週刊現代は言わずもがなである。週刊ポストも知らん顔。こういうネタが大好きな女性週刊誌もなぜか全く無視。大きな力が働いているのかと思う異様さだ

・もうジャーナリズムなんて名乗らない方がいい。自分のところに都合の悪いことは徹底的に知らんぷりを決め込むなんて、誰が朝日新聞のことを叩けるのであろうか

林真理子文春












★ズバリ、大手出版社事情

いまやメディアにとってのタブーは天皇でも創価学会でも電通でもない。作家なのである昔、『噂の真相』という雑誌が出ていたときは、毎号作家についてのスキャンダルや批判が載っていたが、いまや作家について、それもベストセラー作家のスキャンダルなど読みたくてもどこを探しても見つからない。
『週刊現代』を出している講談社は「海賊とよばれた男」が大ベストセラーになっている。『週刊新潮』は百田の連載が終わったばかり。タブーは他誌に比べてないはずの『週刊文春』だが、林によると「近いうちに連載が始まるらしい」から、これまた書かない。小学館の『週刊ポスト』も百田の連載をアテにしているのかもしれない。
(J-CASTニュース)

"やしきたかじん『殉愛』騒動、大手出版社が百田尚樹&さくら夫人擁護インタビュー連発の兆し"
「この件に関してはテレビ各局も『どこかが先陣を切って報じてくれれば』と、一番乗りでの報道は遠慮している状態です。しかし、頼みの綱となる紙メディアに関しても、雑誌よりも書籍が上位という出版社のルールにより、売れっ子作家・百田の機嫌を損ねてはならないと、どこも手が出せない。そして次号以降の『フライデー』(講談社)には、なんとさくら夫人の『独占インタビュー』が掲載予定だそうです」(出版業界関係者)

(サイゾーウーマン)

★「殉愛」問題に対する出版各社対応


▼週刊文春はたかじん死後は未亡人批判の急先鋒であり、「マカロン発言」スクープも同誌であった。この件は殉愛で真っ赤なウソと断定されているが、一切の反論をしていない。これには事情がある。

【引用 :宝島2月号】
「文春」では年末の新年合併号から百田さんの連載小説が始まり・・・(中略)
出版不況の昨今、各出版社に対する人気作家の影響力は絶大で、各社とも自社の週刊誌がこのスキャンダルを報じて、百田さんの逆鱗に触れ、連載を止められたり、版権を引き上げられることを恐れ、"自主規制"しているのです。


前述の林真理子氏の「尻たたき」効果なのか、翌週の週刊文春で殉愛問題を取り上げることになったが、内容は「林真理子さんの疑問にお答えします」と題された、本題とはかけ離れたものだった。「たかじん最期の2年間を、誰よりも献身的に支えたのは彼女だ」と、殉愛を肯定するだけのもので、読者の失笑を買った。

▼週刊新潮は親誌の新潮で、百田尚樹著作のフォルトゥナの瞳の連載が終わり、単行本が発売されたばかりであった。文春と同じ12月18日号でこの問題を取り上げたが、百田尚樹とさくらの主張に丸乗りした内容だ。

【引用 :宝島2月号】
"重婚疑惑"については、もう一方の当事者であるイタリア人を取材することもなく、さくらから提供された離婚届の「受理証明書」だけを根拠に、「重婚」の事実は全くなかったと断定し、メモの"捏造疑惑"も、自ら検証することもなく、ネット情報をそのまま拝借。それでいてネットを騒がせている「重婚疑惑」と「メモ捏造疑惑」はいずれも事実ではなかったわけだ、などと勝手に納得しているのだから噴飯モノだ。


メモ偽造疑惑については、情報探偵サイト「探偵ファイル」が依頼した筆跡鑑定の結果をなぞっただけのもので、メディア側の検証がなされていないものだった。

▼FRAIDAYは講談社が発行する写真誌であり、講談社と百田尚樹の繋がりは深い。「海賊と呼ばれた男」「永遠の0」をはじめとする文庫本を発行している。
12月26日号てはさくらから提供された2ショット画像をふんだんに使い、8ページに渡る特集を組んだ。さくらから提供された「たかじん遺言書」の写真を掲載し、さくらの遺産相続の正当性を主張する片棒を担いだ形となった。

▼これでも百田大作家は不服だったようだ。週刊新潮とフラッシュに対し、ツイッターで不満をぶちまけることになった。


謎解きと週刊新潮の狼狽え振りは「宝島3月号」で明かされるが、まずは次の引用を掲載する。

「文春や現代、ポストの週刊誌編集部には関西生まれの記者や編集者も多く、彼らは子供の頃からたかじんの番組に慣れ親しみ、親近感を持っており、今の状況は許せないと思っている。若手記者たちは『企画を出しても通らない!』と憤っています。中には仕方なく自腹で取材に動いたり、情報収集をしはじめる記者もいます。ある版元の、ノンフィクションが得意の敏腕編集者の下には、こうした情報が続々と集まっていると聞きました。騒動の裏側が本格的に暴かれる日も近いのでは」(夕刊紙記者)
(J-CASTニュース)

新潮社と百田尚樹の関係と、掲載記事については前述したが、その記事掲載について「ひと悶着」があったとのことだ。そもそも週刊新潮12月18日号の記事は、11月中旬に百田尚樹から編集部に持ち込まれ、ゴリ押しで掲載されたものだったという。

【引用 :宝島3月号】
「週刊新潮」編集部に百田から、「ネットで騒がれているさくら夫人の重婚疑惑や筆跡鑑定について反論したい」と反論インタビューの依頼があったのは昨年11月半ばだったという。
「すでにネットでは、さくら夫人のブログや過去写真など数々の証拠物とともに、多くの疑惑が流布していた時期
でしたし、編集部としては触らぬ神に祟りなし。"殉愛騒動"などには一切触らず、やり過ごすという雰囲気だった」(出版関係者)
そんなところに振って湧いた百田本人からの取材依頼である。編集部としても自社から作品を出版する売っこ作家・百田の依頼を断わるわけにはいかない。

当初は百田の単独インタビューの要求だったが、一方的な主張を掲載すると大きな批判が来る。検証的な記事でさくら夫人を登場させることで説得したが、結果は百田とさくらの意に沿っただけの記事であった。下記に「宝島」3月号掲載記事を要約する。

