ここ数日、気分と体調がすぐれない。人生初の循環器専門医の受診予約を週明けに入れた。
きっかけはたかじん未亡人のさくらから名誉棄損で提訴されていた、たかじんの古い友人であったアズマラ氏の裁判が和解決着したようで、アズマラ氏が自身のブログ上で謝罪文を掲載したところから始まる。体調までそれが原因と言い切るのは早計かも知れないが、気分がすぐれない原因は、100%それだと言い切れる。
下記が、その謝罪文である。


【引用:azuma0220ブログ】
これまでのブログ発信のお詫び (2015-05-26 10:06:00)
 
私は、家鋪さくら様に対し、このブログに掲載した記事の中に、伝聞や憶測に基づき事実と異なる記載をしたことを認め、これにより家鋪さくら様の名誉を傷つけたことを深く陳謝します。

この謝罪文を読んだ際に、真っ先に感じたのはアズマラ氏の「忸怩たる思い」であり、血のめぐりがよくなった状態を通り越し早くなり始めた。
謝罪文掲載に至るまでの経緯を簡単にまとめておきたい。
アズマラ氏のブログにはさくら未亡人の知られざる過去や所業が書かれ、又、コメント欄にも様々な情報が寄せられ、殉愛で書かれたさくら像とあまりにも異なると話題になったが、昨年12月、突然ブログが閉鎖された。後日判明したのだが、さくら側と裁判所で話し合いをした結果との事だった。
しかし今年1月突然に、さくらから名誉棄損と損害賠償請求1.000万円の訴状が、アズマラ氏のもとに届く。ブログ削除の要請に応えていたアズマラ氏としては晴天の霹靂であったと思われ、一時はブログを再開し徹底的に争う姿勢を見せ、カンパを募った。しかし、突如カンパの返金をブログ上で表明し、ある時期から再度ブログを閉鎖していた。当然、アズマラ氏は情報源を守る意図も働いたであろう。
この段階で裁判は和解の方向で進んでいると思っていた。氏のブログ内容については、その後事実と判明した情報も数多いが、一方、確認されていない情報もあり、裁判の特性からアズマラ氏側が妥協せざるを得ないかも知れないと予測していた。さらに、ブログ上でのアクションを求められるだろうことも、未亡人の性格からして予測はしていた。
しかし、実際に謝罪文を目のあたりにすると、諸事情により裁判で争う道を断念し、謝罪による和解を選択した心中を慮ると、著しく気分がすぐれないのだ。

アズマラ氏が謝罪文を発表した日の夜、ますます気分がすぐれなくなる出来事が起きた。さくら未亡人が下記の一文を、たかじんメモリアルサイトとフエースブックに最新ニュースとして掲載したのである。


【引用:たかじんメモリアルサイトに掲載された一文】
※※※氏のブログについて (2015.5.26)

※※※氏は、自身のブログに掲載した内容について、そのほとんどが伝聞や憶測に基づいた事実とは異なる記載であることを認め、これにより家鋪さくら氏の名誉を傷つけたとして※氏より和解の申し入れがありました。最終的に、当方が同申し入れを受け入れ、和解をすることに致しました。

双方代理人が同席の上での聞き取りによる、これまでの経緯を説明させて頂きます。
※氏は、やしきたかじん氏が亡くなった直後より、「30年来の友人」としてブログを書いてきましたが、最後に直接たかじん氏本人と会ったのは15年以上前とのことでした。
家鋪さくら氏については全く面識がありませんでした。
また、元関係者や知人から聞いた話などを、裏付けや確認を取らずにそのままブログに掲載されました。その後、ブログのコメント欄に多くの書き込みがあったことで、エスカレートしてしまい、さくら氏に対する記述を裏付けを取らないまま書き続けてしまったとのことです。
しかし※氏がこれまでさくら氏について語ったり、ブログに記述した内容は、すべて客観的な裏付けは何もなく、事実と異なる内容であり、極めて安易な気持ちで書き綴ってしまっていたことを認めました。
よってここに和解の申し入れを受けることに至りました。

 (※※※はアズマラ氏本名)

同サイトは、さくら未亡人が代表を務める(株)OfficeTAKAJINと、(株)ボーイズの子会社であるTVTVTV(株)が運営母体となっており、ボーイズの相原康司代表が責任者となっている。当初は「やしきたかじんオフィシャルウェブサイト」名で運営されていたが、2014年6月2日、同サイト名に変更された、ファンのための有料会員制サイト(2015年6月からは無料)である。

第一の問題は、法人格が運営する公的サイトに、さくら未亡人の個人的な裁判結果を掲載した是非にある。同サイトは純粋なたかじんファンのためのものであり、未亡人の個人的な顛末の報告場所ではないと判断するのが、社会的責任を負った法人の責務のはずだ。
しかも、一般人であるアズマラ氏の姓名を公然と掲載する横暴振りは、もはや法人格としての矜持を失っている。おそらくは和解条件に付帯した掲載なのであろうが、弱者に対する究極の攻撃性を露呈したとしか思えず、殉愛騒動を知らずにサイトを訪れたファンも、違和感と何かしらの疑問を抱く事になるだろう。

