★何もいらない

12月25日、二人でエンディングノートについて話し合った。
夕方、たかじんがさくらには生活できるものを残すと言ったが、さくらは「いらない、一緒に連れて行って」と話した。「じゃ、寄付してもええか」と訊かれ、「いいよ」と答えた。大阪のマンションはさくらに残す、退職金で清算できると話した。
さくらは項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した。


【引用 :純愛 364-366p】
葬儀は密葬にすること。立ち会う親族はさくらだけ。骨はハワイと大阪に分骨。ただし、大阪の墓は、さくらがマンションからすぐにタクシーで行ける場所にすること。たかじんメモリアルを作る。たかじん名義の預金は全額寄付。寄付先は大阪市、親がいない子供達の施設、盲導犬協会というものだった。
さくらが伝えたいことは?」と訊くと、たかじんは熱く語った。
「病気のこと、復帰のこと、結婚のこと、これまで全部、スタッフはマスコミ報道で知らされてきた。この二年間、番組を守って支え続けてくれた人間に、自分が死んだという報せくらいは、マスコミを通して知らせたくない。これに関しては、さくらが責任を持って、みんなを呼んで直接伝えてほしい。それだけは必ず頼む、あと洋子と」
洋子というのはタレントの遥洋子のことだった」
「親族にはお知らせしなくていいの?」
さくらが訊くと、彼は「あかん!」と言った。
「ろくな奴はおらん。マスコミとか週刊誌にペラペラ喋る奴がおる」
さくら、たかじんが父親に勘当されたこと、母親とも疎遠になっていることは知っていたが、それ以外の親族にもいい感情を持っていないことを初めて知った。

夜になって、大阪からKがやってきた。たかじんが、「大事な話やから、席を外してくれ」と言ったので、さくらはマンションを出て下のロビーで待っていた。
一時間後、Kが降りてきた。その表情はこわばっていた。
「ハニーのこと、聞きました?」
さくらが訊くと、Kは「はい」と言った。
「もう何もできないんですか」
「やれることを探しています」
「そうすか」
「ハニーは何と言っていました」
「余命のこと、誰にもいうなって」
「それだけですか」
「ああ」
Kを見送ったあと、さくらは部屋に戻った。
「Kさんには何を言ったの?」
「寿命のこと誰にも言うなと。それと、会社をたたむから、さくらの言うとおりにして、さくらを助けろと。とにかくさくらを助けるというのは、念押しした」
たかじんが亡くなったあと、Kが自分を助けてくれることはないだろうとさくらは思った。


★食い違う内容

もう一つのたかじん本、「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」(小学館・角岡伸彦著)や週刊誌記事によると、純愛の記述と違う点がある。尚、角岡伸彦はKマネに取材をしているが、百田尚樹は取材していない。

『12月25日にマネージャーのK氏がたかじんの東京のマンションに呼び出されて、 たかじんと"3時間位"話し合って、年末に東京の弁護士つけて遺言書つくることにしたら、 翌日、たかじんの容体が急変して入院したとかで、K氏はたかじんと約束していた遺言作成が進められなくなった。
そうこうしているうちに1月3日たかじんが亡くなった。』

この時たかじんはKマネに次の話しをしている。 
「年末に東京で事務所の弁護士と遺言状を作成する。
・「たかじんの冠番組は終わらせること」
・「事務所の終わらせ方はKマネに任せること」
・「娘には金を残すこと」
・これらを書いたエンディングノートがある

さくらへの取材を基に書かれた殉愛の内容と全く逆なのだ。

★不思議だ、仮説を立ててみる

「さくらは項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した」ということは、たかじんが話し、さくらが聞いて書いたということになる。たかじんが考えていた内容とエンディングノートに書かれている内容が異なっていても誰もわからないのだ。
Kマネもエンディングノートの存在を知らされているが見てはいない。さくらはKマネに「たかじんは何と言っていたか」と訊ねるが、「余命のことを誰にも言うな」だけだと答えている。さくらは自分の企みが気付かれていないと安堵しただろう。
別の可能性として、ノートが二冊在ったとも考えられる。

たかじんが「会社をたたむから・・・」と、Kマネに告げたとさくらに話したことになっているが、さくらは当初P、I、Sを手中に収めようとしていたので、これはオフィス・タカジン設立理由付けの一行かと思う。

