★長くなかった復帰

4月21日、安全地帯のコンサートに行くが、「しんどい」と言い出しコンサートを途中退席した。4月25日、「胸いっぱい」の収録から帰ったたかじんは胸の痛みを訴え、翌日の「そこまで言って委員会」の収録から帰った時も不調を訴えた。三田病院の久保田医師に連絡すると「心筋梗塞か狭心症かもしれない」と言われ薬を服用するが一向に治まらなかった。4月30日、検査の為たかじんとさくら、Kマネは東京の三田病院へ向かった。


【引用:純愛 268P】
検査室から久保田医師が出てきた。彼の深刻な表情を見て、さくらは事態が容易でないことを悟った。久保田は自分の胸のあたりを指差しながら言った。
「気管支の近辺に三つ再発しています」
「再発って何すか!」
Kが食ってかかるように言った。
「治療はできるんですか?」とさくら訊いた。
「抗がん剤治療と放射線治療を行います」
(中略)
彼の余命はどれくらいありますか?」
「余命というのはあってないようなものです。五年以内に再発すると、あとは放射線治療と抗がん剤治療しかありません。これが効いたとしてしても、半年から、よくて来年の夏・・・」
(中略)
まもなく久保田医師が部屋に入ってきた。
「林さん、検査をしてみたら、腫瘍ができていました」
たかじんの顔色が変わった。


その後、三人はマンションに戻ったが、今後の治療について話をするため、さくらが病院へ行き久保田医師と会う。
治療をしなければ、半年も持たないでしょう
「治療をして二年生きられたケースもまれにあります。治療をしても効果が出なければ、生きられるのは、あと半年くらいでしょう」と余命宣告を受ける。
さくらは涙でぐしゃぐしゃになつた顔で言った。「抗がん剤治療は意味なかったんですね!」久保田医師は黙ってうつむいていた。
具体的な治療は週明けになるとの説明を受け、痛みを押さえる麻薬を受け取ってマンションに戻り、その日の夕方、新幹線で大阪に戻った。

余命宣告は本人が望まない場合は別だが、以後の治療を効果的にするために宣告するのがマターとなっている。自分の場合もセカンドオピニオンを受けた大学病院で、抗癌剤治療しか出来ないが余命を言いますかと訊ねられた。手術でしか完治は望めないと判断していたので、それが出来ない病院で宣告を受けるつもりはなかったので断ったが、もう一つの本心を言うと、医師の言い方が弄んでいるように感じたからだ。しかし、主治医から半年を宣告されたのをきっかけとして東京の名医と巡り合え、今、こうして健康な毎日を過ごすことが出来ている。完治した今となっては、なんと卑屈になっていたものかと思うが。
たかじんの場合も、本人なり親族や側近が余命半年を知っていたなら、違った治療方針を選択し寿命が延びた可能性が有り得たと思う。そうしなかったさくらの選択ミスは罪深い。また、妻でもない者だけに宣告した久保田医師と、正確な家族関係確認を行わなかったと見られる三田病院の管理体制は批判されて然るべきである。

★PET

実は2月のPET検査で小さく光った部分があったが、腫瘍マーカーが正常値のため問題なしと診断されていた。さくらはもしかしたら小さな再発部分があったのでないかと疑っている。
自分の経験で言うと、「腫瘍マーカーに表れないガンもあるので、PET検査等は慎重を期す」と担当医から言われている。たかじんのケースは小さく光るものが検出されたにもかかわらず、何故精密検査を実施しなかったのか疑問が残る。

抗がん剤については投与日数とサイクルからの想像として、シスプラチン、或いはフルオロウラ汁シルとの併用でないかと思われる。これは食道ガンに用いられる最も効果が高い標準抗がん剤である。 (食道ガン治療)

★告知

2013年5月8日、たかじんの事務所P、I、S名で、体調不良により今後の活動は未定と告知を行った。


所属事務所は「主治医による検査診断の結果、疲労による食欲不振や睡眠不足などから起こる体力の低下がみられ、しばらくの間休養を要するとの指示が出ました。苦渋の選択ではありましたが、本人も今は大事をとって休養に専念する所存でおります」と報告。今後については「主治医とも相談しながら改めてご報告させていただきます」として、復帰時期は未定という。 (当時のニコニコニュース)