【引用殉愛 97P】
「かわいい人です。でも、とてもしっかりした人です。そして素晴らしい女性です」(そこまで言って委員会チーフディレクター・砂野信)
【引用殉愛 97P】
たかじんのスタイリストを十年前から務めている吉田真規子は、スタジオでさくらを見た印象を私にこう語った。
「控え目で清楚な感じ。それまでのたかじんさんが連れてきた女とは正反対の雰囲気の子でした。それで、次の日にたかじんさんに、歴代ナンバーワンやねと言うたら、はにかんでいました」
【引用殉愛 141P】
「長いことナースをやっていますが、ここまで夫のために看護する奥さんなんか見たことがありません」
「単に、頑張るだけじゃなく、勉強量がすごい。自分でも調べるし、医師やナースたちの勉強会にも参加する。最初は、すぐに音を上げるんじゃないかと思っていましたが、最後まで頑張り抜いたのは、本当にすごい」(三田病院看護師長・竹中陽子)
【引用殉愛 142P】
「今だから言いますが、初めてお二人を見たときは、六十歳を過ぎた有名タレントに若い女性というカップルですから、ナースたちの間で、あの女性の目的って、やっぱりお金かな、と話したこともあります。でも、その後のさくらさんを見ていると、お金目的ではとてもできることじゃないと思いました。本気でたかじんさんを愛しているのがわかりました」(三田病院看護師・細井純子)
【引用殉愛 143P】
「さくらさんの指摘は当然と思うことばかりでした。彼女は看護師が気付かないような患者の変化も見つけましたし、看護師以上に頑張っていましたから」(三田病院看護師長・竹中陽子)
【引用殉愛 143P】
「あのときは、正直、ファンがうまいこと言うて、たかじんさんに近付いたと思っていた。病気で弱気になったたかじんさんが騙されたんやろと思った。そやから、看病なんてできるはずがない、そのうちにケツを割って逃げるやろと、けど、哲郎さんから看病の話を聞いて、そうやないとわかった。ほんまにようやってくれた。ごめんやで、堪忍してな」(京都こずこんオーナーシェフ・鵜川誠二)
【引用殉愛 207P】「師匠がデレデレなので驚きました。今まで何人も女性を連れてきたけど、接する態度が全然違いました。ああ、師匠、マジやなと思いました。あんな彼を見たのは初めてでした」(ハワイで会った三浦雅)
【引用殉愛 217P】
松本は目に涙を浮かべながら言った。「さくらちゃん、ありがとう」
「師匠が今こうしていられるのは、さくらちゃんのおかげですよ」(テレビ制作会社ボーイズ社長・相原)
【引用殉愛 217P】
「柔和な雰囲気になっていました。病気のせいで、気が弱くなっていたせいもあるかもしれないけど、それよりもさくらちゃんといることで性格が変わった気がします」
「師匠は前の嫁さんや女をハワイに連れて来た時は、必ずホテルに泊まらせて、コンドミニアムには自分一人で寝るんです。女とずっと一緒におるのが嫌な人やったんです。それがさくらちゃんとは、どこへ行くにもずっと一緒なんで、びっくりしました」(テレビ制作会社ボーイズ社長・相原)
【引用殉愛 223P】
「テニスの良きパートナーという感じでした。あるい大工の棟梁に対する弟子と言う感じです。男と女の関係という雰囲気はあまり感じなかったです」(制作会社AZITO社長・井関猛親)
【引用殉愛 239P】
「一番びっくりしたのは、ぼくらの前でも、さくらさんを"ハニー"と嬉しそうに呼んでることです。もうその顔もデレデレ。そんな顔も態度も、この十年一度も見た事がなかったです。たかじんさんにとって、さくらさんが特別な女性だというのはすぐにわかりました」 (テレビ大阪プロデューサー・徳岡敦郎)
【引用殉愛 243P】
「この娘が薬みたいなもんだね。抗ガン剤よりも手術よりも効く。たかじんさんが復帰できたのはさくらさんのおかげ以外のなにものでもない」