サイト名の「たかじんメモリアル」で思い起こすのが、たかじんの遺言書に明記された、OSAKAあかるクラブへの2億円遺贈にまつわる騒動だ。遺言書には「
金2億円を自分が生きてきた証として『たかじんメモリアル』を設立し、大阪のために頑張ってくれた人に対して表彰し、金100万から500万を授与するものとするが、当面の運営は大阪あかるクラブが行うため、同法人に遺贈する」と書かれている。
未亡人はその後、同クラブに対して執拗と言える寄付金放棄交渉を行ったことが明らかになったが、交渉時の同クラブに対する未亡人の最後の言葉が、「ただし、今後いっさい、たかじんの肖像や名称は使って欲しくない」だった。これは百田尚樹も同席した2014年10月の出来事である。故人である夫が同クラブに運営を託し、名称まで指定した「たかじんメモリアル」の名を、未亡人の放棄交渉の影響で遺贈受理意志を明らかにしていない6月の段階で、自らが代表を務める法人サイトに早々とその名称を冠したのは、無償の愛を捧げたはずの故人の遺志を冒涜したことに他ならない。
 (※詳細はこちら・
 OSAKAあかるクラブ寄付金放棄騒動
)

掲載文に、「※氏は、やしきたかじん氏が亡くなった直後より、『30年来の友人』としてブログを書いてきましたが、最後に直接たかじん氏本人と会ったのは15年以上前とのことでした」とある。おそらくは、長年会っていないので友達とは言えない、直近のたかじんを知らないと強調したいのだろう。しかし、たかじんとアズマラ氏は30年間に渡ってリスペクトし合っていたのは間違いないだろう。アズマラ氏が絶縁していたなら、ブログコメント欄で執拗な嫌がらせを受けてまで、さくらへの不信を掲載する必要がない。

殉愛問題がそれなりの拡がりを見せるなかで、さくら未亡人を讃えているのは、幻冬舎、百田尚樹、制作会社を中心とする「殉愛プロジェクト」のレールに乗っかった人々だけの声で、しかもたかじんとの2年間に限定されており、目的からして脚色されたものであることは明白と言える。
他方、真実を伝える各出版物で明かされたさくらの過去は痛々しいものばかりで、ネット上に流れる情報も然りである。さくらはたかじんと出会う以前に三十数年も生きているのに、何故、美談や善良で温和な性格を表す情報の一つも出てこないのだろうか。
明らかになった結婚歴や愛人歴も概ね2年で破局し、しかも最後には必ずと言っていいほど金銭問題が絡んでいる。さくらの生き甲斐は、豪華なマンションに住み、ブランド品で着飾り、贅沢な暮らしを送る、そのためには手段を択ばない、虚飾に満ちた人生だけが彼女を満足させる全てなのだ。だから「思いで生きている人々」を理解出来ずに、長年会っていないとのフレーズを、鬼の首を取った如く並べたのだろうが、思いで生きている人は何十年経とうとも、友人は友人なのだと断言出来る資格があるのだ。

当然ではあるが今回の一文掲載に対して、掲示板、Twiter等でも未亡人に対して批判と反発が多い。一方、さくら側は致命的なミスを犯しているとの指摘もある。「当方が同申し入れを受け入れ」の文言である。文責者著名がなく何方が書き起こしたのか不明だが、家鋪さくら氏と[氏]の敬称を使用していることから、関係スタッフによる文章だろうと考えられる。これらは家鋪さくらが公人であることを宣言したことに他ならず、さくらが起こしている名誉棄損等の裁判で、私人であるとの主張が現実性に欠けるとの判断材料とされはしまいか。


今回、さくら側が発表した一文は、一見すると勝利宣言のようにも見える。彼女の性格からしても、おそらくそう思っているのだろう。発表の翌日は彼女の34回目のバースデイ―でもあり、もしご相伴する相手がいたとしたら、さぞかし満足のいく祝杯をあげた事であろう。
同サイトのトップページには、赤いジャケットを着て熱唱するたかじんの画像が貼ってある。彼からのバースデイプレゼントが、天から届く「一喝」であって欲しいと願うばかりである。

▼アスマラ氏に宛てたたかじんの手紙
あずまら手紙















アズマラ氏は簡潔な謝罪文以外は発していないので、心情的な勝ち負けについてどのように考えているかは察するしかないが、第三者的に見ると負けとは言い難い。氏のブログから発せられた情報は事実だったと証明された事案も数多く、特に、さくらのイタリア人との婚姻歴が明かされたのは、氏ブログのコメント欄に投稿された情報が元となるなど、ネットやSNSでさくらの実体を検証する人々の一里塚となったのは間違いない。
心情面から言う勝負には負けたかも知れないが、内容で勝っているのは衆目の一致するところだろう。「勝負に負けたが、相撲で勝った」と言える。
一方、さくらは自ら提訴した裁判や、たかじん長女から起こされるであろう遺留分減殺請求と、それに伴う遺産額確定訴訟等を抱えることになるが、今度は本や手記で都合よく述べたような訳にはいかない。なんと言っても法廷の場てある。これまでに明かされている陳述書等の情報から苦戦が予想され、今回の雄叫びのような勝利宣言も「最後の咆哮」と思えてならない。