★たかじんメモ

2014年3月3日に行われた「たかじん偲ぶ会」で、さくらが初対面の百田尚樹に声をかけ、たかじんからのお願いがあると伝えた。その後はメールで連絡しあっていた。

【引用:殉愛17P】
「・・・・(中略)百田さんについて書かれたものを見つけて、是非ともお目にかけたいと思い、メールいたしました」
たかじんが私について書いた文章は全部で二ページ。最初のページにはこう書かれていた。

・・百田に委員会で喋らせる。おもろい。
(中略) ・・

【引用:殉愛18-19P】
私はこのメモを見て非常に驚いた。たかじんがまったく親交のない私をここまで高く買ってくれているとは思ってもいなかったからだ。しかしメモの二ページ目にはもっと驚かされた。

・・委員会で百田しっかり守る。発言守る。→弁解の場は委員会
対談とか、雑誌を一緒にやってもええな。僕の本を出すなら、百田に助けてもらう。→さくらのがむいてる。
海賊で久々に本で泣く。こういう人間、作家こそ命や。飲みながら、さくらと3人で会うて、対談する。
(中略)
これは創刊号で雑誌かサイトでやっても絶対受ける。→山田TVTVT V。
ええ仕事を一緒に出来る人間や! 企画ねる。正直、真っすぐ、正しく生きる奴と友情つなぐ ・・


★2枚目のメモ、このメモは金スマでも紹介された。
メモ1



















★なぜ百田尚樹なのか

たかじんの生前のイメージが崩れる内容を含む本の出版を、彼が望むだろうか。まして、たかじんが面識のない作家を指名する必然性は薄い、自分の最期をどのように表現されるか疑わしいからだ。
メモには、「さくらと一緒に対談し雑誌かサイトでやる」とあり、出版も「さくらのがむいてる」とある。タレントとしてプライド高いたかじんが、素人のアラサー女性を表に出すとは考えにくく、その後明らかになるさくらの資質は、2年間で見破られていたと見る方が自然だ。
前ページにある通り、殉愛発刊に関しては「幻冬舎」企画であり、百田尚樹を指名したのは出版社との報道を支持したい。


【引用:殉愛 22-23p】
私はその後も未亡人と何度か会い、多くの話しを聞いた。おかしな言い方になるが、聞けば聞くほど、その劇的な物語に魅了された。(中略)
本を諦めようと思ったもうひとつの理由は、彼女自身が自分とたかじん物語を公にしたくないという思いを持っていたことだ。実は彼女の元には、たかじんとの闘病生活を妻の手記という形で出しませんかという出版依頼が三十以上も寄せられていた。彼女はすべて断っていた。
(中略)
いつしか私と彼女との間には、友情のようなものが生まれていた。(中略)
しかし、ある日、彼女が漏らした「一言」が私の心を大きく変えた。


その理由として百田尚樹は著書のエピローグで、さくらの次の言葉を記している。
「自分がかわいそうとも不幸とも思ったことは一度もありませんし、今も全く思っていません。ハニーと暮らした二年間は本当に幸せだったんです」

百田さくら







★さくらと百田尚樹の「友情」

前述したとおり、自分は掲示板でイタリア男性との結婚疑惑が持ち上がってからの購読だったこともあるが、金スマで盛ったと感じた以上のものがそこにあった。例えば医療関係の記述がそうだ。自分の経験値からしても不条理な記述が並べられている。「さくらの記憶力は異常ともいえる程、何度質問しても記憶がぶれることはない」と評しているが、未亡人の一方的な「物語」に肩入れし、立場を変える側の取材は一切行っていない、これはノンフィクションとは違うとの思いを強くした
三十以上の依頼が仮に本当だとしても、他の出版社はさくらと話しているうちに疑問を感じたのだと思う。宝島2月号によると「百田先生は何故こんなややこしいものに手を出したのだろう?」と大手出版社関係者も不思議がっているそうだ。たかじん死後に報じられたさくら未亡人の評判はよくないものばかりであり、それは百田尚樹も認識していたにも関わらずだ。

二人で、京都、東京、札幌と取材旅行へ行き、300時間以上の取材をしたとふれ込んだ。画像からも窺えるが「友情のようなものが生まれていた」とのこと、これがノンフィクション作品としての致命傷だったと思う。
この「友情のようなもの・・・」は如何にして生じたのか、百田尚樹は殉愛のプロローグにも書いている通り、リーガロイヤルホテルでメモを見せられた後も執筆をする気はなかったとしているが、その後も何度も会っていることが殉愛に書かれている。
"しかし、ある日、彼女がふと漏らした「一言」が私の心を大きく変えた"
二年先までスケジュールが埋まっている超多忙なベストセラー作家が、書く気がないのに「仲良く」なるまでに会う必要があるだろうか。本人も書いているように、一部の週刊誌に彼是書かれているいわく付きの人物とである。
百田尚樹に当初から与えられていたのは、執筆する「決断」ではなく「決定」だったのではないのか。