・百田自身の単独インタビューを諦め、さくら単独独白記事を要求、週刊新潮は受け入れた。
・さくらのインタビューは5時間に及んだが、使えない内容だった。
・さくらの証言は二転三転した。
(※例/イタリアブログは家族を安心させるため→友達が、妹が勝手に更新した、インタビューで話さないこと→ネットで次々暴かれる)
・菅原文太死去で記事差替え、原稿ボツの可能性出る。
・察知した百田が、新潮社幹部、週刊新潮編集長などに掲載を強く要請。
・さくらに対してネットでの事実を再取材するが、話自体がよく分らない。
(※結婚歴、帰化、改名等)
・さすがに編集部も躊躇、たかじん長女などの周辺取材を行い、検証記事の体裁を整えた。

しかし、校了寸前になって、さくらは記事内容の変更を申し出る。

・自分のものと主張した、金庫内現金1億8千万円の根拠について、証言が変遷した。
(※業務委託契約、難聴・乳腺炎慰謝料、リボンにくるんだお金、300万円、等々)

【引用 :宝島3月号】
こうして百田とさくら夫人が思い描いていたであろう「ストーリー」がどんどん変遷していく。もちろんその原因はさくら夫人の発言にあるのだが、その揚句、当初は予定されていなかった長女のコメントまで掲載された百田が、ツイッターで怒りを表明したということらしい。

月刊宝島へ告発した週刊新潮記者には同情する点もあるが、取材で知り得た情報を改ざんして掲載し、社幹部も含めて「作家タブー」に振り回されたのは事実である。前述した「週刊文春」共々、二大週刊誌が百田尚樹にひれ伏す体たらくぶりは、まさしく「誰が朝日新聞のことを叩けるのであろうか」と言える。
私もこの両誌は読むことが多かったが、失望した今は手に取ることはない。

▼「殉愛」問題に批判的な出版物

「月刊宝島」「週刊朝日」「週刊SPA」「サンデー毎日」「女性自身」「婦人公論」「百田尚樹・殉愛の真実」(宝島社) 等には作家タブーが及ばなかった。
長女の手記を掲載した婦人公論、殉愛の検証本を発刊した宝島社、複数号に渡って事実究明にあたった週刊朝日、サンデー毎日、女性自身等への賞賛の声は高い。


百田尚樹は虚勢して見せたが、デタラメなのは「殉愛」とそれを擁護した各出版社の方だった。
林真理子氏曰く「見限っている」テレビのワイドショーは、たかじんと旧知、或いは恩義を有する者を含めて、一切触れていない。下界の者には理解し難い世界のようである。

直葬の日

★火葬場

1月5日、マンションに集まったのは、松本、前妻、Hとその夫、弁護士だ(*Kも参列とする報道もある)。


【引用: 殉愛 392P】
弁護士が顔を見せた途端Hが「遺言書に何て書いてありました?」と訊いた。弁護士は「それはここでは言えません」と答えた。するとHは「あなたはさくらさんに雇われた弁護士ですか?彼女の味方ですか」と問い詰めるように言った。弁護士は取り合わなかった。


さくらは柩の中に、パイプ、タバコ、さくらの手紙、テレビリモコン、腕時計、帽子、レギュラー番組DVDを入れた。火葬炉に入れられたとき、過呼吸を起こしたさくらの背中を前妻が抱きかかえた。

【引用: 殉愛 393P】
待合室に戻ると、Hはお腹すいた」と言って、ビールとつまみを頼んだ。そして泣いているさくらに向かって、「喪主なんやから、しっかりしいや」と言った。
(中略)
炉の前で、前妻が「見たことある? 人体模型みたいで、結構グロいよ」とさくらに耳打ちした。しかし出て来た骨はバラバラだった。Hは「なんや、ボロボロやん」と言い、「係の人に火力が強いんですか」と訊いた。
(中略)
しかし、文春にこう書かれた。
「彼女(さくら)は遺骨を見るや、へらへら笑って『うわあー、焼き上がったマカロン見たーい』と言い放ったそうなのです。これには参列者全員が唖然としたそうですよ(たかじんの親友)」
これは真っ赤な嘘である。


骨上げが終わると全員で食事に向かった。

【引用: 殉愛 395P】
「じんちゃんはええ人間やった」と松本は言った。「松本哲郎の名前で、寄付とかもしょっちゅうしてた」
たかじんが生前から恵まれない子供たちの施設や盲導犬協会に寄付を頻繁にしていた話は、彼自身からも聞かされていたし、彼が亡くなったあとはさくらが続ける約束をしていた。
「そんなことより、おばあちゃんとおじさんにいつ知らせるのよ」
Hがさくらに言った。
「やしきの遺志で、まずテレビ局のスタッフの皆さんに知らせなければならないので、親族の方に知らせるのは、七日の夕方以降まで待ってほしいのです」
弁護士も「はい」と言い、松本も「そらそうや」と同意した。すると、前妻が突然、口を開いた。
「私が言うのもなんやけど、じんちゃんは口ではそう言ったかもしれないけど、本心は違う。家族の立場から言わせてもらうと、じんちゃんすごく優しい人だから、皆に知らせてほしいと思ってるはず」
「でもやしきはまずスタッフに知らせてほしいと言ったんです。それ以外には連絡するなと言われたのに、ここにおられる皆さんには連絡したんです」
「妻が連絡するのは当たり前やろう。お父さんが連絡するなと言ったとしても、それを説得するのが妻の役目ちゃうん」
Hが言うと、前妻も同調した。
「テレビ局のスタッフよりも、親族のほうが大事やろう」
Hはきつい口調で言うと、弁護士に向かって、「そうでしょう」と同意を求めたが、彼は「私は口を出すことは出来ません」と答えた。


さくらが明後日まで待ってほしいと言い、娘は連絡をいれてほしいと言った。
娘は弁護士に遺言書の件を聞きたいと言って残った。松本は「あんなんだから、じんちゃんも嫌いになったんや」と言った。その後、弁護士から「娘が遺言の事でかんかんに怒っている」と連絡が入り、さくらはトラブルの予感がした。

