たかじんが逝去する3ヶ月前から、さくらはたかじんの妻であったが、「殉愛」でいうところの誰も知らなかった741日間において、たかじんとさくらのポジショニングはどうだったのだろうか。

★2012.1.25 マンションの鍵


【引用 :殉愛 96P】
一月二十五日、出会ってちょうど一ヶ月にあたる日に、たかじんはさくらにマンションの鍵を渡したそしてひと部屋を与え、さらにクローゼットの引き出しもさくらの分を空けてくれた。
たかじんは真面目な顔をして言った。
「ぼくは何日生きるかわからへん。これからすべての日が記念日みたいなもんや。いつ死ぬかわからんから、ぼくの言うたこと、したこと、全部覚えていてほしい
「わかった」とさくらは答えた」。これから胸にも耳にも頭にも覚える」

・・・マンションの鍵を渡し、一部屋を与えたということは同居が始まったと見ていいと思うが、3月に伯父から借りているマンションから向かいのマンションに越すとも書いてあり、実態がよく分らない。
推測すると、たかじんもこの時期は衝動的な行動をとっていたが、急速に冷めて向かいのマンションを提供することになったのではないだろうか。
全部覚えていてほしいと言ったのは、ガン撲滅チームの書記係としてではないかと思う。


★2012.1.27 ・スタジオ見学

たかじんが「最後になるかもしれないので、一度見ておいてほしい」と言い、そこまで言って委員会の収録を観覧する。
さくらはテレビ局へ行く前に、長い髪を切った。たかじんはこのヘヤ―スタイルを大喜びした。たかじんが愛した「京都の女性」と同じだった。

・・・京都の女性とは、たかじん不遇時代に付き合った女性を指すが、その人と姿形が似ているとの理由で喜ばれても、心はここに非ずと言える。自分が女性なら「代用品かっ!」と突っ込みを入れるだろう。

★2012.1.30 ・ステージⅢ

三田病院でステージⅢを宣告され、にこりともしない たかじんの背中を、さくらがさすり続けた
その後、買ったばかりの東京のマンションへ行った。
「ここはどの女も入れていない。二人だけの新居や。さくらちゃんが思うように自由にリフォームしてもらったらいい」
自棄になったたかじんは、「最後まで無茶苦茶して死んでいくような男でないとあかん、毎日飲み歩いて、新地で死にたい」と言った。

【引用 :殉愛 96P】
さくらはメールを送った。
「じんちゃんがそういう考えであれば、さくらは支えることができません。私が好きになったのは、目の前の屋鋪隆仁で、みんなのやしきたかじんではない。だから、治る可能性があるのに、元気になる可能性があるのに、一緒にいられる時間が長くなる可能性があるのに、そっちのやしきたかじんの生き方を望むならもう私には何もできません
翌朝、たかじんから返事があった。
「一緒に頑張る」

・・・背中をさするボディランゲージは、さくらの得意技のようで、たかじん死後も含めて各所に登場する行為である。
有名な人気者になったことがないので良く解らないか、本名の自分を好きになったと言われると嬉しいものなのだろうか。さくらはそこらのミーハーと一線を画した存在を演じたかったのだろう。
「もう私には何もできません」の言い回しは、奥様掲示板にも似た書込みがあり、本人降臨か!と話題になったが、弱者(病人等々)にとっては堪える追い込みの言葉だ。
死後のMoney事情では、「家鋪隆仁」と「やしきたかじん」の両方を独占しようすることになるのだが


