★騙されたたかじん

次の引用を読むと分る通り、殉愛でさくらは独身女性として登場しており、これは全編を通じて言えることだ。しかし早々に過去の結婚歴が暴露されるに至り、同時に重婚疑惑も持ち上がった。
 (※詳細はちらで さくらを通り過ぎた男達 偽りの独身 )

【引用:殉愛 39P】
「イタリアには彼がいるの?」
「親しい男性はいます」
「恋人じゃないの?」
「違います」とさくらは答えた。「でも、父は彼と結婚したらいいと言いました」
たかじんは少し驚いた顔をした。
一年前、さくらの父がイタリアに来た時に、その彼を見ていたく気に入ったのは事実だ。また、彼からはプロポーズもされていた。もっとも彼と結婚するイメージは湧いていなかった。


これらの経歴の中で、さくらの不可解な証言が繰り返されるのが、最初に判明したイタリア人男性イヴァンとの結婚から離婚に至る時系列だ。まずはさくらの手記を引用する。

出会いは2008年春、遠距離恋愛の末、同年12月に日本で入籍した。
2009年の春にイタリアで夫婦生活をスタートさせたが、すれ違いにより、2010年の春に別居。
家族を安心させるため、
和気あいあいとした写真をブログにアップした。
2011年5月から離婚に向けての話し合いを始め、2012年3月1日正式に離婚が成立した。
(Will 2014.12月発売号)

2008年の春に私はイタリア人男性とステイ先で知り合い、その年の12月に入籍をし、2009年にはイタリアに移住しました。しかし、文化の違いからか結婚生活が難しいと判断し離婚を考えるようになりました。

当時私はイタリアでネイルサロンを開いており、知人の勧めでブログを始めました。そこでは実際には異国での生活に心身ともに疲弊していましたが、あえて夫婦仲が良好であるがごとく内容をブログに書くことで日常生活を忘れることができました。

2010年3月頃から夫婦は別居状態となりました。そして2011年ころから二人は離婚に向けた話し合いを始めました。そして正式な離婚手続きをするために日本に帰国しました。そして12月に夫が日本を訪れ、離婚合意書面にサインをし (※註・2012.3.1) 離婚が成立したのです。
(FRIDAY 2014.12.12号)

百田尚樹が「作家タブー」を利用して掲載させたと言われる、週刊新潮、FLASH等も同内容の手が掲載された。複数の天下の大出版社がミスプリントするとは思えないが、そうではないのなら、さくらの証言は真っ赤なウソだと思う。さくらと妹のSNSから事実を追ってみる。

2009/12/6 さくら「mixi」
ルミナリエ通り横のホテル・ヴィラマーレリザーブ
彼からプロポーズは受けたが指輪はまだだったが、レストランで受け取る。
・・・ここで指輪なら、2008年入籍一年後に貰ったことになる。常識的には考えられない。プロポーズを受けたと表現してるのは、結婚に至っていないという意味だ。

2010/2/17 さくら「都会っ子ブログ」
一個違いの日本に残した妹が結婚します。(正確には入籍は済ませていたので、結婚式です)

2月22日だから、ふ(2)ーふ(2)の日であります( ´艸`)

よく考えると・・・姉妹揃って同じ年に入籍をし、同じ年に結婚式を挙げる・・・そりゃあお父さんは寂しがっています。幸い妹のおうちは近くだけれど、あたしはそうとう遠いし・・・ヽ(;´ω`)ノ

ちなみに・・・あたしたちはクリスマスに入籍をし、2010年10月10日に式をしようと思いましたが・・・日曜日のため、クリスチャンにとっては大事なサンデーサービスの日ですから、もちろんできません。
・・・同じ年に結婚式とは2010年のことですね。

2010/2/22 さくら「都会っ子ブログ」
妹ちゃんの結婚式のため、前泊でホテルにいます。なんだか、自分のくらい緊張(>∀<)
・・・そう、2010年ですね

2010/03/17 さくら妹のブログ
「そんなイバンくんも5日にイタリアへ帰国。
ねーたんは今日イタリアへ発ちました。 」
「そうなんです、ふたりはこっちで入籍を済ませ
イタリアでの新婚生活に入ります。 」
・・・新婚生活に入るためイタリアへ向かった3月に、別居生活に入ったとはこれいかに!!

