★東大病院

5月10日、三田病院で放射線治療の説明を受けるが、若い医師の説明が事務的である事に不満を持ち久保田医師に電話をするが、同僚をかばうような言い方に不満が増幅する。
さくらは本で調べた東京大学医学部付属病院放射線科准教授に電話を入れた。中川に事情説明し話していると、久保田医師とは以前同僚だったことが判り、「これも何かの縁です、月曜日にカルテを持ってきてください」と言った。
さくらがCD-LOMを持参して事情説明し、「林一」は偽名で本名はやしきたかじんだと告げると、中川は名前だけは知っていた。「本来は東大病院で手術した患者以外は受け付けないのですが、明日、本人を連れてきてください」と言った。

5月14日、三田病院で2回目の通院放射線治療を終え、東大病院へ向かった。中川は病院の枠を越えて自分が担当すると話し、余命を聞いたたかじんに、「この病気は厳しいです。データで言えば短くて半年、長くて二年、治療は早ければ早い方がいい」と言った。

5月19日から中川医師が監修した治療計画を基に三田病院で放射線治療を再開したが、さくらは三田病院の放射線機械に不満だった。患部に一定方向から一定時間放射線を当てる方式の物だからだ。最新式のものは180度回転してピンポイントで患部を照射するので、他臓器の被曝が減少する。

5月24日、さくらはその機械を持つ大阪府立成人病センターへ行き説明を受けるが、そこは個室の用意が出来ないと言われた。担当した西山医師がX病院なら同じ機械があり、大きな病院なのでプライバシーが守られると紹介してくれた。西山医師がX病院に同行して治療計画を立て直してもらってくれた。翌週からの入院を決め、三田病院久保田医師と東大病院中川医師に断わりを入れた。

★転々とする病院

最終的にX病院で放射線治療を受けるまでに四病院が関わっている。たかじんは歌手・タレントであり喉は大事な商売道具、患部周囲への悪影響が少ないピンポイント照射式機械を選ぶのは必然と言える。
殉愛によると三田病院で治療を始める前から機械に対する不安を抱いていたとある。それなら最初から新式機械を備えた病院を選ぶのが賢明な方法と言える。東大病院では神戸出身の医師に、大阪府立成人病センターでは多くのスタッフに、林一がたかじんであることが知られており、さくらが言う病気の実態を知られたくない考えに逆行しているのだ。
東大病院中川医師の配慮を簡単に裏切ることも無く済んだだろうし、正常に説明した三田病院の若い医師へのお門違いな苦情も発生しなかった。
この間、たかじんは東京-大阪間を二度往復することになり、体力を落としているたかじんにとって負担が増したであろう。後述するがFridayされる事にもつながる。
さくらは自身の奮闘ぶりをアピールしたいのだろうが、第三者の見地から言うと「思慮が浅い行動」と思える。

5月27日、X病院へ入院する日である。そしてさくら31才の誕生日でもあった。


【引用: 純愛 287-289P】
明け方の四時、さくらがキッチンで朝食の支度をしていると、たかじんが目を真っ赤にしてやってきた。泣いたあとだというのすぐにわかった。彼はさくらに一枚の紙を手渡した。B6サイズのメモ帳を破って書いた手紙だった。
文字は涙で滲んでいた。そこにこう書かれていた。


何万語、何億語、
言葉を探しても出てくる言葉は、
「さくら、ありがとう」
こんな苦難な一年をほく以上に
のり越えてくれて、
戦ってくれて、ぼくに取って
心の支えになってくれて、
本当にありがとう。
誕生日にまた何も出来ないけど、
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから
待っていてね。
又、今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura Love                 (原文ママ)


▼このメモは「偲ぶ会」さくらの挨拶の中で読み上げられた。
手紙2


















★5月16日、大阪へ荷物を取りに帰る際、品川駅新幹線ホームでFriday記者に写真を撮られている。さくらは誰かがリークしたと思っている。後に続く名前は"K"とでも言いたげだが、自分は違うと睨んでいる、もっとさくらに近い人達でないのか?

品川2












★5月19日、大阪から東京へ戻る機内で偶然に鶴瓶と会う。心配してたと言う鶴瓶にたかじんは「なんとか生きてるわ」と答え、昔話しを懐かしんだ。最期の鶴瓶との時間だった。


【引用: 純愛 284P】
鶴瓶はさくらを見て不思議そうな顔をした。
「前に会いましたよね。覚えてります?」
「初めてお目にかかると思います」
「そうやったかな、すんません」
鶴瓶は笑った。
「奥さん、こいつむちゃくちゃやけど、ええ奴なんや。たかじんを頼んます」
「はい」
「何かあったら、いつでも電話してや」


二人は電話番号を交換した。