★葬儀形式は直葬だった

さくらはたかじんが希望した密葬を行っていない。密葬とは親近者のみで行う通夜を含む葬儀のことを指す。つまり親族と極近い関係者が参列されるものだ。たかじんの場合は直葬と呼ばれるものだ。(*下記参照)
密葬なのでたかじんは親族と最期のお別れが出来るものだと考えていたはずだ。さくらは当初、娘と前妻も呼ばない算段をしているが、松本と二人で事を済まそうとしたのはどんな秘密があるのたろうか。献身的な妻を世にアピールしていた姿は借り物で、さくらのこころの奥底は・・・真逆の魂が潜んでいるのだろう。


[直葬] 通夜や告別式などの宗教儀式を行わない、火葬のみの葬儀形態。近親者や友人など限られた関係者のみで執り行うケースが多い。葬儀費用が平均18万円程度と安価で、時間が軽減できることが利点である。一方で、十分な別れの時間が取れない、招待しなかった人々からの反感を招く、葬儀後に個別の弔問が多発するといった問題が起こるリスクもある。経済的な問題や宗教観の変化、人間関係の希薄化などにより、2000年以降、都市部を中心に増加している。NHKが2013年に行った調査によると、地域別では関東地方が特に多く、葬儀全体の5件に1件を占めている。

[密葬] ひそかに死者を葬ること。特に、身内だけで内々に葬式をすること。また、その葬式。
本来は、身内だけで簡単な葬儀を行い火葬もすませること。後日、死亡通知を出し本葬を行う。著名人にこの形式をとることが多い。

殉愛文中にある娘と前妻の見解が一般的な社会通念である。この主張をする人達と、秘密裏にことを運ぼうとするさくらとの比較では、どちらを信用出来るかは一目瞭然である。
弁護士も「何も申し上げられない」と言ってるが、密葬の意味を理解しているなら、的確な見解を述べて然るべきだっただろう。

★母の悲痛

「お母さんは、息子が亡くなったことを1月7日に知ったそうです。死から4日後ですよ 関東に住むたかじんの長女から夕方5時すぎに電話があったそうですが、『葬式もすでに済ませた』と言ったそうなんです。お母さんは。息子の死を現実のものと受け止めることができないようで、涙を見せるのでもなく絶句していました」
なんと、実母が知ったときには、息子はすでに荼毘に付されていたのだ。 
(女性自身 2014年01月14日)

★マカロン・人体模型発言

週刊文春では、1月23日号、2月6日号と2号にわたって、未亡人がたかじんの死を彼の実母や実弟にも知らせず、参列者5人だけの火葬ですませてしまったことが報道され、火葬場でたかじんの骨を見て「うわぁ~、焼き上がったマカロンみた〜い」と言い放ったと書き立てられた。 (リテラ) 

殉愛には、この前妻がたかじんさんの葬儀で「人体模型みたいで、けっこうグロイよ」とさくら氏に耳打ちしたとも書かれているが、彼女の親族は憤りを隠さずこう語る。
「本が出て、すぐ彼女から怒りのメールが来ました。『そんなことは絶対に言っていない』と言っていました」
(女性自身 2014年12月19日)

★前妻の携帯電話

たかじんは前妻に看取ってほしいと親族に連絡していたが、2013年8月頃を境に連絡が途絶えたそうだ。この頃にさくらがたかじんの携帯電話を操作し、登録変更や着信拒否設定などを行い、外部との接触を断った可能性が高い。たかじんに電話するとさくらが出た、とのコメントが出始めるのもこの時期頃からだ。

この前妻へのたかじんさんの思いについて、生前の彼を知る複数の人が同様の証言をしている。親族は「闘病中もたかじんさんから連絡があり、細かく検査の数値や治療法などを知らせてきていたそうです。そして何度も復縁したいと伝え、『お前に最期を看取ってほしい』とも言っていたそうです。
最後にそうした連絡があったのは13年8月ごろ。彼女は『一度は愛した人。主人の許可が得られたら私が看取るという選択肢も考えた』と言っていました」と続ける。13年8月といえば、たかじんさんが再発したがんと闘っていた時期。だが急に連絡は途絶え、2カ月後に彼はさくら氏と結婚したのだ。前出の親族がこう語る。
「たかじんさんの携帯に登録されている彼女(前妻)の電話番号が変わっていたそうです。090が080になっていて……。さくらさんが彼の携帯から彼女に訃報を知らせてきたとき『登録していた電話番号が変わっていて連絡できませんでした』と言ったそうです」
それでは、彼からいくら前妻に連絡していてもつながらない状態だったということになる。
さくら氏は「主人は嫌なメールはかたっぱしから消す人だった」と語っており、今となっては前妻とのやりとりを示す証拠はない。
だが彼の弟子の打越元久氏(56)も言う。
「マネージャーのKでさえ、たかじんさんと連絡が取れなくなっていたと言っていました。さくらさんの電話はつながるのですが、彼女が『誰とも話したくないと言っています』と言うので、会うのを控えていたそうです」  (女性自身 2014.12.19)

★さくらと松本の寄付話

火葬後の食事会で、さくらと松本が恵まれない子供の施設と盲導犬協会への寄付の話しをしている。これはたかじんとさくらがエンディングノートについて話した記述と同様だ。しかし後日判明した遺言書での寄付先は、大阪市、大阪あかるクラブ、桃井学園となっていた。
たかじんも松本名で寄付をしていたとの記述と、その後さくらが、大阪あかるクラブと桃井学園へ寄付辞退交渉を行っている事実からの推測として、当初二人は、松本を窓口として子供たちの施設と盲導犬協会への寄付をし、還流させる案を立てていたのではないだろうか。故人に鞭打つ憶測で恐縮だが、たかじんもその形でマネロンをしていたのかも知れない。ならば、たかじんにとって松本の利用価値はそこに有ったのだろう。
さくらと松本が再度同じ形のマネロンを謀ったが、遺言書で違う団体に変わったのは、弁護士に不適格な遺贈先と指摘されたか、或いは何らかの不都合な事情が起きたのだろうと思う。もしそうならこの二人には、たかじん生存中から遺産をめぐる企みが始まっていた事になる。