2010/4/14 さくら「都会っ子ブログ」
さてさて、あたしたちはカトリック教徒として、結婚前に「フィアンセコース」なるものを他のカップルたちと受けたんです。「離婚」が良しとされていないので、事実婚が多いのもイタリア。それでも結婚するのだから、失敗がないように・・・結婚とは何ぞや?っていう勉強をドン(牧師)とします。

約2ヶ月、7回にわたり行われたコース…(あたしは最後の1回だけ参加(・Θ・;))
・・・2010年9月の結婚準備ですね

2010/9/25 
イタリアでの結婚式。イヴァンの親類がF.Bにアップした結婚式画像が発見される。さくらの父・妹が参加した画像も。
・・・別居中に結婚式ですか!?父と妹も出席していますが。

2010/9/26 さくら妹のブログ
イタリアで過ごす3日間と題されたブログ記事で、9月26日はベネチア周遊へ出掛けた様子をアップ。イヴァンの実家と、イヴァンと妹の2ショット画像が貼られる。
・・・前日の結婚式参加に続く旅行ですね。

2011/12/24 さくら「都会っ子ブログ」
クリスマスイヴですね~!
皆さんは、いかがお過ごしなんでしょうか??
あたしにとっては、「結婚2周年イヴ」「ハニー、日本来日イヴ」でもあります。
・・・結婚二周年イブなので2009年12月入籍ですね。イヴァンが来日して二人がクリスマスをエンジョイしている画像がたくさんアップされていますね、リザーブしたヒルトン大阪のルームも素敵でした。

2011/12/28 さくら「都会っ子ブログ」
イタリアから、たくさんプレゼントを持ってきてくれたハニー。
無事にハニーを迎えて、ホテルに着くと、ホテルの方にもお祝いしていただきました。
あたし、日本でしか買えないであろう、本人の欲しい物をあげようと思っていたので用意していませんでしたが、ハニーからはアクセサリー。新年のランジェリーは今年は回避できました!!
・・・離婚協議を重ね、離婚合意書にサインするために来日した夫との姿とは思えないショットの数々でした。イタリアでは離婚記念にアクセサリーをプレゼントされるのですか。

さくらが百田尚樹の圧力で書かせた週刊誌掲載の手記は、時系列が子供でも不思議に思うほど滅茶苦茶であることが分る。なぜ、こんな愚挙に出る必要があったのか。それはネットでも騒然となった「重婚疑惑」を原因とする。重婚が事実なら、さくらが一人占めを目論んだ遺産相続資格を失うことになるからだ。まずは次のブログを読んでおいてもらいたい。

2012/3/12 さくら「都会っ子ブログ」
帰国予定日近くに父に癌が見つかりました。。。一人の方から、わざわざ何度も、夫をイタリアに残してとか、実家に帰りすぎで甘えてるとか書かれました。母がいない中で、病気の自分の親を優先するのが間違いでしょうか?
また、夫婦で話し合い、今の形を納得して、毎日連絡して話しているにも関わらず、。。
・・・父と言ってますが、付添いしていたのはたかじんですよね。と言うより、3月1日に離婚が成立しているのに、「夫をイタリアに残して」とか、「夫婦で話しあい、今の形を納得して、毎日連絡して」とはどんな意味??もしかして離婚は成立していない!?或いは、イヴァンが離婚を知らないだけ!?それなら離婚届けは勝手に提出したことになりますが。