★2012.2.5 ・検査入院

たかじんが入院中、さくらは東京のホテルに泊まる。退院後、大阪に戻る。

★2012.2.21 遊び相手

この日、さくらはKマネとUの三人で食事に出かけ、その席上でUから言われる。「あの人にとって女なんか ただの遊び相手やで。今は病気で気が弱っているから、あんたに頼っているけど、病気が治ったら、すぐに捨てられるで」
さくらはマンションに戻り泣いた。二人の言う事は出鱈目だと思おうとしたが、もしかしたら本当かもしれないと考えると不安でいっぱになった。自分はやしきたかじんのことを何も知らない。もしかしたら自分はとんでもない過ちを犯したのかもしれない。
翌日、たかじんに言うと、「記にすんな、。あいつは昔から一言多いねん。あいつにはぼくから言っておく」と答えたが、明確な否定はなかった。さくらは少し悲しかった。

・・・今は病気で気が弱っているからは、言い得て妙である。この段階では「とんでもない過ち」に繋がる事実はない。伊夫イヴァンもTwitterの書込みを見る限り、さくらの帰国を首を長くして待っているのだから。

★2012.3.11

抗がん剤治療で入院中、たかじんが胸の痛みを訴えたため、さくらも病室に泊まり込むようになった。

★2012.3.24 浮気

さくらはたかじん自宅の向かいのマンションに引っ越す。片付けを終えたかじんのマンションへ行くと、エレベーター前で派手な服装の女とすれ違う。女は「あんた、遊ばれているで。私、今、じんちゃんとやってきてん」と言った。
玄関の三和土に、女性もののハンカチとメモが落ちており、メモには「消えろ、ブス」と書かれていた。さくらはたかじんに「誰か来たの?」と訊くが、Kマネしか来ていないと言い張る。
さくらはいつものように足裏マッサージをして帰った。

【引用 :殉愛 113P】
失望とかショックという言葉で表せるものではなかった。心がナイフでえぐられるようだった。私がいったいどんな悪いことをしたというのか。イタリアに戻るチケットを引き裂いてまで彼のために残ったのに、その仕打ちがこれか。なぜ、こんなひどい目に遭わなくてはならないのだ。
(中略)
実は、この日までたかじんとは一度も肉体関係がなかった。性的な意味での体の愛撫もない。さくらも最初は意外に思えた。(中略)・・・私のいない間に、彼は他の女とそういう関係を結んでいたのだ。
私は「女性」として見られていなかったのか。彼にとっては、ただ病気の世話をするだけの女だったのか。
(中略)この人を支えていくことはできない!もうお別れしよう

・・・「今、やってきてん」まさしく下品な言葉であるが、たかじんをよく知る人は「あんな下品な女とは付き合わない」とも言う。殉愛ではたかじんの周囲の女性は、ことごとく下品に扱われている。社会性に欠しいさくららしい取材だったのだろう。
病気の世話をするだけの女だったのか疑わしいが、オンリー・ワンでなかったことは確かだ。しかし、それがどうしたと言うのか。さくら自身、常に複数の男性間を行き来している身であり、この時間も人妻であるのにだ。
結果論になるが、ここでお別れしてくれていたなら、たかじんは親族やファンを悲しませる結果とならずに済んだと思う。本心とは思えない「お別れ」の言葉が虚しい。

★2012.3.25 許してほしい

さくらはKと会い、たかじんと一緒に東京の病院へは行けないと告げるが、Kマネは「その女と師匠は何もない、師匠を見捨てないでほしい」と言った。
たかじんの部屋へ行ったさくらはたかじんに言った。「昨日、マンションに来たとき、下で女の人に声かけられて・・・」
「何、その女、誰?」
「その人、すれ違うとき、じんちゃんと今、してきたって、言った」
たかじんはいろいろ説明するが、さくらは納得しない。
「さくらは心から信頼できない人のそばにいる自信がないし、一緒に頑張れない。じんちゃんはその人に看病してもらったらいい
たかじんは、その女はただの遊び相手だと言うと、さくらは「さくらも遊び相手の一人?」と訊いた。
「ぼくが本当に結婚したいと思っている女はさくらちゃんだけや」「もう二度と会わん、だから許してほしい
真剣な顔を見ていると、見捨てることは出来ない。決して許せない・・けれど、許す努力をしよう。