殉愛のエンディングノート作成時の描写では、たかじんメモリアルを作るとサラッと書かれているが、具体的な創設方法と資金面には触れられていない。遺言書作成時の記述でも同様だ。発刊後に判明するのだが、さくらは9月11日、「たかじんメモリアル」設立を口実に、大阪あかるクラブへ返還交渉に出向いた。この場には著者の百田尚樹とAZITO代表の井関が同行しているが、これは殉愛が発刊される二ケ月前のこと。つまり、百田尚樹は正式な寄付先を知っていながら、殉愛でウソの描写をし、さくらの企みをアシストしたと言える。

(遺言書内容は2014.12発売・女性自身が掲載した。詳細は打算と逆襲カテゴリーにて)

長女とさくら 初対面の日

★亡骸の前で

1月4日、たかじんの長女がマンションに来た。


【引用: 殉愛 391-392P】
Hは父を見て、「お父さん、痩せたなあ」と言った。そのあとリビングに戻ると、「お父さん、私のこと何て言ってた?」と訊いた。
「メールいただいたときは、気持ちの行き違いがあったみたいですね」とさくらは言った。
「メールの返事もくれへんから、別にどうでもええとほっといたけど、それ、自業自得やん。そんなに悪かったら、連絡くれたらよかったのに」
「Kさんから連絡もらってなかったんですか」
「私、Kとは仲悪いねん」
(中略)
「私はSからあなたのことを聞いて、あまりよく思ってなかったよ」
 (Sとは2013.5迄PISの事務員をしていた)
「私がお父さんに送ったメールも、あなたがお父さんに見せてないんじゃないかと疑っていた。私とお父さんの仲が悪くなったのは、Sのせいや」
Hは言い訳めいた言葉を並べ、Sに責任転嫁するようなことを言った。


★百田尚樹、"人間のクズ"はお前だろ!

たかじんが息を引き取ったとき、さくらは声を出して泣いたと書いただろう。実の娘がたった一人しかいない父親の亡骸を前にして、「痩せたなあ」とたんたんとした一言で終わることなどないだろう。
"シャネル"のハンカチ"1.000枚"でも足りないくらい泣いただろう。"嘘八百"が決め技のさくらに"騙されて"、何が本当なのか分らないだけだろう。真に"おぞましい人間"は自分だったという茶番は可笑し過ぎて、"ヘンズリパワー"で茶沸かしてやるわ。

おそらくはKマネがそうしたように、祖母(たかじん実母)やたかじんの兄弟にも会わせるべきと主張するやりとりが有ったと思うが、それらの記述はない。取材側も受けた側も、人としての心を持ち合わせているのか疑問だ。

★奇妙な電話連絡

死亡翌日の四日に、さくらがたかじん前妻へ連絡した際の会話が奇妙だ。

「私は(たかじんから)連絡もないので、気にはなっていたのでドキッとしたんです。奥さんは最初、亡くなったっていうことをおっしゃらずに、『とりあえず来てください』と言うだけだったんですよ。私はお正月を主人と過ごしていたので、『ちょっと待ってください。そんなに今すぐどうこうというえほど調子が悪いの?』って聞いたら、『そうなんです』と。そしたらせめてお正月が明けてから、すぐに行きますからって言ったら、『実は昨夜亡くなりました』っておっしゃるので、翌日すぐに東京に飛んで行ったんです」
(角岡伸彦著/小学館・ゆめいらんかね やしきたかじん伝 253P)

★メール

メールとは「自業自得メール」のことだ。たかじんは激怒し絶縁を宣言したとされるものだが、娘の言い分は違い、実際に送ったメールは残されており週刊朝日が報じた。

「話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ」 (週刊朝日 2014.12月18日号)

たかじんの死後初対面の娘さんに対して、さくらの対応は、看病の苦労と、いかに自分が父に愛されていたかを、その後は元マネージャーKさんの悪口を滔々とまくし立てていました。 (婦人公論 2015年1月22号)

Hさんインタビュー
 「(がんとわかって)最初はメールを送っていた。ご飯を作ってあげたいなと思って。娘だから看病しなくちゃと思っていた。でも連絡を無視され続けた。
兄弟や親戚とも絶縁していたというのも全然違う話。ガンになってみんな心配して、どこに入院しているんだろうと。聞いても教えてもらえない状況だった。父本人から話を聞きたかった。どんな病気で、どうするのか聞きたかった。
私の連絡を無視し続けているのに、若い女性に世話させていると聞いて腹が立った。父に挑発的なメールは送ったが、自業自得なんてメールは絶対に送っていない(最後は涙声に)」 (FLASH)

一方さくらは、たかじんは嫌なメールはすぐに消去するので、そのメールは残っていないと言う。信憑性のない話しだ。

★さくらの名前も知らなかった親族

せめて亡くなる直前には、お母さんや兄弟に『たかじんが危ないねん』とひと言だけでも知らせるべきでしょう。でも実は、親族の誰も彼女と会ったことがないんです。連絡先はおろか、名前さえも知りません。長女とも、今は連絡してもつながらない状態になっています。 (女性自身 2014.1.14)

殉愛でも報道でも書かれていないがたかじんの「囲い込み」について、長女がさくらを厳しく問い質す発言が有ったと思う。それは当然だ、自分なら土下座されても許さない。

揉めた葬儀の段取り

★湯灌

1月3日

寺田は入浴用の移動ベッドにたかじんを乗せ、入浴室へ向かった。たかじんをベッドに乗せたまま湯船で体を洗った。午前4時頃葬儀社の人が来て、事務手続きを終えて病院を出た。


【引用純愛 385P】
葬儀社の人が遺体を袋に入れてファスナーを閉めるのを見て、さくらはたまらない気持になった。
(中略)
ワゴン車の後ろに遺体を乗せ、さくらはその横に座った。マンションに戻る途中、さくらはファスナーを少し開けた。
「こんなことを言うと変に思われますが、ハニーの息が詰まるような気がしたのです」

マンションに戻ってたかじんをベットに寝かせると、赤いジャケットを着せた。
葬儀社の人と、密葬とする、戒名は付けないことを告げた。葬儀場、柩、花などの打ち合わせをし、火葬は1月5日に行うことにした。