「昔の日活の青春ドラマの純愛みたいでした。山西から、献身的な女性が付いていると聞いたときは、家政婦みたいなおばさんをイメージしてたけど、全然違っていて、びっくりしました」 (読売テレビ・越智会長)
【引用殉愛 245P】
越智は、何度もさくらの手を握りながら、にこにこして「こんな若い娘をつかまえて」と言った。
(読売テレビ・越智会長)
【引用殉愛 252P】
山西から電話が有った。
「今日はお疲れさまでした。一年間、よく支えてくれました」
「いいえ、皆さんのおかげです」
「越智がさくらさんも来たらよかったのに、と言ってましたよ」
【引用殉愛 254P】
「たかじんさんがさくらさんに精神的に依存している事でした。もう完全に依存していることでした。もう完全に頼り切っている。さくらさんは強さと優しさを備えた女性だという印象を持ちました」(大阪市長・橋下徹)
【引用殉愛 260P】
「師匠に言いたいことがあります」
「何や」
「師匠が今こうして元気な姿でいるのは、さくらちゃんがいてこそです」
「そんなこと、アホ原に言われんでもわかっとるわ」
「それやったら、さくらちゃんを泣かすようなことをしたら絶対あきまへん」(テレビ制作会社ボーイズ社長・相原)
【引用殉愛 319P】
「処置している間、たかじんさんが何も言わないのに、さくらさんはすぐに痛みや異変を察知していました。まるでテレパシーみたいだなと思ったのを覚えています」(札幌すまいる歯科・阿部雄一裕一院長)
【引用殉愛 326P】
「第一印象は、癒しの人。それと、配慮がすごい人と思いました。(中略)たかじんさんの心が読めてるのかなと思いました。たかじんさんも本気で惚れてるのがわかりました。これまで、女にはめちゃくちゃ高圧的で奴隷のような扱いをしていたたかじんさんが、さくらさんにはまったくそんな素振りは見せなかったのも驚きでした」(遥洋子)
【引用殉愛 326P】
「今回は当たりですねと言ったんです。するとたかじんさんが嬉しそうに「逆転満塁ホームランか?」と訊いたから、「リーグ優勝でしょう!」と答えました。でもあとで、なんで「日本シリーズ優勝」と言わなかったのか後悔しました。だって彼女は日本でただ一人の女性でしたから」(遥洋子)
【引用殉愛 413P】
彼女の意思を尊重し、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪の番組スタッフおよびチーム林のメンバーたちも沈黙を守った。番組のスタッフたちは局の垣根を越えて団結し、やしきたかじんが愛した女性を陰に日向に支え続けた。毎日のように入れ替わり立ち替わり、彼女の元を訪ね、元気づけ励ました。
【引用:眞鍋かをり Twitter】
眞鍋かをり@KaworiM0531たかじんさんと奥様のさくらちゃんの愛を描いた小説『殉愛』が発表されて本当に嬉しい。たかじんさんをあれだけ献身的に支えた彼女が週刊誌に酷い仕打ちを受けたときは、怒りで全身の血が沸騰した。あの時、無言で耐えた彼女の気持ちが報われるといいな。皆が読んで真実を知ってくれたらいいな。
2014/11/07 22:19:54
【引用:竹田恒泰ブログ】
『殉愛』で涙腺崩壊 2014-11-11 14:49:55
そして、2年に及ぶ二人の闘病生活がはじまります。
その、あまりに過酷で壮絶な様は想像の域を超えるものでした。
たかじんさんは、死期を間近にして、ようやく最愛の人と巡り会ったのですね。
そして、さくらさんの献身的な看病の様子は、「人はそこまで人を愛することができるのか」と思わせるものです。
たかじんさんの、これまで知られていなかった面も見ることができ、終始、涙を流しながら読ませて頂きました>
必読の書です!
