★たかじんを知った日

北海道に住む自分にとって、やしきたかじんの名を知ったのは、実はかなり遅い。
 
きっかけは、テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」だ。論じられる内容が、東京マターに馴らされた者にとって斬新であった。パネラーの三宅久之、宮崎哲也、勝谷誠彦、鴻池肇各氏達の、それまでには見られなかった切れ味のコメントの数々、そして怒りのざこば師匠、いじられ役の田嶋陽子氏、それぞれのキャラが嫌味なく溶け込んでいた。

時たま、指棒持って中央に出てくるサングラス姿の男がいる。関西らしい本音トーク、肝心な部分はシヤッターされていたが、番組の看板画像の彼の口にもチャックがされている。ちょっと過激な関西の司会者なのだろう、その程度の認識だった。
 
彼の名がやしきたかじんと知るのも、彼にシンパシーを感じるのも時間を必要とした。

たかじん





 

或る時検索すると、なんと、やしきたかじんの本業は歌手であった。代表曲は「東京」で日本有線大賞受賞曲との事だ。そう言えば聞いた事が有るような無いような、さっそく動画サイトで聴くと気になるフレーズが飛び込んできた。

"かけがえのない人に、逢えた東京~"

北海道の寒村育ちの自分にとって「東京」の響きは特別なものが有る。実は東京の大学受験に失敗して、東京行きを諦めた過去が有るからだ。今でも東京とは「かけがえのない"モノ"に逢い損ねた街」との意識が、頭の片隅に残っている。

彼が唄う東京は、一人の女が大事な男と出逢い、そして別れた悲恋の街。
もしあの時、自分が東京へ行くことが出来ていたとしたら、自分の人生はどのような図を描いていたのだろう。それを思い起こさせてくれたのがこの曲、「やしきたかじん」になにかしらのシンパシーを感じた瞬間だった。

▼やしきたかじん「東京」


★さようならたかじん

毎週日曜日の「そこまで言って委員会」を楽しみにする日が流れていた或る日、たかじんが食道ガン治療の為休養すると報じられた。ガンなので楽観は出来ないものの、今時の医学、食道ガンは手術により治癒する確率が高いと思っていた。妻の叔母も同じ病気で手術したが職場復帰し、今では各地のマラソン大会で走るまでになっている。

復帰までに時間がかかっているのは心配だったが、約14ケ月の休養を経て復帰して来た時は安堵し、たかじんが出演する番組は全て見るようになっていた。
しかし、それは束の間だった。再発による再休養が発表され、再度テレビから姿を消した。

彼の次の報は、まだ、正月気分が抜け切らない1月7日の夜であった。
「やしきたかじん、死す」

たかじん2









【引用】 
食道がんの手術から1度復帰したものの再び休養していた歌手でタレントの、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日未明に亡くなった。64歳だった。
12年1月に食道がんのため休養したが、同5月2日夜、体調不良を訴え再び長期療養。懸命に再復帰を目指したが、思いはかなわなかった。 (日刊スポーツ・2014年1月7日23時17分)

★シンパシー

たかじんとは同年代である。ガンの怖さも知ってはいる。健康的とは真逆な彼の生活ぶりも聞いている。しかし、64年で幕を閉じる人生は悔いが残るであろう、まだまだ、生き抜きたかったであろう、シンパシーを感じていたファンとしても、至極、残念な一報であった。

こよなく酒を愛し、新地を愛し、多くの女を愛し、自由奔放を好み、破天荒でありながら、どこかシャイな臭いがする生き様。
たかじんのその評伝もシンパシーが深まる一因であった。自分の人生を顧みながら・・・勿論、そのエピソードは彼の10分の1にも満たないが。