午後、松本哲郎、Kマネ、弁護士に電話すると、それぞれ今日行くとの返事だった。Kマネは「ああ、そうですか。お疲れさまでした」と、あっさりした口調で言った。松本にだけは来てから死を知らせた。
Kが来た。「Uも下に来ている、呼んでくる」と言ったがさくらは断り、押し問答となった。さくらは「ハニーが密葬を望んだ、皆に言うと報道される、それは個人の意思ではない」と言った。

【引用純愛 389P】
「何じゃあ、お前!」Kは大きな声を上げた。「師匠の気持は俺が一番わかっとるんや。俺のオカンが死んだときみたいに、みんな呼んで顔触らせるんや」
「Kさんのお母さんと一緒にしないでください」さくらも負けずに大きな声で言い返した。
「やしきたかじんは私の夫です。妻の私が、夫に言われた通りにやります」
「お前なんか、妻でも何でもないわ、俺のほうが師匠をずっと思ってるわ」
「それなら、どうして、彼が一番大事なときに女遊びなんかしてたんですか」
「なんでお前にそんなこと言われなあかんねん、師匠が何も言わへんかったんやから、ええやないか」
(中略)
「ハニーから私を助けろって言われたでしょう。誰にも言うなって言われたでしょう」
「うるさい!」とKは言った。「誰がお前なんか助けるか、会社も何も勝手にせいや。俺は辞める」
「わかりました。それでは、後日、やしきたかじんが亡くなったことを知らせるために、会社関係のリストをください。それくらいはしてください」
「何でそんなんせなあかんねん。お前一人でやれや。P、I、Sも一人でやれ。俺は辞めたらあ」

Kが帰った後、さくらと松本が話しして、長女と前妻を呼ぶことにした。松本がじんちゃんは前妻に来てほしいはずだと進言した。

★湯灌と納体袋

まず以て驚くのは、死後のたかじんを病院の入浴室で湯灌を行った事だ。そこは一般の入院患者が使用するところなのでにわかに信じ難い。もし本当なら聖路加国際病院の倫理管理が疑われる。通常はエンジェル・サービスまでが病院の役割で、遺体を入浴させる場合は葬祭業者が専用設備で行うのが通例である。
疑うときりがないが、たかじんの遺体を第三者に見られたくない事情が有ったのだろうか。食べ物を詰らせて救急搬送されたとの報道、遺体を「納体袋」に入れてマンションまで運んでいる事と併せて疑問が増幅する。

▼湯灌・納体袋については下記引用を参照

湯灌とは、葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。簡易には遺体を清拭(せいしき)することで済ませる場合もある。故人が男性の場合はその際に髭を剃られ、女性の場合は死に化粧が施される。地域差があり、一般的ではない地域もあるとされる。
葬祭業者の手によって行われ、自宅で葬儀を行う場合などでは給排水装置を積んだ専用車が手配され、葬儀会場へ専用の湯船が搬入される。看護師による簡易な清拭は「エンジェル・サービス」と称される(ウィキペディア)

この本に登場する葬儀屋さんは故人の写真を撮ることを優しい声ですすめた、として好意的に書かれています。しかし病院から自宅へ搬送するときご遺体を納体袋(腐乱死体や警察業務などの際、遺体を収める袋)に収めたため搬送途中で奥さんが「息が苦しそう」ということで、こっそり袋のファスナーを下ろす描写があります。
一般的な病院業務では布担架は使うかもしれませんが、納体袋はコストもかかるうえ
モノ扱いの印象を与えるので、通常使いません。もちろん普段から使っている葬儀社は存在しない、とはいえませんが・・・
あんまり良い葬儀屋さんではなかったのかもしれません。 (考える葬儀屋さんのブログ)

▼納体袋用途
1.一類感染症、二類感染症、三類感染症又は新型インフルエンザ等感染症の病原体に汚染された遺体。
2.血液・体液・排泄物等による接触感染リスク暴露の防止。
3.屋内や野外の遺体の一時期的な安置。
4.又、その後の腐敗臭の防止。
5.損傷のある遺体や腐乱したご遺体におけるプライバシー保護など。
notai









(モレーンコーポレーション/納体袋が必要な場合)

さくらがたかじんの希望として密葬を主張しているが、さくらが考えているのは事実上「直葬」であり、通夜も葬儀もなく火葬とする形だ。身寄りも側近もいない天涯孤独の身とは比較にならない、著名人であるたかじんの送り方としては異常事態であり、Kマネが激怒するのは当然である。
それにしても松本哲郎に一番最初に連絡し、誰よりも早く掛け付けていたのは何故なのか。その後もさくら側に立った発言を繰り返すのだが・・・。


★殉愛では松本が長女と前妻を呼ぶことを打診したことになっているが、実際は違うようだ。

たかじん長女に連絡しないと言うさくらと、そんな訳にいかないと言うKマネが激しく口論となり、さくらは娘への連絡を渋々了承した。 (週刊文春)

さくらはたかじんの遺言で、さくらとたかじんが親しかった大阪の会社社長だけで密葬を済ませてくれと言われていると主張した。(角岡伸彦著・ゆめいらんかね やしきたかじん伝)

たった一人の娘や親族にも知らせようとせず、Kマネの参列をも阻止しようとするさくらは、一体、何を企んでいたのか。遺産狙いで次々と夫を殺害した京都の筧千佐子と親族縁者を遠ざける発想が似ている。


たかじん 旅立つ

★下顎呼吸

12月31日、この日の朝は下顎呼吸が始まる。こうなると数時間で死亡するケースがある。時々話そうとするがとても小さな声だった。さくらは氷らせたコーラを口に含んで、たかじんの口に移した。久保田医師はスキー旅行をキャンセルして待機する事になった。

携帯電話をボイスレコーダー代わりにして、たかじんと会話を交わした。


【引用純愛 378-379P】
「またしばらくねんねするから、ねんねする前にちょっとお喋りしてくれる、さくらに」
「うん」
「うん?何か言いたいことない?」
「しんどい」
「しんどいねむ、オーケー、じゃあマスクしようね」
「ぼくは、あと、どのくらい?」
(中略)
「頑張る」


