★偲ぶ会を主催したテレビ局の不可解

たかじん逝去から二ヶ月後の三月三日、在阪テレビ局五社の主催で「偲ぶ会」が開催されたが、親族の出席を巡って不可解な経緯があった。殉愛の真実で明かされた事実を要約して引用する。

たかじんの親族は会が催されることを知らなかったが、或る日、長女宛てにさくらから突然、「親族は会に出席しないように」とのメールが来た。さくらへ連絡をとるが、「局に全てを任せている」との返事だった。
理不尽だと考えた親族が、知人から教えてもらった読売テレビ執行役員兼伊作局長の山西と連絡を取るが、一向に返事がなく、たかじん弟が知り合いの読売テレビ関係者にこの話しをすると、ようやく山西からメールがあった。
話し合い場所に指定された関西テレビへ行くと、山西、関テレ・菅沼、テレビ大阪・田中の三局長が集まっていたが、「今回はお呼び出来ない」と繰り返す゛かりであった。最終的に長女が、「開催中止の仮処分を申し立てる」というと、時間をくださいと言った。二日後に行われた面談でようやく「ご招待させていただきます」との回答を得た。

その偲ぶ会の様子は、各マスコミ等で既報の通りである。さくらは各テレビ局社長に囲まれた中央席に陣取り、親族は隅の末席に配席され、長女は会の最中に奇声を発したと殉愛に書かれた。この会はPISの権利を横取りしたオフイスタカジン社長に就任したさくらの、お披露目の場のようであったと証言する関係者も多い。

いやはや、何という残虐な仕打ちであろうか。たかじんの一人しかいない娘、たかじんの亡き骸にも会えず落ち込む老母、そして兄弟達。娘を除いて、荼毘に伏されるたかじんとお別れも出来ないでいた人達だ。さくらが本当にたかじんを愛していたのなら、親族の出席を自らテレビ局に訴えるべきだろう。いや、主催したテレビ局がさくらの意向を汲んだのか、自らの意向なのか。
しかし、この驚きのエピソードも、たかじん利権に群がるハイエナストーリーの一小節に過ぎない。

★一致した利害

殉愛に実名で登場するテレビ関係者は、さくらを賞賛するかたわら、KマネやUについては凄まじいばかりに貶めることで一致していた。特に、「ボーイズ」の相原康司、「AZITO」の井関猛親を筆頭とする、たかじん番組の制作に携わっていた者達は顕著であり、前出の読売テレビ・山西も例外ではない。
たかじんが腹膜播種を起こし、短い余命を知った2013年12月25日にKマネと打ち合わせ、たかじん事務所を閉めるとしたところにポイントがある。それはたかじん冠番組の終焉を意味しており、それらの高視聴率で稼いできたテレビ局と、それらの番組制作を事業収入の柱としてきた制作会社にとって大打撃である。
特に読売テレビは人気番組「たかじんのそこまで言って委員会」を放送しており、一本約4.000万円の広告収入があり、年間では約20億円前後稼ぐとされていた。レギュラー番組を持つ他の二局の事情も同様であろう。番組終焉で被ることになる減収は巨額に上る。其れゆえ、たかじん休養中も「冠」を外すこともなく続けて来たのだ。
たかじん利権を持つことになるさくらにとっても、算盤勘定は一緒である。たかじん闘病中から番組継続への、さらには死後の継続へも向けた「皮算用」が、両者間に有ったとしてもおかしくはない。
関西の視聴率男の威光は想像を超える大きさだったであろう。テレビ会社のお偉いさんや制作会社の者達が、自分の機嫌を損ねないように接してくる、たかじん未亡人の称号を持つだけで。これまで俗物的な人生を送ってきたさくらにとっては、眩いほどのチャンスと映ったことだろう。
PISの副社長でもあるKマネを、力づくでも排除し貶める必要があったのである。

★制作会社

相原康司が代表を務める制作会社「ボーイズ」は、当初はたかじんが作った会社で、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」とテレビ大阪「たかじんNOマネー」を制作している。文字通りたかじん在っての会社だ。相原はたかじんから「アホ原」の称号を与えられているが、業界の最側近の一人と言っていい人物だ。
殉愛の中でも、常にさくらを持ち上げる言動をとっている。2012年末のハワイでは、「師匠が今こうしていられるのは、さくらちゃんのおかげですよ」と言い、復帰を果たした収録後には、「師匠が今こうして元気な姿でいるのは、さくらちゃんがいてこそです」と言っている。たかじんが婚姻届を出すと知った時には、「師匠、とうとう・・・」と涙を流している等々だ。
制作会社「AZITO」は井関猛親が代表を務め、「そこまで言って委員会」と「たかじんNOマネー」の演出を手掛けている。又、殉愛の著者百田尚樹が放送作家を務める「探偵ナイトスクープ」の制作も担当している。井関は各方面に人脈を持つと言われている。
日置圭信が取締役を務める、制作会社「レジスタ・エックスワン」は、関西テレビ「たかじん胸いっぱい」の制作を担当している。同番組はたかじん番組として最も長く続いている。