このエンディングノートは、三田病院の足場看護師長から貰ったものとされている。医療関係者の名を出すことによって、信憑性を高める算段なのだろう。それにしても、三田病院で受診していた頃にエンディングノートを用意していたとは周到なことだ。項目を眺めながら理想とする内容を思いめぐらせていたのだろう。

さくらは長女が起こした遺言書無効裁判の際に、エンディングノートを裁判所に提出したと得意気に話しているが、己の意のままに書かれたノートなら喜び勇んで出しただろう。
WILL手記にこう書かれている。

エンディングノートには、前妻にも相続させると書かれていたのに、
私が盗んで隠しているという憶測や嘘も書き立てられた。
ノートが手元になかったのは、裁判所の証拠資料として提出していたためで、ノートには、遺言書と同様のことが書かれている。 (WILL12月発売)

ノートに前妻にも相続させると書いてあると言い、遺言書と同じ内容だと言うが、公表された遺言書に前妻の事は触れられていない。娘についても遺留分の放棄を希望すると書いてあるだけだ。辻褄の合わない手記であるが、読み取れるのは裁判所でも重要な証拠となったということだけだ。

★変更された寄付先

又、殉愛では、
寄付先は大阪市、親がいない子供達の施設、盲導犬協会と書かれているが、遺言書では大阪市、大阪あかるクラブ、桃山学園となっている。殉愛執筆時には遺言書内容を当然知り得ているはずなのに、何故、事実と違う記述をしたのか。その謎はさくらの寄付金放棄(百田Twより)要求にあることが分かったが、驚くことにこの作戦には百田尚樹も加わっていたのだ。大阪あかるクラブへ出向いたさくらに、百田尚樹と制作会社AZITO代表の井関猛親が同行していたことが、殉愛の真実(宝島社)の取材により判明した。これでは自身の著書に真実を書くことが出来ないのは明白だ。

さくらは桃山学園に寄付金放棄の交渉を行っているが、同学園校長の温井氏に宛てた、寄付金迂回処理を求めるたかじんが書いたとされるメモまで出てくる騒動となった。さくらは無税となる寄付を利用し、相続税を脱税した形での相続を企んだのだ。
これだけでも純愛に書かれたエンディングノートの信憑性はゼロに等しい。
(※結果的に大阪あかるクラブ・桃山学園は、さくらの要望を却下し寄付金を受理した 2014.12.24)

▼「温井メモ」(たかじんが書いたとされるメモ)
日付が2013.12.23となっているが、この日は大阪~東京へ移動し、腹膜播種の診断を受けた日でもある。
NUKUIMEMO












★衝撃!!この「温井メモ」は偽造だった。

2015年2月23日発売「殉愛の真実」[宝島社発刊]で、このメモはたかじんが書いたメモではないと断定された。詳しくはこちらをお読みください。

http://tkj.jp/takarajima/contents/blog/p/1067/

(「殉愛の真実」では、百田尚樹著「殉愛」が如何に杜撰なノンフィクション本であるか、綿密な取材を重ねて立証されている。まだ明かされていない疑問もあるが、是非ご一読する事をお勧めします。
尚、当ブログは「殉愛の真実」発刊前に出ている情報を紡いで書いていますので推測・憶測が混在しています。)


★たかじんと母

たかじんは家族への連絡を「あかん」と言ったようだが交流があった。


実母の左肩を優しく抱き、リラックスした柔和な笑顔で写り込むたかじん氏。 そして、2人を囲むようにして並ぶ6人の家族たち――。 本誌が入手したのは、2009年のたかじん氏の還暦パーティーで撮影された貴重な1枚である。 (サンデー毎日)

たかじんの実母は、がん発表の12年2月、女性自身の取材にこう語っていた。
「私の喜寿のお祝いを、兄弟揃ってやってくれた。普段は音信不通で連絡もない、どこに住んでいるのかもわからない。でも、親孝行なんです」  (女性自身2014.12.30)

★さくらの仕打ち


がその遺骨に会えたのも死から1ヶ月後のことでした。さくらさんに懇願し、それが叶ったとそうです。このとき、親も含め、たかじんさんの親族もさくらさんと初対面というのもまた驚きです。
このときさくらさんからは闘病生活での介護の苦労話を延々聞かされるだけで、知らせなかったことへの謝罪などは一切なかったそうです。 (女性自身)