百田尚樹は、この時のさくらの優しい声はまさに天使のように聞こえた。私はこの録音を聴いて涙をこぼした。と書いている。

1月1日、たかじんが夜に目を覚ました。


【引用純愛 380P】
「一月一日、頑張ったね。すごいね」
さくらが褒めると、彼は「あかん」と言った。
「何があかんの?」
「あかん、あかん」
「一月一日だから、あかんの?」
彼は「うん」と言った。
「何があかんの?神様のところへ行くのは、お正月だからあかんの?」
「うん」とたかじんはまた言った。「頑張る。もっと頑張る」
「明日まで頑張るの?」
彼は首を横に振った。
「明後日まで頑張るの?」
彼は「うん」ともう一度言って、眠りについた。


1月2日

【引用純愛 381P】
たかじんは呼吸がしにくそうで、見ていて本当に苦しそうだった。現在の状態で睡眠薬を使うと、そのまま息が止まってしまう可能性もあると言われたが、少しでも楽にしてあげたいと思った。
「ハニー、苦しいから、少しねんねできるようにしてもらいたい?しようか?」
さくらは耳元で言うと、彼は「アイラブユー」と言った。これが、たかじんの最期の言葉となった。
睡眠薬を投与すると、静かに眠った。しかし、手足はどんどん冷たくなっていた。
(中略)
彼は口を動かして何か言ったが、聞き取ることができなかった。でも唇は「アイラブユー」と動いているのがわかった。


息をしていないのに気付いたさくらがナースコールで呼んだ、ナースマネージャーの寺田麻子が心拍を調べ、久保田医師を呼んだ。
久保田が死亡を確認した。1月3日午前一時三十四分だった。

★救急搬送報道

殉愛では12月26日入院、1月3日未明死亡となっているが、当時の報道は全く違う。自分もテレビで「食べ物を喉に詰まらせて死亡」と聞いた記憶がある(記憶によると辛坊治朗が出演した番組だったと思う)。当時の報道等を列記しよう。

年始は自宅で過ごしていたが、容態が急変し、搬送された病院で死亡した。(角岡伸彦著「ゆめいらんかね たかじん伝」)

関西人にとっては父親を亡くしたも同然だった。1月7日、関西を中心にカリスマ的な人気を誇る歌手・タレントのやしきたかじん(64)が心不全で亡くなったことが発表された。
1月3日に、東京都内のマンションで食事中に食べ物を喉(のど)に詰まらせ、主治医の勤務する中央区の総合病院に救急搬送。昨秋に入籍したばかりの妻が見守る前で息を引き取った。
(FRIDAYデジタル2014.1.9)

やしきさんは食道ガンで活動を休止し、静養中だった。関係者は、東京で正月を過ごしていた際、食事を喉につまらせ救急搬送されたと証言。
関係者によると、一時は好きなワインもたしなみ、ウオーキングをするなど心身共に順調に回復。 今月中旬には静養も兼ねハワイに滞在する予定だった。
(ライブドアニュース)

関係者によると、東京の自宅で正月を過ごしていた際に食事を喉につまらせ救急搬送され、最期は夫人に看取られ息を引き取ったという。
親交の深かった著名人たちの反応で共通するのは、全く死の兆候を感じていなかったことだ。たかじんさんの関係者から漏れ伝わってくる情報によって「体調は少しずつ回復している」との認識が広がっており、突然の死去は寝耳に水だったようだ。
(メンズサイゾー)

 いろんな方々から電話やメールをいただいたが、ボクは信じられなかった。8日から、たかじんさんは新妻とハワイに静養に行く予定になっており、チケットも購入済みだったからだ。
それだけではない。この静養に備えて、たかじんさんは大好きなカルフォルニアワインを大量に注文。米国本土にしか売っていない葉巻も取り寄せていた。この行動は体調が回復していたことを裏付けるもので、ハワイ静養後、タイミングを見て復帰するという青写真だったことを意味している。(芸能レポーター・井上公造)
 (yahooニュース)

この他に各スポーツ紙も報じがん闘病中に心不全との報もあったが、「救急搬送」と同一の単語が使われた報道が複数に渡るのは、ソースが消防か警察なので捏造はない。ならば殉愛での記述はフィクションとなる。

★病院事情の指摘

何度か書き込んでる医師です。
悪く考えれば、主治医に死亡確認してもらわなければ困ること、他の医療関係者の目につきにくいことだとすれば、年末年始体制の夜間が、もってこいです。

自宅で救急車を呼ぶの同時に、主治医にも連絡(勤務時間外でも主治医に電話メールしていたと殉愛に記述)すれば、自宅にいた主治医も、救急車到着すぐには病院に着きたかじんを診ることができ、他の待機の救命の医者が診ることなく 死亡診断が書けた。
でも、運ばれる救命には救命の看護師がいるから、そこの目はどうしたのかが分からない。

(2CH 既婚女性板より抜粋)

そういえば、聖路加はキリスト教の病院なのでしっかりした緩和ケア科もあると思いますが、最後まで主治医は久保田先生なんですね。オペ不能な末期ガンで疼痛コントロールが主なら、緩和ケア科にうつるのが普通ですが、よほど久保田医師を主治医にしておきたかったのですね(医師)
(2CH 既婚女性板より抜粋)

聖路加病院医師、看護師達は実名で書かれながら、さくらを賛美しているが疑問への一切の説明をしていない。

★息を止めた!?

殉愛の中でさくらが、現在の状態で睡眠薬を使うと、そのまま息が止まってしまう可能性もあると知っていて、「ねんねしようか」と言い「睡眠薬」を与えた。このシーンと救急搬送がオーバーラップして、湧き出す疑念を抑えることが出来ないでいるのだ。

聖路加国際病院の医療管理体制に対する根本的な疑問と疑惑
(2CH 既婚女性板より抜粋)
・「たかじんが苦しそう→ナースコール」という病室での通常行動を取らなかった理由は何か?
・当時のたかじんは、錠剤の睡眠薬を嚥下できるはずないので、点滴か注射で投与のはず
・医療資格を持たない素人のさくらが、このような医療行為を本当に行ったのかという疑問
・危険性を告知されていたさくらが、自己判断で睡眠薬を投与し死亡に至らせたことの是非


救急搬送が正しいなら、入院継続中に死亡と殉愛に書かれた、聖路加国際病院と主治医の久保田医師はなぜ反論しないのだろうか、それともマスコミ報道が誤報なのか、 やはり百田尚樹の演出なのか。

★たかじんは回復していたのか!?