特にボーイズはたじんが出資して設立した会社で役員登記もされており、子会社のTVTVTV社に至っては副社長となっていた。つまり、高い視聴率が見込めるたかじん番組を作りたいテレビ局は、同時にボーイズを使わざるを得ない仕組みとなっていたのだ。

▼たかじん利権相関図 (takoutsubo.wiki.fc2.com/m/)
相関図2














★KマネとUの排除

殉愛によると、2013年8月28日、読売テレビ・山西からたかじん電話が入り、「たかじんが番組を終わらせたいと、Uが言っているが本当か」と質問があり、たかじんは即座に否定したと書かれている。その後、相原から同様の問い合わせがあった際にさくらは、「これから番組のことは私に直接言って下さい」といい、相原が、「そうするよ」と答えるシーンがある。
殉愛の真実によると、たかじんがKとUに番組終了の指示を出したのは事実で、相原からの問い合わせに、「そんなことはない」と答えたのも事実だ。Uにとってはヒドイ話だがそれは置いておこう。この成り行きを知っているさくらが、これからは私を通してほしいと言って野心をのぞかせ、相原が同調している点に目が行く。

2014年11月29日、たかじんのipadにKマネからメールが入り、添付された画像を見ると、女性のあられもない姿が写されたモノであった。これを見たたかじんは激怒し、Kマネをクビにすると言い解任通知書を作成したとされている。さくらは相原にことの成り行きと、Kマネをクビにすることを告げると、「今から行って、しめたろうか」と息巻いた。
その後さくらは、たかじんに何度も「Kをクビにしたのか」と迫るが、たかじんははぐらかし有耶無耶となった。

この二つの出来事からわかる通り、さくらと相原にはKマネとUを排除しようとする懸命な姿が浮かび上がるが、それはたかじんの考えを超えたものだった。

★復帰を早めたテレビ局

2013年の正月が過ぎたころ、読売テレビ・山西制作局長、レジスタエックスワン」の日置と橘、日を違えてボーイズ・相原代表とAZITO・井関代表がハワイにやって来てたかじんと会っている。
相原が「師匠、復帰出来そうですか」と訊ね、たかじんが「春くらいに復帰しようと考えている」と答えている。相原はいつまでも待つので無理はしないでほしいと言うが、たかじんは体重が戻ったのでもういけると言い、その後、三人で具体的な日取りを話し合っている。
殉愛によるとたかじんは、手術から一年検診を受け異常がなければ復帰に向けて考えると計画していた。再手術から計算する一年後とは、四月下旬となる。予定より早いこの時期に、たかじん番組に関係している面々がハワイまでやってきて、復帰の日取りまで話し合ったということは、たかじんに早期の番組復帰を迫った可能性が高い。先発隊の山西達が意向を伝え、相原とたかじんのコンドミニアムを初めて訪れた井関が、スケジュール打ち合わせに来たのだろう。

★謎のフエースブック<家鋪さくら>

殉愛をみる限り、12月初旬以降にはテレビ関係者との接点が書かれていない。腹膜播種と診断された際も、下顎呼吸が始まり予断を許さない状態となった時もだ。たかじんが荼毘に伏された後の1月6日になって、初めてテレビ関係者を大阪のマンションに集め、死を報告している。
相原に至っては、さらに一日遅れた7日になってからと、不自然な形の流れとなっている。これはにわかには信じられない話しで、少なくとも相原と井関は逐一、状況報告を受けていたと思わずにいられない。
謎なのは、たかじんが危篤状態となっていた2014年1月1日、さくらが「家鋪さくら」名でフエースブックを開設し、翌日にテレビ関係者とたかじん友人の数人と友達となっている。フエースブックのメール機能を利用すると、他人に知られず連絡をとることが出来るのだが、開設日の怪しさから、チーム間の何らかの手段に使われた可能性は高く、「ねんねする?」と言って睡眠薬を投与する直前にアップされたプロフィール画像は、男女のシューズ姿(Nマーク)だったが、何らかのシグナルだったのかも知れない。

★相続宣言

たかじんの遺骨を大阪のマンションへ運んだ1月6日の夜、さくらはテレビ局、制作会社の幹部達を呼び、たかじんの死を報せている。殉愛では見届けたさくらに対し、労いや賛辞する声を掛けられたとしているが、殉愛の真実では全く違う表現となっている。

参集された幹部達に、「全てをさくらに相続させる」と書かれた遺言書を見せ、「今後は、やしきたかじんに関するすべてを私が引き継ぎ、取り仕切る」「PISも自分が社長となる新体制となる」と伝えた。
翌7日にたかじんの逝去が正式に発表されたのだが、夜10時頃、さくらの意を受けたY弁護士がPIS事務所に現われ、「PISの次期社長はさくらさんなので」と言って、同社の実印、通帳、帳簿類、契約書を持ち出したという。

殉愛ではこの件について、弁護士がPISへ出向き、「あなたに法的な権限は一切ない」とKに伝え、会社の帳簿と関係書類を没収したと書かれている。実印や通帳、契約書のことは明記されず、カモフラージュしたと思われる。なぜなら、周囲の殆どはたかじんがPISの株式の大半を所有していると思っていたが、実は24%の所有だったのである。ならば、遺言書を盾に実印と通帳、契約書を持ち出したとなると、問題となるからだ。