・・・東京の病院へ行かない、他の人に見てもらえ。さくらは許してほしいと言わせる話法に長けている女だと感じる。

★2012.4.6 お利口さん

二人は芝公園まで桜見学に出かける。
たかじん「さくらってええ名前やな、でも家鋪さくらのほうがええで。森田さくらよりもええ」
来年も見に来ると約束してと言うたかじんに、さくらは心の傷は癒えていなかったが「お利口さんにしていたらね」と答えた。

★2012.4.9 結婚しよう

たかじんは初めて「さくら」と呼び捨てにした
「さくら、手術が無事に終わったら、結婚しよう
さくらはうなずいた。

・・・もうやっていけないかもしれないと言って2週間、結婚に同意する不思議。

★2012.4月 夜間譫妄

たかじんの夜間譫妄が強くなり、ひとり言を言い出す。殆どが他の女性との経験談であったが、「さくらは本気で惚れた女や」とも言った。
「夜間譫妄でいろんな話を聞かされたことで、ようやく浮気を許す気になった ような気がします。彼が本当に私を愛しているということもわかりました」

・・・譫妄は無意識のうちに起こるものであるが、たかじんの頭の中には「女」のことしかなかったのか。夜間譫妄の症状まで持ち出して、自分への想いを強調する技法に思えてならないのだが。

★2012.4.19 再手術の日

たかじん「この恩返しをせなあかん」
さくら「じゃあ、幸せにしてくれる? 」「言うたことは絶対にやる」と指切りした。


・・・恩返しには様々な形があると思うが、結婚を持ち出して迫っているのは、むしろさくらの方である。

★2012.4.20 お父さん

【引用 :134P】
「さくらのおかげで頑張れた」たかじん言った。「元気になったら、さくらのお父さんに会いに行きたい。ほんで、お嬢さんがどんなに素晴らしいかを伝えたい
さくらはそれよりもたかじんが目を覚ましたことが嬉しかった。

・・・さくらは父と会われたら困る立場、伊夫イヴァンの存在と併せて、さくらの過去をいろいろ知っているからだ。

★2012.4.22 伯父.

病院にプジ―の購入を打診するが難色をしめすと、さくらは伯父に電話し、一億円を無心する。

・・・ここで書かれている伯父と会ったとしても、プジ―とは無関係な用件だった可能性が高い。伯父と表現しているが、殉愛の真実では元愛人だったF氏とされている。
(※F氏についてはこちら・ さくらを通り過ぎた男達)

★2012.4月 じんちゃんのために死ぬよ

【引用 :134P】
そして何度もおしっこにトライした。もちろん尿瓶でおしっこを取るのはさくらの役目である。
「他になにかしてほしいことある?」とさくらは訊いた。
ずっとそばにいてほしい
「さくらでいいの?」
そう訊くと、たかじんは嬉しそうに「当然」と答えた。そして、
女は尽くして尽くして死ぬもんなんや。さくら、そうやな」と言った。
「いいよ。じんちゃんのために死ぬよ
本心だった。彼のためなら死んでもいいと思った。


・・・殉愛騒動後、マスコミ取材に対して自殺未遂もあったと答えているが、当時のSNSから窺がえるウキウキ振り、遺産に対する執念、祭祀の扱いを見る限り、じんちゃんのために死ぬの言葉は虚しい。

★2012.5.5 ひとつになりたい

「さくら」と呼ばれ近くに行くと、たかじんが ぎゅっと抱きしめた。それを何度も繰り返した。
「そばにいれて良かった、色々なことを許してしまう。彼がこれまで付き合ってきた人とさくらはまるで違うと思う。それでも選んだのはじんちゃんだから。こんなにそばにいられるのだから、心もカラダもひとつになりたい


・・・これまで付き合ってきた人とまるで違う、の意味は何だろうか。殉愛で描かれた他の女は、打算的な汚い女ばかりだ。自分は違うと言うのか!? 抱いてもらえない悔しさなのかも知れない、カラダも一つになりたいのだから。