もう一つの情報がある。北野誠が未亡人から聞いた話として証言している話だ。
『北野誠が、2014年1月11日放送「たかじん胸いっぱい」で報告。たかじんがNHK紅白歌合戦を見て「綾瀬はるか、これどやねん?」とつっこんでいた』
紅白歌合戦が放映された12月31日は、殉愛によると朝から下顎呼吸が始り、数時間で命を落としてもおかしくないと久保田医師に診断された日だ。そんな状態でテレビ番組に見入り、司会者を論評しているのは真実性に欠ける。

殉愛を読むと不思議な気分になる事が有った。10月10日の入籍後はたかじんの病態悪化とKマネへの批判的な記述が圧倒的に多いのだ。井上公造のコメントにあるように、たかじんは正月のハワイ行きのチケットを用意したり、メッセンジャー黒田が訪問した際にはワインを痛飲する程回復していたのにだ。さらに、大晦日の関西テレビ「胸いっぱい1000回記念」にサプライズ登場しようとして赤いブレザーを用意していた。そして紅白の件。
たかじんは復帰のきざしを見せる体調だったのではないのか?。
そしてこれは「アサヒ芸能」に掲載された記事だ。

「昨年末(注:2013年12月、死亡の数日前)の段階でも、たかじんさんは元気だったんです。一部報道にあったガンの全身転移なんてのはウソ。復帰に向けてゆっくりとリハビリしているという状態で、春にも復帰するスケジュールでスタッフも動いていたのに‥‥」
「正月に都内で過ごしていたたかじんさんは、食事中に気分を悪くしてそのまま倒れ、緊急搬送された。最期は夫人に看取られ、静かに息を引き取ったそうです」(民放関係者) (アサヒ芸能)


「食べ物を喉に詰まらせ救急搬送」されたとあるが、「食べ物」は何だったのか?
一部のマスコミが書いた死因「心不全」もこのことでないのか?
それは偶然なのか? それとも故意なのか?
殉愛で死因が書かれていないのはなぜなのか?
憶測は尽きないのだが、その後の検証記事は出てこない。出て来たのは巨額の遺産を相続した未亡人に対する記事だけである。それどころか、救急搬送を報じたFRIDAY(講談社)でさえ、殉愛騒動勃発後はいわゆる作家タブーに屈した形で未亡人擁護側に回り、真実を伝える様子はさらさらないようだ。。

★疑念

この日まで最初に抱いた報道と殉愛の乖離への疑念が払えていない。幾通りもの推測を立ててみたが記するのは控えておくことにする。あまりにもおぞましいストーリーばかりだからだ。今後の真実の解明に期待するとしたい。

遺言書作成

★危急時遺言

12月29日、Kが弁護士を連れて来た。たかじんと弁護士の二人で打ち合わせをした。たかじんの意向で会話は録音されており、さくらに「明日、正式に遺言書を作る」と告げた。
たかじんの足は冷たくなり紫色になっていた。医師は「今、生きているのが不思議なくらい」と言った。

12月30日、朝9時に目が覚めたたかじんは、「帰りたい」と言い出した。その後、久保田医師に麻薬を投与してもらい眠った。
午後3時半に弁護士三人がやってきた。本来は公証人が認証するが、今回は「危急時遺言」となるため二人の弁護士を立会人とした。朝にたかじんと会話した久保田医師が「やしきたかじんの意識はしっかりしており、正常な判断力を持っている」と証明した。遺言書作成の一部始終を録画・録音した。
たかじんは会話はできるものの、文字を書けるような状態ではなかったため口述で作成された。筆記したのは、遺言執行者のY弁護士(PIS顧問弁護士)だった。


【引用殉愛 376P】
死期が間近に迫った状況でこけほどのことができるたかじんの意志の強さと精神力に感嘆するが、別の見方をすれば、そこまでしなければならないほど親族のクレームが心配だったのだ。しかし、彼の懸念は不幸にも的中する。たかじんの死後、娘が遺言書は無効だと主張して、大きなトラブルに発展する。
(中略)
この時点でさくらは遺言書の中身は何も知らない。たかじんはひと仕事を終えて安心したのか、ハイタッチをするとすぐに眠りについた。


夜、たかじんの息が苦しそうだったので、マスクと鼻のチューブを付けた。ちなみに遥洋子が話す最後の言葉、「ちょっと飲みに行ってくる」と言って眠ったのはこの夜である。

12月31日の朝、久保田医師から下顎呼吸が始まった事が告げられる。

★不自然な日時選択

殉愛で書かれた流れを要約すると、12.29日に顧問弁護士が来てたかじんと打ち合わせをした、翌日、二名の立会人のもと遺言書を作成した。正月休み期間なので、後日裁判所で認定を受ける。たかじんの意識については久保田医師が正常と証明した。念のため様子の録画・録音も保存している。こう羅列すると問題はないように思える。しかし、疑問の声もあがった。


遺言書作成に取り掛かった12月29日から、死亡した1月3日まで正月休暇中である。通常日であれば弁護士が作成した遺言書を裁判所が確認する。だが遺言書作成から初業務開始日となる1月6日(本来は1月4日だがこの年は土曜日だった)は、たかじんは荼毘に伏された後であるため、この作業は行われていない。
たかじんがKマネに遺言書作成を指示したのが12月25日なので、暦を遡ると通常の遺言書作成が可能だった日は12月26.27と2日あるが、腹膜播種は数日で命を落とす事が有ると言われていたにも関わらず、なぜ12月29日を選んだのか疑問だ。更に言うと、死亡した1月3日はも休み期間であり、スキー旅行を急遽取止めた、担当の久保田医師に死亡診断書を書いてもらうのに都合がいい日であった。
守銭奴さくらにとって重要な出来事が、この期間に集中して起こった。


★ゆめいらんかね、週刊誌記事との相違点

一方、角岡伸彦著「ゆめいらんかね」では12月29日にビデオで遺言書作成としている。このことから推測できるのは、29日の打ち合わせ内容と30日に書かれた内容が違うのではないか?