「郷ひろみ、石原慎太郎など多くの著名人にセンセーショナルな本を書かせ、『暴露本』の名手とも陰で呼ばれる幻冬舎・見城徹氏の巧みな口車に乗せられたようです。高額な原稿料をエサに、執筆をたきつけられたのだとか」(業界関係者) (サイゾーウーマン 2014/12/5)

殉愛疑惑が波紋を呼ぶと、百田尚樹はtwitterで200時間の取材と言い直している。

★不思議な縁

【引用:殉愛 7P
私が「やしきたかじんを偲ぶ会に出席したのは、会の企画メンバーの中に「そこまで言って委員会」のスタッフがいて、私に招待状を送ってくれたからだ。しかし当日の夜、東京で仕事が入っていた私は欠席するつもりでいた。ところが先方の予定が変更になり、東京行きが一日延びた。それで時間の空いた私は「会」に出席することにしたのだ。
もしスケジュール通りに東京へ行っていれば、この本が生まれることはなかったかもしれない。今にして思えば、これも不思議な縁である。


不思議な縁がなくても殉愛は生まれたとされるニュースがある。幻冬舎は百田尚樹に書かせなければならない事情が有ったようだ。なにせ、書けばベストセラー間違いなしの作家だから。

実は、幻冬舎は経営が悪化していて、今年前期の決算もかなりまずい状況だった。雑誌も書籍もまったくと言っていいほど売れない中で、唯一売れたのが、4月に出た百田の『プリズム』の文庫。そこで幻冬舎が『なんでもいいから百田に書かせよう!』として動きだしたのが、『殉愛』だったそうです。 
「郷ひろみ、石原慎太郎など多くの著名人にセンセーショナルな本を書かせ、『暴露本』の名手とも陰で呼ばれる幻冬舎・見城徹氏の巧みな口車に乗せられたようです。高額な原稿料をエサに、執筆をたきつけられたのだとか」 (業界関係者) (サイゾーウーマン)


★メモの真贋についての指摘がある。

【引用:たかじんtwitter】

88himajin88@88himajin88 2011年8月28日

Twitterで何故大阪弁を使わないかと云われますが、大阪弁は相手が目の前にいて始めて効力を発する言語で文には少し不向きだからです。世界中の言語の中で此れほど短い言葉の中にこれほど色んな意味を含ませてた言葉はありません。例として、久し振りに会った知り合いに「どや?」 posted at 09:09:42 

このtweetにあるとおり、たかじんは文章で大阪弁は使わないと明言している。
「本を出すなら、百田に助けてもらう」の文字が四角で囲まれているが、他のメモでは見られない表記だ。また、「人間」の字の門構えだが、たかじんの真筆メモでは楷書体は使われていない。

▼2ch既婚女性に書込みされた指摘
「週末はいつも六甲山ホテルにいるから、こっち来て!」ということで、ホテルでお会いした時、打ち合わせでメモを書いてもらったんです。

メモは、「書類をココに持って行ってくれ」ということで、その場所等を指示していただいたものです。
その時、「門」と「来」が行書体で書かれてたので、なんとなく「字」のお話になったのですが、その時にたかじんさんは、
「画数の多い字を書くのは嫌で、門とかはいつもこれ。ものごごろついてから、門はこれ(行書)以外書いたことない」
とおっしゃってたので、他の筆跡はともかく「門」に関しては、xxxメモは絶対におかしいです。


▼さくら・殉愛メモ・たかじん真筆比較表。上のメモ画像の「人間」の間と比較すると違いがわかる。
門2










★メモ中に出てくる山田とは、番組制作会社「ボーイズ」の子会社「TVTV TV」ディレクター・山田晃の事。現在はさくらが創設した「タカジン・メモリアル」の映像担当として名を連ねている。
山田はさくらとFacebookでも友達となっており、頻繁なやりとりが確認されており、たかじん遺品の炊飯器をプレゼントされたやりとりが有った。現在はアカウントブロックされており、タイムライン・友達等は見ることが出来ない。
又、2ch既女板には、たかじん母の葬儀の際にさくらと一緒に参列したとの情報が寄せられた。その際、頭にバンダナを巻いていたとの情報も有り、非礼だと指摘する書込みが多かった。
殉愛金スマSPにも出演し証言をした。(詳細は別項にて)