★2012.5.13 嬉しい

たかじんは「もう、仕事はええ。ひらがなのやしきたかじんやなくて、漢字の屋鋪隆仁になって、さくらと二人で静かに暮らしたい」と言った。さくらはやしきたかじんに戻してあげたいと思った。
「私は幸せな女だと思う。きっと色々な人がじんちゃんを大好きで、ファンで、お世話したいに違いない。お世話できるのが嬉しい

・・・知合った初期は「家鋪隆仁」を好きになったと言って近付き、距離が近まると「やしきたかじん」側近を嬉しがるさくら。

★2012.5.25 いつ死ぬかわからない

一億円を借りた伯父と会い、不要となった小切手を返す。五千万円入りのボストンバッグを渡される。

【引用 :殉愛 154P】
「なんで、そんな奴にそこまでするんや」
「私にとって大事な人だから」
「あんな女たらしと真剣に付き合ってるつもりか。遊ばれてるだけかもしれん。都合よく使われているだけと違うんか」
いつ死ぬかわからへんのに・・・、(中略)それでもいいのか?」
さくらはうなずいた。

たかじんにはさくらの誕生日だから伯父が会いに来たと説明。たかじんは指輪をもっているふりをし、さくらの指にはめる仕草をしてった。「結婚してな」。さくらは嬉しくて泣いた。

・・・たかじん死後この五千万円は、たかじんの金庫に入っていた2億8千万円の内の一部だと主張することになる。作り話だとすると、べストセラーとなった書籍・殉愛の中でアリバイ工作をしたことになる。著者は伯父への取材で確認しただろうか、そうでないなら遺産工作を幇助したことになる。
この伯父が愛人として出て来たF氏なら、会話の端々にさくらに対する未練が読み取れ、さくらが傾注しているたかじんが憎かったことだろう。「いつ死ぬかわからへんのに」と言ったのはたかじんの病状をさくらから聞いたのだろう、殉愛の真実で明かされた海戦山戦な伯父の正体から、「たかじん遺産獲得」へ向けた方策を伝授された可能性もある。

★2012.5.29 私がなにもかもやる

久保田医師は、「さくらさんが自宅でそれができるなら、来月の初旬には退院できます」と言った。「私がなにもかもやるので、退院させてほしい」と言う。

・・・たかじんの最期を看取った久保田医師の言動には、不可解な点が多数見受けられるのだが、ここでの「さくらがそれができるなら」の発言の真意は、患者、或いは付添い人から強く要望されたのではないだろうか。或いは、クレーマーなさくらに病院側が辟易した可能性もある。そうでなければ条件付き退院を勧めるはずはない。

★2012.6.1 家に帰れるなんて

退院日を打診されたさくらは「六月九日」を選び、たかじんに伝えた。「家に帰れるなんて・・・」と呟き、「それにしても、シックスナインの日というのは、いかにも縁起がええなあ」と言った。
その後、さくらを札幌とハワイに連れて行きたいと話した。

・・・この後、特に札幌は頻繁に行き来し、多くのエピソードを残す地となる。

★2012.6.4 料理

さくらに京都こずこんオーナーシェフの鵜川から電話があり、さくらは「料理の師匠になってください」と頼む。たかじん好みの味を知るためである。

・・・たかじん好みの味を、と言えば聞こえはいいが、さくらの都会っ子ブログでは、料理が殆ど出来ないとカミングアウトしている。幾度もの結婚歴を残すアラサーとしては情けないことだ。

★2012.6.8 お別れするとき

退院前日、たかじんはエルビス・プレスリーの「愛さずにはいられない」のサビの部分を英語で歌った。
さくらは再発した時は最後だ、いつかお別れするときが来た としても、笑顔でいよう思った。


・・・この段階で、再発したら終わりなことを認識している。多くの遺産を残すであろうたかじんと、離れるわけにはいかないのだ。