<29日の内容>
前頁でも触れたが、12月25日にKマネがたかじんに呼ばれて指示を受けた内容。
・たかじんの冠番組は終わらせること
・事務所の終わらせ方はKマネに任せること」
・娘には金を残すこと」

ここではさくらのことには触れていない。

<30日の内容>
正式に受理された遺言書では、全く逆の内容となっている。寄付分を除くと下記の通りだ。(抜粋)
・全ての動産、不動産はさくらへ
・P、I、Sの権利もさくらへ
・娘には一切相続させない

娘には何も渡さないと明記されているのも驚きの内容だ。

★ここからは推測を含む。

29日、Kマネは実際には立ち会っていないが、長年P、I、Sの顧問弁護士を務めてきたY弁護士を信用していたと思われ、たかじんから指示された内容が守られたと安心したことだろう。

一方のさくらは思惑が外れた。以前から"吹き込んでいた"娘の非道な言葉や仕打ちが功を奏していない。
ここで巻き返しする最大の小道具がエンディングノートだ。29日に打ち合せた内容が不服のさくらは、弁護士に自分の意向に沿ったエンディングノートを出し、たかじんの意識が正常ではなかったと意義を申し出る。当然弁護士から抵抗があり、すったもんだの末に出て来た案が医師の「清明証明書」だと思う。
もう一つさくらが行ったのは、朦朧としたたかじんが弁護士に訊かれた際に、「はぁぁ~い」と返事するレッスンを施したことだろう。

フラッシュ誌上で、遺言書作成時の「テープ」を聞いたとして次の記事が掲載されている。百田がベストセラーの肩書を利用して、強引に書かせた記事と報道があったものだ。

たかじん「もう寿命もあんまりないから(中略)法律である分配率は、絶対守らなあかんの?」
Y弁護士「いや、守らんでエエですよ」
たかじん「俺、娘にやりたくないんで、いいんですか?」
Y弁護士「いけますね」
たかじんの掠れた声が確かに聞き取れた。 (フラッシュ)

フラッシュでは「テープ」を聞いたとしているが、百田尚樹は録音と録画があると言っているのに、何故テープを根拠に書いているのか、録画での確認の方が公平性が増すと思う。掠れた声が・・・との記述もあやふやな表現だ。何故なら、もう一つの報道が有る。

「弁護士がこれらを●●さん(さくらさんのフルネーム)に遺すことを承知しますね? と聞かれたたかじんさんが、朦朧としながらただ『はぁい』と言っているのです。
とても弁護士の話の内容を理解しているようにはみえませんでした」
生前のたかじんさんを知る関西メディア関係者は、「余命いくばくかの病床の人に対してすることではないでしょ」と怒りを隠さない。 (ライブドアニュース)

<さくら談話> たかじんの場合、会話はできるが、ベッドに横たわったまま。腕や指に力が入らず、文字を書くのは難しい状況で、口頭で遺言し、証人が書面化する「危急時遺言」の形を取った。 それが12月30日のこと。私が遺言書を書かせるのは不可能。 (フラッシュ)

このことから、弁護士がさくらから渡されたエンディングノートを読み上げ、たかじんはさくらにレッスンされた「はぁぁ~い」を繰り返したのだろうと思う。

(※エンディングノートについては前項参照 (エンディングノート))
(※清明証明書とは、正常な判断力を有するとした診断書)
(※殉愛では29日、30日両日共録画録音をしたとしている。裁判にどちらを提出したのかは不明)

文中でさくらが弁護士に、「無事に終わりましたか?」と訊き、弁護士が「大丈夫です、遺言は認められると思います」と言うシーンがある。無事とはさくらの思惑通りの遺言書が作成されたことを指すのだろう。

裏付けとして必要になった医師の「清明証明書」だが、久保田医師が証明したのは午前で、その後麻薬を投与し、15時半頃から遺言打ち合せの流れとなっている。これは正常な判断力を立証することにはならないのではないか。本来なら打ち合せ直前に証明されてこそ効力が発生するものだろう。さくらが姑息な謂いまわしで医師に用意させたのか、弁護士も黙認したのか、或るいは法の盲点なのか、釈然としないのは事実だ。

この点は百田尚樹も逆手にとり、twitterで咆哮する根拠になっている。更に驚くのは、久保田医師が娘が問合せに来た情報を第三者に流している点だ。これは主治医がさくら側に取り込まれている証明となる。


さらにあざとさを感じる点がある。12月29日の遺言打ち合せから12月30日の遺言作成までの間、たかじんとさくらが会話した記録が殆どない点だ。意識の清明を証明出来るほどであるなら種々のやりとりがあったと思うが、工作をしていないことを強調したかったのだろうか。
(遺言書・遺産問題の詳細は、打算と逆襲カテゴリーにて)

★もう一つの相違点

「ゆめいらんかね」によると、Kマネは12月25日にたかじんと打ち合わせして、年末に「東京」の弁護士を付けて遺言書を作ることにしたが、 「翌日、たかじんの容体が急変」して入院し、Kマネはたかじんと約束していた遺言書作成が進められなくなった。
こうなると上に記した推測も大部分がハズレになる。想像以上におぞましいのかも知れない。
いずれ角岡伸彦氏が謎解きを発表される機会があるかも知れない。

★一千万円

この日、Y弁護士とKマネがたかじんの大阪のマンション内の金庫の中にある現金を数えに行き、証拠となるビデオ撮影をした。その中から、さくらから頼まれた現金1.000万円を持参し渡した。


▼12月30日書いたとされる危急時遺言書
遺言書 手書き















遺言書内容は2014.12発売・女性自身で明かされた。殉愛では寄付先が「大阪市」「盲導犬協会」「親のいない子供の施設」となっている。百田は執筆時点で、「大阪市」「大阪あかるクラブ」「桃山学園」となっていることを知っていたが、あえて書かなかった事になる。
実は書けない事情が有ったのだ。さくらが寄付放棄交渉に出向いた大阪あかるクラブへ、百田尚樹本人が同行していたことが判明したのだ。しかも数々の暴言を吐いた事実も証言されている。

(詳細はこちら・OSAKAあかるクラブ寄付金放棄騒動)


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