(中略)
ところで、さくらさんについては、週刊誌が酷いことを記事にしていますが、簡単に信じてはいけません。
僕は、何度かさくらさんと会っていますが、さくらさんの人柄は、この本に書かれているとおりです。
さくらさんの、たかじんさんを思う気持ちは本物ですし、さくらさんは、控え目で、気立てがよく、どこから見ても、至極素敵な方です。
女性のことを知り尽くしているともいわれるたかじんさんが、最後に選んだ女性が、一体どんな方なのか、という興味はありましたが、さくらさんとお会いして、「なるほど!!!」と、納得した次第です。
こういう方に献身的に看病してもらって、あの世に旅立つことができたら、幸せだったろうな、と想像しました。
たかじんさんは、本当の幸せ者だと思います。
さくらさんには、心ない誹謗中傷など気にかけず、たかじんさんと過ごした日々を大切にして、誇りを持って生きていって欲しいと思います。
【引用:収納王子ことオーケイ小島】
タイトル『一生の宝物』 2014.11.7
今夜、金スマ(TBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」)で、私が恩師と慕う“やしきたかじん”さんの特集が放送されました。
世間では色んなことがウワサされていますが、今回の放送で少しでもたかじんさんの奥さま・さくらさんに対する誤解が解けたなら、私はスゴく嬉しいです。
実は今年の4月頃、番組関係者の方を通じて、「たかじんさんの奥さまが、小島さんの都合のいい時にお会いしたいとおっしゃってますよ!」というご連絡をいただきました。私は次の日すぐに大阪のたかじんさんのご自宅に伺いました。
3月に行われた「偲ぶ会」が最後のお別れだと思っていただけに、遺骨の前でお線香をあげることができた時は涙が止まらず、おそらく30分以上泣いていたと思います。
その間、さくらさんはずっと私の背中をさすってくれていました。そして私が落ち着いた頃、こんなお話をしてくれました。
ハニー(たかじんさん)は、小島さんの出演しているテレビを見る度に「こいつはオレが東京に行け!言うたんや…」といつも心配していましたよ。
さくらさんはこのことを私への遺言とし、わざわざ連絡を取り、伝えてくださったんです。
このあとの収録がたかじんさんとご一緒させていただく最後の仕事となり、たかじんさんにとっては最後の収録となりました。そして帰り際、さくらさんに承諾を得て、この写真を遺骨の前に飾らせていただきました。
するとさくらさんが、「このピンクのニット、すごく覚えています。普段ハニー(たかじんさん)はピンクなんか着ないのに、少しでも元気が出る色をと思って着せたら、照れながら出かけて行きました(笑)」
その何日か後、さくらさんから私宛に小包が届きました。開けてみると、なんとあのピンクのニットが入っていました。
手紙には「オレより小島の方が似合うから送ってやって!ということなので、着てやってください。」と書かれていました。さくらさん、着れる訳ないでしょ(笑)
ただ、一生の宝物にします。
さくらさん、そしてたかじんさん、ありがとうございました。
【引用:TVTVTV 山田晃F.B】
2014年11月13日FBより
私は2012年12月、ハワイで療養中のやしきたかじんさんとさくらさんのお会いしました。
その時の印象や感想は百田尚樹氏の「殉愛」の中で書かれている通りですが、その時さくらさんとたかじんさんの2人から直接、病気の発覚から入院、手術、その後の大変だった状況を聞きました。
その上で、今回「殉愛」を読んだのですが、書かれていた内容に2012年当時に聞いた内容と矛盾する点は全くありません。
通常、自分以外のことについての話は裏が取れることが少ないので、全面的な信用はできないものですが、ことのとについては胸を張って証言できます。
「殉愛に」書かれてることにウソはありません。
だって、さくらさんだけでなく、たかじんさん本人から聞いたのですから。
その確信があるので、いまネット上に溢れかえっている、裏の取れていない誹謗中傷には胸が痛くなるばかりです。
僕のこの証言だけではネットの悪意に対してあまりにも無力ですが、書かずにはいられません。
少なくともこれを御覧頂いた方には知っていただきたいです。
「殉愛に」書かれている内容は、僕がハワイで聞いた内容と同じで、そこに不必要な誇張も虚偽もありません。