さくら「都会っ子ブログ」 さくらmixi さくら妹ブログ

退屈なイタリアの結婚生活と、有名な芸能人であり経済的に裕福、かつ余命が短いことが予測されるガン患者であるたかじんの妻の座を天秤にかけたのだと思う。

★重婚疑惑、イタリアでの離婚は未成立か

重婚疑惑が白熱し、鎮静化を謀るさくらは週刊新潮誌上で「離婚届受理証明書」を掲載させる。これは日本国内での離婚手続きを意味するものだ。

▼週刊新潮に掲載された日本での「離婚受理証明書」
受理証明書 離婚















この証明書では「届出日」「受理日」「さくら」「イタリア共和国」の文字が判読可能なだけ、さくらの姓、本籍、生年月日、イヴァンの姓名、生年月日、二名必要な保証人名、発行者名が伏せられた、厳密には信用に足ると言えない代物である。個人情報保護の観点は理解できるが、もう一歩、信憑性に足る形であれば納得出来たであろう。

一方、イタリアでの手続きはどうなっているのであろうか。この点について、さくら側は一切触れていないのだが、触れられない事情があるのだ。イタリアでの離婚手続きについては専門家の見解を引用する。

国際結婚や離婚は、双方の国で書類を提出するのが原則。
イタリアで婚姻届を提出していた場合、離婚するにはまず別居の申し立てが必要。
そこから3年後を待って裁判所へ申請し、離婚が成立する
さくらの主張では離婚への話し合いを始めたのは11年5月。
イタリアで結婚届を提出していれば、離婚が成立するのは早くて14年5月以降。
(行政書士・荒木康宏/女性自身)

イタリアでの協議離婚の第一ステップは「別居」の申請から始まります。
この申請は、正式書類を作成の後、この書類を裁判所の事務所に届け出て、裁判の予約をします。
市町村にもよりますが、ミラノでは、この予約から通常5~6ヶ月後に、裁判の日程が設定されるようです
(excite bit)

さくらはイタリアでの離婚が成立する法律を知っていたのか、重婚疑惑が持ち上がってから調べたのか、2013年10月のたかじんとの入籍が正当だと主張したかったことは間違いない。2009年12月の入籍を2008年と偽り、新婚生活をスタートさせるべく渡伊した2010年3月に別居が始まったと狂言し、家族も出席した2010年9月の結婚式は家族を安心させるためと言い訳する。重婚と認定されると相続欠格となるので、別居から三年経ないと離婚が成立しない国際結婚ルールを踏まえた作り話であり、全て、遺産相続権を守るための"真っ赤なウソ"以外の何物でもない。

たかじんと知り合ったとされる2011年のクリスマスシーズンは、イタリア夫と大阪で過ごしている。ブログでの様子からは、さくらが言う離婚合意書にサインをしたとは考えられない親密さである。「受理証明書」のとおり2012年3月に離婚届を提出したのであれば、たかじんと何度もキスをした後の出来事となり、経済的に申し分ないたかじんを選んだのだろうと思う。
その後のさくらのブログに、「夫婦で話し合い、今の形を納得して、毎日連絡して話している・・・」と書かれているが、日本に留まる原因を父のガンと言い含め、イヴァンとの間には夫婦としての認識が継続していたのではないか、としてもおかしくない。次のツイートは離婚が成立した2012年3月1日以後に投稿されたものだ。

2012.3.15 (伊夫・イヴァンtwitter)
75日も嫁さんと離れ離れ、気が変になりそう、日本に移住を考える時期に来たかな。

・・・伊夫は離婚した意識など毛頭ないコメントだ

FRIDAYが掲載したさくら手記によると、たかじんはさくらの離婚歴を知っていたと書かれている。要旨は次の通りだ。

イタリア人夫の離婚のこと、過去の出来事を打ち明け、弁護士などいろいろサポートすると言われた。
イタリア人夫と知り合う前にも離婚歴があったが、そのことを話すと、「おもろいやん!」と笑ってくれて救われた。 (Friday)

信用するに足る手記かどうかは不明だが、ならば、冒頭に殉愛から引用した、「イタリアには彼がいるの?」「親しい男性はいます」「恋人じゃないの?」「違います」。恋人にとどまらず夫までいた身において、この会話が書かれる「殉愛」とは何なのだ。