この夜、制作会社AZITO代表の井関は奇妙な行動を取る。死亡を知らないはずの毎日放送が、たかじん追悼番組をこの日の深夜に流すとの情報が流れテレビ関係者達が調べた結果、KマネとUが情報を流していたことが判明する。これを知った井関が毎日放送の常務に、「遺族の許可を取ったのか、KマネとUは権利がない。番組を中止しないと低変なことになる」と電話し放映を中止させたエピソードが殉愛に書かれている。井関は遺言書を見せられたと思われるがそれは夕方以降のことだ。しかも危急時遺言なので裁判所の認定を受けなければ正式な物にはならない。それでもこれまで契約中だったPISを差し置き、遺族の権利を盾に毎日放送に対して番組中止を強要したのは、死後利権を死守する為と言えよう。しかも遺族と口実を付けるなら、長女の権利関係も精査してから発言すべきであった。

前述したが、相原は翌7日に伝えられている。二つのたかじん番組制作を担当している社の代表が、たかじん死亡の報告を後回しにされているのは不自然極まりない。遺言書内容、さくらへのPIS利権移行、PISへの弁護士派遣、全て知ったうえで井関と共に最後に訪問したのだろう。首謀者と思しき悪党が最後に登場するのは、さすがテレビ屋の演出か、と思わせてくれる。
(殉愛によると東京にいた井関は、たかじん死亡を前日に電話で知らされていた)

★Offise TAKAZIN設立

たかじんの持株比率が低く、PISの権利を引き継ぐことが不可能となったさくらは、新会社Offise TAKAZINを設立し、代表におさまった。この会社はたかじんの著作、出版物、映像等の権利の管理を目的とし、以降はさくらの許可を抜きにして、たかじん番組が成り立たない事を前提に創設されたものだ。
しかし、権利を持っているのはPISである。如何様にしてさくらが権利を獲得出来たのであろうか。

まずは骨壺作戦である。
さくらは骨壺を首から下げてテレビ局等を訪問、冠代、肖像権などの権利を「オフイス・タカジン」のものとして契約を取り付けた。決め台詞は「私の言葉は主人の言葉です」だったそうだ。(業界関係者) たかじん追悼番組の収録時には、骨壺を持参したさくらに、相原が同行したとの情報も有る。
自分もどこかの国へ出張中に見たことがある光景であるが、実際ゾッとした記憶は今も鮮明に残っている。訪問された方の心理を逆手にとった行動は、効果てき面だったことだろう。

▼骨壺行脚を目撃した、作詞家・及川眠子氏の感想


何よりスムーズに利権以降が進んだ背景は、テレビ局の思惑だろう。PISが権利を持つとたかじんの意志が優先され、冠番組が早晩消滅するのは必定である。PISが相続するには根拠が足りないとの理由を付け、いとも簡単にOffise TAKAZINと契約を結んだのだ。
さらに在阪のテレビ局が約五千万円の費用を負担して偲ぶ会を開催し、もっぱらOffise TAKAZIN代表・家鋪さくらのデビュー戦と称される場を与えたのである。

テレビ関係者はたかじん死亡を、葬儀後に突然知らされたように装っているが、三者がそれぞれに甘い蜜を貪る一連の流れは、たかじん没前から描かれていたストーリーのように思えてならない。
たかじんが長期離脱中も、復帰までの期間はいざ知らず、その後も冠番組を続け、テレビ復帰は不可能と考えたたかじんの意向を押しとどめ、さくらを介在役として全てをコントロールしていたと言えるテレビ業界。死後も然りで「冠」を継続させて視聴率を貪る。たかじんの偉大さがなせる業と言えばそれまでだが、たかじん休養から約三年もの時間が過ぎている。今尚、新しいコンテンツを産み出せず、一種の恩人とも言えるたかじんを静かに眠らせることが出来ず、すがるだけが術の関西テレビ業界には失望する。

★たかじん利権

Offise TAKAZINはさくらの一人役員会社であり、その収入の全てを管理出来る。更には「ボーイズ」の取締役にも就任し発言権を増した。
三つの「冠番組」はたかじん死後も続き、冠代は一本30万円程度と言われており、年間では約4千数百万円もの収入となる。たかじんの映像が使われる都度に発生する肖像権収入もあり、さくらは露出チェックに余念がないという。
その他にもサイト運営や記念フレーム切手発売等の関連事業も行っているが、こちらの営業成績は芳しくないようだ。ネット民、雑誌、書籍類を通じて、さくらの本性が明らかになったことも、無関係とは思えない。

関西で圧倒的な人気を誇るたかじんの冠ビジネスを取り囲む、前記のテレビ会社、制作会社、たかじん利権継承者さくらの三者は、いちご大福の形に似ているように思える。甘い餡の中心にくるまれた苺は賞味期限が短く、ただの守銭奴で業界に疎い未亡人は与しやすさで選ばれたのだろうが、実は古米が使われたカビやすい餅皮のようだからだ。